きっと恋だった


1.

聖地は常に常春で、午後の心地よさは格別だ。
うっかりしていると、ふわふわと意識をさらわれて、うとうとするのも日常茶飯事。
もっとも守護聖の執務は内容的にフレックスOKだから、昼寝をしようと夜から始めようと、本来は問題がないのだが、うるさい首座のせいで、一応のコアタイムが定められている。
クラヴィスのように全く守らない守護聖もいるけれど、表立って反抗する気力もないオリヴィエは、ほぼ時間通りに出仕して、定時で帰宅していた。

ちらりと時計を見上げれば、針は2時半を指している。
ちょうど眠くなる時間帯だし、座っているのにも飽きた。
立ち上がったオリヴィエは、ストールを巻きなおすと、軽い足取りで中庭へと向かった。

多くの花が美しさを競っている中庭は、一歩足を踏み入れただけで、華やかな香りが漂ってくる。
オリヴィエは大きく息を吸い込んで、肺一杯に、馥郁の香りを吸い込んだ。
それだけで、自分自身の全身が綺麗になったような気がする。
香りの後は、目で美しさを楽しもう、と足を進めたオリヴィエは、最奥の東屋から、楽し気な笑い声が聞こえてくるのに気が付いた。


こっそり木の陰から、東屋を覗き込むと、
「ね、最近いいことあった?」
そんなたわいもないことを言いながら、女王アンジェリークがお菓子をぱくついている。
やっと女王の威厳が出てきたかな、と思っていたが、やはりまだ年頃の少女らしい。
誰も見ていないところでは、女王候補の頃と全く変わっていないようだ。

「特にありませんわね。あんたはどうなの?」
向かいに腰を下して、優雅な手つきでお茶を飲んでいるのは、女王補佐官のロザリアだ。
ティータイムのちょっとした息抜きを兼ねた女子会なのだろう。
トレーに並んだティーセットや数々のお菓子が見える。

「わたしは…ふふ、聞いてくれる?こないだの金の曜日なんだけどね」
アンジェリークが語り始めたのは、恋人のルヴァとの惚気話。
お菓子を2人で半分こして食べた、とか、朝起きてすぐルヴァが淹れてくれた緑茶がものすごく苦かった、とか、本当にどうでもいい話だ。
それをロザリアは適度に相槌を打ちながら、突っ込んだり、笑ったりしている。
とても楽しそうな光景。
なんだか割って入るのも申し訳なくて、オリヴィエはそのままぼんやりと2人の話を聞いていた。

すると、ひとしきり、語ったアンジェリークは、お茶を飲み干し
「ロザリア、オリヴィエとはどうなの?」
そんなことを言い出した。
突然出てきた自分の名前に、オリヴィエは驚いて、身を乗り出してしまう。
2人には見つからないように、こっそりと、聞き耳だけはしっかりと立ててみた。
「別にどうもありませんわ。守護聖として、ということでしたら、執務はしっかりなさいますし、生活態度もとりたてて言うほどのことはありませんし。ファッションに関しては個人の自由ですから、差し支えない程度でしたらかまいませんわ。もっとやればできる方だとは思いますけれど、今のところは現状維持で問題ありませんわね」
ロザリアはごく普通の補佐官らしい返答だ。

「そういう意味じゃないんだけど。ホラ、女王試験の頃、ロザリアってば結構オリヴィエと仲良しだったじゃない?」
「ええ。今も悪くないと思いますわ」
「だから~。その、恋愛とかには発展したりしないのかな、って」
アンジェリークは若干食い気味にたたみかけている。
この年頃の女子にとっては、重大な事案なのだろう。
ロザリアはアンジェリークの猛攻にも涼しい顔で、小首をかしげている。

そして、お茶を一口飲むと
「オリヴィエと恋愛?…ありえませんわ。そういう対象としてはみれませんもの」
うっすらとほほ笑み、鷹揚に頷いた。
その所作は本当に優雅で見惚れるほど美しい。
「ええー!そうなの?ホントに?」
アンジェリークは心底びっくりした様子でお菓子を手からこぼして、緑の瞳を丸くしている。
覗いていたオリヴィエも、微妙な思いで、そのあとの話はあまり耳に入らなくなっていたのだった。



その夜。
ロザリアの寝室には、二つの人影があった。
補佐官の私邸は、正直、それほど広くはない。
女王や守護聖と違い、補佐官はあくまで『臣下』の一人だからだ。
高い身分は保証されていても、それは聖地というヒエラルキーの中に収まるもので、存在自体に意味があるものではない。
代わりの利く人材にすぎないのだ。
私邸もそれなりに豪奢なつくりではあるが、ほとんどの調度品はロザリア個人が主星の生家から持ち込んだものだった。

キングサイズの大きな天蓋付きベッドの上で、絡み合う2人。
肌触りの良い綿のシーツは、ロザリア愛用の貴族御用達の店の専用品だ。
シルクではなく、あえて綿なのが、ロザリアのこだわりだった。
「ん…」
甘い喘ぎ声と、淫らな水音。
抽挿に合わせた荒い息遣いが、部屋の中に響いている。
「ああ!」
大きくのけぞった白い美身を抱きしめて、オリヴィエは彼女の最奥に熱を放った。

絶頂を迎えたあとの火照った体をベッドに投げ出していると、隣で同じように寝そべっていたロザリアが、じっとこちらを見ていることに気づく。
「なあに?」
言いながら、彼女の額に張り付いた前髪をそっと指ですくいあげた。
「もしかして見惚れちゃった?」
「ええ、そうかもしれませんわ。さすが美しさを司る夢の守護聖様は身体も美しいですわね」
明らかに冗談とわかる口調で、ロザリアがくすりと笑う。
昼の姿が凛とした鎧をまとう女戦士とすれば、夜の彼女は薄衣の衣を羽織った天使…いや、悪魔だろうか。
どちらも魅力的だが、夜の姿を知るのは、今のところ、オリヴィエだけのはずだ。


最初にロザリアを誘ったのは、もちろんオリヴィエの方だ。
アンジェリークも言っていたが、女王候補の頃から、オリヴィエはロザリアと、特に仲が良かった。
ロザリアはその名の通り、薔薇のような美貌の持ち主だったが、アンジェリークに比べて、とっつきにくい雰囲気があったし、完璧な女王候補としてのプライドが高い少女だった。
言いにくいこともズバッと言うし、空気を読んだりもしない。
聖地という場所は、良くも悪くも、常春の気候と同じように、なにもかもをあいまいなまま済ませようとする事が多い。
その中で、白黒はっきりしている彼女の前向きな姿を、オリヴィエは好ましいと感じた。
だからつい、お茶に誘ったり、話しかけたり。
断られてもめげることなく、とにかく構い倒したのだ。
ロザリアもかまってくるオリヴィエを初めこそ胡散臭げにしていたが、次第に心を開いてくれるようになっていった。
彼女は誰しもが振り返るほどの美貌でスタイルも完璧。そのうえ、頭の回転も速い。
一緒にいて楽しいし、連れて歩いても自慢できる。

正直、彼女を抱きたいと思ったのも、恋愛感情と呼べるほどのものではなかった。
身近にいる綺麗な女の子を、ちょっと誘ってみた程度。
補佐官という、いわば同僚的な立場なのは面倒くさいけれど、ロザリアほど賢い女の子なら、仕事とプライベートを一緒くたにすることはしないはずだし、ダメならダメで、まあ、冗談だと笑い飛ばせばいい。

金の曜日の帰り道、たまたま帰宅の時間が重なって、そんな軽い気持ちで、声をかけてみた。
「私と寝てみない?」
まるで、ごはんにでも誘うように。
ごく普通のことのように。
すると、ロザリアはぴたりと足を止め、青い目をこれでもかというくらい丸くしてオリヴィエを見つめた。
夕方の風がふわりとロザリアの長い巻き髪を揺らす。
常春とはいえ、夕方の風は適度に涼しく、空には一番星が白く輝き出している。
やたらキレイな景色がかえって冗談のようで。
沈黙がそろそろ重くなってきたころ、ようやくロザリアが口を開いた。

「…かまいませんけれど。わたくし、そういったことは初めてなんですの。上手くあなたのお相手が務まるか、自信がありませんわ」
「そこは任せといて。こう見えて、私は結構自信があるからさ。初めてでもちゃんと気持ちよくなれるようにがんばるから」
「……でしたら、お願いいたしますわ」

期待してはいなかったけれど、オッケーをもらえたことは純粋に嬉しいし、彼女がオリヴィエと初めての夜を過ごして良かった、と思えるようにしたい。
オリヴィエはロザリアの肩を抱き、早々に自分の屋敷に連れていった。
それから、たびたび、週末を共に過ごすようになったのだ。


身体の相性はとても良い。
ロザリアのルックスはオリヴィエが今まで抱いた女性の中でもピカイチに素晴らしいし、初めのうちこそ、硬かった身体も、回数を重ねる毎に徐々に花開いた。
今ではオリヴィエの愛撫に素直に反応して、いい声で啼いてくれる。
感度がよくて、濡れやすいし、ぎゅっと締め付けてくる襞の具合も最高だ。
今まではちょくちょく下界に降りて、オスカーと悪さをしていたが、この頃はロザリアを誘ってみることが最優先になっている。

とはいえ、二人の関係はまだ誰にも秘密だった。
すでにアンジェリークとルヴァという公認の恋人がいる、この御代に、別に補佐官と守護聖が恋愛関係でも全く問題はない。
補佐官の恋愛は、先代の時代すら自由だった。
ただ、ロザリアが絶対に嫌だと拒否したのだ。
「皆様に変に気を使われたり、からかわれたりしたら困りますわ。執務に差し支えますもの」
たしかに、ロザリアの心配はもっともで、補佐官の浮いた噂は、他の職員たちにも示しがつかないだろう。

それにオリヴィエにとっても秘密の関係は都合がよかった。
オスカーほど積極的ではないにしろ、女官たちは『守護聖』というだけで、いくらでも寄ってくる。
それが、もしも特定の恋人がいて、相手が補佐官となれば、誰も誘ってこなくなってしまうに違いない。
本音を言えば、ロザリアを含めて、気持ちよくて、楽しい情事ができて、飽きたら、それで終了でいい。
普通の人間とは違う考えなのかもしれないけれど、そもそも守護聖は普通の人間とは違う。
聖地の職員はしょっちゅう入れ替わるし、昨日出かけた下界が、もう数十年ののち、ということだってある。
ほとんどが一期一会のセックスだけの相手に、愛も恋もなくていい。
去る者は追わず、来る者は拒まず。
そのポリシーでそこそこ遊んでいるのだ。


「ロザリアって、どういう男がタイプなの?」
彼女に腕枕をしながら、長い髪を指で弄ぶ。
事後、すぐに背中を向けてしまうようでは、お互いに興覚めだから、オリヴィエどんな相手とでも必ず、こういうたわいもない時間を持つようにしていた。
おかげで、優しいと言われたり、本気になられたり、困ったこともあるのだが。

「まあ、今更?女王候補のころにも聞かれた気がしますわ」
ロザリアはくすっと笑って、オリヴィエの背中に手を回した。
少しくすぐったいけれど、彼女の滑らかな肌が触れて心地よい。
「そうですわね、やっぱり、容姿端麗で気高い方、かしら」
「変わってないんだね」
たしか、女王候補の時も同じことを言っていた。

「ええ。理想は変わりませんわ。ただ、現実的には難しいということはわかりましたけれど」
「…ジュリアスとか近そうじゃない?」
「近いですわね。…だから現実には難しいと申し上げたのですわ」
「理想と現実は違うってこと?」
「まあ、ありていに申し上げれば、ジュリアスは全くタイプではありませんわね」

楽しそうに冗談を言うロザリアに、オリヴィエも笑ったけれど、ふと、昼間のことを思い出した。
オリヴィエの事も彼女は恋愛対象としては見ていないと言っていた。
秘密の関係を隠すための嘘だろう。
恋バナに妙なカンの働くアンジェリークをごまかすための。
自惚れではなく、オリヴィエに向けられる彼女の好意はわかるし、今夜だって、さんざんに善がって、何度も達していた。
けれど、なぜだろう。
実はロザリアのことを全然わかっていないような気がして、思わずオリヴィエは彼女をぎゅっと抱きしめていた。


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