A world end with you

9.


数十日後、聖地の関与する星系を永久追放になった王族を除いた惑星ヴェタリスの民が、移住を開始した。
新たなリーダーの下、民は新しい生活に根づき始めている。
聖地の選択は正しかったのだ。

報告を受けたアンジェリークは、ふと傍らに視線を向けた。
いつもなら隣にいるロザリアが「よくやったわね。」と褒めてくれるのに。
一人ぼっちの女王の間はやけにがらんとして、広く感じてしまう。
執務をサボっても叱ってくれる人はいない。 素敵なことがあっても、一緒に喜んでくれる人もいない。
アンジェリークは自らの手で紅茶を二つ淹れると、テーブルに並べた。
ロザリアの好きな花の香り。
「ロザリア…。」
泣きそうになってぼんやりしていると、突然ドアが開き、ひらひらとしたストールがのぞいた。


「はーい、陛下。 一人ぼっちで暇してる?」
「オリヴィエ~。 暇、っていうか、寂しくて死んじゃいそう。」
「そうだよねえ。 あのさ、女王陛下にちょっと相談があってね。」
「なあに?」
顔を近づけたオリヴィエがアンジェリークにこそこそと耳打ちした。

「でも…仕方ないわ。 だって、オスカーは…。」
「アイツが全然執務しないから、こっちに全部回ってくるんだよ? これ以上残業させるなら、私、家出するからね。」
マスカラにふちどられた瞳がじっとアンジェリークをにらみつけている。
場合が場合だから、オリヴィエだってオスカーの態度にも我慢してきた。
けれど、それももう限界だ。
寝不足で肌荒れするは、不規則な食事のせいで体重も増えてしまったのだから。

「わ、わかったわ…。 女王命令ってことにすれば、いいのよね?」
「そう! いい加減、しゃきっとしなさい、って怒鳴ってやって。」
執務が滞っていることはアンジェリークもよくわかっていた。
アンジェリークが暇なのも、全てはそのせいなのだ。
ロザリアがいないうえに、オスカーが執務放棄では、上手く廻っていくはずもない。
でも、本当に仕方がないとも思う。
あんな事件の後で、オスカーに執務をさせるほうが酷ではないか。
しばらくは好きにさせておいてあげたい。
それでも、オリヴィエに押し切られ、アンジェリークは渋々連れ立ってオスカーの私邸に向かった。



ノックしてもオスカーが出てくる気配はない。
アンジェリークとオリヴィエは顔を見合わせると、鍵のかかっていないドアを勝手に開け、中へと入っていった。
流れ込むひんやりとした空気。
鼻をつくアルコールの匂いが屋敷中に漂い、どこか薄暗い。
なぜか忍び足になってしまった二人の耳にオスカーの大声が飛び込んできた。


「ダメだ! 君はまだ外に出ていい体じゃない。」
「どうしてですの? そろそろ散歩くらいしてもいいはずですわ。」
「ダメと言ったらダメだ!」
「横暴ですわ。 わたくし、家に帰らせていただきます。」

言い争う声に、アンジェリークとオリヴィエはこっそりとドアを開け、中を覗き込んだ。
リビングだった部屋はすっかり様変わりしている。
部屋の真ん中に置かれているのは、ゆうに三人は眠れるであろう、キングサイズの大きなベッド。
その横に小さなソファとテーブル。
まるで病院の個室のような部屋の状態だ。
ベッドの上のロザリアは、体を起こし、傍らに座るオスカーをにらみつけている。
顔色はまだ青白いが、かなり回復してきているのは、その様子でもわかった。

「心配なんだ…。 俺があの時、どんな思いで君を抱き上げたか、君にわかるのか?」
「それは…。」
とたんにロザリアが目を伏せる。

意識を失っていたロザリアは知らないが、それはそれは大変な騒ぎだったらしい。
オスカーは自分の血を全部抜いてもいいと医師を困らせたうえ、限界まで血を抜かれても、片時も離れずロザリアに付き添っていた。
ロザリアの手を握りしめ、じっと祈るように。
それはアンジェリークでさえも見ていられないほどの様子で。
もしロザリアに何かあれば、オスカーも後を追うのではないかと思われていたほどだ。
一週間生死の境をさまよったロザリアが目を開けた時、オスカーは半狂乱で彼女の体をかき抱いた。

しばらく続いた入院生活の間も、オスカーはずっとロザリアから離れない。
若いだけあって、ロザリアの回復は早かったし、2週間もすると、安静にしてさえいれば問題はない、と医師からの診断を受けた。
すると、すぐにオスカーは部屋を改装し、屋敷中をアルコール消毒したうえで、ロザリアを病院から連れ出したのだ。
アンジェリークが抗議すると、
「彼女が一番安らげる場所を整えたまでです。」とオスカーは平然とのたまった。
あんぐりする皆をよそ目に、二人は当然のように同居を始め・・・今に至るというわけだ。

今、ロザリアの傷はかなり癒えているだろう。
先日アンジェリークがこっそりお見舞いに来た時、ロザリアも「あと少しですわ。」と言っていたから。
けれど、オスカーはロザリアが完治するまでは、絶対に執務はさせないつもりらしい。
アンジェリークもそれには賛成したのだ。
ロザリアはすぐに頑張りすぎて無理をするタイプだから。
もっとも、オスカーまで執務をしないとは計算外だったが。

「君のいない世界を、俺は二度と考えたくはない。」
オスカーの手がロザリアの頬を包み込む。
ふと優しく触れあう唇。
ロザリアの顔がさっと赤く染まった。
「わたくしも同じですわ。」
「では、俺の頼みを聞いてくれ。 心配なんだ。 せめてあと少し、大人しくしていてくれないか?」
オスカーはこれ以上はないというほど愛しさのこもった瞳でロザリアを見つめている。
「ずるいですわ。」
ロザリアが頷こうとした時。


「あと少しってどれくらいなんだい? 私達に全部押し付けて、あんたはこうやってイチャイチャしてるわけ?」
我慢しきれなくなったオリヴィエが、ドアを大きく開け、部屋の中に怒鳴り込んだ。
「オリヴィエ! アンジェリーク!」
突然の訪問者にロザリアは目を丸くしている。
そして、オスカーの手が頬に触れたままなことに気がついて、さらに顔を赤らめた。

「あのね、ロザリア。 けが人のあんたに頼むのは私もホントーに気が引けるんだけどさ。
 このダメ男に、ちょっとは執務してもらえるようにお願いしてもらえない?
 もう、私達もへとへとで限界なんだよ。
 ほら、陛下。 あんたも言ってやって。 忙しくてランディともデートできないし、辛いって。」
「まあ! アンジェ。 本当なの?」

ロザリアにはこういうお願いの仕方が一番効果的だとオリヴィエはちゃんとわかっているのだ。
自分自身よりもアンジェリークを大切に思うロザリアだから。
アンジェリークは否定しきれずに、「うー。」だの「あー。」だの、と唸っているばかりだ。
困っているのは本当。
でも、幸せそうなロザリアの邪魔をしたくないのも本当。
今まで辛い恋を続けていたロザリアに、ちょっとでも長く幸せを感じてほしかった。


「オスカー。あなたは明日から、聖殿へ戻ってくださいませ。
 わたくし、執務は余裕があるから心配ない、と聞いていましたの。 まさかずっと皆様に押し付けていただなんて…。」
困ったように眉を寄せたロザリアがため息をついた。
「ごめんなさいね。オリヴィエ。」
ほほ笑んだロザリアに嫉妬したのか、オスカーが二人の間にずいっと体をねじ込んできた。
オリヴィエに向ける目は氷のように冷たい。

「わかった。 明日からは本当にここで執務をする。
 書類を全部持ってくればいいだろう? できないことだけは聖殿に通う。」
オスカーはきっぱりと言い切ると、すぐに電話をかけ、秘書に書類を持ってこさせるように手配を整えている。
その姿だけを見ていれば、有能な炎の守護聖だが、理由が『サボりたいため』、ではまるで恰好がつかない。
オリヴィエは大きくため息をついた。

「全く…。どうしようもないね。」
「あら? オリヴィエったら複雑そう。」
再び見つめ合っているオスカーとロザリアに、オリヴィエが口をへの字に曲げている。
「そうだねえ。 大切な妹をバカの悪友に取られた時の兄の気持ちって、とこかね。 なんでこんなヤツに…ってさ。」
「あ~、わかるわ。 わたしもそう思うもの。
 でも、ロザリアみたいな純粋培養のお嬢様って、結局オスカーみたいなちょっと押しの強い男に浚われちゃうのが定番なのよね。」
「あ~、ホントにヤダ!」
とうとう目の前で堂々とイチャつき始めた二人に、オリヴィエとアンジェリークは同時に肩をすくめた。



夜が来て、オスカーは大きなベッドの中にもぐりこんだ。
ロザリアをぎゅっと腕の中に閉じ込めて、愛の言葉をささやく。
彼女の表情は見えないが、オスカーの背中に回された手の温度がなによりも心を伝えてくれるのだ。
暖かく、そして優しい。
「愛している…。」
使い古された言葉を繰り返す愚かさに苦笑しながらも、言わずにはいられない。
オスカーはそっと唇を重ね、ロザリアの体に手を滑らせると、柔らかな膨らみを掌に収める。
唇でロザリアをなぞっていくと、甘い吐息がこぼれてきた。

「早く君が欲しい。」
まだ医者に運動は止められている。
ようやく体に触れることは許されたものの、いつまで我慢できるか。
ここで無理をすればさらに長引くと思うからこそ、なんとか耐えている状況なのだ。


「わたくしはもうあなたのものですわ。」
一度だけであっても、たしかにかつて二人は結ばれている。
あの時のことも、女王候補の時のことも、二人で過ごしている間に、全てを話していた。
誤解と、自分自身でも気が付いていなかった想いと。
今ではお互いに、初めての恋だと知っている。
初めてで、きっと最後の恋。

「…愛する女性として、君が欲しい。 君に愛する男として受け入れてほしい。」
初めての日のことを否定するつもりはないが、オスカーにとっては苦い思い出でもある。
今度こそ、彼女をきちんと愛したい。
愛されることの素晴らしさを知ってほしい。
オスカーは口づけを繰り返した。
幾度となく、誰とでも挨拶のように繰り返したこの行為も、想いがあるというだけで、こんなにも快感を与えられるのか。
そばにいるだけで湧き上がる、『幸せ』という言葉。
彼女と過ごす毎日は、当たり前のことばかりを思い知らされるようだ。

「愛していますわ、オスカー。」

一度恋を知ってしまったら、もう元には戻れない。二度と離れられない。
それがたとえどんなに愚かなことだとしても。

世界が終わる、その時まで。 あなたと。


Fin


othersideにこの後の二人を少しだけ書いた番外編があります。 よろしければどうぞ

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