Pasqueflower

8.

即位式は厳かに執り行われた。
新旧の女王と補佐官のディア。守護聖たち。
聖殿の奥の儀式の間は、恐ろしいほどの静けさで、女王という至高の存在の交代を受け入れていた。
女王の冠を頭に受けた瞬間、アンジェリークの背に生えた金の翼。
末席に座り、儀式を見ていたロザリアは、アンジェリークの美しさに目を奪われた。
宇宙全体を包み込むオーラは、力強く、生命の躍動を感じさせる。
やはりアンジェリークこそが、この激動の宇宙の女王にふさわしい。
涙がこぼれそうになって、ロザリアはあわてて目じりを押さえた。

そんなロザリアの気配を、オリヴィエは背中で強く意識していた。
大きな差のついた試験だった。
ロザリアから女王に対する未練はないことを聞いてはいいたが、やはり心配だったのだ。
本当は駆け寄って、ロザリアの手を握り、支えたかった。
「よくやった。」と褒めてやりたかった。
けれど。
それは自分の役目ではない。

オリヴィエは隣に並ぶルヴァの顔をチラリと盗み見た。
どこか疲れてはいるようだが、ルヴァはいつも通りの飄々とした様子だ。
その疲れた様子が、昨夜の名残なのではないかと思うと、オリヴィエの胸がかきむしられるように痛み出した。
同時に、なぜ、傷ついた彼女に寄り添ってやろうとしないのか、と、怒りも湧いてくるのだ。
ロザリアは、まっすぐにアンジェリークを見つめている。
青い瞳が一瞬光ったのを、オリヴィエは見逃さなかった。



「ここに女王試験の終了と新女王アンジェリークの誕生を宣言する。」
前女王の宣言とともにアンジェリークがくるり、と振り向いた。
新女王誕生の瞬間だ。
金の翼がひらりとはためき、見事なまでのオーラをつくる。
「陛下、わたし、ロザリアと離れたくないんです。一緒に宇宙を支えていきたいんです。」
ロザリアに補佐官になってほしい、と、アンジェリークが前女王に訴えた。
予想通りの展開。
アンジェリークを支持していた守護聖たちも異論はないのだろう。
誰ひとり反対を述べる者はおらず、オリヴィエもじっとロザリアの返事を待った。


「辞退いたします。」
張り詰めた空気の中、ロザリアの声が響く。
一瞬、オリヴィエは耳に入った言葉が理解できなかった。
ロザリアは凛とした青い瞳をまっすぐに前女王に向け、唇を引き締めている。
静まり返った空気を最初に破ったのは、アンジェリークだった。

「嘘!どうして?! 一緒に宇宙を支えてくれるって、補佐官になってくれるって約束したじゃない!!」
叫ぶような声。
玉座から飛び出して、ロザリアのもとに駆け寄ろうとしたその身体を、ジュリアスが押しとどめた。
「陛下。落ち着いてください。」
「邪魔しないで! 嘘よね?! 傍にいてくれるわよね?」
「陛下!」

ジュリアスが目くばせすると、すかさずオスカーがアンジェリークの体を押さえた。
二人がかりでは、いかにアンジェリークが全力で暴れても、抜け出すことはできない。
それでもアンジェリークは半狂乱になって、二人の腕から逃れようと暴れ続けている。
緑の瞳から涙があふれ、はずみで女王の冠が頭から零れおちた。
「いや!離して!ロザリア! わたしを一人にしないで。 お願い、傍にいて!!」
「陛下。」
見かねたのか、クラヴィスがアンジェリークの額にサクリアを注いだ。
ふっと力が抜けたアンジェリークの体を、オスカーが抱え、奥の間へと運びこんでいく。

ロザリアはそんなアンジェリークから目をそむけるように、下を向き、自分の腕で身体をぎゅっと抱きしめていた。
硬い表情は、今にも泣き出しそうだ。
「では、スモルニイにもどり、学園生活を続けることになるな…。」
前女王の言葉に、傍らにいるディアも不安そうにロザリアを見つめている。
他の守護聖たちも同様に、驚きを隠せないまま立ちつくしていた。
ロザリアが補佐官になることは既定路線だと誰もが思っていたのだ。
アンジェリークとの友情は、疑いようもないモノだったし、なによりもロザリア自身が強く望んでいると思っていた。

「これからもロザリア・デ・カタルヘナとして、人生を全うしたいと思います。」
「本当に、いいのですか?」
ディアが耐えきれずに横から口を挟んだ。
ロザリアは視線をディアに移し替えると、ゆっくりと頷いた。
もう、引き返すつもりはない。


湖で月を見上げながら、このまま補佐官になる道を考えた。
何事もなかったように、オリヴィエとアンジェリークを祝福し、二人で宇宙を支えていく。
親友の幸せを願うなら、そうすることが最上なのではないかとさえ思った。
諦めることができるなら。この想いを封印することができるなら。
けれど、今日、ここでオリヴィエを見た途端、それが夢だと分かった。
どれほど見ないようにしても、オリヴィエの気配だけで、想いが溢れそうになる。
彼の香りを感じるだけで、その腕に包まれたいと思ってしまう。
邪でしかない想いを、止められない自分が恐ろしかった。
傍にいれば、いつまでも、オリヴィエを求めてしまうだろう。
それはアンジェリークを羨み、憎むことに繋がってしまう。
二人のために、自分は聖地にいない方がいい。
大切な二人だからこそ、幸せになってほしかった。

「試験で経験した多くのことは、わたくしを人間として成長させてくれました。候補に選んでくださったことを心から感謝いたします。」
優雅に淑女の礼をしたロザリアを、オリヴィエは言葉もなく、ただ見つめていた。



新女王不在のまま、式が終わると、オリヴィエはまっすぐにルヴァの屋敷へ向かった。
執務の始まりは明日からで、今日は一日ゆっくりするようにと、前女王から指示が出ていたのだ。
いずれにせよ、アンジェリークがあの様子では、何もできないに違いない。
オスカーに聞いてみると、アンジェリークはずっと涙を流しながら宙を見つめていたらしい。
ロザリアを呼ぶことが許されないと知ると、また暴れ出して、今は薬で眠らされている、とのことだった。
女王になった今、アンジェリークの体は自由にならない。
オリヴィエも叫び出したいのをぐっとこらえていた。
つい昨日まで、補佐官になると言っていたロザリア。
ルヴァと一夜を明かし、ますます聖地に来る理由ができたはずなのに。
オリヴィエは乱暴にドアをノックすると、ルヴァが出てくる前に、リビングに上がり込んだ。

「いらっしゃい。…そういえば、あなたはロザリアと親しくしていたのでしたね。」
いつもと変わらず穏やかなルヴァの様子が、今日は憎らしかった。
ロザリアの心変わりの原因があるとすれば、ルヴァしかいないのだから。
「ロザリアになにをしたんだい?」
理由によっては、殴りつけてしまうかもしれない。
オリヴィエはぐっと自分の拳を押さえつけるように、腕を握りしめた。
しばらく視線がぶつかった後、ルヴァはふと肩を落とすと、オリヴィエに向かってため息をついた。

「なにも。私と、ロザリアには、何もなかったんですよ。」
ルヴァはグレイの瞳を寂しそうにまたたかせた。
「昨夜、たしかにロザリアは私のところに来ていました。
愚かだと思うかもしれませんが、私も、その、彼女と、より深い関係になることを望んでいたのです。」
ふう、と小さなため息。
話すことが苦手なルヴァが、自分の想いを語っている。
オリヴィエは口をはさまず、耳を傾けることにした。

「初めは確かに、ロザリアから想いを寄せられている、と聞いたことがきっかけでした。
けれど、彼女と過ごすうちに、私は、本当に、彼女を好きに、とても好きになっていたんです…。」
オリヴィエは心臓を掴まれたような痛みを感じた。
二人が想い合っているのなら、やはり、ロザリアは自分にとって手の届かない存在なのだ。
けれど、それならば、なぜ引きとめてはくれないのかと、焦りも湧いてくる。
ルヴァが一言、ロザリアに伝えてくれたなら。
「じゃあ、どうして…。」
思わず零れた言葉にルヴァの声が重なった。

「ですがね、彼女が本当に想っていたのは私ではなかった…。昨夜、私がロザリアを抱きしめた時、彼女はそのことに気がついたんです。
私は、何もできませんでした。ただ、出ていく彼女を黙って見送った…。それだけなんですよ。
彼女の想い人が誰なのかを聞く勇気さえ、私にはありませんでした。」

ルヴァの話に嘘はないとオリヴィエは直感した。
ロザリアを想い、身を引くルヴァの気持ちが、オリヴィエにもよくわかったからだ。
だれもが、愛する人の幸せを願う。
たとえ自分の想いが叶わなかったとしても、愛する人が笑顔でいてほしいと、そう思うだろう。
さっきまでの荒ぶった気持ちが、すっと冷めていった。
ルヴァもまた、ロザリアが去ることを悲しいと感じているのだ。
オリヴィエと同じように。


ルヴァが、オリヴィエのためにお茶を用意してくれた。
立ち上る緑茶の香りに、ほんの少し心が和らぐ。
ロザリアは今、どうしているのだろう。泣いているかもしれない、と思うと心が騒いだ。
どうしてもロザリア自身に理由を聞かなければいけない。
湯飲みの中をあおるように飲み干したオリヴィエは、ルヴァのそばにある鉢植えに気がついた。
すぐそばにあったのに、今までは心が逸って、まったく見えていなかったのだ。
一抱えもありそうな植木鉢には、さまざまな花が植えられている。
どことなく地味な印象のあるその中に、小さな花を見つけ、オリヴィエは立ち上がった。

「これは…?」
つい声が震えてしまう。
ルヴァはのんびりと鉢植えを見ると言った。
「ああ~、それはマルセルにもらったんですよ。華やかな西洋風のガーデンではない造園を知りたいと言いましたので、侘び寂びの話をしたんです。
その時に、作ってくれた寄せ植えなんですよ。彼もとても素直ですから、よく理解してくれましてね。地味な花ばかりですが、とても心惹かれるでしょう?」
「あのさ、これ、あっちにもあった?」
「あっち?・・・ええ、飛空都市にいたころもらいましたのでね。ずっとあちらのリビングにも置いていました。
放っておくと枯れてしまいますので、すぐに持ってきたんですが…。それがなにか?」

オリヴィエは鉢植えの中の小さな花を摘み取った。
赤黒い血のような色をした小さな花は、たしかに昨夜、見たものと同じだ。
昨夜のことが、鮮やかに脳裏によみがえる。
アンジェリークとの快楽におぼれた情事。
聞こえたドアの音、落ちていた見覚えの無い花。
全てを理解したオリヴィエは、驚いた顔のルヴァを置き去りにして、家を飛び出した。


聖殿は相変わらずざわざわとしている。
息をつく間もなく、階段を駆け上がったオリヴィエは、ロザリアにあてがわれていた客間のドアを叩いた。
「ロザリア!」
会って何を伝えるか。とりあえず、そんなことはどうでもよかった。
ただ彼女に会いたい。会って、話がしたい。
抵抗もなく、ドアが開き、オリヴィエは大きく肩で息をついだ。
「ロザリア…。」
けれど、ドアの隙間から目に飛び込んだのは、がらんとした部屋の様子。
ロザリアとは頭一つほども身長の違う女官が、びっくりした顔でオリヴィエを見上げていた。

「ロザリアさんなら、先ほど、お発ちになりましたけど。
 私達にも丁寧にお礼をくださって。とても素敵な方ですね。補佐官になってくださるとばかり思っていました。」

無邪気に言う女官の脇を抜けて、オリヴィエは客間の中に足を踏み入れた。
わずかに漂う、ロザリアの香り。
オリヴィエは握りしめたままだった手を開き、萎れた花を見つめた。
もう二度と、会うこともできない。
ただ立ちつくすオリヴィエの周りを、新しい宇宙の風が吹き抜け、手の中の花を攫って行った。



新女王の即位から数カ月。
深夜の聖殿はほとんど人影がない。
さらに最奥である女王の居室は、今や昼間でも誰も近付くことを許されてはいなかった。

「ああん…。もっとぉ。」
アンジェリークの中を指がかきまぜると、くちゅくちゅと蜜の滴る音がする。
胸の蕾を吸い上げられ、アンジェリークは大きく喘ぐと、自ら足を広げた。
かきまわす指が2本、3本と増え、ざらついた個所を擦りあげる。
もっとも快楽を引き出す場所を刺激され、喘ぎ声がひときわ大きくなった。
シーツを濡らすほどの蜜があふれ、アンジェリークの足がぶるりと震えると、指をぎゅっと締め付ける。
息をつく間もなく、猛りが中を貫いた。

「はああん!!!」
のぼりつめたばかりの体が、突き上げられるたびに、男を絞りとるように蠢いて締め付ける。
身体の打ち合う音と淫らな水音。
四つん這いになった背後から深く挿入され、アンジェリークはシーツを握りしめた。

「いいよ、アンジェリーク。最高だ…。」
抽挿を続ける男の汗がアンジェリークの白い背中に滴り落ちる。
「ああん!いいのぉ。」
激しく胸を揉みしだかれながら、快楽を貪るように、アンジェリークは腰をくねらせた。
セックスの間だけは、何もかも忘れて、快楽にのめり込める。
突き上げられている間は、誰かとつながっていることを実感できる。


ロザリアが去った心の穴は、容易に埋まらなかった。
今でも心の真ん中は、嵐が吹きすさぶように荒れている。
あの頃、女王の座を目前にして、目が曇ってしまっていた。
もし、ロザリアをきちんと見ていれば、彼女が本当に誰を想っていたのか、きちんと気づけたはずだ。
最後の夜も、ロザリアはなにかを言いたそうにしていた。
強引に送りだしたりしなければ。もっと話を聞いていれば。
考えれば考えるほど、後悔しか残らない。

一人で過ごす寂しさは、誰かと身体を重ねることで、紛らわすしかなかった。
今も、あの頃も、昔も、セックスはただの道具で愛の欠片もない動作だ。
毎夜のごとく、相手を変え、繰り広げられる狂乱。
何度も貫かれ、絶頂を迎えて、ようやく、疲れ果てたアンジェリークは眠りにつく。
そうでしか眠れなくなっていた。


しんと、突然の静寂が訪れる。
ドアの向こうに座り込んでいたオリヴィエは、中が静かになったのを確認して、立ち上がった。
まさか女王が毎晩守護聖を引っ張り込んでいると、知られるわけにはいかない。
寝室に誰も近寄らせないように、こうして見張りが必要なのだ。
その見張りを、オリヴィエはなるべく引き受けるようにしていた。
深い罪の意識が遠ざけているのか、アンジェリークは、オリヴィエを決して寝室に呼ばなかった。
たとえ呼ばれたとしても、彼女の相手は務まらなかっただろう。
あの日以来、オリヴィエは誰にも欲情しなくなっていたから。

誰かにすがりたいアンジェリークの気持ちは痛いほどわかる。
オリヴィエの心にも大きな穴が残っている。
おそらく決して消えない大きな穴。
そこからは絶えず、後悔と追憶があふれてきて、オリヴィエを責め立てる。
ロザリアのために嘘を重ね、その嘘で彼女を守ったつもりだった。
なのに、結局は、彼女を追い詰めることにしかならなかったのだ。
本当の想いを、本当の願いを、きちんと伝えていれば。
こんなふうに誰もがなにかを失うような結果にはならなかったかもしれない。


月が雲間から姿を現し、不意に辺りが明るくなった。
藍のように青い空が彼女の瞳を思い出させる。
今、ロザリアはあの青い瞳で誰を見ているのだろう。
オリヴィエが踏みしめた小道の端に、赤黒い小さな花が、銀の光を浴びてわずかに輝いていた。


FIN
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