5.
特に緊急の異変もなく、その週の執務はあっさりと終わった。異変がないのはありがたいが、退屈な日常が続くと思えば、ため息が漏れる。
定時に片付けまで終えたオリヴィエは、金の曜日の今夜をどう過ごすか決めかねていた。
今、補佐官室に行けば、たぶん、ロザリアはいるだろう。
けれど、先週の気まずい別れ方を考えれば、なんとなくめんどくさい気がするのも本当だ。
去る者は追わず。
それがオリヴィエのポリシーのはずなのに、このままロザリアとの関係を終わらせてしまうのは惜しいとも思う。
オリヴィエはしばらく天井を眺めていたが、ストールを手にすると、補佐官室へ向かった。
「あら、オリヴィエ。どうかなさいまして?」
ロザリアはこれから帰り支度を始めるところだったらしい。
ファイリングされた書類の束が、綺麗に整頓されて、机の上に並んでいる。
生真面目なロザリアは週末、必ず補佐官室を清掃してから帰るのだ。
「手伝うよ」
オリヴィエが言うと、ロザリアは笑顔で箒を手渡してくれた。
オリヴィエが掃いて、ロザリアが除菌シートで周辺を拭く。
2人で作業したおかげで、掃除はあっという間に終わった。
「お手伝い、ありがとうございました」
機嫌がよさそうなロザリアに、オリヴィエはほっと胸をなでおろした。
いつも通りの綺麗な笑顔。
これなら簡単に誘えそうだ。
「ご褒美は食後のデザートでいいよ」
「まあ、わたくしの分も食べるおつもりですの?太っても知りませんわよ」
テンポの良い会話も楽しい。
箒を持ったまま、たわいもない話をしていると、いきなり扉が開いて、女王アンジェリークが顔をのぞかせた。
「そろそろ終わり?」
「ええ、ちょうど終わったところですわ」
どうやら、アンジェリークはこの後、ロザリアを誘うつもりで来たらしい。
女王優先は聖地の常識。
当てが外れたオリヴィエは、かなりがっかりして、それが顔に出ていたようだ。
「あら、もしかして、オリヴィエ、ロザリアをごはんにでも誘うつもりだったの?」
アンジェリークにちょっとからかい気味に笑われてしまった。
「今日はダメよ。わたしが一緒にごはんするつもりだもの。それにルヴァ達も待ってるし」
ルヴァ達、という一言に引っかかった。
「三人でごはんなの?じゃあ、私も入れて四人にしようよ。ちょうどいいじゃない?」
聞えなかった振りで、わざと割り込もうとすると、
「ダメ~。ちゃんと四人にしてるから大丈夫!ロザリアに素敵な人を紹介する会なんだから、オリヴィエは邪魔しないで!」
きっぱりと拒否されてしまった。
「アンジェったら本気でしたの?そんな会はいらないと言ったじゃありませんの」
あきれ顔のロザリアに
「だって、いろんな人からロザリアを紹介してほしい~って言われるんだもん。あのパーティで観た、あの式典で観た。ホントに美人って大変よね。でも、わたしだって、容姿端麗で気高いっていうロザリアのタイプ、ばっちり抑えてるんだから。イケメンで頭もよさそうな人!」
アンジェリークはちょっと自慢げに胸を張っている。
「あんたの容姿端麗の基準はルヴァでしょう?!」
「え、ルヴァのカッコよさ、わからないかな~」
2人の少女はきゃっきゃとじゃれ合って、楽しそうだ。
けれど、オリヴィエは激しく動揺していた。
女王陛下がロザリアに男を紹介する食事会。
どこの誰かは見当もつかないが、仮にも聖地に出入りを許されるような身分であれば、どこかの惑星の王族やそれに近い者達だろう。
良家の子女として育てられたロザリアに、ふさわしい相手。
たとえ、今すぐどうこうなることはないにしても、その気になれば、ロザリアには正式な交際や結婚ですら、いくらでも名乗りを上げる男がいるということだ。
「聖地で暮らしてもいい、って人だから、結婚したって補佐官を続けられるわよ」
「それはありがたいですわね。あんたの世話はわたくしぐらいしか務まりませんもの」
「えへ。ロザリア、大好き!」
アンジェリークがロザリアの腕をとり、そのまま連れ出そうとしている。
なぜか、ロザリアを遠く手の届かないところに連れていかれてしまいそうな気がして、オリヴィエは思わず、アンジェリークの前に立ちふさがっていた。
「オリヴィエ、どうかしたの?4人でごはんするのは、また今度にしましょう。ルヴァにも言っておくわ」
にっこり笑うアンジェリークを無視して、オリヴィエはロザリアの手を取った。
恭しく、手の甲にキスを落として、青い瞳をしっかりと見つめる。
「そんな男にあんたをわたすわけにはいかないよ。…ね、ロザリア。私達、ちゃんと付き合わない?」
ごく当たり前に、するすると口をついた告白の言葉。
膝をついて愛を乞うポーズまではできないけれど、女の子なら、だれでもときめくシーンになっているはずだ。
案の定、アンジェリークはオリヴィエの告白に、緑の瞳をうるうるさせている。
「わ~、やっぱり、そういうことだったのね」
そんなことを言いながら、ぴょんぴょん飛び跳ねて、大興奮の様子だ。
「わたし、そんなつもりじゃなかったのに~。もしかして、オリヴィエを焚きつけちゃった?他の男に取られそうになってわかったって感じ?」
顔を赤くして緑の瞳をキラキラさせたアンジェリークの問いかけに、オリヴィエは余裕たっぷりで頷いた。
アンジェリークの言うことが100%正しいわけではないが、とりあえず、今、ロザリアを失いたくないという気持ちは本当だ。
綺麗で一緒にいて楽しくて、身体の相性もいい。
今まで出会った女性の中で、ロザリアが一番だし、もしかしたら、これからもロザリア以上の女性は現れないかもしれない。
去る者は追わずでいたけれど、今はロザリアを失いたくないと思った。
「…また、そんな御冗談を…」
熱いアンジェリークに対して、当のロザリアはとても冷ややかな反応だった。
「アンジェもアンジェですわ。オリヴィエの冗談を真に受けて。紹介する会だなんておかしなことを言うから、オリヴィエが乗っかって来てしまったじゃないの」
「え?冗談なの?付き合うんじゃないの?」
アンジェリークはオリヴィエとロザリアを交互に見て、首をかしげている。
そんなロザリアの反応に、実は一番焦っていたのはオリヴィエだ。
冗談のつもりではなく、本当にロザリアとなら、きちんと付き合ってもいいと思ったのに。
みんなに公表して、恋人同士として認めてもらう。
そうすれば、ロザリアに手を出そうという輩たちは一掃できるし、週末にこそこそ会わなくても、公然と泊まったりできる。
オリヴィエにとってはいいことしかないし、ロザリアだって。
「もう、他の女の子と遊んだりしないし、あんただけにする。だから、ちゃんと付き合って」
ロザリアの手をきゅっと握り、心からの思いを伝える。
アンジェリークはドキドキと様子を見守っていて、ロザリアの返事を待ち構えているようだ。
「…申し訳ありませんけれど、わたくしはオリヴィエとお付き合いするつもりはありませんわ」
聞き間違いかと思った。
けれど、ロザリアの青い瞳は湖のように凪いでいて、少しの熱も感じられない。
恋も愛もない。
ただ冷めた目がオリヴィエを見つめていた。
「そもそも、ちゃんとしたお付き合い、ってなんですの?」
「そりゃ、遊びの関係とか全部やめてさ。あんたとだけにするってことだよ」
「…ムリでしょう?オリヴィエには」
断言されて、オリヴィエはムッとした。
たしかに、今まではチャンスがあれば遊んできたけれど、これからは彼女のために誘われたって断るつもりでいるのだ。
ロザリアだけにする、という誠意をなぜわかってくれないのか。
黙り込んだオリヴィエにちらりと視線を向けたロザリアは、呆然としたまま立ち尽くしているアンジェリークに微笑みかけた。
「ごめんなさい。先にあちらに行っておいていただけるかしら。オリヴィエとのお話が済んだら、わたくしもすぐに向かいますわ」
「あ、あ、うん」
ただならない雲行きに、アンジェリークも夢からさめたような顔をしている。
女王候補時代から、ロザリアとオリヴィエはとても仲が良くて、いつか恋人同士になるかもしれないと思っていたのに、アンジェリークの知らないうちに、なんだか全部が変わってしまっている。
口を出せない雰囲気に、
「…じゃあ、待ってるね」
後ろ髪をひかれるような顔をしつつ、アンジェリークは部屋から出て行った。
「ねぇ、冗談なんかじゃなくてさ、ちゃんとホントの恋人になろうよ。あのネックレスと同じデザインのピアス、記念にプレゼントするから」
指輪もあったが、急には重すぎるだろうから、まずはピアスだ。
ネックレスとセットでつければ、彼女の青い瞳がますます引き立つはず。
「…欲しいものは自分で買うと言いましたわ」
「恋人ならプレゼントしてもいい、でしょ」
ぱちんとまつ毛がなびく程のウインクをしたのに、ロザリアは困った顔をするだけだ。
「本気だよ。あんたとなら真面目に付き合ってもいいと思えたんだ。手離したくないって」
言っているうちに、オリヴィエはそれが本心なのだと感じていた。
いろんな言い訳めいた自己弁護を重ねて、本心を見ないようにしてきたけれど、いつの間にかロザリアはオリヴィエにとって特別な存在になっていたのだ。
手離したくない。
身体だけではなくて、心から繋がりたい。
「……信じてよ」
握る手にグッと力を込めて、本気の気持ちを伝えたつもりだったのに、ロザリアから飛び出したのは、予想もしない言葉だった。
「全く信じられませんわ。それに、あなたような気まぐれな方はわたくしの手にはおえないと思いますの。今までだって、週に何度も取っかえ引っ変えで、誰とでも寝てきたあなたが、この先、わたくし一人で満足できるとも思いませんわ。きっとすぐに浮気だなんだと揉めることになるに決まっていますもの」
容赦ない拒絶。
さらに
「今更、ちゃんと交際したいなんて、アンジェに対する牽制ですの?身体だけの女でも他の男性が出てきたら惜しくなるものなんですのね」
完全に的外れでもないだけに、オリヴィエは言葉に詰まってしまった。
「…やっとわたくしも自分自身を納得させられましたわ。あなたはわたくしの運命の人ではなかった」
するりと去ろうとするロザリアの腕を掴んで、
「私のこと、好きなんでしょ?抱いてあげた時だって、あんなに悦んでたじゃない。これからだって、すごく気持ちよくさせてあげるし。陛下が紹介するような男なんかじゃ、絶対に満足できないよ」
情けないことに、最後の最後に縋るのは、それでしかなかった。
過去の女達が、オリヴィエに求めてきたもの。
繰り返した一夜の遊びで得たもの。
「…ええ、本当にあなたとの夜は素晴らしかったですわ。抱かれて、とても嬉しかった。こんなに幸せなことがあるのかとも思いましたわ。…あなたが誰にでも同じことをしていると知る前は…」
ふと、ロザリアの瞳が遠くなる。
「女王候補の頃、あなたはいつも優しくて、わたくしを応援してくださった。あなたがいたから、わたくしは最後まで試験を頑張って補佐官になることが出来ましたの。好きでしたわ。本当に。恋していましたの。…素敵な思い出をたくさんありがとう」
ロザリアの中で、もうオリヴィエは思い出でしかなくて。
その瞳が、その声が、『愛』の反対は『無関心』だと教えている。
部屋を出たロザリアの前に、先に向かったはずのアンジェリークが待っていた。
「…いいの?オリヴィエとはお話した?」
分厚い扉越しで、会話は聞えていなかったらしい。
オリヴィエがドアの方を見ると、目があったアンジェリークに困惑の色が浮かんでいる。
「ええ、十分に」
「付き合うの?だったら、今日の食事会はロザリアはキャンセルにしてもいいのよ」
「お付き合いはしませんわ。それに、忘れたの?オリヴィエは恋愛対象ではないと、前にも言ったでしょう」
2人の話す声がどんどん遠ざかっていく。
そういえば、少し前、ロザリアが中庭で話していたことを思い出した。
『オリヴィエと恋愛?…ありえませんわ。そういう対象としてはみれませんもの』
あの時、彼女はもう、オリヴィエを見限っていたのだ。
本当は少し前から気が付いていた。
ロザリアがオリヴィエに捧げてくれた、恋心という名のキラキラの宝石よりもきれいなもの。
それは本当にとても綺麗で。
綺麗すぎて、触れるのが怖かった。
別の女の匂いをさせるたびに、ロザリアのオリヴィエを見る目から、光が失われていって。
お茶の時間に訪れてくれる回数が減っていって。
オリヴィエが見立てた服を着ていない日が増えて。
見ないフリをし続けるうちに、綺麗なものは、どんどん削られて小さくなってしまって、どこかで決定的に砕かれてしまったのだろう。
アンジェリークが紹介するという男が気になって、オリヴィエは聖殿の中をうろついてみた。
聖地外の人間を招く場所はだいたい決まっているから、すぐにその姿を見つけることができた。
女王付きのメイドが食事のワゴンを押して、出入りしているのは、やはり、専用のダイニングルームだ。
ドアが開いているのは、用心のためなのか。
もしかすると、オリヴィエが来ることを期待しているロザリアの仕業なのか。
期待しているなら、彼女を攫うナイトになってもいい。
ちらりと覗いてみると、ロザリアとアンジェリーク、ルヴァ、そして見知らぬ男がいる。
それなりに和やかで楽し気だが、まるで社交場のような取り繕った空気感だ。
「ふうん」
オリヴィエは男を一瞥すると、ふっと息を吐き出した。
確かに容姿はまずまず整っているし、品のある佇まいからしても、身分のある男なのだろう。
年のころは25くらいで、淡い金色の髪に薄茶の瞳。
民族衣装なのか、ちょっと変わったデザインだが、上等な布地の服。
ロザリアと並んでいても、そこまで見劣りはしないが、目を引くほどでもない男。
アンジェリークの好みが反映された優し気な雰囲気や穏やかな口調も、逆にロザリアの好みではないだろう。
正直、ルックスもセンスも、会話の楽しさもオリヴィエの方が上。
あの真面目そうな雰囲気では、セックスだってたいしたことはなさそうだ。
アンジェリークがいくら紹介したって、あの程度の男に、ロザリアが惹かれることはない。
実際に今だって、熱い目で見つめる男を適当にあしらっているのが、オリヴィエにはよくわかった。
覗くのをやめて聖殿を出たオリヴィエは、暮れた風にぶるりと体を震わせた。
ストールを巻きなおして、空を見上げると、白い星が1つ、地平線すれすれに浮かんでいるのが見える。
退屈でつまらない夜が、また、やってくるのだ。
今夜の過ごし方を考えて、ある女官の顔を思い出した。
セイラはもう退官してしまったけれど、彼女と仲の良かった女官が、ここ最近、ちょくちょくオリヴィエに秋波を送ってきている。
セイラからどんな話を聞いたのか、オリヴィエとの情事に興味があるらしい。
ぽってりした唇が艶っぽくて、男好きのする雰囲気の女官。
彼女を見つけて、抱いてみるのも悪くない。
一人寝よりもマシだろう。
「私って、つくづく最低な男だね」
こっぴどくフラれたくせに、また、来週の金の曜日には、きっとロザリアを誘う。
断られても、適当に機嫌を取って、ベッドに連れ込んでしまえば、あとはどうにでもできる自信があるし、今までだって、落ちなかった女の子はいないのだ。
ロザリアも時間がたって、ちょっと冷静になれば、また、オリヴィエのところに戻ってくるはず。
「やっぱり、あなたが一番素敵ですわ」
なんて、あの青い瞳を潤ませて、甘えてきたりして。
たしかに、キラキラした綺麗なものは、なくなったかもしれない。
けれど、もっとドロドロした、綺麗じゃないのに捨てられない何かが残っている。
それを愛と呼ぶのか、執着と呼ぶのかは、わからないけれど。
このままロザリアが逃げられるとも思わないし、逃がすつもりも全くない。
「ま、今夜はしょうがないか」
オリヴィエは、気の向くまま、ぶらぶらと歩き出したのだった。
FIN