DARLING

1.

補佐官であるロザリアは今日も忙しい。
穏やかな聖地の午後。
ともすれば眠たくなりそうな陽気に、ロザリアは休憩がてら補佐官室を出た。
お茶の時間には少し早いけれど、書類を届けるついでだ。
昨夜焼いたフルーツケーキを持って、一緒にお茶を飲もうと誘うつもりだった。

うきうきと彼の部屋の前にたち、ノックをしようとした瞬間。
中から話し声が聞こえてくるのに気がついた。
どうやら先客がいる。
ロザリアは振り上げた拳を下ろし、出直そうかと踵を返した。

「本当のところ、物足りないんじゃないのか?」
オスカーの声だ。
「まあ、彼女が相手では仕方がないだろうが。」
なにやら不穏な会話の調子に、ロザリアはその場に立ちつくした。
思わず耳を寄せ、中の様子をうかがってしまう。
「だから、別に我慢なんてしてないって。あんたの思い込み。ってゆーか、人のことより自分はどうなの。」
「俺は、まだ運命の女性を探している途中だからな。」
「だから、わかんないんだよ。…そんなどうでもいいこと、理由になんないってね。」
「だが、セックスの相性は愛情を長続きさせるために、重要なファクターだろう?」
「まあ、それは否定しないけどさ。」

こんな昼間から、なんという話題を。
補佐官として、一瞬怒りの湧いたロザリアだったが、すぐに一人の少女としての不安が頭をもたげてきた。
『物足りない』『我慢している』『否定しない』
今の会話を思い返してみれば、ようするにオリヴィエはロザリアとの関係に満足していない、ということなのではないだろうか。
もう少し、と聞き耳を立ててみると、わずかにオスカーの言葉が聞こえてくる。
「遊びたくなったらいつでも付き合ってやるから、誘ってくれ。」
「まったく…。そんなんだから運命も逃げるんだよ。」

オスカーが立ち上がる音が聞こえて、ロザリアはあわててドアをノックした。
このまま鉢合わせてしまえば、盗み聞きしていたことがばれてしまう。
わざと大きな音を立てると、すぐには返事がなく、なにかガサガサと紙の重なるような音が聞こえた。
「どうぞ。」
中からドアが開くと、オスカーが立っていて、中へ入るようにと手を差し伸べている。
軽く微笑み、ウインクをする姿は、全宇宙の恋人そのものの伊達男ぶりだ。
騙される女性が多いのも無理はない。
「じゃあ、お邪魔虫は失礼するぜ。」
ロザリアと入れ替わるように外へ出たオスカーは、オリヴィエに意味ありげな視線を送っている。
といっても、オリヴィエのほうは明らかに迷惑そうな様子だったが。

「さ、座って。 それ、お菓子?あんたのお菓子作りの腕は、ホントに大したもんだよ。」
簡単なフルーツケーキを褒められて、ロザリアは頬が熱くなった。
確かにオリヴィエのことを考えて、甘さ控えめで美容にいいドライフルーツを選んではいる。
それもこれも、オリヴィエに喜んで欲しいから。
少しでも、好きになってほしいからだ。

「お茶、淹れてくるね。」
オスカーが飲んだコーヒーカップを持って、オリヴィエがキッチンへと向かった。
それぞれの部屋で、それぞれの主がお茶を淹れるのが二人の習慣だ。
以前、ロザリアがお茶を淹れようとしたら、
「私のところではお客さんでいていいんだよ。あんたの好みのお茶を用意するのも、すごく楽しいんだから。」と言われてしまった。
いつもロザリアの好きそうな香りの紅茶を選んでくれるオリヴィエ。
もちろん、反対にロザリアの部屋では、オリヴィエの好みの飲み物を用意する。
きっと今日も、花の香りのお茶を淹れてくれるだろう。
待っている時間もくすぐったいような、嬉しいような気持になった。

「あら?」
きょろきょろしていると、オリヴィエがさっきまで座っていたソファの隅に、なにかが押し込んであるのが見える。
本ではないかと、思った時、ドアをノックした時のガサガサという紙の音の正体だとわかった。
ぎゅうぎゅうに押し込まれて、薄い雑誌は折れ曲がってしまっている。
皺を伸ばそうと表紙に返したロザリアはぎょっと目を見開いた。

いわゆる男性向け雑誌なのだろう。
執務の書類よりも薄く、派手なグラビアがページを飾っている。
水着や下着姿の派手な女性たちがきわどいポーズで映るページを、ついロザリアは凝視していた。
自分にはない、セクシーさ。
やっぱりオリヴィエもこういう女性が好みなのだろうか。
オトコを誘うような色気は、慎み深さを善として育てられてきたロザリアには決して真似ができない、と思っている。
ロザリアはグラビアと同じように、首の後ろに手を当てて、顎を上げてみた。
鏡の多い部屋だから、そんなロザリアの姿も当然映っていて。
自分で見ても全く色気のない姿に、ロザリアは肩を落した。


女王試験が終わってすぐ。
死ぬほどの勇気で告白して、受け入れてもらった。
「あんたから言わせてごめん…。」
そう言って、抱きしめてキスをしてくれたオリヴィエ。
大人の関係になるまで、少し時間がかかったのは、ロザリアの中に恐怖心があったからだ。
すでに大人で、本当はすぐにでもロザリアを欲しかったはずのオリヴィエなのに、ロザリアが納得できるまでずいぶん待っていてくれた。

ついこの間、ようやく迎えた初めての夜も、思わず零れた涙をオリヴィエは唇でぬぐってくれた。
今も何度も愛の言葉をささやいてくれる。
けれど、恥ずかしさばかりが先に立って、ロザリアはいつも、何もできない。
ただただ目を閉じているだけのロザリアを、まるで壊れもののように優しく抱いてくれるオリヴィエ。
全身に与えられる口づけ。敏感な個所に繰り返し触れる、綺麗な細い指。
声が出るのも恥ずかしくて、唇を噛みしめていると、オリヴィエは困った顔をしてキスをくれる。
「イヤじゃない?」
行為のたびに問いかけられる言葉に、イヤではない、と言いたいのに言えずにいる。
自分の中に快楽を求める部分があることを、知られることが恥ずかしいのだ。
なのに、夢のような行為を思い出すだけで、勝手に身体の奥が熱くなってくる。
今すぐに求められても、きっと拒むことなどできないだろう。

雑誌をぱらぱらとめくっていったロザリアは、あるページで手をとめた。
なぜかそのページだけ、角が折られている。
明らかに誰かが意図的にそうしたようだ。
『彼女にしてほしいこと』
そう大きな見出しで始まるページは、彼女もちの男子1000人からのアンケート調査の記事だった。

『手作りの料理』や『突然のキス』は、まあわかる。
けれど、読み進めていくうちに、ロザリアは膝から崩れ落ちそうになった。
1位の言葉はよくわからなかったので、後で調べようと、書類の裏にメモをしておく。
そして、2位。
1000人からのコメントが小さな文字で書いてあるのだが、それを読んで行くうちに血の気が引いた。
オリヴィエもこんなことを本当は望んでいるのだろうか。

そう言えば、誘われたこともある。
けれど、どうしてもロザリアにはできなかった。もしそんなことをしたら、きっと恥ずかしさで倒れてしまう。
でも、本当にオリヴィエが望むなら、やってあげるのが恋人としての役目なのではないだろうか。
『物足りない』
さっきのオスカーの言葉が思い浮かんできた。
恥ずかしがってばかりのロザリアを、本当は物足りないと思っているのだろうか。
もっと、オリヴィエを喜ばせること、たとえば、この本に載っているようなことをしないと、嫌われてしまうかもしれない。
なんと言っても、わざわざ、ページを織り込むくらい、オリヴィエにとって、関心のあることなのだから。

そのページだけを暗記しそうなほど真剣に読みこんだロザリアは、雑誌を元通りソファに突っ込むと、何食わぬ顔で座っていた。
すぐにオリヴィエがお茶を運んで来たので、本当に危機一髪のところだ。
「あの、オリヴィエ…。」
「なあに?」
いつも通りの優しいオリヴィエ。でも、オリヴィエだって、あの1000人の男子と同じ男。
きっと望みも同じはずだ。恥ずかしさもなにもかも、かなぐり捨てて、やってみるしかない。
ロザリアはごくりと唾を飲み込んだ。
「今夜、お邪魔してもいいかしら…?」
それだけでもう、顔が赤くなる。
今までロザリアから誘ったことはない。いつもデートの帰りに別れがたくて、そのまま朝を迎えてしまうという形だったからだ。
驚いた顔のオリヴィエの視線が痛い。
ロザリアはますます頬が熱くなるのを感じた。

「もちろんいいけど。珍しいね。」
「ええ。明日は土の曜日でなんの予定もありませんし、あの、ゆっくりとあなたと過ごしたくて…。」
もう言葉が出てこなかった。
真赤になってうつむいたロザリアの前が暗くなって、オリヴィエの唇が降りてくる。
「嬉しいよ。…執務が終わるまで、待ってるから。」
舌を絡め会う大人のキス。
そういえば、このキスも『してほしいこと』に入っていた。
ロザリアが本の通りに恐る恐る舌を伸ばすとオリヴィエは明らかに喜んで、一層激しくキスを繰り返してくる。
やっぱり、オリヴィエも同じなのだ、とロザリアは確信した。


オリヴィエの部屋を出たロザリアは、すぐにオスカーのところへ向かった。
あの本のことを聞くには、やはりオスカーが一番だろう。
その手の話題に昔から事欠かないのだから。
勧められるままソファに座ったロザリアは、手にしていた書類の束をめくった。
「なんだ、執務の話か。すごい顔をしているから、てっきり艶っぽい話なのかと期待したんだがな。」
オスカーの軽口はいつものことだと、微笑みだけを返したロザリアは、目当てのメモを見つけた。
「あの、オスカー、フェラチオって、なんですの?」
「な?! なんだって?!」
思わず執務机から立ち上がったオスカーを、ロザリアはきょとんとした瞳で見つめている。
見つめ合うこと数秒。
恥ずかしくなったのは、勿論オスカーの方で、いつになくそわそわと視線をさまよわせると、溜息をもらした。

「…どこでその言葉を?」
「あなたには関係ありませんわ。」
つん、としたままのロザリアに、オスカーは困り果ててしまった。
なにも知らないからこそ、こんなふうに自分に聞きに来たのだろう。
どうしたものか、と考えていると、ロザリアが首をかしげている。
「あなたもご存じないことですの? オスカーは恋人にしてもらったことはありませんの?」
直球な質問にオスカーが赤面してしまう。
「いや、そう言うわけではないが…。」
「まあ、では、教えてくださいませ。やはり、してほしいことなんですの?」
「そ、それは…。」

綺麗で澄み切った青い瞳で見つめられると、自分が汚らわしい気がしてくるから不思議だ。
オリヴィエが苦労するのも無理はない。
ここまで無垢では、穢してしまうのが惜しくなる。
「してほしい、といえば、してほしいが…。」
「もう、一体なんなんですの。ただフェラチオを教えてほしいと言っているだけではありませんの。」
「バ!バカなことを大声で言うな!」
オスカーはロザリアのもとに駆けよると、その口を手でふさいだ。
あまりにも動揺して、レディに対する気遣いが欠けてしまったのは否めない。
案の定、掌に押さえつけられたロザリアは恐ろしい顔で、オスカーを睨みつけていた。

「す、すまない。だが、その、大声でその単語を口にしない方が君のためだ。」
「まあ!どういうことですの?はっきりおっしゃってくださいませ。」
あわてて離れたオスカーをロザリアはさらに睨みつける。
もう、このままではとても引きさがってはくれないだろう。
仕方がない。
オスカーはロザリアの耳元に唇を寄せると、囁いた。

「な・・・・。」
ロザリアの声が震えた。
「そんな…。」
真赤になり棒立ちでいるロザリアを、オスカーは抱きかかえるようにしてソファに座らせた。
まだ茫然とした様子の彼女の目の前で、オスカーは手を振ってみたが反応がない。
オリヴィエを呼んで来ようかと考えていた途中、急にロザリアが立ち上がった。
「やはりオリヴィエも、その、望んでいるのかしら?」
オスカーはつい、ぎょっとして頷いてしまった。
「ありがとう、オスカー。わたくし、がんばってみますわ。」
ロザリアが勢いよく部屋を出ていくと、オスカーは執務椅子にどっかりと腰を下ろした。
まったくとんでもない目にあったものだ。
ロザリアじゃなければ、もちろん直々に教えてやるのだが、オスカーもまだ命が惜しい。
本気のオリヴィエと刺し違えるのはごめんだった。
「許せよ、オリヴィエ。」
オスカーはふっと笑みをこぼすと、しばらくそのまま、笑い続けたのだった。



ちらりと時計を見ると、もうすでに2時間の残業だ。
オリヴィエが待っているのだから、早くしなくてはいけないと思うのに、何度も手が止まってしまう。
今さら悩むことはない。
オリヴィエを喜ばせてあげたいのなら、答えは決まっているのだから。
意を決して立ち上がると、オリヴィエが待ちかねたように出迎えてくれた。

「終わったの?ずいぶん大変だったんだね。…お疲れさま。」
すぐに抱き寄せて、ロザリアの頬に口づけた。
初めてロザリアから夜を過ごしたいと誘われたのだ。
慣れたはずのオリヴィエでも、緊張してしまう。
ロザリアを抱きしめると、彼女の鼓動が伝わってきて、自分の鼓動も伝わってしまうのではないかと不安になる。
こんなに打ち鳴らす鼓動を、彼女に知られるのは気恥ずかしかった。
すぐに腕を解いたオリヴィエをロザリアが不思議そうに見上げている。
オリヴィエは彼女の手をとって、それをごまかした。


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