1.
飛空都市での生活も半年が過ぎ、試験もようやく軌道に乗り始めた。
完璧な女王候補のロザリアと、ごく普通の少女アンジェリーク。
試験の結果は、すぐにわかると思っていた。
予想通り、当初は歴然とロザリアがリードしていたのだ。
それなのになぜか、今、アンジェリークが追い付きそうな勢いでせまってきている。
不自然なほどの追い上げの理由を、オリヴィエが気づいたのは、偶然だった。
たまたま訪れたオスカーの私邸で、漏れ聞こえた会話。
オリヴィエはアンジェリークを誘って、恋人たちが集まるという、森の湖に来ていた。
「あんたと一緒だからかな。いつもより綺麗に見えるよ。」
滝の近くの木の下に座った二人は、滝の立てる水音に耳をすませた。
雫がはねるたびに琴のような澄んだ音が聞こえる。
奥の方にある滝の横側が、角度によって虹をつくることをオリヴィエが教えると、アンジェリークはその場所へと歩いていった。
「オリヴィエ様!!可愛い虹です!」
アンジェリークは虹を見つけると、大きな声でオリヴィエを手招きした。
手をぶんぶんと振って飛び跳ねるアンジェリーク。
オリヴィエは少し体を倒して、彼女を視界から消した。
滝に手を触れて、虹を出したり消したりしている声がする。
そうしている姿は、本当に明るく元気な年相応の少女だ。
少し大人びて見えるロザリアとは対照的だろう。
けれど、オリヴィエは知っていたのだ。
彼女がロザリアよりももっと、貪欲に女王を目指しているということを。
「オリヴィエ様も来ればよかったのに。」
オリヴィエに走り寄ったアンジェリークは、隣にちょこんと腰を下ろした。
肩がわずかに触れ、その距離の近さを意識する。
「よかった。あんたに見せたかったんだよ?」
そう言ったオリヴィエをアンジェリークは上目遣いで見つめた。
ほんのりと頬を染め、含みを込めた視線は、初心な男の子に気を持たせるのに十分な効果があるだろう。
ちょっとした男女の駆け引き。
免疫のない年少組は、すっかりアンジェリークの虜だし、逆に駆け引きをよく知っている者はそれを楽しんでいる。
オリヴィエはふと肩を落とした。
ロザリアにはきっと無理だろう。理解すらできないに違いない。
ロザリアのはっきりとした物言いは決して悪意があるのではなく、むしろ素直すぎるせいなのだ、とオリヴィエはよく理解していた。
『完璧な女王候補』として振る舞うその影で、誰よりも努力していることも知っている。
けれど、努力や勉強だけでは試験には勝てない。
実際、大きくリードしていたロザリアがこのところ苦戦しているのは、アンジェリークに贈り物をする守護聖が多くなってきたからだ。
贈り物には親密度がモノを言う。
すなわち、守護聖をいかに自分に取り込むか、ということ。
アンジェリークは自分の能力をよく理解していた。そして、それを利用することにも躊躇がなかった。
「ちょっと疲れちゃった。」
アンジェリークがオリヴィエの肩に頭を寄せた。
ちょうどオリヴィエの目線が胸の谷間を意識する位置に身体をつけ、さりげなく腕を自分の胸のふくらみに当てている。
オリヴィエはアンジェリークの金の髪をすくうように指に絡めた。
細い綺麗にネイルされた指は、その動きだけでも官能的だ。
首筋から耳へとゆっくりと指を動かし、頬に触れる。
首をすくめたアンジェリークは嫌がるそぶりも見せずに、オリヴィエを潤んだ瞳で見つめた。
触れれば落ちそうな、触れられることを待っているような瞳。
オリヴィエはアンジェリークの肩を抱き寄せると、静かに唇を寄せた。
突然の口づけにも関わらず、アンジェリークは自分からオリヴィエの舌を迎え入れる。
絡み合う湿った音。
アンジェリークはためらいがちに見えて、決して自分から唇を離そうとはしない。
オリヴィエは彼女の身体を柔らかな草の上に倒した。
わざわざ誰も来ないような湖の奥を選んだのだ。
こうすれば、アンジェリークが仕掛けてくることをオリヴィエは予想していた。
「オリヴィエ様ぁ…。」
首に腕を回し、耳元で名前を呼ばれると、オリヴィエでさえもゾクゾクと背筋が震えた。
「好きなんです…。」
オリヴィエはそれに応えず、ブラウスのボタンを外した。
胸元から徐々に先端へ、アンジェリークの感じる個所にゆっくり唇を這わせていく。
同時に指が動くと、こぼれる嬌声。
すでに潤った箇所は、すぐにオリヴィエを受け入れ、アンジェリークの唇から切なげな喘ぎがあふれる。
木々の隙間を抜ける風に、二人の息遣いがまぎれていった。
執務室に積もった書類を見てオリヴィエはため息を漏らした。
暖かな日差しはただ気だるくなるだけで、外へ出ていく気力もない。
まずは一つ片づけようと、前髪をかきあげた時。
ノックの音が響いて、オリヴィエは顔を上げた。
このリズムの良い叩き方は間違いなく彼女。
「入って。」という声とともにロザリアがドアの影から現れた。
「ごきげんよう。オリヴィエ様。」
オリヴィエは書類をわきにどけると、笑顔で彼女を迎え入れた。
「どうしたの?昨日は楽しかった?」
ロザリアがルヴァを誘うと知っていたから、アンジェリークを誘った。
先にアンジェリークと約束をしておけば、ルヴァはロザリアとデートをするはずだから。
ロザリアはさっと頬を染めて頷いた。
純粋で、汚れを知らない天使のような彼女。
高飛車なロザリアの態度がもろい鎧だと、オリヴィエは出会ってすぐに気がついた。
それが聖地に来る前の自分にどこか似ている気がして、放っておけなかった。
構い続けるうち、素直に感情を見せてくれるようになったロザリアをいつから好きになっていたんだろう。
自覚した時に、彼女からルヴァへの想いを告げられたのだ。
「庭園にご一緒しましたの。ルヴァ様ったらテラスに誘ってくださって・・・。
オリヴィエ様のいう通り、緑茶を頼んだらとても喜んでくださいましたわ。」
嬉しそうに言うロザリアはいつもの凛とした表情とは違っている。
恋をする乙女は、まるで春の女神のよう。
彼女の周りを眩しいオーラが取り巻いている。
オリヴィエは胸の痛みを隠して微笑んだ。
「それはよかったね。私もうれしいよ。」
オリヴィエの微笑みに安堵したようにロザリアも微笑んだ。
しばらく、たわいもない話をしたあと、ロザリアがふと顔を曇らせた。
「オリヴィエ様。ルヴァ様はわたくしといてもアンジェリークのことを聞きたがるんですのよ。なんだか気になりますの。」
オリヴィエの脳裏にしどろもどろになりながらもアンジェリークのことを聞くルヴァの姿が浮かんだ。
もし、ロザリアが鋭いタイプだったらとっくに気付いているだろう。
ルヴァが気にしているのはアンジェリークの方で、ロザリアのことは気の合う生徒くらいにしか思っていないということに。
返事を返さないオリヴィエを不思議に思ったのか、ロザリアが「オリヴィエ様。」と呼んだ。
のぞきこむ青い瞳が美しくて、オリヴィエは思わず身体を引いた。
彼女に想いを気取られるわけにはいかない。
気まじめな彼女のこと、想いを受け入れられないなら、と、オリヴィエから遠ざかろうとするだろう。
それを避けたくて、ずっと隠してきたのだから。
「ん?…共通の話題がそれくらいしか見つからないんじゃない?ルヴァらしいよね。ホント。」
からかうような、いつものオリヴィエの言葉。
重ねられたウインクにロザリアがくすり、と笑みをこぼす。
美しさと可愛さが同居した、一番好きな彼女の表情。
オリヴィエがつい見惚れてしまい、ふと沈黙が訪れる。
二人の視線が重なったと思った時、ドアの開く音がした。
「オリヴィエ様!」
アンジェリークが飛び込んできて、オリヴィエの隣に座った。
「ロザリアとお話していたんですか?わたしも一緒にお話したいな。ね、ロザリア。」
身体が触れ合うほど、ぴったりとくっついて座ったアンジェリークにロザリアは目を丸くする。
アンジェリークの手がオリヴィエの腿に触れたのを見て、自然と目をそらしてしまった。
「あの、わたくし、失礼しますわ。」
立ち上がったロザリアを追いかけようとしたオリヴィエを、アンジェリークが後ろから抱きしめた。
ぎょっとしたオリヴィエがためらっている間に、ロザリアはドアをすり抜けていく。
「ちょっと、離してよ。」
「追いかけないでください。お話したいことがあるんです。…そうじゃなきゃ来ません。」
振り返ったオリヴィエの目に映ったアンジェリークは笑っている。
ぞくりとするような笑顔だ。
「昨日のこと。ロザリアはいないほうが、いいと思いますけど。」
オリヴィエをソファに座らせてアンジェリークが口づける。
次第に深くなる口付けをオリヴィエは黙って受け入れた。
背中でドアを閉めて、ため息のように息を吐き出すと、ドアの向こうが静かになる。
話し声を聞こうとしたわけでもなく、ロザリアはその場にぼんやり立っていた。
オリヴィエとアンジェリークが、あれほど親密になっていたことに驚きを感じる。
なんとなく、オリヴィエは自分の味方だと思っていた。
けれど、思えば、オリヴィエはいつも自分とルヴァとのことを応援してくれているのだ。
それは返してみればロザリアに特別な感情がない、ということなのだろう。
そのことに今まで気づかなかった自分が急に恥ずかしくなって、ロザリアは駈け出した。
心にチクリと棘が刺さったことにも、全く気がついてはなかった。
「うふふ。オリヴィエ様って、キスが上手ですね。」
「…ありがと。」
まるで美味しいケーキを食べた時のような言葉には、とても愛情があるとは思えない。
実際、彼女の緑の瞳は、冷たい石のようだった。
「ますます好きになった、かい?」
「はい。大好きです。だから…。」
「オリヴィエ様もわたしを応援してくれますよね?」
オリヴィエの腿をゆるゆると撫でながら、アンジェリークが小首をかしげるようにして言った。
甘い砂糖菓子のような顔の下に隠れた計算。
オリヴィエに透けて見えるのは、自分もそうやって打算の中で生きてきたからだろう。
「何人にそう言ったの?」
ふふっと可愛らしい笑い声を立てて、アンジェリークは指を折った。
「ランディ様とマルセル様とゼフェル様。それからジュリアス様とオスカー様。皆様、たくさん贈り物をしてくれるんですよ?」
年少組はともかく、あんなのまで。
「ジュリアスが?」
思わず声に出すと、目をくるりと輝かせて、アンジェリークは微笑んだ。
「経験の少ない方ほど、簡単なんです。・・・オリヴィエ様は特別ですよ。わたしたち、同じ世界の人間だもの…。」
ルヴァの名前が出なかったことに、オリヴィエは安堵していた。
ロザリアの悲しむ顔を見たくはない。
オリヴィエの心に気付いたのか、アンジェリークはくすりと笑った。
「ルヴァ様は、止めておきました。ロザリアったら可愛いでしょ? 綺麗で、純粋で、大好き。ずっとそばにいてほしいの。
だから譲ってあげることにしたんです。それに5人いれば、定期試験に負けることもありませんから。」
ロザリアの名前を口に出した時、アンジェリークはとても優しい目をした。
ロザリアのことが好きだという彼女の言葉は信じられる。
歪んだ感情であっても、彼女に害をなさなければ構わない。
「約束してよね。ルヴァには手を出さないって。」
「オリヴィエ様次第ですよ?秘密を守ってくだされば。わたしも何も。」
守護聖たちは、それぞれだけがアンジェリークと秘密の関係を持っていると思っているのだろう。
当人になればなるほど、目がくらんでしまうものだ。
「わたしが女王になったら、必ずロザリアを補佐官にします。…オリヴィエ様も嬉しいでしょう?」
びくりと眉を動かしたオリヴィエに、アンジェリークは艶然とほほ笑んだ。
アンジェリークの手がするりとオリヴィエの胸元に滑り込むと、その指先が円を描きながら敏感な先端に刺激を与えてきた。
慣れた所作は巧みに快楽を引き出してくる。
「・・・楽しませてくださいね。他の方は私が楽しませないといけないから、結構大変なんですよ。」
アンジェリークの唇がオリヴィエのそれをふさぐ。
待ちかねたように入りこんでくる舌と下半身に伸びてくる手に、オリヴィエも理性のガードを外した。
理性があったらとてもできない。
好きでもない女を抱くことなんて。