補佐官の日常はとても忙しい。
女王の執務を全て把握して、スケジューリングしなければならないし、守護聖たちのまとめ役も兼ねているから、朝イチで守護聖皆の執務室を回るのも日課になっている。
きちんと執務を始めている者もいるが、遅刻してくる者、まだ寝ている者、個性豊かな彼らを御することはなかなかに大変なのだ。
廊下を早足で歩いていると、ふと中庭の奥に人影を見つけた。
ふわふわの金髪にピンクのドレス。
見間違いようもない女王陛下。
全く、ちょっと目を離すとすぐサボるのが、アンジェリークの困ったところだ。
きっちり注意しなければ。
肩をいからせたロザリアは、ヒールを鳴らし近づきかけたところで、ぴたりと足を止め、柱の影に身を潜めた。
良く見ると、アンジェリークの隣に、もうひとつ人影がある。
鮮やかなピンクのメッシュの金髪と、聖地にまれな目立つファッションのスラリとした長身。
こちらもまた見間違いようもないオリヴィエだ。
二人は中庭の東屋のベンチに並んで座り、なにやら楽しげに話をしている。
年頃の男女にしては近すぎる、社交界ではあり得ない距離感に、胸がモヤモヤする。
おそらく向こうからは木々の影でロザリアは見えないのだろう。
まるで絵本の中の王子と姫のような二人。
ロザリアは飛び出しそうになる心臓を抑えるように、そっと胸に手を当てて数回深呼吸した後、もう一度二人を眺めた。
二人の金の髪が、東屋に差し込む日差しを反射してキラキラと輝いている。
アンジェリークは少し頬を赤らめて、オリヴィエに満面の笑顔を向け、オリヴィエもまた、楽しそうに目を細めて笑っている。
ロザリアと一緒の時よりも、はるかに楽しそうな彼の様子に、ロザリアは思わずぎゅっとドレスの胸元を握りしめていた。
しゃらん、と彼のブレスレットが揺れて、アンジェリークの頬に手のひらが触れる。
アンジェリークの緑の瞳が潤んで、オリヴィエを見つめたところで、ロザリアは二人から背を向けていた。
とてもこれ以上は見ていられない。
走り出しそうになる足を必死で抑えて、音を立てずにその場から立ち去る。
補佐官室までなんとかたどり着いて、ソファに身を沈めた。
金の髪とブルーの瞳。
美形で長身できれいなものが好きで。
一見すると、女装のようだけれど、それは彼が自分を一番美しく見せるスタイルを追求した結果で、メイクもネイルも、他の誰が同じ事をしても似合わない。
性別に関係なく、絶対的に美しいと思える芸術品のようなものだ。
そして、なによりもオリヴィエは外見で誤解されがちだが、人間的にもとても素晴らしい。
ロザリアが知る男性はそれほど多くないけれど、社交界で出会った男性達にもオリヴィエほど優れた人は一人もいなかった。
思考も大人で落ち着いているし、所作も綺麗で話し上手で、なにより一緒にいて楽しい。
夜もとても優しくリードしてくれて、ロザリアは彼にすっかり甘えてしまっている。
「好きに、なってしまいますわよね。・・・アンジェリークだって」
ロザリアのほうが、オリヴィエの魅力に、ちょっとだけ早く気がついただけ。
そして、オリヴィエも、たまたまロザリアと先に親しくなってしまっただけ。
アンジェリークにも素敵な恋をして欲しいと望んでいた。
自分はオリヴィエと幸せなのに、アンジェリークだけが女王だからと恋を封印されるのは間違っていると思っていたから。
もしもアンジェリークに恋人が出来たら、ロザリアもオリヴィエとのことを打ち明けるつもりでいたのだ。
今となっては、もっと早く告げておけば良かったと後悔するしかない。
窓を開けると、まだ朝のすがすがしい空気が流れ込んできて、少し気持ちが落ち着いた。
お茶の一杯でも飲めば、さらに良いのだろうけれど、そういえば、まだ執務室巡回が途中だったのだ。
ルーティンを乱せば、余計な混乱を招くこともあるだろうし、ロザリアが見張らなければ、すぐに執務をサボりそうな面々の顔も浮かぶ。
ロザリアは気合いを入れるために、一度、髪を結い直すと、急ぎ足で補佐官室を出た。
とりあえずマルセル、ゼフェルに挨拶をして(若干、徹夜明けのゼフェルの執務室で手間取ったが)、ロザリアは夢の執務室のドアの前で固まっていた。
いつもなら浮き足だってノックする手が、直前で止まって動かせない。
「ふう」
どうしてもさっき見た光景が頭に浮かんで、笑顔を作ることが難しいのだ。
いっそ彼を飛ばして、ルヴァのところに行こうか。
悩むこと数分、ロザリアは意を決してドアをノックした。
結局、永遠に彼に会わずにいることなど、この狭い聖地では不可能なのだ。
「はあい、開いてるよ」
朗らかなオリヴィエの声がすると、ロザリアはゴクリとつばを飲み込んで、執務室に足を踏み入れた。
「おはよ。今日も綺麗だね」
執務机の向こうから、オリヴィエは長い睫がはためくようなウインクをしてくる。
ロザリアは少し顔がこわばるのを自覚しながら、綺麗なカテーシーをした。
目を伏せる姿勢なら、鋭い彼もロザリアの異変を察しにくいだろう。
「おはよう。オリヴィエ。今日の執務のご予定は?」
いつも通りの確認をいつも通りの手順で終え、ホッとしたロザリアの目の前で、不意にオリヴィエが立ち上がった。
分厚い絨毯に吸い込まれる靴音。
猫のようにしなやかな所作で、オリヴィエはロザリアの背後に回ると、そっと身体を抱きしめた。
「今日、金の曜日だけど行ってもいい?」
耳元で囁かれ、ロザリアの頬が熱くなる。
背中から伝わるオリヴィエのぬくもりと華やかな香り。
ぴたりと身体を寄せられると、女性的に見えてしっかりと筋肉のついた男性の身体であることがわかる。
ロザリアの指に絡められた手も、細く綺麗なのに、骨張った感触がして、つい、その手で愛されることを想像してしまった。
身体の奥が疼いたけれど、ロザリアはそっとオリヴィエから手を外した。
わざとらしくない程度に身体の位置もずらし、距離を開ける。
「・・・ごめんなさい。今夜はちょっと」
嘘をつくのは苦手だから、曖昧にごまかした。
するとオリヴィエは少し驚いたように動きをとめた後、がっかりしたように肩をすくめた。
「ん、わかった。そういえば、ちょっと疲れている顔をしてるね」
ロザリアの顔をのぞき込んだオリヴィエは
「そうだ、これ、あげるよ」
執務机から、小さな包みを取り出した。
「バスオイル。すごくいい香りでリラックスできるから使って」
ロザリアが手を出さずにいると、オリヴィエは強引にそれを手に握らせる。
オリヴィエのこういう小さな心遣いが、いつもとても嬉しかった。
女王候補の頃も、張りつめすぎるロザリアをよく外へと誘い出してくれたものだ。
けれど、今は少し苦しい。
「調子が良くなったらいつでも連絡してよね」
優しく微笑むオリヴィエに突き返すこともできなくて、ロザリアは包みを持ち帰った。
もしかしたら、彼からもらうプレゼントはコレが最後かもしれない。
そう思うともったいなくて使えなくて、チェストの上に飾っておくことにした。
それから、ロザリアはなるべくオリヴィエと顔を合わせないようにした。
どうしてもの時は、秘書官や女官を連れていき、二人きりにならないように徹底した。
気をつけて毎日を過ごしていれば、案外なんとかなるものだ。
時々、オリヴィエを見かけたけれど、彼はいつも通り飄々とマイペースな様子でいる。
彼から補佐官室に押しかけて来たり、ましてや私邸を訪れてくることもない。
寂しいような、ほっとするような。
避けきれずに遠くで目が合うと、ひらひらと羽根飾りを振ってくれたり、ウインクをしてくれたりもしたけれど、ロザリアはどれも軽く会釈をするだけで過ごしていた。
「あ」
いつかと同じ中庭の東屋で、仲良く並んで座っているオリヴィエとアンジェリークを見かけた。
また、ロザリアは柱の影に隠れて様子をうかがってみたけれど、なにやら二人の空気は少しシリアスなものに思える。
とはいえ、細かな表情や、ましてや会話が聞えるわけでも無いから、あくまでロザリアの想像に過ぎない。
けれど、それだけ大切な話をしているだと思うと、ロザリアの胸が痛くなる。
ふと、アンジェリークがオリヴィエの手を取り、二人が見つめ合った。
ぎゅっと握られた手と手。
見つめ合う視線はしばらく固定されたままで、このまま顔を寄せ合ってもおかしくない状況だ。
ああ、やっぱり。
ロザリアは柱の影で、そっとため息をついた。
二人の仲は着々と進展しているようだ。
あれからアンジェリークは何も言わないけれど、毎日楽しそうにしているから、悪い状況ではないのだろう。
昨日も浮かれて、スキップしながらお茶の時間に出かけて行った。
一人取り残されたロザリアはお茶を淹れるのも面倒で、ティーバッグにしてしまったくらいだ。
ロザリアさえこの胸の痛みを我慢すれば、全てが上手くいく。
みんなが幸せになれるのだ。
理解はできても納得することは難しくて、ロザリアはぼんやりと立ちつくしていた。