「わー!今日も豪華ね!」
今にも飛び跳ねそうなアンジェリークの前には、三段のティースタンドが鎮座している。
今日のテーマはどうやらチョコレートらしい。
どのお菓子にも少しずつチョコレートが使われていて、甘いものからビターなものまで、飽きないように味もさまざまだ。
聖殿のパティシエは本当にいい仕事をする。
「このショコラオランジュ、めちゃくちゃ美味しいわ!」
アンジェリークがひょろりと長いチョコレートを、ロザリアの口に寄せてくる。
はしたない、という意味を込めて、ちらりと睨みをきかせたけれど、ロザリアはそのままぱくりと銜えた。
「あら、本当ですわね」
少し大きめにカットされたオレンジピールは砂糖控えめで甘酸っぱい、フレッシュなオレンジの風味がきちんと残っている。
そこにビターなチョコがまさにジャストな分量で絡んでいるのだ。
「いくらでも食べられちゃう」
アンジェリークはうっとりと目を閉じて、ショコラオランジュを堪能している。
シンプルなチョコチップクッキーも美味しいし、ココア味のメレンゲも紅茶にぴったりだ。
お楽しみの月に一度の『のんびりお茶デー』。
お菓子を前にするまでは、重かったロザリアの気持ちも、甘いものでちょっとだけ回復していた。
先月のアンジェリークの爆弾発言から、あっという間の一ヶ月。
結局、ロザリアはプライベートでオリヴィエと会わず、話もしなかった。
彼もなにやら忙しそうだったし、会えば、アンジェリークとこっそり会っていることを問い詰めたくなってしまう。
あれからも、ロザリアは何度も目撃していた。
中庭だけで無く、女王の間に入っていくオリヴィエの姿や、夢の執務室にきょろきょろと辺りをうかがいながら忍んでいくアンジェリークの姿。
アンジェリークの私物の中に、オリヴィエの手鏡があったこともあった。
そのたびに胸が痛んだけれど、もはやどうしようもない。
心は誰にも止められない、と自分に言い聞かせるしか無かった。
「美味しー!ホント、月一のこの時間が一番の楽しみよね」
アンジェリークはチョコレートクリーム入りのマシュマロを口に放り込みながら、紅茶のカップを手に取った。
両手にモノを持つのはマナー違反だが、あまり煩く言ってもつまらない。
アンジェリークはマシュマロタワーを平らげると、一気に紅茶を飲み干し、ロザリアをまっすぐに見た。
「ね、ロザリア、わたし、そろそろ告白しようと思うの」
「えっ?!」
「この一ヶ月、結構頑張ってアプローチしたわ。執務だってちゃんとしたし、お話ししたり、日の曜日にも私邸に遊びに……じゃなくて質問しに行ったのよ。オシャレだって勉強したんだから!」
そこでいったん言葉を切ったアンジェリークは、ロザリアをちょいちょいと手招きして引き寄せると、耳元で
「あのね、わたし、結構脈ありというか、彼もわたしを好きなんじゃないかと思うのよね」
恥ずかしげに囁いた。
そして
「それにもううじうじ悩んでるのもイヤなの!好きって言いたいの!」
きっぱりと言い切った。
顔を真っ赤にして、それでも目はまっすぐに前を向いて。
やっぱりアンジェリークは素敵な女の子だ。
ロザリアはじくじくと血が溢れていそうな胸の痛みを隠して、
「そうですわね。わたくしもきっと彼はアンジェリークを好きだと思いますわ」
にっこりと微笑んだ。
「うわ、ロザリアもそう思う?わー!!どうしよう?!いつ行く?今?今すぐ?!」
「・・・執務が終わってからになさい」
「そうよね!サボってそんなことしたら、嫌われちゃうもの。執務はしっかり!女王として頑張ってこそ!」
なぜか立ち上がり、ぎゅっと両手の拳を握りしめたアンジェリークに、ロザリアは目を細めた。
大切な親友だから、上手くいってほしい。
幸せになって欲しい。
そう思うのに、上手く笑えない。
そこからのお菓子の味は、なんだか砂を噛むようで。
ロザリアはひたすらに飲み込んでいたのだった。
流れ込む風がひんやりしてきて、ロザリアは身を震わせ、窓を閉じた。
常春の聖地だが、やはり夕暮れ時は涼しさが勝る。
お茶デーはごく普通に終わったけれど、あのあとのアンジェリークはそわそわして、とても執務どころでは無かった。
「冷静に!まじめに!」
かけ声だけは勇ましいが、手が全く進まない。
そんなところもアンジェリークの可愛いところだが、補佐官としては叱咤しながらでも執務をさせるしかなくて。
なんとか最低限までは終わらせることができたが、ロザリアもすっかり疲れてしまった。
「そろそろ……かしらね」
執務終了を告げる鐘が鳴ってから30分ほど。
すぐにでも駆け出しそうな勢いのアンジェリークだったから、今頃は告白を済ませているだろう。
仲良く並んでアンジェリークの私室に向かっているか、それともオリヴィエの邸か。
ロザリアは何度か訪れた彼の部屋を思い出していた。
彼のことを思うと少し意外にも思える真っ白なシルクのシーツや、しゃれたポスターの飾られた壁。
お行儀悪くベッドで飲んだワイン。
初めての夜の甘い痛み。
いろんな思い出が蘇ってきて、泣きそうになる。
帰宅するために、補佐官服から私服に着替えて、ロザリアが廊下に出ると、アンジェリークがドアの横に座り込んでいた。
「ろ、ロザリア~」
「どうしたんですの?!」
勢いよく飛びついて首に手を回してきたアンジェリークに顎をぶつけそうになりながら、ロザリアはよしよしと背中を撫でた。
彼女も女王の正装を解いて、ラフなワンピース姿になっている。
「やっぱり一人じゃムリ!お願い、ついてきて欲しいの!!」
「え」
アンジェリークは緑の瞳を潤ませながら、ロザリアを拝むように見つめている。
子犬がすがるような目にたじろいで、ロザリアは何も言えなくなってしまった。
自分の恋の終止符を自分で見届けるとは、お人好しにもほどがある。
そう思ったけれど、アンジェリークの勢いに負けたロザリアは、中庭へと引きずられていった。
アンジェリークがオリヴィエを呼び出したのは、あの東屋らしい。
「ここから見てて。お願い」
柱の影にロザリアをぎゅうぎゅうと押し込み、アンジェリークは東屋の中央に立った。
きょろきょろと辺りを見回しては、時々ロザリアを確認するように、目と目を合わせてくる。
足下がおぼつかないのか、両足の膝を屈伸させたり、ちょろちょろと歩いたり。
挙動不審すぎるが、それも可愛らしいからズルい。
じっと身を潜めていると、カサリ、と枯れ葉を踏みしめる足音が聞えてきた。
あきらかにこちらへ向かってくる足音。
けれど、正確なペースを刻むその音に、ロザリアは首をかしげた。
聞き慣れた彼の足音とはなにかリズムが違う。
そう思ったとき。
「上手くいくよ、きっと」
背後からいきなり、ぽんと肩を叩かれ、ロザリアは飛び上がった。
悲鳴をあげずに済んだのは、彼の人差し指がロザリアの唇に当てられたから。
その代わり、これ以上は無理、というくらいロザリアは目を丸くしていた。
なぜ、オリヴィエがここに?
では、あの足音は?!
オリヴィエは驚きすぎて固まっているロザリアをそっと抱き寄せると、アンジェリークのいる方を指さした。
「ほら、来た来た」
正確なペースで刻まれる足音の持ち主が、革靴で枯葉を踏みしめながらやってくる。
堂々とした所作。
見上げるほどの長身。
輝くばかりの神々しさ。
光の守護聖ジュリアスは私服であっても、その威厳が失われることは無い。
むしろ、シンプルなジャケット姿で、整った容姿がより強調されている。
「このようなところに何用だ」
ジュリアスの堂々とした声が東屋からこの柱の影まで響いてくる。
さっきまであれほど落ち着かない様子だったアンジェリークは、逆にクソ度胸なのか、真っ直ぐな姿勢でジュリアスに対峙していた。
「ジュリアスはずっと厳しくて怖い人だと思っていたわ。女王候補の頃はどちらかというと苦手だったし」
突然の告白。
まあ、アンジェリークがジュリアスを苦手としていたことはおそらく飛空都市にいた者なら誰でも知っていたし、もちろんジュリアスだって気づいていただろう。
エリューシオンの炎の建物に比べて、光の建物の少なさを見ていたら……一目瞭然だった。
「でもね、女王になって、わたし、宇宙のこととかいろいろ知るようになって、初めてわかったの。
ジュリアスのお小言や厳しさは全部、宇宙には必要なことですごく……尊敬できるなって。私もこんなふうに宇宙を育てて行きたいなって……」
ジュリアスはいつも通りのしかめっ面でアンジェリークの話を聞いている。
その表情から、彼の感情は読み取れない。
一度言葉を切ったアンジェリークは急にモジモジとして、俯いた。
そのままの体勢で数秒。
そして、ぎゅっと拳を握ったかと思うと、頭を上げ、ジュリアスの目をじっと見つめて叫んだのだ。
「きっとまだまだ頼りないしダメな女王だと思うけど、ジュリアスと一緒に宇宙を育てていきたいの。
わたし、ジュリアスのことが好き!」
柱の影にいたロザリアにまでしっかり聞える告白。
ロザリアは柱に手を添えたまま、その場にへなへなと座り込んでしまった。
冷たい大理石の床に、ペタンとおしりで座ったのは、間違いなく人生初だ。
アンジェリークの真剣な瞳はまっすぐにジュリアスを捕らえている。
浮ついた気持ちでは無い、アンジェリークの真摯な思いが、ロザリアにもよくわかった。
アンジェリークの思い人は、ジュリアスだったのだ。
絹糸のような金の髪も、夜空のような青い瞳も、そういえば、ジュリアスにぴたりと当てはまる。
あまりにも情けない勘違いに、穴があったら入りたいどころか、今すぐこの世から消えてしまいたい。
背後にいるオリヴィエの存在も忘れ、ロザリアは呆然と二人を見つめていた。
沈みかけた太陽のオレンジ色の光が雲の隙間から、暖かく降り注ぎ、二人の周囲を包む。
ふわり、とアンジェリークのスカートの裾が、夕暮れの風に揺れると、ジュリアスが口を開いた。
「・・・私のような者には身に余る言葉だ」
ふう、とため息交じりに吐き出された言葉は、どちらかと言えば暗い雰囲気で、ロザリアはどきりとした。
けれど、それは次のジュリアスの言葉で喜びのときめきに変わる。
「本当に、私で良いのか?」
「うん!ジュリアスがイイの!」
「執務を優先させることがあるかもしれぬ」
「わたしだって女王が最優先よ!」
「オスカーのように甘い言葉はかけられぬぞ」
「むしろその厳しい感じがクセになっちゃうのよね~」
なんだか漫才の掛け合いのようになって、ジュリアスは微笑んだ。
「そなたは本当に変わっている。・・・だが、それがこの新しい宇宙にも…私にも必要なのかもしれぬな」
優雅な所作で、ジュリアスはアンジェリークの手を取ると、その手の甲に唇を寄せた。
「女王としての尊敬と、女性としての愛をそなたに」
言葉も出ないアンジェリークは、瞳を潤ませて、何度も頷いている。
夕日に照らされた二人の姿は、とても美しく、幸せそうだった。