Once more, again

7.


翌朝、アンジェリークが聖殿のホールに向かうと、オリヴィエが小走りに近づいてきた。
「ロザリアがいないんだけど、あんた、どっかで見なかった?」
オリヴィエの焦燥に満ちた顔。
心配するあまり、ロザリアへの想いを隠そうともしないオリヴィエに、アンジェリークはギュッと手を握りしめると、首をかしげて微笑んだ。

「昨日、私が帰るとき、ルヴァ様と執務室に入っていくのを見ました。」
いつものような小さめな声。
おとなしそうな瞳の奥に光るなにかに、今のオリヴィエは気づく余裕がない。
「ルヴァと?」
「はい。なんだか声をおかけしづらくて・・・。だって、とっても仲が良さそうでしたから。」
オリヴィエの顔色が変わる。
アンジェリークは言い過ぎた、という表情をつくると言った。
「ルヴァ様のお部屋にいらっしゃるんじゃないですか?・・・でも、お邪魔になってしまうかもしれませんね。」
その言葉を聞いたオリヴィエはまっすぐにルヴァの部屋に向かった。
アンジェリークもそのあとについて歩いていく。
勢い良くドアを開けたオリヴィエは「ルヴァ!」と大きな声で呼んだ。


「ルヴァ!」
響いてきたオリヴィエの声にロザリアははっと目を覚ました。
立ち上がって声を出そうとして、ルヴァの上着を着ただけの自分の姿を思いやる。
「ああ、オリヴィエの声ですねー。」
ルヴァがよっこいしょ、という掛け声とともに立ち上がると、ドアを叩いた。
「ここですよー。開けてくださいー。」
ドアの鍵が開いたとたんに、オリヴィエの姿が見えて、ロザリアはうつむいた。
なんて、言い訳をしたらいい?
頭の中がうまく回らずに、涙がこぼれそうになった。

「ロザリア…。」
オリヴィエの腕がロザリアを抱きしめる。
「どうしたんだい。心配したんだよ?」
ブルーグレーの瞳にじっと見つめられて、ロザリアはただ首を振った。
アンジェリークのことは言えない。どういえばいいのか、言葉が出なかった。
「間違えてここに閉じ込められてしまったんですよー。」
ルヴァが心底疲れた、という口調でソファに座りこんだ。
オリヴィエの後ろからひょっこりと顔を出したアンジェリークにロザリアは思わず身震いする。
無邪気な表情は昨日の出来事を微塵も感じさせなかった。

「じゃあ、二人きりで一晩過ごしたんですね。ロザリア様、ルヴァ様の上着の下はどうなっているのですか?ひょっとして?」
オリヴィエの瞳がロザリアを射抜く。
無言のオリヴィエをちらりと見たアンジェリークは、その表情にほくそえみながらうつむいた。
もっと、疑ってしまえばいい。疑惑という斧が二人の鎖を断ち切るように。

アンジェリークの言葉に、ロザリアは唇をかんだ。
補佐官のドレスは今はもうすっかり乾いている。
『あなたが濡らしたんじゃないの!』と、叫んだところで信じてもらえないだろう。
オリヴィエはじっとロザリアを見つめている。
ルヴァとの間になにかあったと思われることが、ロザリアにとって一番怖かった。

「二人きりで何をしてたんですか?」
アンジェリークは邪気のない様子で瞳をキラキラさせている。
オリヴィエは髪をかきあげると、ロザリアの腕をとった。
「おいで。そんなカッコじゃ、恥ずかしいだろう?」
ロザリアは補佐官のドレスを腕に抱き抱えると、オリヴィエに腕を引かれるようにして、ルヴァの執務室を出て行った。

アンジェリークの薄笑いにルヴァが詰め寄る。
「あなたでしょう?」
アンジェリークは鋭い視線でルヴァを振り返ると言った。
「ルヴァ様はロザリア様を好きなんでしょう?私にはわかるんです。どうして、ロザリア様をかばうんですか?
本当は二人の仲が壊れればいいと思っているんじゃないんですか?」
アンジェリークの瞳は激しい炎に揺れていた。
「わたしは、このままあきらめるなんてできませんから。」
立ち去るアンジェリークにルヴァは声を掛けられなかった。
同じなのだ。彼女も自分も。
報われないと知りながらも、想うことを止められない。
ルヴァは大きなため息をつくと、まだロザリアの香りの残るターバンにそっと手を当てた。


オリヴィエの執務室に連れてこられたロザリアは、奥の部屋で補佐官のドレスに着替えた。
すっかり乾いたそのドレスには昨日の痕跡は見当たらない。
まるで、夢だったのではないかとさえ思える出来事でも、はっきりと覚えている、あの時のアンジェリークの瞳。
着替えの終えたロザリアをソファに座らせたオリヴィエは、暖かな紅茶を目の前に並べた。
湯気とともに漂ういつもの香りにロザリアはようやく安堵の息を漏らした。

「なにがあったの?」
オリヴィエの声は優しい。
それでもロザリアは何も言えなかった。
昨日のことをそのまま伝えることは、補佐官として到底できることではない。
そして、アンジェリークがあれほど強くオリヴィエを想っているということも知られたくなかった。
「なにも。なにもありませんわ。私たちが書室にいることに気付かずに誰かが扉を閉めてしまったとしか。」
「嘘はやめて。」
オリヴィエの声にいら立ちが混じる。
「私に隠し事をするつもり?あんたにとって、私はそんなに頼りないの?」
ロザリアは首を振って、オリヴィエを見つめた。
「言えません。どうしても、今は言えませんの・・・。」
泣き出しそうになる激情をこらえて、絞り出すようにロザリアは言う。
そしてそれきり黙ってしまったロザリアにオリヴィエは席を立った。

ルヴァと何かがあるとは思っていない。
ただ何も話そうとしないロザリアを見ているのがつらかった。
苛立ったオリヴィエの靴音が遠ざかると、ロザリアは紅茶のカップを手に取った。
手の震えがカップを鳴らす。
ロザリアは揺れる水面を静かに見つめていた。


執務室を飛び出したオリヴィエは前を行くチャーリーに気付いて、後ろから飛び付いた。
「なんですのん?!」
びっくりして振り返ったチャーリーは不気味に微笑むオリヴィエにひるみつつも叫んだ。
「今から暇でしょ?ちょっと遊びに行こうよ。あんたの顔の聞くトコでパーっと遊ばせて?」
「俺、今から仕入れに行かんとならんのですけど・・・。」
「まあまあ、いいじゃないの。行こう。」
オリヴィエの腕はチャーリーの首にしっかりと巻きついて離そうにも離せない。
華奢に見えても案外力強いことはチャーリーも承知だ。
しかもオリヴィエは遊んでいるように見えても、仕事に対して手を抜いてはいない。
サボりたい気分になるのは何かあったのだ、とチャーリーは直感した。
「今日は特別でっせ?俺のとっておきに、お連れしますわ!」
オリヴィエはがっちりつかんだチャーリーに逆に引きづられるようにして、聖地を出て行った。

ひとしきりのバカ騒ぎの後、また訪れる虚しさ。その繰り返し。
朝から飲み続けたアルコールは確実にオリヴィエの中に溜まっている。
すっかり日が暮れたとき、チャーリーはオリヴィエを一軒のバーへと連れて行った。
そろそろ誰かに話したくなる時間だろう、と選んだ店のドアを開ける。

「女の子もおらん店やけど、抜群に居心地ええんですわ。」
まるで海中を漂うような、ブルーのライト。
一輪ざしの白薔薇がライトに照らされて時折蒼い薔薇のように見えた。
「私ってさ、ちっさい男だったんだねぇ。」
オリヴィエの言葉はため息のように聞こえた。
「あんた、好きな子とかいるの?」
薔薇を眺めていたチャーリーが弾かれたようにオリヴィエを見る。
「おりますけど、片思いですわ。俺らしないと思いますけど、言われへん訳があるんです。」
「言えない訳か・・・。」
オリヴィエの前のグラスはいつの間にか空になっている。
気をきかせたバーテンが黙ってグラスを取り換えた。

「何でも話してほしいんだよ。つらいことも嫌なことも全部を受け止めたいのに。
あのコがホントは私じゃない奴を頼りにしてるんじゃないかって疑ってる。・・・嫉妬してるんだ。イヤになるくらい。」
チャーリーは氷の溶けたグラスを変えようとしたバーテンに目くばせをする。
今夜、自分はこれ以上飲めそうもない。
「オリヴィエ様。そんなに嫉妬するくらい、その人のこと、好きなんですね。その人のどこが好きなんですか?めっちゃかわいいとか?」

オリヴィエの瞳はグラスを通して、どこか遠くを見ていた。
壁に揺れるブルーのライト。
波のような揺らぎは心を溶かして素直な気持ちを連れてくる。
「かわいいっていうより、綺麗なんだ。自分の意思がしっかりしてて、間違ったことは許さない。まっすぐで、強そうに見えて、でも繊細で・・・。」
オリヴィエの言葉が止まる。
そう、そんな彼女だから好きになった。支えて行きたいと思った。
もし彼女がどうしても言えないというのなら、それは本当なんだろう。
ふっと、微笑みを漏らしたオリヴィエを見てチャーリーも笑みを向ける。
「もう、わかったんちゃいますか?結局は好きな子には敵わんのですよ。言いなりになっといた方が楽やないですか。」
「ホント、あんたらしいよ。・・・・でも、そうだね、あのコを信じるしかないんだ。いつか話してくれるって言うんだったら、それまで待つしかないんだよね。」

「惚れた方が負け、ってこと。」
「そうですよ。それにしてもオリヴィエ様をそんなに悩ませる女の子って・・・。って、オリヴィエ様、つぶれとるやないですか!」
カウンターに突っ伏したまま、オリヴィエはうつらうつらしている。
「オリヴィエ様!寝んといてください!俺一人では無理ですぅう~。」
チャーリーは予想通りの展開に苦笑して、オリヴィエを店から連れ出した。

「もうちょっとですからね、まだ寝んといてくださいよ。」
オリヴィエの私邸までなんとか辿り着いたチャーリーはその前に立つ人影に立ち止った。
「オリヴィエ!」
星空の明かりにもはっきりとわかる青紫の髪。
心配そうな顔が近付いて、オリヴィエの手を握った。
「どうなさったの?心配していましたのよ?」
おそらくずっと待っていたのだろう。ロザリアの表情は酔ったオリヴィエを見て怒るどころか安心しているように見える。

チャーリーはわざと面白そうに肩を貸しているオリヴィエをゆすった。
「オリヴィエ様~、おウチですよ~。可愛い彼女が待ってますよ~。」
「まあ。」
頬を染めたロザリアが先に立ってドアを開ける。
チャーリーはなんとかオリヴィエをベッドに転がすと、ため息をついた。
「お茶でも飲んで行かれませんこと?お疲れになったでしょう?」
ロザリアが引き留めるのをチャーリーはやんわりと断った。
「明日も早いんで、お暇しますわ。すんません。」
これ以上ここにいるのはつらすぎる。
そして、その理由をロザリアには知られたくない。

「本当にありがとう。」
玄関先で深々と頭を下げたロザリアにチャーリーも慌てて頭を下げた。
「ほんなら、後は頼みます。」
ドアを閉めたチャーリーは夜道に向かって歩き出す。
行きには目に入らなかった、満天の星がチャーリーを包んだ。
「大切な人って、ロザリア様やったんやなぁ。」
あの布で作ったドレスは間違いなくロザリアに似合うだろう。
寄りそう二人に、とても自分の入る隙はない。
初めから叶わない想いだと知っていたけれど、失ったと感じることはやはり切なくて。
チャーリーはずっと上を向いたまま、静かな夜道を歩いて行った。


頭が割れるように痛んで、オリヴィエは目を開けられなかった。
昨夜チャーリーと飲んで、それから、記憶がない。
いつの間にかベッドで寝ている自分の姿に驚いて身体を起こすと、すぐ隣でロザリアが眠っていた。
オリヴィエの起きた気配に目を覚ましたロザリアは自分も起き上がると恥ずかしそうに微笑んだ。

「わたくしったら、こんなところで眠ってしまって。ごめんなさい。」
そのままベッドから降りようとしたロザリアをオリヴィエは引き留めるように抱きしめた。
「待ってよ。少しくらいいいでしょ?」
ためらうロザリアをベッドに引き戻すと、オリヴィエは胸へと抱き寄せた。
ロザリアの耳にオリヴィエの鼓動が伝わる。
心地よいリズムにロザリアは目を閉じた。
「昨日はごめん。あんたが言いたくないなら、もう聞かない。だけど、約束して。
もし今度何かあったら、私に言うこと。何でも一人で抱え込もうとしないで。いいね?」

オリヴィエの手がロザリアの髪をなでている。
ロザリアはその優しい手に何も言わずにただ頷いた。
オリヴィエの手がロザリアの頬を包むと、唇が下りてくる。
今までのすれ違いを埋めるような長い口付け。
オリヴィエの腕に力がこもった時、時計のベルが鳴った。

「あら、もう、こんな時間。早く聖殿へ行かなくては。遅刻になってしまいますわ。」
オリヴィエの腕から逃れようと、ロザリアがもがく。
仕方がないと腕の力を緩めると、ロザリアの綺麗な瞳がオリヴィエを見上げていた。
本当は仕事なんてする気分じゃない。
けれど、仕事熱心な彼女に、今日は休んでこうしていよう、なんて言えるはずがないこともわかっている。
それに、こういう一途なところも、実のところ嫌いじゃない。

「ね、ロザリア。これからは土の曜日にデートしよう。」
抱きしめたままオリヴィエが言った。
「もう、我慢できない。土の曜日にデートしてくれないなら、私たちのコト、みんなにバラす。」
「オリヴィエ!」
「どうする?」
オリヴィエのいたずらっぽい視線にロザリアは身体が熱くなった。
熱が出そうなほど、オリヴィエのことが好きなのだ、と自覚してしまう。

「わかりましたわ。ただし、仕事が終わった後ですわよ。」
「もちろん。」
オリヴィエは仕方なさそうに小首をかしげたロザリアの頬に軽くキスをした。
時間を気にして逃げ出そうとするロザリアをオリヴィエは再び強く抱きしめる。
「もう!時間ですわ!」
「私たちも一晩一緒に過ごしちゃったね。昨日と同じ服だけど、いいの?補佐官が外泊したって噂になっちゃうんじゃない?」
「え?」
急に狼狽するロザリアにオリヴィエは声をあげて笑うと、手をとって、クローゼットへと案内したのだった。


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