Once more, again

5.


久しぶりのデートの日。
早くに目が覚めてしまったロザリアは朝からクッキーを焼き始めた。
カロリーを気にするオリヴィエのためにバターや砂糖は控えめに。
大切な人のことを考えながらする作業はとても楽しくて、オーブンの天板にはまたたく間にクッキーが並んだ。
まん丸なスノーボールと、少し気持ちを込めたハート。
綺麗に焼き上がったハートを取り上げたロザリアは、おまじないをするようにクッキーにキスをした。
ほんのり甘いにおいがして、なんだかくすぐったい気がする。
ロザリアは不格好になってしまったクッキーを取りよけると、味見のためにかじってみた。
たっぷりと込めた愛情に比例するように、とてもよくできている。
お気に入りのリボンでラッピングをして時計を見上げたが、まだ約束の時間に早い。
ロザリアは手早く着替えを済ませると、クッキーを持って外へ出た。

待ち合わせの場所は庭園の前。
そこを通り過ぎて、ロザリアはまっすぐ道を歩いた。
相変わらず晴天の聖地の景色は柔らかな緑に包まれていて美しい。
楽しい時間が待っていると思えば、自然と足取りも軽くなって、ロザリアは跳ねるように歩いた。
ひざ丈のスカートが歩くたびにふわりと空気をはらんで揺れている。
景色を眺めながら歩いていると分かれ道の少し手前で、後ろから声がかかった。

「おはようございます。ロザリア様。」
足をとめたロザリアは一瞬息をのむと、補佐官の笑顔をつくり、振り向いた。
「おはよう。アンジェリーク。」
微笑んだロザリアの瞳に不思議そうな顔をしたアンジェリークが映る。
浮かれて歩いていた様子を見られたのかとロザリアは少し頬を赤らめた。
「こんな時間からどちらへ?」
アンジェリークの目はロザリアの荷物に注がれている。
可愛らしい紙袋に大きなリボン。確かに人目を引くだろう。
ロザリアは紙袋を後ろ手に隠すと、言った。
「とてもよいお天気でしょう?外でお菓子を食べようと思って散歩に出ましたの。」
その言葉を聞いたアンジェリークの瞳が楽しそうに細められた。
「もしかしてルヴァ様のお宅に行かれるんですか?」
確かに少し先を曲がればルヴァの私邸がある。
ロザリアは否定も肯定もせずに、「あなたはどちらへ行くの?お散歩かしら?」と尋ねた。
ロザリアの問いにアンジェリークはすぐに答えようとせずに、うつむいている。
返事の声は聞きとりにくいほど小さかった。

「あの、オリヴィエ様をお尋ねしようと思って・・・。このお時間ならいらっしゃるかと・・・。」
右に行けばオリヴィエの私邸へ行く道だ。
思いがけない答えにロザリアの胸が痛んだ。
「約束はしているのかしら?」
波打つ心臓を沈めるようにひとつひとつの言葉をゆっくりと吐きだしたロザリアにアンジェリークはますますうつむいた。
「約束はしていません・・・。」
小道の草がさらさらと風に揺れると、ロザリアのおろしたままの青紫の髪が風にさらわれて流れて行く。
美しい景色に目を向けたロザリアはここが聖地であるということを改めて感じた。
聖地にいる自分がしなければならないこと。
ほんの少しの沈黙の後、ロザリアは手にしていた紙袋をアンジェリークに渡すと言った。
「では、これを持っていくといいわ。二人でお食べになって。」
手渡された紙袋とロザリアを交互に見たアンジェリークは安心した顔で紙袋を抱え直した。
「はい・・・。ありがとうございます。」
アンジェリークは何度も振り返ってロザリアに礼を繰り返して歩いていく。
オリヴィエの邸に向かうアンジェリークの背中を見送ると、ロザリアは肩を落として、元来た道へと戻っていった。


ドアをたたく音にあわてて駆け寄ったオリヴィエは目の前にいるアンジェリークの姿に思わず絶句した。
「おはようございます。オリヴィエ様。」
恥ずかしそうに、はにかむ顔を目を丸くして見つめると、アンジェリークは頬を赤くしてうつむいた。
「ああ、おはよう。こんなに早くにどうしたの?」
ロザリアだと思って、気安くドアを開けたのが間違いだった。
約束があるからと、デートの誘いはしっかりと断ったはずだったのに。
「あの、お約束があることはわかっています。少しだけでもお会いしたくて・・・。」
オリヴィエは心の中でため息をつくと、とりあえず玄関ホールにアンジェリークを招き入れた。
なんとか早く返さないと、デートの時間に遅れてしまう。
言い訳を考えながら、オリヴィエはアンジェリークを、客間へと促した。

アンジェリークが歩くたびに手に提げた紙袋がかさかさと音を立てる。
持っている紙袋に結ばれた水色の大きなリボンはロザリアのお気に入りで、いつもプレゼントに結ばれているものだった。
「それは?」
オリヴィエが指差した先が紙袋とわかると、アンジェリークはそれを掲げてにっこりと笑った。
「途中でロザリア様にいただいたんです。二人で食べなさいって。」
「ロザリアが?」
その言葉の意味を理解したオリヴィエは眉を寄せると、アンジェリークに気付かれないように小さく舌打ちをした。

『女王候補を優先で。』
正しいことはわかっていても、納得できない。
オリヴィエはうるさそうに髪をかきあげると、アンジェリークに言った。
「急いで支度するからさ、少しここで待ってて。」
ロザリア以外の女の子と家で過ごすつもりはないし、素顔のまま、二人で外に出るつもりもない。
オリヴィエはアンジェリークを客間に通すと、部屋に戻った。
メイクをすれば、守護聖の気持ちに切り替わるだろう。
女王候補に対する顔になるために、オリヴィエはいつも通りのメイクを始めたのだった。

オリヴィエが客間を出て行った後、アンジェリークはきょろきょろとあたりを見まわした。
初めて入った私邸は思った通り、オリヴィエらしいセンスの良さでまとめられている。
一見個性的に見えてもきちんとクラシカルな部分を残しているインテリアは、まさにオリヴィエそのもののようでアンジェリークは瞳を輝かせた。
サイドボードに置かれたいくつかのジュエリーも目を奪われるほど美しい。
アクセサリーホルダーにかけられたネックレスやリングは以前に見たことがあるものもある。
アンジェリークは一つ一つを確かめるように、じっと並べられた品物を見てまわった。
奥の一つを手にとって見ると、隠すようにして1冊のスケッチブックが置かれている。
好奇心で表紙をめくると、いくつものデザイン画が描かれていた。
色とりどりのドレスはどれもオリヴィエのデザインなのだろう。
この間見た、女王とロザリアのドレスもあって、アンジェリークは鼻を鳴らした。

その次のページからはブルーのドレスのデザイン画がずっと続いている。
何枚も何枚も描かれている濃いブルーのドレス。
ドレスに対するオリヴィエの思い入れが伝わってくるようで、アンジェリークの心臓の音が高くなる。
誰のためのドレスなのか。
もしかして、この間のおねだりを聞いてくれたのかと、頬をゆるめたアンジェリークはふと、あることに気がついた。
モデルの長い青い髪。
顔がはっきり描かれているわけではないけれど、なんとなくある女性のような気がしてアンジェリークはスケッチブックを握りしめた。
さっきまでとは別の感覚の胸の高鳴りがおそってくる。
次々とページをめくるアンジェリークの手が止まった。
少し大きめに描かれた女性の絵は、蒼い髪、蒼い瞳。
それはどう見てもロザリアだった。

アンジェリークはスケッチブックを元の場所に戻すと、廊下に出た。
オリヴィエの私室は一番奥のようで、出てくる気配はない。
廊下の中ほどに少しだけドアのあいた部屋があることに気付いたアンジェリークは足音を忍ばせて、その部屋に向かった。
何気なくのぞいた部屋の中に置かれたソファの上に、広がる蒼。
まるで星空のような美しい一枚の布がソファにかけられている。
あのスケッチブックのドレスが頭に思い浮かんで、アンジェリークは立ち尽くした。
オリヴィエはこの布でドレスをつくるのだろう。誰かのために。

自分のために作ってほしい。
アンジェリークの中に強い思いが湧き上がる。
今までこれほど何かを願ったことはなかった。
誰にも渡したくない。たとえ、誰かのモノだとしても。

アンジェリークはドアを閉じると、静かに客間に戻る。
「ごめん、待たせたね。」
いつも通りキチンとメイクをしたオリヴィエが顔を見せると、アンジェリークは微笑んだ。
けれど、布とデザイン画はアンジェリークの脳裏に焼き付いて、何度頭を振っても消えなかった。


予定外のデートに二人はなんとなく庭園にむかった。
庭園の光はどこまでも眩しく輝いていて、アンジェリークは目眩がしそうになる。
ベンチに座ったオリヴィエは手に提げた紙袋を開けた。
中のクッキーは丸いスノーボールと数枚のハート。
照れ屋のロザリアはハートだけをつくるようなことはしない。
初めてクッキーをもらった日のことを思い出して、オリヴィエの顔が自然にほころんだ。
その笑顔を見つめるアンジェリークの瞳が一瞬鈍く光る。
明るい日差しにすぐ隠れた光はとても暗く見えた。

オリヴィエが、丸いスノーボールをアンジェリークに差し出す。
「食べよう?せっかくもらったんだしね。」
白い砂糖をまとったクッキーがオリヴィエの綺麗な指の間にある。
アンジェリークはクッキーをつまみ上げようとして、なぜか手の中からこぼしてしまった。
クッキーが足元に転がる。
「ごめんなさい。わたし・・・。」
「ああ、気にしないで。はい。」
もうひとつ、オリヴィエから渡されたクッキーはハート。
アンジェリークはそのハートを忌わしげに見つめると、親指にぐっと力を込めた。
途端に崩れたハートのかけらがスカートの上に飛び散る。
クッキーの粉を払うように、アンジェリークは立ち上がった。
アンジェリークがつま先にぐっと力を入れると、足元に落ちていたクッキーが粉々につぶれた。

「せっかくロザリア様がルヴァ様に差し上げるものをいただいたのに・・・。」
「え?」
怪訝そうなオリヴィエにアンジェリークはにっこりとほほ笑んだ。
「はい。ロザリア様はルヴァ様のお宅に行く途中だったんです。とてもうれしそうに歩いていらっしゃいました。」
遠くに視線を向けたオリヴィエは手にしたクッキーを口に運ぶこともなく、足を組み変えた。

まさか自分とのデートの前にルヴァに会いに行った?
今、ロザリアは誰といるんだろう。・・・デートの約束を破ったのは、本当に補佐官としての責務?
ロザリアとルヴァの姿が頭の中で次々と浮かんでくる。
オリヴィエはそんな想像ばかりを繰り返す自分がイヤになって、大きく息を吐いた。

その憂鬱な横顔にアンジェリークは小さな笑みを漏らすと、オリヴィエの手をとる。
「オリヴィエ様、あちらに行きませんか?」
アンジェリークの指差した先には風船売りがいた。
急に楽しそうにはしゃぎ出したアンジェリークに、オリヴィエは苦笑してついて行く。
そして、その日、ロザリアが作ったクッキーをアンジェリークは1枚も食べなかったのだった。


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