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1.

「それじゃあね。 …また今度。」
言いながらオリヴィエはロザリアの額に一つ、キスを落とすと、後ろ手に手を振って、帰っていった。

彼の背中を見送り、ロザリアは小さなため息をつく。
今日のデートもとても楽しかった。
流行のお店を見て回り、オリヴィエに見立ててもらって新しいワンピースを買ったり。
歩きながら、フルーツのたくさん乗ったクレープを食べたり。
人を飽きさせない話術と、優しい気配りを兼ね備えたオリヴィエとのデートは、いつも本当に楽しい。

ロザリアは買ったワンピースを体に当てて、鏡の前でくるりと廻ってみた。
白い柔らかなシフォンのワンピース。
ハイウエストの切り替え部分に青いサテンのリボンが付いていて、とても可愛らしいデザインだ。

ショーウィンドウに飾られていた、このワンピースに一目で惹かれたものの、
「きっとわたくしには似合いませんわ。」
ロザリアは試着をためらった。
アンジェリークならともかく、きつい顔立ちの自分には似合うはずがないと思ったからだ。
それを、オリヴィエが
「まあ、着てごらんよ。 絶対似合うから。」
と、無理に試着室に押し込んだ。
そして。
意外なほどかわいらしく見えた自分の姿に、ロザリアはすっかり嬉しくなって、つい、買ってしまっていた。

本当に楽しかった。
でも。
思い出せば思い出すほど、ロザリアの心は重くなってくる。
去り際のオリヴィエの言葉。
『また今度』。
あの時、オリヴィエはとても辛そうな顔をしていた。
たぶん、彼はこう聞きたかったのだろう。
「また今度…は、本当にあるの? 私を選んでくれるの?」 と。

ロザリアはギュッとワンピースを握りしめた。
自分のせいで、二人を苦しめている。
わかっているのに、どうしようも出来ない自分の心が許せない。
大きなため息と一緒に、幸せが一つ、逃げていくような気がした。


次の日の曜日。
ロザリアは馬を駆り、なだらかな草原から広がる海を眺めていた。
下方から吹き上げて来る海風のせいで、足元の草は緑の波となり、ロザリアを煽ってくる。
慌てて髪を抑え、よろけないように足を踏みしめた。
「寒くないか?」
背中からかけられた声に、ロザリアは振り返った。
「…少し。」
とたんに体が暖かなマントに包まれ、オスカーがすぐ後ろで目を細めている。
さりげない優しさが彼らしい。

「こっちに来るといい。 海が一望できるぜ。」
先を歩くオスカーの後をついて、さっきまでよりも一段高い場所へあがると、見事な景色が広がる。
緑の海の向こうは青い海。
見事な色のコントラストが生命の強さを思わせる壮大な景色だ。
座り込んだオスカーの隣に、ロザリアも腰を下ろした。

「綺麗な色…。」
「ああ。 君の瞳に似ているな。 吸い込まれて、溺れちまいそうだ。…いや、もう、溺れている。」
相変わらず気障なセリフだが、その瞳は驚くほど優しく、ロザリアを見つめている。
胸が甘く高鳴るような、そんな視線。
それでも、そんな言葉に簡単に乗ってしまってはつまらない。
ロザリアはふいっと顔をそむけた。

「きっと青い瞳の女性は毎回ここへ連れてくるようにしていらっしゃるのね。」
「いや、もしその女性の瞳が青でなければ、また別の物に例えるさ。 この草原のように、か、この太陽のように、か。」
「まあ、それでは誰にでも同じ手を使ってらっしゃるの?」
「同じ手じゃない。 たまたまそうなるんだ。」
オスカーとの会話は一種、駆け引きに似ている。
でも、それは決して不快ではなく…むしろロザリアにとって、心地よいものだった。

日が暮れかけて、二人は草原を後にした。
夕日がオスカーの緋色の髪をさらに赤く染め上げている。
いつも自信たっぷりな顔が、一瞬、影に揺れたかと思うと、
「…また、今度。」
手綱を持ったオスカーは名残惜しげに、ロザリアの手の甲に口づけた。



先週はオリヴィエと、今週はオスカーと。
ロザリアは交互に彼らとデートを重ねている。
数か月前までは、ほとんど3人で過ごしていた週末。
それが変化したのは、あの日からだ。

どこかへ出かけた後、二人は必ずロザリアを家まで送り届けてくれた。
そのまま、帰すのも申し訳なくて、お茶に招いたのが、いつの間にか習慣になり、お出かけの最後はロザリアの家でお茶を飲むことになっている。
今日も行ってきた演奏会の感想などを語りながら、ロザリアは二人にお茶を振る舞った。
手に入れたばかりの夏摘みのダージリンは、ナチュラルな葉の風味が楽しめる、ロザリアのお気に入りだ。
本来はコーヒー党のオスカーも、「夜のコーヒーは胃によくないからな。」
と、冗談交じりに、この時は紅茶を飲んでくれる。

ポットが空になり、時計が22時を指すと、ささやかなお茶会は終わりになる。
けれど、その日、時計の音を聞いても、二人は席を立とうとはしない。
真剣な面持ちで顔を見合わせた後、オリヴィエが静かに話を切り出した。

「回りくどいのはキライだから、最初から聞くね。
 …あんたは私と、オスカーと、どっちが好きなんだい?」

「え…?」
問われたロザリアは一瞬、意味が分からずに目をしばたたかせた。
それから、二人の顔を交互に見て息を飲む。
さすがに鈍感と言われるロザリアにもわかったのだ。
彼らが冗談や遊びではなく、真剣な気持ちで、その問いを投げかけたのだと。

「わたくしは…。」
オリヴィエとオスカー。
初めはオリヴィエと親しくなった。
女王候補のころ、プライドばかりが高くて、周囲とうまく打ち解けられなかったロザリアに、最初に手を差し伸べてくれたのは、彼。
オリヴィエの気配りのおかげで、アンジェリークとも親友になれたようなものだ。
そして、オスカーも大切な時、いつもそばにいてくれた。
からかうばかりだと思っていた彼の本当の優しさを理解できたのは、定期審査で初めてアンジェリークに後れを取った時。
森の湖で泣いていたロザリアを黙って見ていてくれた。

ロザリアにとって、二人は特別な存在だった。
同僚で、友達で、それ以上に、二人の支えがなければ、試験に負けた時に補佐官になろうだなんて、思いもしなかったに違いない。
彼らが引き留めてくれたから。
こうしてここにいるのだ。

「どちらかなんて…。考えたこともありませんわ。」
それは正直な気持ちだった。

「そうか。」
重い溜息を吐き出したオスカーが、ロザリアをまっすぐに見つめている。

「俺は君を愛している。 …もちろん一人の女性として。」
ロザリアは目を見開いた。
そして。

「私も、あんたを愛してる。 私にはあんたが必要なんだ。」
畳み掛けるように告げられた、二人からの熱い想い。
どちらも真剣で、だからこそロザリアは戸惑った。
今まで、二人から、そんな想いをぶつけられたことがなかったから。

「もう限界なんだ。」
オリヴィエがポツリとつぶやく。
「仲間や友人としてじゃなく、私達は一人の男として、あんたが欲しいんだよ。」

「すぐにでなくても構わない。 …どちらかを選んでくれ。
 選ばれなかった方は、大人しく手を引く。 友人にはなれないかもしれないが、同僚には戻るつもりだ。」
オスカーのアイスブルーの瞳が不安げに揺れている。

ロザリアは呆然として、黙り込んだ。
二人のうち、どちらか。
いつまでも三人でこうして過ごしていけると、なぜか思い込んでいた自分の浅はかさを、ロザリアは初めて呪った。


それから、二人が交互にロザリアを誘ってくるようになった。
おそらく、何かの協定があるのだろう。
それぞれと二人の時間を過ごし、選ばせてくれようとしているのだ。
その優しさが重く、ロザリアの両肩にのしかかってくる。



「どうかしたの? ロザリア。」
アンジェリークの呼びかけに、ロザリアはハッと顔を上げた。
女王の間。
執務の最中だというのに、ぼんやりしてしまったロザリアは頬を赤くして首を振った。
「ごめんなさい。 なんでもありませんの。」

「もしかして、悩み事でもあるの?」
「そんなことありませんわ。」
たとえ親友のアンジェリークにでも言えるわけがない。
二人の男性の間で揺れる自分の気持ち。
まっすぐに一人の恋人だけを想い続けているアンジェリークと比べて、なんて汚らわしいのだろう。

「ちょっと疲れがたまっているのかもしれませんわ。 …どこかの誰かさんが、すぐに抜け出したりするせいで!」
ロザリアがちらりと視線を向けると、アンジェリークは慌てたように書類を掲げ、自分の顔を隠している。
この間、恋人の守護聖と、秘密で下界へ抜けだしたことがバレているのだ。
焦らないはずがない。

しばらく、二人で頭を付き合わせて大人しく執務に励んでいた。
ところが気がつけば、またロザリアのペンの音が止まっている。
口を開きかけて、アンジェリークは言葉を飲み込んだ。
きっと何かあるのだろうとは思う。
けれど、プライドの高いロザリアは、こちらが聞き出そうとすればするほど、固く口を閉ざしてしまうだろう。
盗み見るロザリアの顔は物憂げで、影を宿した青い瞳が何とも言えずに艶めいている。
やっぱりロザリアは綺麗な女の子だと改めて思った。


コンコンとドアが鳴って、ひょいと顔を出したのはオリヴィエだ。
「は~い、二人ともはかどってる? そろそろお昼でしょ?」
弾かれたようにぼんやりしていたロザリアが顔を上げ、すっと瞳を泳がせる。
そんなロザリアの様子がアンジェリークには奇妙なものに映った。
「ロザリア、一緒にカフェに行こうよ。」
何気なく誘うオリヴィエにロザリアは頷いている。
さっきのロザリアの妙な様子は気のせいだったのだろうか。
いつも通りのやり取りを前に、
「ねえ、今日はオスカーは一緒じゃないの?」
アンジェリークが言うと、一瞬、空気が凍り付いたような気がした。

「うん。 今日はアイツ、忙しいみたい。 だからお姫様のエスコートは私一人。」
大げさなウインクをしながら、オリヴィエは手をロザリアの背に添え、さっさと部屋から連れ出していった。
ぽつん、と部屋に残ったアンジェリークは首をかしげる。
あんなに3人でいたのに、ここのところあまり見かけないような気がする。

「喧嘩でもしたのかな????」
そういえば、昨日はオスカーがロザリアを連れて行った。
その前はオリヴィエ? その前は…。
「うーん。」
少し気になる。
けれど、お腹がグーッと鳴り出したのと、ドアがノックされたのが重なって、そちらの方へと意識がいってしまい、それ以上は考えなかった。



やがて季節の変わり目の風を肌で感じるようになったころ、ロザリアはある決心をした。
その週に受けた誘いをすべて断り、使用人たちにも月の曜日まで暇を出した。
そして、土の曜日に改めて二人を屋敷に呼びだしたのだ。
手作りの夕食を振る舞い、以前のように最後のお茶を淹れる。
表面上、何も変わらずに流れていく時間。
けれど、ふとした時に二人から向けられる視線に、ロザリアは気づかないふりをした。
おそらく、二人も今夜、何かの結論を言い渡されると理解しているはずだ。
時計が22時を打ち、ポットが空になる。
ロザリアは改めて居住まいを正し、二人に向き直った。

リビングのソファで二人に向かい合う。
改めて、それぞれの顔を見ると、胸を切られるような痛みを感じる。
それでも、ロザリアは自らを奮い立たせるように、小さく息をつくと、話を切り出した。

「今日は来てくださってありがとうございました。 わたくしの拙い料理に付き合わせてしまってごめんなさい。」
「いや、美味かったぜ。」
「ホント。 すっごくおいしかった。」
口々に褒められて、ロザリアは頬を染めてほほ笑んだ。


「わたくし、考えましたの。 …お二人のこと。」
さっと緊張感が走る。
「こんなに何かを悩んだのは初めてでしたわ。 補佐官になるかどうかよりも、ずっと迷いましたの。」
あの時は、二人が背中を押してくれたから。

「わたくし、やっぱり、どちらかを選ぶなんてできませんわ。
 二人とも、わたくしにとっては大切な人。
 でも、もし、どうしても選ばなければいけないというのでしたら…。」
「したら?」
言いよどむロザリアにオスカーが先を促す。

「今日で終わりにしたいんですの。
 わたくし、もう、お二人とはこうしてお会いいたしませんわ。」
二人が息を飲む気配。

「待ってよ。 …そんなに急いで決めなくたっていいんだ。
 あんたさえ良ければ、また三人ででも構わないし。」
「そうだ。 そのうち、君の気持ちが変わったら、また、その時に考えてくれえばいい。
 俺たちの勝手な押し付けだったんだ。
 君が苦しむことはない。」


二人の優しさがロザリアには辛かった。
これ以上、自分のわがままに彼らを振り回すわけにはいかない。
オリヴィエもオスカーも素敵な男性だから、きっとすぐに次の恋に出会えるだろう。
彼らの隣にいるのが自分ではないことが本当に辛いけれど、それも罰なのだ。

「今日まで結論を引き延ばしてしまって、本当にごめんなさい。
 お二人ならきっとわたくしよりも素敵な女性に巡り合えますわ。
 わたくしも…。 
 そう、先日、お付き合いを申し込まれましたの。 まずはその方とお付き合いしてみますわ。」
ささやかなウソ。
当分は別の男性と親しくなるつもりもないけれど、こう言えば、彼らも別の女性に目を向けるようになるかもしれない。
ロザリアは二人に小さく微笑みかけた。


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