Once more, again

9.


ドアに手をかけたオリヴィエは、抵抗なくドアが開いたことに驚いて足をとめた。
鍵をかけ忘れたのかもしれない。
安全この上ない聖地で気が緩んだのか、それとも、この後のロザリアの顔を想像して浮かれてしまっていたのか。
首をひねりながらもそれ以上は考えない。楽しいことを考えている時というのはそんなものだ。
「どうぞ。入って。」
大げさに手を広げて招き入れるオリヴィエ。
鼻歌交じりの様子にロザリアも不思議に思いながらも中へと足を踏み入れた。
いつも通り、リビングに向かおうとしたロザリアの手をとると、奥の部屋へと、連れて行く。

「今日は、支度の出来る部屋でないとね。こっちにメイク道具が置いてあるからさ。」
オリヴィエは手をつないだまま、部屋のドアを開けると、自分が入るより先にロザリアを部屋の中へと押し込んだ。
「まあ、なんですの?」
押されたロザリアが笑いながら部屋に入ると、中にはトルソーが一つ。
「綺麗な部屋ですのね?あなたはいつもここでメイクをなさっているのかしら?」
振り返ったロザリアがオリヴィエの顔を見ると、オリヴィエの顔から笑みが消えていた。

「オリヴィエ?」
ロザリアが声をかけると、固まっていたオリヴィエの表情が元に戻る。
まるでスローモーションの映画を見ている様なオリヴィエの様子にロザリアは眉を寄せた。
「どうかなさいましたの?」
首を横に振ったオリヴィエは、ロザリアに向き直ると、少しリビングで待っていてほしいと告げた。
オリヴィエのいつもと違う様子にロザリアはなにも言えずにリビングに戻る。
しばらく立ったまま待っていたが、オリヴィエが戻ってくる気配はない。
ロザリアは仕方なくソファに座ると、持ってきた荷物をチェックしてみた。
「オリヴィエったら、一体どうしたのかしら?」
なかなか戻ってこないオリヴィエが気になって、ロザリアはドアの方ばかりを見ていた。

部屋の中を捜しまわっても、ドレスの破片すら見つからない。
オリヴィエはドアのかぎが掛かっていなかったことを思い出して、腕を組んだ。
まさか、ドレスを盗まれた?
そんなことがあるはずはないという思いと、もしかしたらという疑惑。
すぐにでも確かめに行きたい衝動を、時計の鐘が押しとどめる。
パーティまでもう時間がない。
今ここで出て行けば、ロザリアはパーティに行けなくなってしまう。
知らないうちに噛んでいた爪を唇からはがすと、オリヴィエはリビングに戻った。
ロザリアにはまだ、なにも言えない。

「ごめん。待たせたね。気に入ってたルージュが見つからなくて。」
手に持ったルージュをちらりと見せると、ロザリアは安心したように微笑んだ。
いつも通りのオリヴィエにロザリアは着替えたドレスを披露するようにくるりと回って見せる。
「どうかしら?陛下のお見立てですのよ?」
真っ白なドレスはまるでウェディングドレス。
すっきりとしたAラインのシルエットはいつものロザリアの美しさを十分に引き出している。
「うん。すっごく綺麗だよ。メイクなんかしなくても、あんたは十分に綺麗。」
ルージュを塗る前に軽く唇を合わせる。
真っ白なドレスを着たロザリアの手をとって、オリヴィエは宮殿のパーティ会場へと向かった。


宮殿に着いて馬車を降りたオリヴィエは、ロザリアに言った。
「あのね、私、忘れ物したみたいなんだ。ちょっと取ってくるから、先に行っててくれる?」
頷いたロザリアの頭上を一筋の雲がよぎる。
なんだか嫌な予感がして、ロザリアはその雲が消えて行くまで見送った。

大広間のドアを開けると、すでに賑やかな音楽が流れていた。
煌めくようなシャンデリアの灯りと、甘いお菓子の香り。
教官と協力者も顔をそろえたパーティは人の多さに比例して、楽しげな雰囲気で始まっていた。
「ロザリア様!」
聞き慣れた声に振り向くと、タキシードに身を包んだチャーリーが立っている。
馬子にも衣装とでもいうのか、なかなかの着こなしにロザリアは微笑んだ。
「まあ、いらしてくださいましたのね。」
ロザリアが言い終わるかどうかといううちに、チャーリーはロザリアの前を阻むようにすぐ隣に移動してくる。
前を塞がれたロザリアは自然にチャーリーを見上げるような形で微笑んだ。
「オリヴィエ様とご一緒やないんですか?」
「ええ、何か忘れ物をしたと言って、一度戻りましたわ。ここまでは一緒でしたのよ。」

白いドレスのロザリアは見とれるほど綺麗だ。
チャーリーは一瞬目を奪われかけて、はっとした顔でロザリアを見る。
そして、いかにも困ったという顔でロザリアに言った。
「すんませんけど、ちょっと、酔うたみたいなんですわ。外に連れてってもらえませんやろか?」
「まあ、それでは人を呼びましょうか?」
心配そうなロザリアの前で大げさと言えなくもない手振りでチャーリーは頭を押さえる。
「ああ、もう、そないな時間ありませんわ。今にも死にそうなんですてー。」
「本当ですの?では、お連れしますわ。こちらへいらして。」
ロザリアが向きを変えて、チャーリーを連れ出そうとドアに手をかけたとき、後ろから声が聞こえた。
「ロザリア様。もうお帰りなんですか?」
頭を押さえていたチャーリーの顔が一瞬、しまったという表情に変わる。
「いいえ。今来たところですわ。この方、具合が悪いのですって。」

振り向いたロザリアの瞳に飛び込んできた、深い深い蒼。
星をちりばめたような細かく折り込まれた銀糸。
アンジェリークが着ているドレスは、あの日、庭園で見た布でつくられたドレスだった。

言葉を失ったように立ち尽くすロザリアにアンジェリークはにっこりとほほ笑んだ。
「どうかなさったんですか?ロザリア様、顔色が悪いみたい。」
アンジェリークの影にいたレイチェルがひょっこりと顔を出すと、「ホントだね!どうかしたんですか?」とロザリアに向かって聞いた。
目を大きく見開いたまま、なにも言わないロザリアに、アンジェリークが近付いていく。
「もしかして、このドレスが気になるんですか?」
アンジェリークが柔らかなドレスの裾を軽くつまむと、流れるようなドレープがつくりだされた。
目の前に広がる星空がロザリアの目に突き刺さる。

「オリヴィエ様が作ってくださったんですよ。私のために。」

そんなはずはない。
ロザリアの言いたい言葉は喉に張り付いたように出てこなかった。
庭園であの布を見せてくれたとき、チャーリーは何と言っただろう。
『大切な人に贈る』
それを自分だと信じてしまっていた。オリヴィエに確かめることもせずに。

「へー!そのドレス、すっごく似合ってると思ったらオリヴィエ様からいただいたんだ!よかったネ!」
無邪気なレイチェルの声に近くにいたルヴァが振り返った。
「オリヴィエが、このドレスを作ったんですか~?」
いつになく鋭い視線を向けるルヴァにアンジェリークは一瞬ひるんだ表情を見せた。
それでもすぐに顔を上げると、大きく頷いた。
「本当に?あなたにと言ったのですか~?」
「はい、このドレスは私のものです。」
アンジェリークの瞳がシャンデリアの光をはじくように強く輝く。
ルヴァはそれ以上なにも言わずに、その場を離れて行った。

アンジェリークを黙って見つめていたロザリアは、急に足の力が抜けたようによろめいた。
隣にいたチャーリーが抱きとめると、ロザリアの冷たい手に触れる。
「気分悪いんちゃいますか。俺が外へ連れてきますから、あんたらは気にせんと続けとって。」
アンジェリークとレイチェルにそう言うと、チャーリーはロザリアを抱えるようにしてテラスへと連れて行った。

「ここに座ってください。」
チャーリーはロザリアをテラスの椅子に座らせると、タイを緩めて、向かいに座った。
「なんかの間違いですよ。オリヴィエ様がロザリア様に黙ってそんなことするはずないやないですか。」
「そうね・・・。」
見上げた空はいつの間にかあのドレスのような星空に変わっている。
軽快なワルツが流れ始め、ロザリアはチャーリーに言った。
「わたくしのことは気になさらないで、パーティに戻って?もう少ししたら戻りますから。」
「俺もここにおりたいんです。頭が痛いって言いましたやろ?」
チャーリーは大きく伸びをしながらそう言うと、わざとらしく頭を押さえた。
その動作が面白くて、ロザリアはようやく少し笑うことができた。
驚きが落ち着いてみると、まだオリヴィエが来ていないことを思い出す。
オリヴィエが来たら、まず聞いてみたい。
悲しんだりするのは、それからでも遅くない。


少し向こうの茂みが大きな音を立てた。
「止めてください、オリヴィエ様!」
アンジェリークの声が静かなテラスに響いてくる。
ロザリアとチャーリーは、顔を見合わせると、茂みの向こうからやってきた二人に見つからないように木の影に隠れた。

「あんた、どういうつもり?」
腕を組んだオリヴィエは静かにアンジェリークを見つめている。
見たこともないオリヴィエの冷たい瞳の色。
アンジェリークはグッと顎を上げると、オリヴィエを見つめ返した。
アンジェリークの瞳の中に燃えるような強い意志が見える。
ロザリアはなぜか怖くなって、ドレスの裾を握りしめた。

「私の家から勝手に持ち出すなんて、どうかしてるよ。そのドレスはあんたのものじゃない。」
オリヴィエの強い口調にアンジェリークは下を向いた。
「それはロザリアのものなんだ。今すぐ着替えておいで。」
オリヴィエの言葉に、隠れていたロザリアは握りしめていたドレスを離した。

長かったのか、短かったのか、沈黙が下りた後、アンジェリークの唇から言葉がこぼれおちる。
「・・・いやです。返しません。それとも、わたしに新しいドレスを作ってくれるんですか?」
「できないよ。言っただろう?私がドレスを作るのはロザリアにだけだって。」
うつむいたアンジェリークが肩を震わせた。
ぎゅっと握りしめた手が小刻みに揺れる。

「なぜ、ロザリア様なんですか? ロザリア様はこの間だってルヴァ様と一緒でした。」
「あれは偶然そうなっただけ。私は何とも思っていないよ。」
「他の守護聖様とだって、仲良くしています。」
「補佐官だから当たり前でしょ。」
ことごとく反論するオリヴィエにアンジェリークの震えが大きくなっていく。
暗闇のはずが、アンジェリークの周りがぼんやりと明るく見えた。

「私の方が、ずっとずっと、オリヴィエ様を好きなのに・・・!」

地面が揺れて、アンジェリークが輝き始める。
「なに?」
大広間まで振動が伝わって、テーブルのものが大きな音を立てて崩れ落ちた。
スパークしたように明かりが消え、極端に灯りの落ちた大広間から、激しい怒声が聞こえる。
その間にもアンジェリークを包む光はますます大きくなって、目を開けていられないほどの光になっていく。
激しい地震にオリヴィエも立っていられずに膝をついた。
「きゃあ!」
ロザリアの声にオリヴィエは振り向いた。
木の向こうにいる影は白いドレスを着たロザリアで、地震のせいで倒れた街灯が足元に転がっている。
駆け寄りたくても、オリヴィエのあたりは揺れが激しくて、自分すら支えていられないほどだった。

「アンジェリーク!!」
女王の声がして、オリヴィエは腕で光を遮りながら目を開けた。
「落ち着いて、アンジェリーク。深呼吸して、力を押さえて。」
女王から出た暖かな光がアンジェリークを包み込む。
「陛下・・・。」
アンジェリークの光が次第に弱まると、その場に身体が崩れ落ちた。
「誰か、アンジェリークを医務室へ!」
そばに控えていたヴィクトールが軽々とアンジェリークを抱きあげると、女王の後について歩き出す。
まともに光を浴びたオリヴィエは激しい頭痛を感じて、すぐに立ち上がることさえできなかった。

「オリヴィエ、大丈夫ですの?」
白いドレスの裾が見えて、オリヴィエは顔を上げた。
心配そうにのぞき込む蒼い瞳をオリヴィエは抱きしめる。
「私は大丈夫。あんたこそ、けがはない?」
「ええ。」
うずくまったままの二人をチャーリーはため息交じりに見つめる。
汚れることも厭わずに、オリヴィエの元に走ったロザリアのドレスはあちこちに泥や草がついていた。
だからこそ、今のロザリアのドレスの美しさにはどんなドレスもかなわない。
二人を残して、チャーリーが宮殿へ戻ると、大広間はひどい惨状になっている。
皆に混ざって片付けをしていると、女官が女王を呼びに来た。
慌てて出て行く女王が気になって、チャーリーはこっそり後をつけて行ったのだった。


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