8.
ふりそそぐ西日がとても眩しくて、ロザリアは帽子のつばを深く直した。
「ロザリア様、もうちょっと、影に入った方がええんと違いますか?」
パラソルを少し動かして、影をつくったチャーリーがロザリアに声をかける。
振り返ったロザリアは真っ白な顔を少し赤らめて、チャーリーに蒼い瞳を向けた。
「いいんですの。ここのほうがよく見えるんですもの。」
ロザリアの立っている場所は庭園の入り口にまっすぐ向いている。
そこからなら確かに庭園に入ってくる人物がすぐにわかるだろう。
チャーリーはため息を押し殺して、パラソルを大きく傾けた。
「せやったら、こうしときますわ。これやったら、影に入りますやろ?」
「ありがとう。」
澄んだきれいな笑顔は誰のためなのか、今はもうわかっている。
それでもチャーリーは庭園の入り口に向いたロザリアの横顔をただじっと見つめていた。
『土の曜日はデートをする。』
オリヴィエがそう決めてから、土の曜日に庭園で待ち合わせをするのが二人の約束になっていた。
たいていロザリアの方が早く来てしまって、オリヴィエを待つ間、チャーリーと話をする。
人気のなくなった庭園で、二人が会っていることを知っているのはきっと自分だけだろう、とチャーリーは思っていた。
「女王試験はどないなかんじですか?」
始まってから、かなりの日々が過ぎている。そろそろ結果も出始める頃だろう。
試験の終わりがロザリアとの別れを意味することもチャーリーには十分わかっている。
チャーリーの寂しげな表情はサングラスに隠れてロザリアに気づかれることはなかった。
「そうですわね。もうすこしかしら。」
新宇宙の星は空を覆い尽くす程に輝いている。
試験が終われば、また、オリヴィエとゆっくり過ごすことができるのだ。
そう考えて、ロザリアの声に喜びが浮かんだ。
「チャーリーは、どちらが女王になると思いまして?」
「見当もつきませんな~。あの子たちが女王になるやなんて。」
「まあ。」
楽しそうに笑うロザリアにつられて、チャーリーもつい、どうでもいいことを話してしまう。
ほんの少しの時間でも二人きりで過ごせることはありがたいとチャーリーは素直に思えた。
笑いの絶えない会話が続いた後、ロザリアが思い出したように切り出した。
「来週の夜、お時間はあるかしら?お店の終わった後ですけれど。」
「なにかあるんですかいな。もちろん空いてますけど。」
店が終われば、家に帰るだけ。
もちろん仕事は山積みだが、ロザリアからの誘いにそんなモノは頭の中から消え失せていた。
「パーティを開くことになりましたの。」
「パーティ?!」
チャーリーの大げさな声にロザリアはくすりと笑った。
「そんなにおかしいかしら? 陛下が提案されましたのよ。試験も終わりが近づいてきましたし、そういう催しもいいのではないかしらって。気分転換ですわ。」
気分転換といえばまさしくその通りの理由だ。
あと少しというところで、新宇宙の成長は停滞している。なんとかしたい、というのが女王の本音だろう。
「俺みたいなんが行ってもええんですか?」
協力者とはいえ、あやしげな商人という立場だ。
チャーリーが躊躇しているのを感じて、ロザリアはさらに続けた。
「そんなに堅苦しいものではありませんわ。せっかくですもの。ぜひいらして。」
そこまで言われて、断われるチャーリーではない。
ロザリアのドレス姿にも大いに興味があった。
結局、しぶしぶというふうを装って、来週のパーティに参加することになったのだった。
「なに?パーティの話?」
突然、背後から割って入った声はオリヴィエで、ロザリアの瞳が輝いた。
「オリヴィエ! てっきりあちらから来るものだとばかり思っていましたわ。」
「あんたに早く会いたくて、あそこ、乗り越えてきちゃった。」
木立の向こうのフェンスを指差したオリヴィエにロザリアは目を丸くすると、オリヴィエの元に走り寄った。
そのロザリアをオリヴィエの腕が優しく包み込む。
チャーリーは見て見ぬふりを決め込んで、品物を片付け始めた。
「ええ。チャーリーにも参加していただきたくて、お願いしていましたのよ。」
「ふうん。」
話しながら庭園を出て行く二人の背中をチャーリーは眩しげに見送った。
「お似合いやもんなあ。」
独り言はこのところの悪い癖だ、とチャーリー自身気付いていた。
それでも、ふと出てしまう弱音は抑えようもなくて。
商品棚から箱を手に取ると、チャーリーはため息をついた。
箱の中身はチョコレート。
このところ、減りが遅いのはきっとオリヴィエとうまくいっているせいだろう。
チャーリーは箱のフィルムを乱暴にむしり取ると、チョコレートを一つ口に入れた。
「ほんまや・・・。」
苦い気持ちがふっと溶けてなくなるような感覚。
「自分で薦めといてなんやけど、これ、けっこういけるなあ。」
チャーリーはさらにもう一つを口に入れると、外にあったパラソルをたたみ始めた。
月の曜日になって、女王の間に呼び出されたアンジェリークとレイチェルは女王の言葉に顔を見合わせた。
「パーティ?どうして急にそんなコトを?」
不思議そうな顔のレイチェルにロザリアが言葉を返す。
「あなたたちがここにきてもう半年になるでしょう?その記念というか、気分転換にどうかしら?」
「最近、育成に成果がでてないから、ですよネ。」
頭の回転の速いレイチェルには、すぐに女王の意図がわかったようだ。
なにかが育成を阻んでいる、ということをレイチェル自身も感じているのかもしれない。
「わかったよ。今度の土の曜日だネ。」
「ええ、ドレスは今から準備しても間に合うと思うわ。好きなものを選んでいいのよ。」
ドレス、の言葉にアンジェリークが顔を上げた。
ロザリアを見つめる針のような視線を、ロザリアはひるむこともなく見つめ返した。
アンジェリークがロザリアを嫌っている理由はわかっている。
そして、それを譲れるはずがないことも。
「では、パーティを楽しみにしてらしてね。」
補佐官らしい一言で、ロザリアは二人を下がらせた。
「ねえ、アンジェ。ドレス、つくっちゃおうよ!」
鼻歌交じりで肩をたたいたレイチェルにアンジェリークはにっこりとほほ笑みを返した。
「わたしはいいの。レイチェルはどんなドレスにするの?きっと、あんまり露出があるのはあの方も好きじゃないわよね。」
アンジェリークの言葉にピクリと眉を上げたレイチェルは、
「ちょっと!誰のことを言ってるの?ワタシはあんなヤツ、何とも思ってないんだからネ!」と、怒ったように言う。
語るに落ちた、とはまさにこのことだが、肝心のレイチェルは気づいていないようだ。
そんなレイチェルをほほえましく思いながら、アンジェリークは別のことを考えていた。
わたしにとって、欲しいドレスは一つだけ。
「ねえ、アンジェ!聞いてるの?!」
レイチェルのドレスを一緒に決める約束をして、アンジェリークはオリヴィエの執務室に向かった。
「こんにちは。オリヴィエ様。」
「ん、どうしたの?育成のお願いかい?」
椅子に座ったオリヴィエはアンジェリークに軽く手を振った。
頬杖をついてあくびをかみ殺したオリヴィエの顔は、疲れてはいても何かうれしそうに見える。
アンジェリークの脳裏になぜか蒼い星空が浮かんで、すぐに黒く塗りつぶされた。
アンジェリークはゆっくりとオリヴィエに近づくと、いつになくはっきりとした声で言った。
「わたしにドレスをつくっていただけませんか?今度の土の曜日のパーティに着て行きたいんです。」
眠たげだったオリヴィエの目が少し開いたかと思うとすぐに元に戻った。
「ごめん。あんたに作ってあげることはできないよ。」
「どうしてですか?」
間髪をいれずに返答を返すアンジェリークにオリヴィエは座ったまま足を組みかえた。
窓から射す光でできたオリヴィエのシルエットが、うつむいたアンジェリークの瞳に映る。
「私がドレスをつくるのは大切な人にだけって決めたんだよ。」
アンジェリークの心に音が響いた。
小さな音は体中をかけ回ると、共鳴するように大きな音へと変わる。
心の中で聞こえる音は消そうとすればするほど大きくなって、いつの間にか心ごと飲み込まれていく。
アンジェリークは吹き出しそうな想いをじっと抑えて、つぶやいた。
「そうなんですか・・・。陛下とロザリア様のように、レイチェルとおそろいのドレスにしたかったんですけど・・。」
少し悲しそうに小首を傾げたアンジェリークにオリヴィエは苦笑した。
「さすがに、あと5日で2着なんて無茶でしょ。それにレイチェルは私のドレスになんて興味ないと思うけどね。」
思ったよりもショックを受けた様子のないアンジェリークにオリヴィエも内心安堵していた。
純粋な好意を不愉快に思ったことはない。
それでも、いつかは言わなければならないことだったのだ。
目の前のアンジェリークはいつものように少し恥ずかしそうに瞳を伏せて立っている。
社交的でないアンジェリークを心配していたロザリアもこのところ何も言わなくなったし、もう手を離しても大丈夫だろう。
オリヴィエは寝不足の頭の中でぼんやりとそう考えていた。
「パーティ、楽しみですね。定期審査の後は、お会いできますか?」
アンジェリークの問いにオリヴィエは首を振って答えた。
「ロザリアと陛下にメイクをする約束をしてるんだよ。だからちょっと時間が取れないかな。日の曜日なら空いてるけど。」
「じゃ、日の曜日でお願いできますか?」
「オーケイ。」
いつも通り、小さく頭を下げて執務室を後にしたアンジェリークをオリヴィエも微笑んで見送った。
土の曜日が来て、オリヴィエはロザリアの私邸に向かった。
すでに宮殿に寄って陛下の準備は済ませてきている。
今頃は綺麗になった陛下のそばに、ある守護聖がいるだろう。
メイクを崩さないでいてくれればいいけど。
くすりと漏らした笑いとともに、ドアをノックすると、ロザリアが顔をのぞかせた。
「お待ちしていましたわ。」
中へ入るように促すロザリアの手を止めて、オリヴィエはロザリアの耳を近づけた。
「ウチで準備したいんだけど。使いたいものが多くて、持ってこれなかったんだ。」
そのまま軽く唇を寄せると、ロザリアの頬が赤らんで、すぐにオリヴィエから離れる。
「では、荷物を持ってまいりますわ。少しお待ちになって。」
すぐにロザリアが持ってきた大きな荷物はドレスにアクセサリーに靴。
ロザリアから荷物を受け取ったオリヴィエは、片手でかるがるとそれを持ち上げると、もう片方の手でロザリアの手を握った。
手をつないで、微笑みあった二人は穏やかな日差しの中を歩いていく。
少し傾き始めた日差しが二人に長い影をつくっていた。
その少し前、アンジェリークは人通りの少ない道を選んで、歩いていた。
辺りを見回して誰もいないことを確認すると、オリヴィエの家のドアの前に立つ。
ドアノブに軽く手をかけて鍵がかかっていることを確認すると、そのまま目を閉じた。
すると、手から明るい光があふれて、鍵が開いた感覚がする。
ドアノブをまわしたアンジェリークは足音を忍ばせるように中へと入っていった。
この前、あれを見た部屋を忘れたことはない。
リビングを過ぎて、ドアを開けた。
部屋の真ん中に置かれたトルソーが着ているのは、蒼いドレス。
手前が短くなったアシンメトリーなミディ丈のふんわりしたスカートはとてもかわいらしいのに、大胆に肩や背中を見せるところは淑女の雰囲気がある。
そのデザインのすべてが、ロザリアをほうふつとさせて、アンジェリークは息をのんだ。
オリヴィエの想いが込められたドレス。
欲しい。ずっと、そう思ってきた。
ドレスに手を伸ばしたアンジェリークは力を込めてスカートの裾を握った。
柔らかな布はしわになることもなく、アンジェリークの手の中にある。
アンジェリークはしばらくじっとドレスを握りしめていた。