2.
「私はジョセフ。 気軽にジョゼって呼んでくれていいよ。
フリーのジャーナリストをしててね。 ここには取材がてらきたんだ。」
考えていた設定どおりにオリヴィエは自己紹介を始めた。
暇つぶしだったが、細部まで整えていたのが幸いして、彼女は疑う様子もない。
守護聖として出かけた先の辺境の惑星での出来事を面白おかしく話すと、彼女は初めて無防備な笑顔を見せた。
「で、あんたの名前は?」
オリヴィエが先に自分のことをいろいろ語ったのは、彼女が話しやすくするためだ。
なのに、彼女は一瞬、虚を突かれた様に息を飲み、
「わたくしは…アンナですわ。 ある貴族様のお屋敷で…メイドをしておりますの」
「メイド、ね。」
野暮ったいワンピースも制服であれば納得だし、貴族の屋敷で働くメイドならば、確かにそれ相応の行儀作法は身についていて当たり前だろう。
けれど、彼女の所作はそんなことで納得できるものではない。
今、こうして歩いているだけでも、凛と背筋の伸びた姿勢や優雅な歩き方など、そのあたりにいる娘たちとは明らかに違うのだから。
もしかしたら本当にどこかのプリンセス、かもしれない。
そう思っても、オリヴィエはあえてそれ以上を聞き出すのをやめた。
彼女が何者なのかよりも、今は。
「さ、まずはここに入ろうか。」
オリヴィエがアンナを連れて来たのは、開放的なロビーにたくさんのマネキンが並んだアパレルショップ。
さほど高価ではないけれど、流行をおさえた品揃えで、オリヴィエもこの街に来るのならぜひのぞいてみたい、と思っていたショップだ。
美しさを司る守護聖としては、当然、この程度のトレンドは知っている。
わずかにしり込みしたアンナに、オリヴィエはおおげさなため息とともに肩をすくめて見せた。
「あのね、あんたのその格好。 かなりヘンだよ。
そのまま一緒にいられると、私が恥ずかしいからさ。」
スカートの裾をぎゅっと摘まんだアンナの頬が赤く染まる。
きっと指摘されるまでもなく、自分の姿が不格好なことはわかっていたのだろう。
オリヴィエは彼女の肩をポンと叩くと、少し強引にショップの中へと連れ込んだ。
流行の服がいくつもぶら下がり、カラフルで煌びやかなマネキンたちが並んでいる広々とした店内。
高い天井からは自然の太陽光がふんだんに降り注ぎ、隅々までを明るく照らしている。
これなら、色味が外で着た時と明らかに違ってしまうようなこともないだろう。
真っ白な内装も極力シンプルで、服を邪魔しないのもいい。
「へえ、さすが。」
思わずオリヴィエは声を漏らすと、店内案内の通りにまっすぐレディースのコーナーに進んでいった。
「あ、コレいい。 こっちも似合いそう。 うん、やっぱりこっちかな。」
コーナーをぐるっと一周しながら、オリヴィエは次々と服を手に取っていく。
目的はどうあれ、服を見るのは大好きだ。
聖地では絶対に得られない高揚感にオリヴィエの足取りもつい軽くなった。
ふと振り返ると、アンナはまるで子犬のようにオリヴィエの後ろをついてきている。
こういう場所が初めてなのか、きょろきょろと落ち着かない様子ではあるけれど、退屈しているようではないから、案外彼女もオシャレに興味があるのかもしれない。
最後に試着室の前まで来たオリヴィエは、手に取ったものを一つ一つ広げて、アンナの体に当て始めた。
そして、
「コレ、着てみて。」
ある一枚を彼女の腕に押し付けると、オリヴィエは試着室の扉を閉めた。
彼女が着替えている間に、バッグと靴を選ぶ。
できればアクセサリーもつけたいところだが、彼女の凛とした美しさを引き立たせるには、かえって何もつけない方がいいような気がする。
「あの…。」
控えめな声でカーテンが開くと、着替えを終えたアンナが出てきた。
「わお! やっぱり私の思った通りだね。 あんたにはこういうほうがずっと似合う。」
オリヴィエはぴゅうと口笛を吹くと、にっこりとウインクをして見せた。
「でも…。」
なぜかはっきりしない様子のアンナに、オリヴィエはびしっと人差し指を突き立てた。
「でももなにもないの! 私がいいって言うんだから、間違いなく最高に決まってるでしょ!」
淡いブルーのワンピースは甘めのフェミニンなスタイルで、もちろん流行のオフショルダー。
胸元の大胆なカッティングとタイトなシルエットがセクシーさを醸し出してはいるものの、もともと彼女が持つ清楚な空気感のおかげでイヤらしく見えない。
ただのファストファッションブランドの服がまるでオートクチュールに見えるのは、彼女の着こなしのおかげだろう。
「コレもなんとかしなくちゃね。」
オリヴィエは彼女の背後に立つと、三つ編みをさっと解き、腰まで届く長い髪に櫛を入れた。
少し癖のある髪は、三つ編みされていたせいで、かなりカールのような波がついている。
それをあえて生かすような形にして、オリヴィエはあっという間に軽めの巻き髪を仕上げていた。
「私ならあと20cm髪を切るけどね。」
彼女の髪から手が離れると、くるりと振り返ったアンナと目が合った。
明らかな怒りを含んだ青い瞳。
「願掛けをしているんですの! 叶うまで髪は切りませんわ!」
あまりの勢いにすっかり驚いたオリヴィエは知らずに両手を上げて、降参のポーズをとっていた。
美少女の怒り顔は本気でコワイ。
「オッケー。 あんたの願いが早く叶うように祈っておくよ。」
くすっと笑うと、アンナの顔が真っ赤になる。
素直な反応は可愛らしいし、なによりも…彼女は本当に美しい。
キレイなものが大好きなオリヴィエは、彼女をかざることに、すっかり夢中になってしまっていた。
「じゃ、いこうか。」
それまで着ていたワンピースと靴と造花のブーケをバッグに移し、店を出ようとするオリヴィエを、アンナは慌てて押しとどめた。
「まだお支払いしておりませんわ」
買いたくてもお金がない。
アンナの表情が暗くなったのは、造花売りの少年とのやり取りを思い出したのか。
「大丈夫。 もう支払いなら済ませてあるから。
ホントは試着なんかしなくたって、私の見立てに間違いないってわかってたからね。」
証拠のレシートを見せると、やっとアンナは納得したようだったが、それでもまだ足は動かない。
買ってもらうことに抵抗があるのか。
彼女の生真面目さが好ましく、オリヴィエはつい微笑んでしまっていた。
「どうせなら可愛い女の子と街歩きしたいっていう、私のわがままだから、遠慮しないで受け取ってよ。
それにね、あんたに服を買ったくらいで破産するほどビンボーでもないんだから。」
「…もしかして、これが援助交際というものですの…?」
オリヴィエは思わず吹き出していた。
たしかに当たっているとは言えないが、遠からず、かもしれない。
ここまで直球で来られるとは思ってもいなかったけれど。
「ま、それならそれでいいよ。
とにかくせっかくなんだから楽しもう!」
少し強引に手をひくと、彼女の足が一歩動く。
なんにでも通じることだけれど、最初の一歩を踏み出してしまえば、あとはどうにかなるしかない。
ショップを出た二人を、晩夏にしてはまぶしいほどの明るい日差しが包みこんでいた。
あれから30分。
オリヴィエとアンナはまださっきのファッションビルから、数百メートルも進んでいなかった。
人ごみではぐれないように、と、ジャケットのすそを掴んで歩くようにしたまでは良かったが、物珍しそうに全方向をきょろきょろ見ているアンナに合わせていると、全く前へ進めないのだ。
この街は雑誌でしょっちゅう特集が組まれるほどの観光地で、当然、アンナもそれを見たことくらいはあるのだろう。
青い瞳は好奇心いっぱいといった様子でキラキラと輝いているし、「あ」とか「え」とか、小声で感嘆しているのがオリヴィエの耳に入ってくる。
そうなれば、先を急いで強引に連れて行くのも気が引けてしまう。
ゆっくりとあたりの店を冷やかしながら歩いていると。
「気になる?」
アンナの視線がある個所に釘付けになったことに気が付いて、オリヴィエは足を止めた。
カラフルでポップな看板が目立つ、スイーツのワゴン。
店先には若い女性の行列ができていて、甘い香りがここまで漂ってきている。
「…そんなことありませんわ」
ツンと顔を背けたアンナだが、目が店に吸い寄せられているのがまるわかりだ。
オリヴィエはつま先の向きを変え、その店へと歩き出した。
「そういえばお腹空いたよね。 アレ、食べようよ」
「え」
アンナは一瞬目を輝かせたかと思うと、すぐに恥ずかしそうに頬を赤らめた。
オリヴィエがそう言いだした理由を彼女なりに気が付いていて、恥じているのだろう。
しばらく列に並び、二人はようやくクレープを手にしていた。
歩道の隅には壁を背にして人々が並んでいて、やはりクレープやドリンクを口にしながら楽しそうに話している。
観光地らしい賑やかな風景だ。
「これがクレープですの?」
くるくる巻いたロールの先にアイスやフルーツが盛られていて、ホイップクリームは今にもあふれそうなほど山盛り。
ボリューム満点なトッピングも色鮮やかで美味しそうだ。
「そうだよ。 私のがイチゴで、あんたのがチョコ。」
ぽかんと口を開けて、アンナは手にしたクレープを見つめている。
「いつも食べているクレープとは全然違いますわ。」
「へえ。 クレープって言ったら、コッチの方が普通だと思うけどね。
あんたが食べてるのって、どういうの?」
「ええ、こんなふうに巻いてあるのではなくて、お皿の上に何枚かが並んでいるんですの。
ソースももっとドロッとしていて…。」
「ああ、そういうのね。」
オリヴィエは頭の中で、シェフがワゴンの上でフランベしているシーンを思い浮かべていた。
確かに上流階級ならクレープと言えば、アレなのかもしれない。
食べ方に戸惑っている所を見ても、やはり彼女は、いいところのお嬢様なのだろう。
「でも、こちらのほうが美味しいですわ。」
アンナは悪戦苦闘しながらも、嬉しそうに口いっぱいに頬張っている。
透き通るような白い頬がほんのりと赤くなって、蒼い瞳がキラキラと輝いて。
紙を食べそうになって、慌てて、手元を見直しているのも可愛らしい。
けれど、やはり、手づかみで食べることに慣れていないのだろう。
オリヴィエは、ふっとほほ笑むと彼女の頬に指を寄せた。
「これ、ついてるよ。」
「え?」
オリヴィエの指先には、真っ白でふわふわなホイップ。
小さい子供のようなミスに、アンナの頬がますます赤くなった。
「す、すみません。 はしたないことを…。 ああっ!」
オリヴィエが指についたホイップをぺろりと舐めると、アンナが声を上げた。
けれど周囲の目が一斉に自分に向いたのに気が付いて、悲鳴になりかけた声をぐっと飲み込んでいる。
上目づかいでじろりと睨むアンナを無視して、オリヴィエはわざと舌先でホイップを味わった。
チョコと混ざり合ったホイップは、なんだかいつもよりもずっと甘く感じて。
「ん~、チョコも美味しいね。」
オリヴィエがアンナにウインクをすると、アンナは頬を真っ赤にしたまま、目を丸くして固まっている。
彼女が見た目よりもずっと純粋無垢なことは、今までの時間だけでも十分に分かっていたが、まさかここまでとは。
ちょっと刺激が強すぎたのかも、と、オリヴィエが少し反省していると。
アンナは突然真剣な瞳で、
「わ、わたくしもイチゴ味が食べたいですわ!」
オリヴィエにねだってくる。
予想と全く違うことを言われて、今度はオリヴィエが固まった。
色っぽいモーションなど、彼女には全く通用していなかったらしい。
「しょうがないねえ。 はい。」
肩をすくめて、オリヴィエはクレープを彼女の口元に寄せた。
「食べてイイよ。」
食べやすい位置に寄せたというのに、アンナは一向にかぶりつかない。
恥ずかしがっているのだろうけれど、ついイジワルしたくなる性分のオリヴィエにとっては、逆に面白いネタになってしまう。
「ホラ、いらないの? イチゴはフルーティですっきり甘いよ~。」
チラチラと思わせぶりに振って見せても、なかなか彼女は乗ってこない。
仕方がない、とばかりに、オリヴィエがクレープを遠ざけようとすると、
「あ」
アンナの声がして、やっとパクリと食いついてきた。
「美味しい!」
小さく齧り取られたクレープの片隅。
アンナは極上の笑顔でクレープをかみしめている。
「チョコの蕩けるような甘さも良いですけれど、イチゴのフルーティな酸味もたまりませんわね!」
うっとりと両頬を抑えながらの感嘆のため息。
「ふふ。」
その様子があまりにも可愛らしくて、オリヴィエが彼女の方に手を伸ばすと、アンナはさっと飛び退った。
どうやらすっかり警戒されているようだが、それも子猫のようで面白い。
「も、もう、引っかかりませんわよ。」
少し得意げで、青い目には悪戯な光がきらりと宿っている。
オリヴィエは大げさにため息をついて、首を横に振った。
「そっか。 そんなにチョコをほっぺにつけていたら、恥ずかしいと思ったんだけどね。」
「ええ?!」
慌てて左頬に手を当てたアンナの右頬にオリヴィエは素早く唇を寄せた。
「きゃあああ!!!」
頬とはいえ、いきなりのキスに、アンナがたまらずに大声をあげると、周囲の視線が一斉に二人に集まる。
けれど、それも一瞬のこと。
賑やかな通りでは、すぐにそれぞれがまた自分たちの世界に戻ってしまう。
よほどの有名人でもない限りは当たり前のことなのだが…オリヴィエにはそれが楽で心地よい。
「…ジョゼ…。」
地の底から届いたような暗い声に、オリヴィエはそれが自分をさしているのだということに気づくのが遅れた。
もちろん偽名だったせいもあるが、それ以上にアンナの足元に転がったブツに目が吸い寄せられたからだ。
驚きすぎて、思わず手を離してしまったらしい。
彼女のクレープが無残な姿で石畳に落ちている。
「く、クレープが・・」
今にも膝から崩れ落ちそうなほどがっかりしているアンナに、オリヴィエは自分のクレープを握らせた。
「ご、ごめん」
黙って落ちたクレープを見つめているアンナ。
「新しいの、買ってこようか? ちょうど今、列も途切れてるし。」
ここまで焦ったのは、人生でもそうはない。
オリヴィエは静かな怒りをたぎらせているように見えるアンナをその場に残し、即座に新しいクレープを買いに走った。
最後までアンナがチョコと悩んでいたキャラメルを、お釣りもそこそこにダッシュで持ち帰る。
「あれ?」
心臓をバクバク言わせながら元の場所に戻ったオリヴィエは、彼女の姿が見えないことに青ざめた。
怒って帰ってしまったのか。
まさか悪いオトコにつかまっていたりはしないだろうか。
よくない想像がちらついて、頭痛さえ感じ始めてしまう。
ところが。
「本当にもう一つ買っていらしたの?」
人ごみの中からアンナが優雅な足取りで歩いてきた。
オリヴィエが見立てたワンピースは本当に彼女に良く似合っている。
柔らかく吹く風に揺れる長い髪。ひざ丈のスカートからすらりと伸びた形の良い脚。
美しく清楚な彼女に男性の視線が集まってくる。
オリヴィエは彼女に駆け寄ると、その手にクレープを握らせた。
「買ってくるって言ったでしょ? あんたこそ、どこに行ってたのさ。」
叱る意味を込めて、強い視線で睨むと、アンナはにっこり笑って
「落ちたクレープを片付けたんですの。 街を汚してはいけませんでしょう?
ジョゼの方こそ、急にいなくなって驚きましたわ。」
「ああ…そう…」
全く反省の色の見えないアンナに脱力して、オリヴィエはどさりと背中を建物の壁につけた。
振り回しているつもりで、実は振り回されているのかもしれない。
ふう、とため息をついていると、不意にオリヴィエの鼻先を甘い香りが掠める。
「どうぞ。 キャラメルも美味しいですわよ」
「ああ、ありがと。」
オリヴィエがぱくりと齧ると、アンナはとても嬉しそうに笑った。
その後も雑貨屋を冷やかして、面白い形のサングラスを二人で試してみたり。
広場のギターの弾き語りに耳を傾けたり。
楽器屋の展示ピアノを連弾したり。
まるでデートのように、あちこちを歩き回った。