5.
ロザリアは給料袋をバッグにしまうと、店を出ようとした。
給料日になると特別に頼んで作ってもらう花束は片手で持つのが苦しいほどで。
抱えた花束から漂う甘い香りにロザリアは目を細めた。
「あれ?今日はもう帰り?」
正面からマルセルが歩いてくるのが見えた。このところすっかり常連になったマルセルは、かなりロザリアとも親しく話すようになっている。
見た目よりもずっと頭がいいマルセルをロザリアは弟のように思っていた。
「ええ。今日は約束があるんですの。」
頬を染めたロザリアをマルセルは少しさびしそうに見つめた。
なんとなくわかってはいたけれど。
ロザリアにはオスカー様がいて、ロジーにも誰かがいて。
少しだけ痛む胸をかくして、マルセルは尋ねた。
「恋人?」
「ええ、恋人・・・。もっと大きなかたですの。わたくしの全てですわ。」
青い瞳はまっすぐでためらいがない。愛おしそうに花を見つめたロザリアはとても綺麗でどれほど恋人を想っているのかよくわかった。
「そっか、本当に素敵な人なんだね。その花束はその人のため?」
大きな花束はロザリアを隠してしまうくらい大きくて、見事な花が並んでいる。
およそ男性に贈るには不釣り合いに思える花。
「花束を男性に贈るなんて、と思われます?」
逆に尋ね返してきたロザリアにマルセルは考えながら返事をした。
「僕はおかしいと思わないけど。ううん、もらったらうれしいな。」
ロザリアは花束に視線を向けたまま、はずかしそうに言った。
「あのかたはまるでこのカトレアのような方なんですの。綺麗で優しくて繊細で。わたくしを幸せにしてくださいますの。」
そして、なによりも感じる『純粋な愛』。
この花を見たときにすぐにオリヴィエのことを思い浮かべた。
以前にこの花を持った彼を見たような気がする。
その記憶は胸をくすぐるような甘い想いがして、確かに自分の過去にオリヴィエがいたと実感できる。
花を見つめるロザリアから目をそらしたマルセルは、会釈をして歩きだしたロザリアの背中を見つめた。
「カトレアが似合う男の人か・・・。そんな派手な人、オリヴィエ様くらいしか思いつかないや。」
つぶやいた言葉はロザリアには届かずに消えた。
奥から花屋のおかみさんが出てきて、マルセルに声をかけた。
「今日はなにをお探しですか?」
「うん、肥料をそろえようかなって。・・・ねえ、ロジーって、どんな子なの?」
おかみさんは近くに置いってあったスツールをマルセルに勧めるとハーブティを出してくれた。
おかみさんのブレンドだというハーブティはとても穏やかな香りがして気が休まる。
「カモミールだね。」
当たり、と微笑んだおかみさんはレジの横に置いたマグカップを手に取る。
「あの子ね、急にこのあたりに来たんですよ。初めはお客さんだったんだけど、ここで働かせてほしいって。
薔薇に詳しいから、重宝してるんです。・・・秘密ですどね、すごくかっこいい彼氏さんがいるんですよ。」
おかみさんはカトレアの花束の話を始めた。
「その彼氏さんを見たことがあるの?」
ただの好奇心。少し気になる素敵なロジーの彼氏はどんな人なんだろう。ただ知りたかった。
「う~ん、チラッとだけなんですけどね。金髪ですごくすらっとした男の人で。どこかで見たことあるような気がしたんですけどねえ。はっきりわからなくて。」
「カトレアの人だもんね。」
マルセルはカモミールの香りを胸に吸い込んだ。
ロジーの彼がとても気になる。
ハーブティを飲み干すと、用件も忘れて店から走り出した。
花束を抱えたロザリアは歩きにくいのか、それほど進んでいなかった。
「ねえ、待ってよ!」
大きな声を出したマルセルに驚いてロザリアが振り向く。
不思議そうに立ち止ったロザリアにマルセルが走り寄った。
まだ日が傾くには早い時間。
当然執務時間中でこっそり抜けてきた自分は早く帰らなければいけないんだけど。
「ロジーの彼の話、聞きたいな。家まで送らせて?」
ロザリアは少し驚いたが、無邪気な様子についOKしてしまう。
それに恋人のことを話したいと思うのは、恋する女の子なら誰しも思うこと。
「ええ。どんなことでも聞いてくださいませ。・・・残念ですけれど、悪いところはありませんわ。」
「へえ!」
ロザリアのくすくす笑いとともにこぼれた言葉に今度はマルセルが驚いた。
「じゃあ、年齢は?身長は?顔はどんな感じ?仕事はなに?」
「たくさんですのね。え~と、たぶん二十歳すぎですわ。わたくしより5歳上なんですって。身長はわたくしより15cmくらいは高いと思いますわ。
顔は・・・・素敵ですわ。きっと宇宙で一番素敵。仕事は、宇宙の平和を守っていますの。」
「宇宙の平和?」
え~、っと声をあげてマルセルが笑いだした。
あまりの笑いっぷりにロザリアは頬を膨らませて、抗議する。
「笑わないでくださいませ!あの方がそうおっしゃたんですの!」
涙が出るほど笑ったマルセルは人差し指で涙をぬぐうそぶりをすると言った。
「ううん、違うんだ。同じことを言った人を思い出して。その人が言うには僕らの仕事は宇宙の平和を守ることらしいんだ。」
「まあ!」
マルセルが仕事?
しかも宇宙を守るだなんて、少し信じられない。
ロザリアのいぶかしげな表情に拗ねたマルセルが尋ねた。
「ね、ロジーは僕が守護聖だって知ってる?」
「守護聖?」
首を傾げたロザリアにマルセルはにっこりほほ笑んだ。
「やっぱり知らなかった?」
聖地に来たばかりだというのなら知らないかもしれない。
守護聖だと知って急によそよそしくなったりすると嫌だから、今まで言わなかったけれど。
ふふっと笑みを漏らしたマルセルを見て、なぜか不安そうに眉を寄せたロザリアが急に立ち止る。
「守護聖って、なんですの?」
・・・聞いたことがある?でも、わからない。青い瞳が揺れた。
「え!守護聖って言葉を知らないの?聖地にいるのに?」
聖地?ここはどこなんだろう?わたくしはなぜ、ここにいるのかしら?
カトレアの香りに息がつまりそうになる。
ここにいてはいけない、と心のどこかで警鐘が鳴り響く。
「ごめんなさい。わたくし、急いでいますの。」
急に走りだしたロザリアをマルセルは追いかけなかった。
彼女が拒絶のオーラを出しているような気がしてその場に立ちすくむ。
消えていく影は後ろ姿まで誰かに似ていた。
聖地も、守護聖も知らないロジー。
「そんなことってあるのかな?」
ゆっくりと考え込みながら聖殿へと戻る。
予定より遅く帰ったマルセルをランディとゼフェルが出迎えた。
「おせーよ。いい加減にしねーとジュリアスのヤローに見つかんぞ!」
ゼフェルの声に心配が感じられてマルセルはやっと笑顔を見せた。
「ごめんね。・・・ちょっと気になることがあって。」
「なんだい?俺たちにできることなら力になるよ!」
ランディの心配もよくわかってマルセルは話しだした。
聖殿の中庭はよく人の通る渡り廊下に面している。
そう人通りは多くないが秘密の話にはむいていない、とよく考えればわかるのだが、まだこの3人にはそこまで気が回らない。
「あのね、守護聖を知らないってこと、あるのかなぁ。」
「は?そりゃ、このだだっ広い宇宙ん中にゃー、いるんじゃねえの?」
ゼフェルがバカにしたようにまぜっかえした。それに気を取られることもなくマルセルは続ける。
「この、聖地に住んでて、だよ?」
「え?」
ランディの大声にゼフェルが顔をしかめた。
「そんな人はいないんじゃないかな?だって、聖地だろ?」
マルセルはふと考えるようにうつむくと、二人を見つめた。
「でもね、いたんだ。聞いてくれる?」
マルセルはロジーとのやり取りを聞かせると、二人は驚いたようにつぶやいた。
「信じらんねーな。とぼけてるだけじゃねーの。」
「うん、本当に知らないなんてありえないよ。からかわれたんじゃないのか?」
信じてもらいたくて、マルセルはつい一番気になっていることを口に出してしまう。
「でもね、そのコ、なんだかロザリアによく似てるんだ。だから、なんだか余計に不安で。」
ロザリア。
陛下はまだ彼女がこの世にいないと信じていないようで、正式には失踪ということになっている。
サクリアに揺らぎがない、というのが根拠らしい。
それでも、暗黙の了解として皆は彼女が死んだと思っているけれど。
マルセルが感じた不安が二人にも伝染して行くように、声が出せない。
やがてランディが「急がなくちゃ。ジュリアス様に呼ばれてたんだ!」と言いだして、緊張が解けた。
この次、3人で花屋に行ってみよう、ということでそれぞれ執務室に戻って行く。
すると、すぐに近くの茂みが動いて、オスカーが立ちあがった。
一人になりたくて寝転んでいた中庭で始まったお子様同士の密談。
聞くとはなく耳に入ってきた言葉に、馬鹿馬鹿しいと思っていたが。
『ロザリアに似ている』。
ただそれだけの言葉にこれほど動揺してしまうとは。
自分の胸に開いた穴の大きさに改めて気付いた。
「花屋か・・・。」
失ったものは大きすぎて、なにかで埋めたくなってしまう。
ロザリアがいなくなって、毎日誰かと夜を過ごした。少しでも忘れたいのに、かえって誰かと比べて彼女を思いだす。
彼女に似ている女性に会いたいと思う。まだ、会えないとも思う。
痛みなく思い出せるようになるには、あとどれほどの時が必要なのだろうか。
オスカーは夕暮れを告げる風に少しだけ身を預けた。
聖殿から離れた小さな家で、オリヴィエとロザリアは週末をたいてい一緒に過ごした。
オリヴィエはキッチンでお菓子を焼くロザリアの手元を覗き込む。
生クリームのホイップに疲れた様子にオリヴィエはロザリアから泡だて器を受け取ると懸命に混ぜ始めた。
「今日はなに?すごくいいにおい。」
「ブルーベリーのパイですわ。子供たちに約束しましたの。」
ロザリアの焼くお菓子の甘い匂いにつられて、隣の子供たちがもうすくやって来るだろう。
軽くツノが立つまで泡だてたボウルをロザリアに返すと、ロザリアが指につけたクリームをオリヴィエの口に入れた。
「ちょうどいいね。」
自分からしたくせに、指がオリヴィエの唇に触れた途端ロザリアは赤くなる。
かわいくて素早くその唇にキスを落とすと、オリヴィエはケーキナイフを温めた。
「こんにちは!」
バタンと勢いよくドアが開いて、2つの顔が覗いた。
「いらっしゃい。」
オリヴィエの出迎えに女の子が頬を染める。
もう少し、という顔をしたロザリアを見て、オリヴィエは二人をリビングのソファへ連れていった。
兄らしくしようと頑張っているのか、男の子が「母からです。」と包みを手渡してきた。
「まあ、ありがとう。」
キッチンから出てきたロザリアが包みを開けると、中から天使の人形が出てきた。
手作りらしい布でできた白い翼の天使は黄色の髪と青い瞳をしている。
「オリヴィエに似ていますわ。」
人形は優しい表情をしている。
「私は天使にはなれないよ。」
隣で人形を見ていたオリヴィエは言った。
「私は嘘つきだからね。きっと地獄にしか行けないよ。」
「地獄?」
女の子が声を上げた。
「そうだよ。悪い子はみーんな地獄に行くんだから。」
「えーっ。・・・ママのお化粧で遊んだから、あたしも地獄かな。」
オリヴィエは女の子の頭をぽんと叩いた。
「大丈夫!今からいい子にしてればね! ほら、パイが焼けたよ。手を洗っておいで。」
子供たちは転がるように手を洗いに走って行く。
二人に視線を向けたままのオリヴィエの隣でロザリアはそっと手を繋いだ。
時々、オリヴィエがとても遠くに見える。
心の中に自分の入れない何かがあるような気がして、寂しい。
「オリヴィエ、わたくしもあんなかわいい男の子と女の子がほしいですわ。」
向けられるブルーグレーの瞳はこんなにも優しいのに。
「私も。・・・ねえ、それってプロポーズしてる?」
からかう表情でオリヴィエが見つめている。
「・・・わたくしの心はもう、決まっていますわ。あなたが地獄に行くというのなら、わたくしもついていきます。ずっと。」
それだけで、十分。
オリヴィエはつないだ手に力を込めた。
ドアの影からキラキラした4つの瞳がのぞいているのに気づいて、ロザリアははっと手を離す。
「パイを、切りましょうね。」
あわててキッチンに戻るロザリアの背中をオリヴィエと子供たちは一緒にくすくすと笑った。
騒々しい時間が過ぎて二人きりになると、髪をなでたオリヴィエの指が耳の下に動いていく。
オリヴィエは肩の少し下でくるりと巻いたロザリアの髪を指に絡めて整えた。
「髪が伸びたね。」
毎月染め直した髪は今も黒いまま。伸びてくるたびにリタッチしているせいか、だれも彼女の本当の髪の色に気付いていない。
そう、誰も。
「伸ばしているのですわ。」
あなたが綺麗にカールした髪が好きだったとおっしゃったから。
二人でソファにもたれるようにしてラグの上に座る。
ロザリアはオリヴィエの肩に頭を預けるようにして本を読んでいた。
不思議なことに過去のこと以外はきちんと覚えている。
昔読んだ小説の続きをロザリアは何年かぶりに読み直していた。
穏やかで優しい時間。
いつかもこうしていたような不思議な気持ちになれた。
オリヴィエは左手でロザリアを抱き寄せると、何度も髪をなでた。
本当は切ってほしい。
以前に近づけば近づくほど、気付かれてしまうリスクが増えるから。
「痛んでいたところも戻ってきたかしら?」
退院したばかりの頃見た、色の褪せた髪を思い出す。
「うーん、そうだね。まだ、染めた方がいいかもね。」
生え際は綺麗な青紫が戻ってきている。でも、嘘をついた。
悲しそうなロザリアの声に胸がギュッとするけれど。
オリヴィエは慣れた手つきでロザリアの髪を黒色に変えた。
シャワーを浴びたロザリアは洗い髪にタオルを当てながら、オリヴィエの隣に座る。
「黒髪のわたくしは・・・。いえ、なんでもありませんわ。」
以前の自分と今の自分、どちらを好きか、なんて聞いても仕方がないとわかっている。
オリヴィエが想っているのは、以前の自分。
だからこそ、こうして一緒にいてくれる。早く思い出してほしいから。
青紫の睫毛が伏せられたのを見て、オリヴィエはロザリアの手からタオルを取って彼女の髪を拭いた。
「言ったでしょ?昔も今もあんたを愛してる、って。あんたはどうなの?」
ドライヤーの音でロザリアがつぶやいた言葉は聞こえない。
風で髪がなびくようになるまで乾かした後、オリヴィエは後ろからロザリアを抱きしめた。
「好き、って言ってよ。」
ロザリアの唇が小さく動いた。
「聞こえない。」
まだぼそぼそとつぶやくだけのロザリアを抱きしめる腕に力を込める。
キャッと声が上がって、ロザリアが言った。
「好き、好きですわ。あなただけを、愛していますわ。」
黙ったままのオリヴィエにふと不安になる。
「オリヴィエ?」
振り向いたロザリアの瞳がすぐに閉じられた。
優しい口付けはいつでもオリヴィエそのもののようで。
愛はここにある、とロザリアは胸の奥で感じていた。