4.
オリヴィエが聖地に戻った途端、女王試験の開始が告げられた。
詳細も知らされないまま、女王の間で二人の女王候補に対面したオリヴィエは、驚きのあまり、声を失っていた。
金の髪の女王候補アンジェリークと青い瞳の女王候補ロザリア。
「ロザリア・デ・カタルヘナと申します」
ブルーのドレスのすそを摘まみ、優雅な仕草でひざを折るロザリア。
長い青紫の髪は、あの日よりもきっちりと巻かれていて、お嬢様らしい雰囲気を醸し出しているけれど。
忘れようとしても忘れることができなかった輝きを秘めた青い瞳や。
凛と背筋の伸びた立ち姿や優雅な歩き方まで。
彼女は、あの日の『アンナ』そのままだった。
「オリヴィエ様。 育成をお願いいたしますわ。」
育成のお願いのために夢の執務室を訪れたロザリアは、綺麗な淑女の礼をして見せた。
完璧な女王候補と自ら宣言するとおり、彼女の育成は、もうひとりの女王候補を完全に圧倒している。
「はいはい。たくさんでいいんだね?」
あえて確認すると、ロザリアはちらりと視線だけをオリヴィエに向けて、
「はい。たくさんお願いいたします。」
すぐに立ち去ろうとした。
彼女の背中は拒絶のオーラとでも言えばいいのか、ある種、人を寄せ付けない殻のようなものがある。
もう一人の女王候補のアンジェリークも、オリヴィエのところに来るたびに
「ロザリアったら、全然わたしと話してくれないんです」
と、ブツブツ文句を言っていた。
人懐こさ全開のアンジェリークにしてみれば、ロザリアの態度は不可解らしい。
「だって、二人だけの女王候補なのに、仲良くしたいじゃないですか!」
オリヴィエにもその理由はちょっと理解できないけれど、ロザリアのあの硬い表情はよくないと思う。
あの時のように素直に笑えばいいのに。
オリヴィエだけがあの笑顔を知っていると思えば、なんだか特別感があるようにも思えるけれど、できれば彼女の良いところを皆にも見てほしい。
「ね、今度のディアのお茶会には行くの?」
土の曜日にディアの私邸で開かれるお茶会は、守護聖達も集って、貴重な憩いの時間になっている。
アンジェリークは休まず出席しているのに、ロザリアは時々しかやってこない。
おかげで、守護聖の評価は育成の結果に反してアンジェリークの方が高いのだ。
「ご遠慮させていただくつもりですわ。 学習しておきたいところがありますの。」
まるでぴしゃっとシャッターを閉められるような返答。
おそらくほかの守護聖なら、ここで諦めてしまうのだろう。
けれどオリヴィエは引き下がらなかった。
「学習ねえ。 ま、確かに大事かもしれないけど、頭でっかちの女王様なんて民は嬉しくないんじゃない?」
「…それはどういう意味でしょうか?」
ロザリアの美しい眉がきりりとつり上がる。
「守護聖とだって信頼関係を築かないといけないと思うしね。 一緒に宇宙を守っていくんだよ?
力を合わせるなら、お互いをもっと知らないとダメでしょ。」
オリヴィエの意見はロザリアの痛いところをついているはずだ。
先日の4回目の定期試験は、今までの建物の数の比較ではなく、守護聖の推薦を競うものだった。
もちろん、それは親密度の高さ=親しさを意味していて。
ここまで負け知らずだったロザリアは、アンジェリークに初めて惜敗することになったのだ。
「そうかもしれませんわ」
もっと反抗されるかと覚悟していたのに、ロザリアは思いのほか、素直にオリヴィエの意見を受け入れていた。
彼女自身、なにか思うところがあったのかもしれないし、ただの気まぐれかもしれない。
それでも、小さな彼女の変化をオリヴィエは嬉しく思っていた。
「あの、なぜ、オリヴィエ様はわたくしに構うのですか?」
「構ってる? そうかな?」
「ええ。 …他の守護聖様は誰もそんなことをおっしゃいませんわ。」
「私は思ってることを我慢できない性質なんだよ。 あんただけに、ってわけじゃないさ。」
「日の曜日のお誘いも全てお断りしておりますのに、まだ話しかけてくるのもオリヴィエ様だけです。」
「へえ、全員断ってるってことは、私だけが特別嫌われてるってわけじゃないんだね。 安心したよ。
で、次の日の曜日は? 空いてるなら、庭園でも行かない?」
「結構です。 お茶会に行くことにしましたので、日の曜日は学習いたしますわ。」
「そう。 じゃ、お茶会で待ってるね。」
オリヴィエは、わざとらしくにっこりと笑みを形作った。
ロザリアは不信感たっぷりの視線でオリヴィエを見ていたが、やがて諦めたように肩を落とした。
「では、育成をよろしくお願いいたします。」
「了解」
ヒラヒラと手を振ったオリヴィエにロザリアは少し眉をひそめて執務室から出て行った。
「なんで構うの、か…」
オリヴィエは大きなため息をついて、執務机に突っ伏した。
ロザリアは気が付いていないのだ。
…オリヴィエが『ジョゼ』だということを。
あの時、ノーメイクでメガネをかけていたオリヴィエは、たしかに執務服の今と全く別人に見えるだろう。
事実、オリヴィエ自身、ちょっとした変装のつもりだったのだから。
けれど、これだけ近くにいて、話もしているのに、全く何も感じないということがあるだろうか。
はじめのうちこそ、わざと知らんふりをしているのではないかとも疑っていたが、彼女を知るにつれ、そんな器用なことができるタイプではないと分かってきた。
彼女の中の『ジョゼ』と『オリヴィエ』は繋がっていない。
今、彼女の心を占めているのは…誰なのだろう。
土の曜日。
少し早めにお茶会の会場についたオリヴィエは、準備をしていたディアに声をかけた。
「今日のデザートって何?」
「あら、オリヴィエ。いらっしゃい。 あなたがお菓子を気にするなんて珍しいのね。」
ディアは楽し気に笑いながら、オリヴィエにデザートを見せてくれた。
フルーツのショートケーキや、プリンにムース。 焼き菓子も数種類あり、どれもおいしそうだ。
そのうち、パラパラと人が集まりだし、あちこちに会話の輪ができ始めた。
オリヴィエも紅茶を飲みながら、暇つぶしに年少組をからかっていると。
アンジェリークが、
「ロザリア、ちょっと遅れると思いますよ」
オリヴィエのところへやってきた。
アンジェリークは持ち前の天真爛漫さで、オリヴィエにも気安く話しかけてくる。
それに、少女特有のある種の勘が働いているのか、どうもオリヴィエの関心がロザリアにある事に気が付いているらしい。
なにかというとロザリアの情報を教えてくれるのはありがたいことでもあるのだが…。
ロザリアの前でもこの調子なので、ヒヤヒヤすることも多い。
「なにかあった?」
「はい。 フェリシアで洪水被害があったみたいなんです。」
「洪水?」
治水は大陸の育成で重要なテーマの一つだ。
豪雨になっても干ばつが起きても、民の暮らしはきつくなる。
「それじゃ来ないかもしれないね。」
「あ、お茶会には行くって言ってましたよ。 約束したからって」
「そっか」
生真面目な彼女のことだから、本当はフェリシアの民が苦しんでいるときに、のんきにお茶をする気にはならないだろう。
ただ、オリヴィエとの約束を守るという義務感だけだ。
励ましたいし、力になりたいと思うけれど、今のオリヴィエがなにかを押し付けても、彼女の心には響かないかもしれない。
「ディア、ちょっとキッチンを借りてイイ?」
「ええ、構いませんわよ。」
「材料も使っていいかな」
「ええ。 あるものでしたらどうぞ。」
ディアの了解を得たオリヴィエは、シャツの袖をまくると、卵や小麦粉などの材料を取り出した。
一人暮らししたこともあるし、美容と食事は密接な関係があることもあって、オリヴィエは料理に抵抗がない。
慣れた手つきで卵を割り、ボウルを混ぜた。
生クリームもフルーツも、残り物で十分だ。
オリヴィエはフライパンを温めると、
「アンジェ、ちょっと。」
と、手招きをして呼び寄せた。
「え? 別にイイですけど。 …それって、ロザリアのためですよね?」
「まあ、そんな感じ」
「じゃあ協力します! そのかわり、わたしにも今度協力してくださいね!」
「おっけ」
こそこそ二人で話していると、やっとロザリアが姿を現した。
表情や態度はいつも通りで、とてもトラブルがあったとは思えないほどだ。
けれど、やはり少し疲れているのか、瞳の奥には暗い影が見える。
「ロザリア―!」
早速アンジェリークが駆け寄っていく。
少女特有の賑やかさが広がって、テラス全体が華やかになった。
アンジェリークはロザリアを手近な椅子に座らせて、リュミエールが淹れてくれたハーブティを勧めている。
ハーブティを一口飲んで、ホッとしたような笑顔を浮かべているロザリア。
アンジェリークが「ちょっと待ってね!」と言って、オリヴィエの待つキッチンに戻ってきた。
「これですね。」
「そう。あんたの分もあるから。」
「ロザリアがこれを好きなんてホントかな~。」
アンジェリークは両手でクレープを持って、ロザリアのところに走っていく。
「ロザリア! 一緒に食べよ。」
勢いよく目の前に差し出されたクレープに、ロザリアの目が丸くなった。
仲良く並んでクレープを食べ始めたロザリアとアンジェリークはとても楽しそうだ。
ロザリアの眉間のしわもなくなっているし、アンジェリークもいつもの10倍はおしゃべりになっている。
甘いものは女の子を幸せにする、と言ったのは誰だったか。
濃厚なチョコソースにたっぷりの生クリーム。
それからイチゴも包んである。
もちろんプロではないから、すこし皮は厚めになってしまったけれど、味は保証付きだ。
アンジェリークの頬についたクリームを、ロザリアが笑いながら、ハンカチで拭いている。
それを見て、ランディがなにか冗談を言ったのか、ゼフェルが怒りだして、二人の仲裁にマルセルが間に入っている。
やっとルヴァがなだめるのに成功したかと思えば、またオスカーが茶々を入れたらしい。
真っ赤になるアンジェリークにリュミエールがお茶を勧めている。
とても平和で楽し気な光景。
ロザリアの年相応の少女らしい笑顔がキラキラと眩しい。
よそよそしかったロザリアと皆の間の空気が、ほんの少し和んだようにも思える。
オリヴィエはキッチンの影でくすりと笑った。
それから。
「はーい、ロザリア。」
黒い羽根飾りをヒラヒラさせて、ロザリアへと近づく。
彼女は一瞬だけ少し困ったように眉を寄せて、すぐに淑女の礼をした。
「ごきげんよう、オリヴィエ様。 今日は何の御用ですの?」
「やだねえ。 いつも別に御用なんてないよ。 ちょっとあんたと話でもしようかな~って思っただけ。」
ふふ、と笑いながら、ブレスレットをシャランと鳴らすと、ロザリアはあからさまにため息をこぼした。
「そんなに毎日お話することなんてございませんわ。」
「アレ? 昨日は会ってないと思うけど。」
「…一昨日は執務室にお伺いしましたわ。」
どんどん歩いていってしまうロザリアに早足で並んで話しかける。
こんなやりとりも、もう日常茶飯事。
すれ違うルヴァもリュミエールも、にっこり会釈をするだけで、二人に話しかけてくることはない。
「ね、美味しいお菓子があるんだよ。 それだけでも食べない?」
オリヴィエがささやきかけると、ロザリアの足がぴたりと止まる。
そこは炎の執務室の前。
そういえば、フェリシアには炎の力が不足しているとデータに出ていた。
「…少しだけでしたら、育成のお願いに回った後、伺いますわ。」
長い巻き髪の隙間から、ほんのり赤くなった耳が見える。
オリヴィエは
「オッケー! じゃ、お茶の準備して待ってるからね!」
睫毛をバサバサさせて大きなウインクをした。