1.
隔週でそれぞれの宇宙で開かれるお茶会。
両女王陛下と補佐官、ときには聖天使も加わり、楽しい女子会が繰り広げられている。
お茶とお菓子と、おしゃべり。
話題は当然、乙女が最も気になる恋の話…。
「へえ~。人はみかけによらないっていうけど、ホントなのねー。」
「彼がそんなロマンチックなことをするなんて、ワタシにも信じられない!」
「うん。もっと、なんていうか・・・。外とかでもおかしくない気がするよね?」
「「「外!!!!」」」
コレットの天然ぶりにみんなが大爆笑して、エンジュはますます小さくなってしまった。
「ウソウソ。ジョーダンだよ!それにしても、エンジュもようやく大人になったんだね。」
「もう、レイチェル様ったら、そんなコト言わないでください~。」
「あら。素敵なことじゃない?恋人同士なら自然なことだもの。ね、コレット?アリオスなんていつもすごいわよね?」
「はい!あんまり会えないから・・・。」
「きゃ!コレットってば大胆発言!」
きゃっきゃっと花が咲いたような女の子たちの笑い声が女王の間に広がった。
聖獣の宇宙もようやく全ての守護聖がそろい、少しづつ宇宙としての秩序が整い始めたこの頃、2つの宇宙は平穏そのもの。
今まで大変なことが多かっただけに、少女たちは楽しくてたまらないのだ。
お茶会のたびに、それぞれの恋人とのデートや、それ以上の出来事が話題にのぼる。
もし、恋人である彼らが知ったら赤面するような内容まで5人は話していたのだ。
「ちょっと、お手洗いに行ってきますわ。」
大盛り上がりの女子会を抜け出したロザリアは、とくに行くあてもなくぶらぶらと中庭へと続く階段を下りた。
扉を閉めれば、会話の内容は聞こえないが、女の子特有の甲高いような笑い声は聞こえてくる。
聖獣の宇宙の聖殿は、まだ新しい。
ようやく咲き始めた色とりどりの花たちも、まだまだ大きくなろうと一心に空に手を伸ばしているように見える。
ロザリアは真っ白なベンチに座ると、小さく一つため息をついた。
お茶会は大好きだ。
おいしいお菓子を焼くのも、お茶を上手に淹れるのも得意だし、おしゃべりだって楽しい。
でも。
どうしても入りこめない理由はたった一つ。
ロザリアにだけ、恋人がいないこと。
今、たまたまいない、というのならまだ話に乗れるかもしれないが、生まれてこのかた、一度もいたことがないのだ。
恋人が欲しくないわけではないし、身近な男性にときめきを感じたこともある。
けれどみんなのようにベッドをともにするどころか、キスすらもしたことがなかった。
「とうとうエンジュにまで先を越されてしまいましたわ…。」
ロザリアから見れば、エンジュはまだまだ子供っぽいところもあるし、恋人である守護聖も幼い感じがしていた。
それが、意外に手が早かった・・・なんて、思ってはいけないことだけれど。
再びため息をつくと、花びらが舞いあげるほどの風がふいた。
ベールがひらひらと耳に触れ、髪の毛が乱れてしまったのではないかと心配になる。
ロザリアは手にしていたポーチから少し大きめの手鏡を取りだすと、折りたたみになっている柄を伸ばした。
少しずれてしまっていたベールを元通りに直して、ロザリアがもう一度、鏡を覗き込むと、鏡の中のロザリアはいつも通りの顔をしてこちらを見ている。
それほど不細工とも思えないが、なぜ、恋人ができないのか。
さっき聞いたばかりのエンジュの話が頭の中でぐるぐるとまわりだした。
最初にした唇へのキス。それから・・・・。
思い出しただけで、頬が熱くなってきて、ロザリアは手鏡の柄をぐっと握りしめた。
キス。
どんな感触がするんだろう。
少し知りたいような気がして、ロザリアは鏡を顔に近づけると、唇の部分を合わせてみた。
ただひんやりとするだけで、べつになにも感じない。
ロザリアはがっかりしたような、なんとも言えない気持で手鏡を膝に伏せた。
突然、くすっと背後で声がして、ロザリアが思わず手鏡を落としてしまうと、背後にいた人物が歩み寄って、それを拾い上げた。
そして、じっと中を覗き込んだかと思うと、鏡の中の自分と唇を合わせている。
ロザリアが茫然として思わず仰視していると、フランシスは手鏡を顔から離して、ニッコリと微笑んだ。
「これは、全く違いますね・・・。」
「え?」
さっきのことを見られてしまったと気が動転していたのか、ロザリアは適切な言葉が全く出てこない。
ぽかんと口を開けたままでいるロザリアのすぐ隣に、フランシスは静かに腰を下ろした。
こんなに近くでフランシスの顔を見るのは初めてで、ロザリアは改めて彼の造形の美しさを感じる。
白磁のような滑らかな肌。
灰青色の髪はさらさらと風を受けてそよぎ、斜めからロザリアを見つめる青みがかった菫色の瞳は優しげな視線と相まって、知らずに胸がときめいてしまった。
ただ、辺りを包む若々しい花の香りは強烈過ぎて、逆に彼には似合わないような気がする。
やはり彼も闇の守護聖なのだと嘆息した。
フランシスは何も言わず、菫色の瞳をロザリアにじっと向けている。
その色に、一瞬なにかが頭の中に浮かびかけたが、形になる前にうやむやのまま消えてしまった。
思わず眉を寄せると、ふと目が合って、ロザリアはつい空々しいほどの勢いで顔をそむけてしまった。
「ロザリア様。」
名前を呼ばれて、顔を上げた瞬間。
ロザリアの視界に菫青色が広がった。そして唇に触れた柔らかく暖かな、なにか。
身体を動かすこともできずに、ただ呼吸だけを繰り返すと、全身を花のような甘い香りが包みこむ。
キスされているのだ、と気づいたのは、フランシスの手がロザリアの背に回された時。
目を閉じることもできずにいると、フランシスは向きを変え、ロザリアの唇を挟み込むように優しくついばんだ。
上唇を甘く吸いあげると、次は下唇を。
音楽のようなリズムを持って繰り返される口づけに、ロザリアは力も出ない。
どれくらいの時間だったのか、青紫の巻き毛に触れる細い指が頬を捕らえ、ようやくフランシスはロザリアから唇を離すと、優しく微笑んだ。
ぽかんとして目を開けたまま、ロザリアは唇に手を当てた。
ここにさっきまで触れていたモノが自分でも信じられない。
「ロザリア様…。そんなに驚かないでください…。あなたの唇があまりにも美しすぎたのです。花盗人に罪はないというでしょう?
貴女の薔薇のような唇をつい盗んでしまった私を、どうか許して下さい…。」
フランシスの菫青色の瞳は許しを乞うように半ば伏せられ、所在無げに指を組むしぐさは懺悔をする罪人のようだ。
午後の風が花の香だけを運び、辺りは静寂に包まれている。
ロザリアの瞳から水晶のような粒がポロリとこぼれおちると、すぐにその粒は白い手の甲に消えた。
「どうなさったのです?泣いて、いらっしゃるのですか…?」
フランシスの困惑した声にロザリアは勢いよく立ちあがると、聖殿とは逆の方へ向かって走り出した。
こんな顔をリモージュたちには見せられない。
ロザリアは少しでも遠ざかろうと懸命に足を動かしたが、少しタイトな補佐官のドレスが足にまとわりついてきて、思うように速度が出ない。
すぐに追いかけてきたフランシスに腕を取られて、ロザリアは自由になっているもう片方の手で懸命に顔を隠した。
さわさわと揺れる葉音よりも大きなフランシスの荒い息遣いが聞こえる。
この方でも、こんなふうに走ったりすることがあるのだわ、と、ロザリアはすっと冷静になった自分を感じた。
「私は、こんなふうに激しい運動は本当に苦手なのです…。貴女は罪な方だ…。私の心を連れて行ってしまうから、追わずにはいられませんでした。」
辛そうに繰り返される呼吸とともになんとか言葉を吐き出したフランシスはロザリアの腕を捕らえたまま、じっと立っていた。
ロザリアもそれ以上逃げる気になれずに、フランシスに向き直る。
改めて見た彼の顔は走って来たせいかほんの少し上気していて、額に滲んだ汗に前髪が少し張り付いていた。
「どうか、怒らないでください…。」
「怒るな、ですって?」
ロザリアは掴まれていた腕をきつく振り払うと、フランシスの顔をまっすぐに睨みつける。
けれど、物憂げな瞳の奥になにか切ない色を見つけて、ロザリアは慌てて顔をそむけた。
「あんなことをされて怒らない方がいるのかしら?」
「私のいた惑星では挨拶代わりにしていたこともありましたが…。」
「わたくしにとっては違いますわ。」
初めてでしたのに、と言いかけて、その恥ずかしさに口をつぐむと、また瞳が潤みそうになる。
「ああいうことは心を許しあった恋人同士でなければしないことだと、わたくしは思っていますわ。」
「では、私の恋人になってください…。ロザリア様。」
思いがけないフランシスの言葉にロザリアの動きが止まると、風さえもそよぐのをやめたようにぴたりと止まる。
ふと微笑んだフランシスの吐息がとても近くに聞こえた。
「私の恋人になってください…。それならば、先ほどの口づけも、当たり前のことになるでしょう…?」
「な・・・!」
絶句したロザリアが口をパクパクとさせていると、フランシスの両手がロザリアの手を包み込んだ。
ひんやりとした手の温度に驚いて、ついロザリアは繋がれた手をじっと見つめてしまった。
さっきまで、なにも知らなかった彼のことがまるでこの両手から伝わってくるような不思議な感覚。
とても綺麗な瞳の色だと、そう思った。
「ロザリア様~!どこですか~?」
遠くからレイチェルの声が聞こえて、ロザリアは慌てて手を離すと、フランシスに背を向けて声の方へ走りだした。
追いかけてくるのではないか、と思ったが、フランシスはその場から動いては来ない。
ロザリアは少し手前で息を整えると、レイチェルに声をかけた。
「ごめんなさい。探してくださったのかしら?中庭の花が咲いていたので、気になって見に来てしまいましたの。」
「そうですか。でも、こんな奥まで来なくてもいいのに。あ、薔薇があるのはこっちですよ。でも、なんかうまく育ってないんですよねー。せっかくロザリア様からいただいたのに。」
「あら。どこかしら?見せていただける?」
「はい!こっちですヨ。」
少し右の小道を指差したレイチェルの後ろを歩きながら、ロザリアがちらりとさっきの場所を見ると、そこにはもう誰の姿もなかった。
『恋人になってください』
思い出すと、激しくなる鼓動。ロザリアは早足に歩いて頭からその言葉を無理やり追い出した。
「じゃあ、また今度ね!」
にっこりと笑ったリモージュに、コレットも微笑みを返した。
「はい。今度はそちらに行きます。ロザリア様のお菓子、楽しみにしていますね。」
ふとおりた沈黙。
みんなの視線が自分に集まっていることに気付いたロザリアは、うろたえながら微笑んだ。
「もう、ロザリアってば、変よ?なんだかずっとぼんやりしてる。」
リモージュが不思議そうに首をかしげると、残りの3人もうんうんと頷いた。
すでに夕方になりかかった午後は、先ほどまでの無風がウソのように木々がさざ波になって揺れ始めている。
あれからロザリアはお茶会の間中ほとんど上の空だった。
誰が見てもいつもと違うことは明らかで。
「どうしたんですか?なにかあったんですか?」
大人しそうに見えて意外と頑固なコレットに問い詰められて、ロザリアは思わず後ずさりしてしまった。
いくら聞かれても、答えるわけにはいかない。
「え、そんな、なんでもなくてよ。」
明らかにおかしいと、リモージュが口を開きかけた時。
「もう、帰ってしまうのですか…?私に何の断りもないなんて、貴女はやはり罪深い人ですね…。」
フランシスは恭しくロザリアの手を取ると、その甲に口づけた。
みんなの視線がぎょっとしたものに変わる。
「ちょっと、なんでアナタが出てくるの?」
レイチェルが口を挟むと、フランシスはロザリアの背後にまわり背中からそっと腕をまわした。
リモージュが黙っていられないというように、ずいっと前に出ると、フランシスを見上げる。
「ねえ、とってもなれなれしいけど、ロザリアとどういう関係なの?」
「ああ、陛下にはそんなお顔は似合いません…。太陽のように眩しい貴女には、明るい笑顔がよくお似合いになる…。」
「もう、フランシスったら! ホントにそう思う?」
とても素直なリモージュはフランシスの言葉にほんのりと頬を染めてしまった。
ところがそんなセリフは聞きあきているのか、レイチェルが割って入ってくる。
「まったく、アナタはそんなことばっかり言うんだから。でも、ロザリア様からは離れた方がいいと思うヨ?」
「そうよ。失礼なことはいけないと思うの。」
コレットにも声をそろえられ、フランシスは軽くうつむいて首を振ると、悲しそうにため息をついた。
「恋人同士が別れを惜しんでいるのです…。また会えない日が続くのかと思うだけで、私の心は張り裂けそうなほど苦しい…。」
「「「恋人同士?」」」
いくつもの声がそろって、ロザリアは慌てた。
この人は何を言い出すのだろう。
「さっきのことなら、わたくしは気にしていませんわ。だからあなたも忘れてくださいませ。」
「ロザリア様。」
最後まで言わせてもらえずに、フランシスが耳元で囁いた。
「恋人同士の出来事なら、私も二人だけの秘密にできますが…。違うとおっしゃられるのならどうしたらいいのか…。みなさんにお尋ねしても?」
身体が震えるような甘い声。けれど、言っていることはどう考えても脅迫だ。
回りにいた4人はフランシスがロザリアの耳にキスをしたと思い、その親密な様子にただただぽかんと口を開けていた。
まあ、よく見れば、お似合いと言えなくもないかもしれない。
4人は黙って、二人の様子をうかがっていた。
「どうなさいますか…?あの出来事がただの挨拶かどうか、みなさんに伺ってみても…?」
ロザリアが何も言い返せずにいると、フランシスはロザリアの肩に手を置いて、そっと髪に口づけた。
「さようなら、愛しい人…。ああ、どうか…お願いです。陛下。」
ぽかんと二人のやり取りを眺めていたコレットは急に話を振られて、夢から覚めたように素っ頓狂な声を上げた。
「はい!はい!な、なにかしら?」
「どうか私が次の土の曜日に神鳥の宇宙を尋ねることをお許しください。そうでなければ私は…。」
よろめくように空を仰いだフランシスは、懇願するようにコレットを見つめる。
美形のお願いほど、断われないモノはない。
コレットもつい、頷いてしまった。
「ああ、ありがとうございます。すぐに貴女にお会いできるとは、なんという喜びでしょうか…。」
背後からロザリアの手を取ると、フランシスはその手に唇を寄せた。
優雅なしぐさが似合う二人に4人は思わず、ほうとため息を漏らしてしまう。
「では、またお会いできる日を楽しみにしていますわ。」
ロザリアだって、伊達に宇宙の補佐官をしてはいない。
内心のパニックを隠しながら優雅に微笑むと、フランシスの腕からさりげなく逃れた。
ふと、フランシスを見ると、彼は優しい瞳でロザリアを見送っている。
あの唇が触れたのだと思うと、息が苦しくなるほど鼓動が激しくなってきて、ロザリアはギュッとドレスの裾を握りしめた。
月が頂上に昇る頃、ロザリアはやっとほどいた髪に丁寧にブラシを入れていた。
きつめに結いあげた髪を下ろす時は、素顔の自分に戻る時だ。
鏡の中の自分は昨日までと変わらない姿をしているのに、一つだけ、違うことがある。
ロザリアはいつも持ち歩いている手鏡を取りだすと、折りたたんである柄を伸ばした。
天井のライトをきらりと反射する鏡面に1か所だけ曇る跡。
ロザリアはその部分をじっと見つめ、目を閉じた。
静かに鏡を近づけると、唇にひんやりとした感触がする。
『全然違う。』と言ったフランシスの言葉がわかった気がした。
あの時のキスは、優しくてやわらかくて、そして。
とても、暖かかった。
思い出しても、不愉快な気持ちになれない自分に、ロザリアは鏡を閉じると、眠れそうもない身体を強引にベッドに横たえたのだった。