4.
土の曜日のお茶会に現れたリモージュを見て、ロザリアは目を丸くした。
テラスを悠々と横切ったリモージュが来ていたドレスは淡いピンク。
女王試験が終わってすぐオリヴィエから贈られた、あのおそろいのドレスだった。
「ちょっと、アンジェ。」
およそ女王に対する配慮もなく、ロザリアが引っ張っていった先はテラスの反対側のリビング。
リモージュがくすくすと笑いながらひらりと回って見せるたびにドレスの裾がひらひらと揺れた。
「久しぶりでしょ?ねえ、ロザリアも着替えたら?みんなに見てもらおうよ!」」
にっこりと笑うリモージュにロザリアは詰まった。
オリヴィエから贈られたのはいいが、まだ一度も外へ来て行ったことはなかったのだ。
少しだけ見せたい気もする。
「ね?」
ロザリアの一瞬の表情を見逃さないリモージュが追い打ちをかける。
「でも・・・。」
やっぱり準備が忙しいと渋るロザリアをリモージュは強引に私室に戻すと、バタンとドアを閉めた。
そして廊下の大きな鏡の前で笑顔をつくってみる。
「ひさしぶりね。リモージュ。」
女王のドレスを脱いで、とても身軽になったみたい、とリモージュは思った。
ロザリアだって補佐官のドレスでは、言いたいことも言えないに違いない。
「ロザリアってば、ホントに頭が固いのよね。」
オリヴィエとアンジェリークの姿を見るたびに出るため息に、気づかないリモージュではない。
「どうせなら、宣言しちゃえばいいのに。私の彼をとらないでーって!」
その時、鏡に映った人影にリモージュは足をぴょんとさせて、テラスに走りだした。
自分だって、たまには普通の女の子としてお茶を飲んでみたい。
身軽なドレスに身を包んだリモージュは、会いたかったその人の前に飛び出すと、にっこりとほほ笑んだ。
ロザリアが着替えて戻ると、すでにほとんどは揃っていて、リモージュが手を振っていた。
「あ!やっぱりかわいい!」
リモージュと一緒にいたアンジェリークとレイチェルも同時にロザリアを見た。
淡いブルーを基調にした柔らかなシフォンは補佐官のドレスとは違う、優しい雰囲気。
ロザリアのスタイルのよさと気品がよく表現されたドレスはデザインのよさだけではなく、なんとなく愛情が感じられる。
ロザリアのそばに走り寄ったリモージュがその腕をとって並んだ。
「これ、おそろいなのよ?」
リモージュの言葉にレイチェルはふたりを交互に眺め始めた。
「ホントだ!同じ素材で色が違ってる。デザインが違うからすぐにわからなかったよ!」
隣に並ぶと、意識してデザインされたおそろい具合がよくわかる。
胸元に大きなリボンのついたリモージュとショルダーにさりげなく小さくリボンのついたロザリア。
ドレスにはそれぞれの個性が上手にいかされていた。
「オリヴィエからのプレゼントなの。」
スカートの裾をつまんだリモージュに急にアンジェリークが近付いてきた。
「そうなんですか・・・。とてもきれいですね・・・。」
アンジェリークの視線がオリヴィエに向けられた。
オリヴィエは我ながら素晴らしい出来栄えだと大いに満足して、ロザリアを見ていた。
プレゼントしたドレスはロザリアにとてもよく似合っている。
今日こんなにもキラキラと見えるのは、明日のデートを期待してだと嬉しいんだけど。
オリヴィエは紅茶のカップを取り上げながら、微笑んだ。
その微笑みに気付いたアンジェリークはすこし照れたように言った。
「オリヴィエ様、わたしにも作ってください。」
アンジェリークの声にレイチェルの声が重なる。
「そうですよー。ワタシ達にもお揃いで作ってください!」
冗談のように言うレイチェルにオリヴィエは手をひらひらとさせてカップを戻した。
「はいはい、今度ね。」
気のない言い方にレイチェルが膨れた。
「今度って言うときって、たいてい今度がないんだよネ。」
同意を求めるようにアンジェリークを見ると、アンジェリークは小さく答える。
「ううん。わたし、絶対に作ってもらうわ。わたしだけのドレスを。」
二つのドレスを見つめるアンジェリークの視線は真剣で、レイチェルはなんとなく怖いような気がした。
いつの間にかオリヴィエの隣にアンジェリークが座っている。
オリヴィエが何か言うたびにはにかんだような微笑みを見せるアンジェリーク。
楽しそうにからかうオリヴィエ。
周りの景色がぼやけて二人しか目に入らなくなったロザリアは思わず目を伏せた。
「どうしたんですか~?」
不意に背後からかけられた声にロザリアのカップが音を立てる。
「いいえ、なんでもありませんわ。・・・ケーキをお取りしましょうか?」
空になっているルヴァの皿に手を伸ばすとロザリアはいくつかのお菓子を乗せた。
「これはあなたが作ったんでしょう?どれもよくできていますね~。」
ルヴァのために作った水ようかんをおいしそうに口に運ぶ姿にロザリアも満足そうに微笑んだ。
穏やかな話し方をするルヴァは自然に心を和ませてくれるらしい。
アンジェリークの笑い声もあまり気にならなくなって、ロザリアは紅茶を飲みほした。
「あなたの分も淹れてきますわね。」
ロザリアがルヴァのカップと一緒にトレーにのせて、奥に入っていく。
ドレスの裾が軽やかに翻って、ふわりと薔薇の香りがした。
その香りにルヴァは目を細めてロザリアの後ろ姿を見送った。
一人になると、オリヴィエとアンジェリークの声がルヴァの耳にも聞こえてくる。
「楽しそうですね~。私も入れてもらっていいですか~?」
二人の間に割り込むようにして、ルヴァが加わると、ゼフェルやランディも近付いてきた。
アンジェリークは少し眉を寄せてルヴァを見たが、ルヴァは全く気にしていないように「宇宙について」を話し始めたのだった。
日差しが夕暮れを告げる頃になると、お茶会の客は次第に帰り始める。
カップをトレーに重ねたロザリアの隣にリモージュが並んで、皿を重ねた。
「いいのよ。アンジェ。女王陛下にそんなことをさせられませんわ。」
それでもリモージュは手を止めることなく、集めたケーキの残りを皿に移していく。
ほとんど余りはなかったけれど、それでも大皿1枚分くらいにはなった。
それを見たリモージュが新しいフォークを手に取ると、一番上のイチゴをぱくりとつまんだ。
「ん!おいしい!ケーキの上のイチゴだけを食べるのって贅沢よね?」
嬉しそうに頬を抑えたリモージュにロザリアは微笑んだ。
ケーキの上に残ったフルーツを二人でつまんでいると、風の音にまぎれて衣擦れの音がする。
リモージュの瞳がキラキラ輝いて、フォークがテラスの固い床に落ちた。
「いってらっしゃいな。」
フォークを拾いながらロザリアが声をかけると、リモージュは大きくうなづいて走って行った。
リモージュがあのドレスで現れたときから、こうなるとは思っていた。
女王候補のころに戻ったようなリモージュを見れば、きっとあの方は誘いに来るはず。
素直すぎる反応がむしろロザリアにとっては、ほほえましい。
あんな風に素直になれたらいいのに。わたくしは会いたいと言うことすらできない。
ロザリアは自分のドレスの裾をつまむと、忌々しそうにテーブルにトレーを置いた。
ふんわりしたミディ丈のリモージュのドレスに比べて、ロザリアのドレスは丈も長くまとわりつくように足を覆っている。
身動きが取れなくなるような気がして、普段着のワンピースに着替えることにした。
脱いだドレスをハンガーにかけると頭に浮かぶのはオリヴィエのこと。
アンジェリークとレイチェルにもドレスをつくるのだろうか。
そう思うと、なんとなく胸が苦しい。・・・自分だけに作りたいとオリヴィエは言ってくれたはず。
ロザリアは綺麗に埃をとると、ドレスカバーをかぶせた。
ふと目についたチョコレートを口に入れると、やけに苦みが気になる。
「今の気分と同じですのね。」
お茶会の片づけを終えると、ロザリアは陽ざしの傾いた庭園へと向かった。
珍しく店の前には誰もいなかった。
このところ、ロザリアが行くと必ずお客がいて、なんとなく待っていることが多かったのだ。
そろそろ店じまいの準備なのか、商品を手に取りながらチャーリーは背中を向けている。
西日のせいかチャーリーはロザリアの方を見ていない。
少しのいたずら心でロザリアは足音を忍ばせると、チャーリーの背中に向かって声をかけた。
「ごきげんよう。」
「うわ!!」
大声とともに派手にガラスの割れる音が響いて、ロザリアは固まった。
くるり、と恨めしげな瞳が振り返り、ロザリアに気づいて同じように固まる。
固まったまま見つめあって、一瞬の沈黙の後にチャーリーが笑いだした。
「なんや、ロザリア様でもそんなことなさるんですなあ。」
子供みたいや、と楽しそうに笑いながら破片を集め出したチャーリーのすぐ隣にロザリアも座り込んだ。
西日を浴びて輝く破片は赤や黄色の光を滲ませて、辺りに散らばっている。
一所懸命拾うロザリアの顔が赤くなっているのに気づいて、チャーリーはなんだかくすぐったい気がした。
髪が揺れるたびに薔薇の香りがほんのりと漂う。
ふと手が触れそうになって目が合うと、チャーリーの胸がきゅっと痛くなった。
全ての欠片をゴミ箱に入れると、箱の底でたくさんの光が踊っている。
「申し訳ありませんわ・・・。」
困った顔をしたロザリアにチャーリーは首を振った。
「形あるものは全て寿命があるんですわ。これの寿命が今日までやったってことです。ロザリア様のせいと違いますよ。」
「でも・・・。せめて弁償させてくださいませ。」
どこまでも自分を責めそうなロザリアにチャーリーはにやりと笑うとこう言った。
「せやったら、ひとつ貸しっちゅーことで。また今度、返してもらいますわ。」
「え?」
怪訝そうな顔をしたロザリアにチャーリーが笑いかける。
「実は今、なんにも思いつかんのですわ。せやから、なんかあった時にお願いしますわ。」
もっと、話をしてみたい、できれば一日デートしてほしい。
でもそれは、言えない。
少しほっとしたのか、ロザリアの表情が柔らかくなった。
そして、最初の目的を思い出したように、口を開いた。
「あの、チョコレートをいただきたいんですの。」
この間よりはペースが遅い。
すぐにそれが浮かんできて、チャーリーは苦笑した。
やっぱりどうにもロザリアのことが気になってしまうらしい。
自覚しているけれど、知られるわけにはいかない想いを隠すように、チャーリーはわざと陽気に品物を探し始めた。
奥をがさがさと探るチャーリーの手元から小包がこぼれおちた。
小包に書かれた名前を凝視しているロザリアに気付いたのか、チャーリーはそれを取り上げる。
「オリヴィエ様に頼まれた特注品です。手に入れるのにえらい苦労しましたわ。」
ほんの少し封のあいた小包から何かがのぞいている。
「値段もすごいですけど、少しご覧になりますか?」
本来なら客からの注文を他の客に見せるなんてことは商売人にはご法度だ。
でも、チャーリーはどうしてもロザリアに見せたかった。
一目ロザリアを見たときからイメージしていた物。
包みからそれを取り出すと、チャーリーは自分の腕に大きく広げる。
とたんに息をのんだロザリアの姿が目に入って、チャーリーは得意げに笑った。
夜空のようなどこまでも深い蒼。ちりばめられた銀糸。
夕陽を浴びて見事なまでに輝いている。
「星空のようですわね。」
天の川を包む一面の夜空がその一枚の布に表現されていた。
「すごいですやろ?ものすごい偏屈な星の一部でだけ織られてるモンなんですわ。滅多に手に入らん貴重品ですよ。」
確かにこれほどの布地は見たことがない。
深い色合いなのに、あくまで軽い手触りも、少しの風が吹いただけで光をはじくその風合いもすべてが素晴らしかった。
「オリヴィエ様、大切な人にプレゼントする、言うてはりましたわ。」
チャーリーが腕を動かすたびに軽やかに流れる星空。
オリヴィエの大切な人。
ロザリアの胸が自然に高鳴ってしまう。
魂を奪われたように見入るロザリアの前でチャーリーは名残惜しげに布を片付けた。
「今からオリヴィエ様にお届けするんですわ。これ、チョコレート。・・・あんまり食べすぎたらあきませんよ。」
ロザリアは小さく頷くと、チョコレートを受け取った。
帰り道でも、あの布のことが頭に浮かんで、ロザリアは自然と踊る様な足取りになってしまうのを止めることができなかった。