薔薇の守人

2.

キイン。
金属のぶつかり合う鋭い音が空を切り裂くように響く。
茂みから飛び出したランディの剣は一分の隙もなく、ヴィクトールの肩口に狙いを定めていたが、ヴィクトールの大剣にあっさりとはじき返されてしまった。

「うわっ」
勢いをつけた分だけ、その反動も大きく、ランディの身体は地面へとたたきつけられる。
激しい痛みが全身を襲うが、休んでいる暇はない。
リズムすら感じるなめらかな太刀筋で降ってくる大剣をなんとか躱し、ランディは体勢を立て直した。
腕のしびれを堪えて、剣を握りしめる。
ぶるっと身体が震えるのは、目の前のヴィクトールから流れ込んでくる闘気に当てられているせいだ。
普段、穏やかに見えるヴィクトールが鬼将軍と呼ばれる理由を、ランディははっきりと意識していた。

琥珀色の瞳に宿る鈍い光。
ワインレッドの髪が天を衝くように揺らめく様は、まさに鬼神の如しだ。
けれど、ここで臆するわけにはいかない。
ゴクリとつばを飲み込んだランディは
「いやあ!」
かけ声も高く、再びヴィクトールに斬りかかっていった。


「はあ、やっぱりダメだったか。」
剣がヴィクトールに触れるよりも前に、ランディの視界は真っ青になっていた。
それが空だと理解して、次に猛烈な背中の痛みを感じる。
頭から落とせば致命傷になることまで考えて、ヴィクトールは力を加減してくれたのだろう。
全く勝てる要素がない。
歴然とした戦力の差に、ランディはしばらく呆然と空を眺めていた。

「ランディ様。 お怪我はありませんか?」
いっこうに起き上がってこないランディに、ヴィクトールはおそるおそる声をかけた。
相手は仮にも守護聖様。
背中から落ちるよう、なおかつ、気を失わない程度には加減したつもりだ。
だが、あれほどの勢いで突然来られると、なかなかに困ってしまうのも事実で。
先日も背後から飛び出してきたゼフェルのメカを、剣で木っ端みじんにしてしまったのだ。

「だからよー。おめーじゃ無理だって言っただろーが。」
ランディが飛び出してきた茂みから、ぞろぞろと人が出てくる。
「なんだよ。 ゼフェルが背後からならチャンスがある、って言ったんだろ。」
「ああ? オレのメカが粉々になったんだぜ? おめーごときが背後とれるかってんだよ。」
「なんだって?」
「もう~、やめてよ~、二人とも~」
仲良し三人組らしく、お互いをけなしながらじゃれ合っている。
ヴィクトールがほほえましく、その姿を見守っていると、言い争いにも飽きたのか、ランディが近づいてきた。

「さすがヴィクトールさんですね。
 不意打ちならなんとかなるかと思ったんだけど、全然ダメでした。」
爽やかに笑って手を差し出したランディに、ヴィクトールも笑いながら手を握り返した。
戦いのあとの清々しさが、いかにもランディらしい。

「いえ、完全に不意を突かれましたよ。 それに、最初の一撃はかなり威力がありました。」
「え、本当ですか? ヴィクトールさんだから、なんとか最初の一撃で、って思ったんです。
 ちょっと卑怯だったかな?」
ランディが恥ずかしそうに頭をかくと、ヴィクトールは
「いえ、卑怯な手など、戦いで気を遣うのは無用です。
 ひとたび戦場に出れば、どのような条件であっても、受けて立たなければならないのですから。」
真剣な声音で諭した。
まるで学習の時間のようだが、ランディは素直に頷いている。

「それはそうですよね。 戦いに卑怯もなにもありませんよね。」
「ええ。 ましてや、今回はこういった形式なのですから、いついかなる時も対処できるようにしておくべきです。
 不意打ちも闇討ちも多勢での攻撃も、先入観を持たず、なんでも利用してください。」
「なるほど。 さすがですね、ヴィクトールさん。」
感心したように、うんうんと頷いたランディは、少し悔しそうにしながら胸の赤いコサージュに手を当てた。


「今回のバトル大会、俺にはいい経験になりました。」
「そうですか。」
バトルの結果を報告するため、二人並んで聖殿へと向かう。
途中、ランディはしみじみと言った。
「オスカー様に剣を習ってはいても、実戦形式はほとんど初めてだったし、人によっていろんな戦い方があることも知りましたし。」
たしかに、とヴィクトールは頷いた。

正直、女王の突拍子もない考えを聞いたときは、いったいどうなるかと心配していた。
穏やかな聖地で戦いをするということもそうだが、その形式がまた変わっている。
正式な一対一の試合ではなく、聖地すべてを戦場に見立て、24時間、常時どこでもバトルを仕掛け合い、最後の生き残りが決まるまで終わらないという、バトルロイヤル形式。
参加も希望すれば、誰でも受け付け、武器にも制限がない、とくれば、まさにやりたい放題ではないか。
命の取り合いの代わりに、胸につけたコサージュを奪い合う、というところが、かろうじて女性らしいアイデアといえるけれど。
思いの外、ふくれあがった参加者は、守護聖、教官、協力者の他、職員もちらほら混ざっていた。
大会優勝の副賞について、一切の発表はなかったというのに、噂というのは恐ろしい。
あきらかにロザリアとの旅行目当ての男たちが集まっていたのだ。

当初、ヴィクトールは参加を迷っていた。
教官なので、参加を断ることはできないが、適度な人物に負けて、勝ちを譲っても良いと思っていたのだ。
内戦の情報はヴィクトールも王立派遣軍の友人から聞いてはいたが、それほど切羽詰まったようには感じられなかったし、ましてや、女性と、それもロザリアと同室で数日を過ごすなど、とても無理だ。
だから…と、考えながら、参加者に支給されたコサージュを胸につけていた、そのとき。
偶然、耳にした話し声。

「それだけ同じ夜を過ごすことになれば、いくらお堅い補佐官殿でもモノにできるさ。
 それからゆっくりと俺好みの女に仕立てるのも悪くない。」

あきらかにロザリアに対して、良くないことを考えている輩がいる。
むしろ、見渡してみればみるほど、そんな輩しかいない気がする。
それで一気に心が決まった。
優勝して、ロザリアを守る。
それが自分に課せられた使命なのだ、と。


正殿に着くと、ヴィクトールとランディは中庭のバトル本部に向かった。
いつもよりも人が多いのは、そこが、バトルの状況を報告する場所になっているせいだろう。
一番目立つ箇所には、大きな看板が設置されており、参加者の名前がずらりと一覧になって掲げられている。
そして、その名前の上に飾られているのが赤いコサージュ。
選挙速報よろしく、まるで赤い花が咲いたように、ほぼ一面につけられていた。

「あ、もう、結構絞られてるんですね。」
看板を見ていたランディのつぶやきに、ヴィクトールもつられて看板を眺めた。
名前の上にコサージュが飾られている参加者は、すでに負けた人間だ。
とられたコサージュをここにつけ、戦闘終了になる。

ランディが胸のコサージュを自分の名前の下につけるのを、ヴィクトールは黙って眺めていた。
慰めの言葉などランディも欲しくないだろうし、神聖な戦いを貶めることにもなる。
男同士の勝負とは、そういうものだ。

すでにかなりの人数がふるい落とされているらしく、看板はコサージュだらけで、名前が見にくいほどだ。
もっとも、コサージュを渡されたものの、バトルには参加せず、ここにこっそり飾りに来るものもいるらしい。
確か、クラヴィスは一番早く看板にコサージュをつけた、と、学芸館でも話題になっていた。

ヴィクトールは一番気になる名前をちらりと横目で確認した。
やはり、というべきか。
彼の上にはまだコサージュはない。
ヴィクトールは無意識にぐっと拳を握っていた。


「ちょ、もういいでしょ。 あんたがコサージュをつけたらすむ話じゃないか。
 私はお風呂に入りたいんだって。」
「ダメだ。 負けた方がコサージュをつける決まりだからな。」
ギャアギャアと騒ぎながらオスカーに引きずられているのはオリヴィエだ。
会話から察するに、オスカーがオリヴィエに挑み、勝ったということだろう。
オリヴィエも密かな本命とされていたから、有力者から先に倒すというセオリーを、オスカーは淡々とこなしているらしい。

ひたすら文句を言っているオリヴィエは、ヴィクトールとランディに気がつくと、オスカーの手を振り払って、駆け寄ってきた。
「ちょっと聞いてよ! あの男、私のバスルームの前でずっと待ち伏せしてるんだよ!
 おかげで私は2日もお風呂に入ってなくて…もう死にそうだって!」
オリヴィエは、悔しそうに長い金髪をひらひらとさせた。
「ほら、こんなに髪も傷んじゃって。 肌だって見てよ!」
指さした先にはほんの少しの赤みがある。
良ーく見なければわからない程度の。
「はあ…。」
ヴィクトールは曖昧に頷いたが、オリヴィエは全く気にせず、文句を言い続けている。

「そうでもしなかったら、お前は逃げ回るだろうが。
 逃げまくって残ったやつが優勝なんて、俺は認めないぜ。」
「は~。あんたってホントに戦いバカだよね。」
あきれ顔のオリヴィエに、オスカーはにやりと唇をゆがめた。
「当然だろ。 聖地一の騎士を決める戦いだ。 俺以外の誰が優勝するっていうんだ?」
自信満々な態度はオスカーの常で、今に始まったことではない。
ヴィクトールにしても慣れたもの、のはずなのに、なぜか今日は胸がざわざわと落ち着かなくなった。

「聖地一の称号も、賞品のお姫様も、すべて俺のモノだ。」
ふっと鼻先で笑うオスカーの視線を感じて、ヴィクトールは気を逆立てた。
戦いに慣れた者同士が感じうる、特有の空気。
オスカーは明らかにヴィクトールを挑発している。
おそらくオスカーは、最後まで残るのがヴィクトールだと確信しているのだろう。
それについての異論はないし、戦いとなればもちろん受けて立つつもりだ。

負けたくない。
あの方をモノ扱いするような男には。
ヴィクトールは久しぶりに血が沸き立つのを感じていた。


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