Out of the blue
2.
事の起こりは2週間前。
ロザリアは聖地の博物館で、収集品の整理をしていた。
本来、そんなことは補佐官の仕事ではないが、偶然目にした博物館の目録の中に、どうしても気になる品があり、確認したいと思ったのだ。
ただ、さすが聖地の博物館とでも言おうか。
収集品はかなり広範囲に渡っていて、その品にたどり着く前に、目録にいくつか欠品があることに気がついたり、補修した方がいい物を見つけてしまったりした。
それに、アンティークが好きなロザリアにとって、収集品を見ることは純粋に楽しく、興味もあったのだ。
何度も通ううち、関係者しか許されない特殊な鍵も預かり、ロザリアは、博物館の宝物殿にまで出入りするようになっていた。
今でも、あのときのことを思い出すと、ロザリアは死にたくなるほど悔しくなる。
聖地という場所で、すっかり警戒心が緩んでいたのか。
ただ、自分が愚かだったのか。
いつものように、博物館の中に入ったロザリアは、珍しく館内に観覧者がいることに気がついた。
もちろん、博物館は一般に公開されているから、人がいるのは不思議ではない。
聖地に勤める職員やその家族は当たり前にやって来る。
もっとも美術館に比べ人気がない、という点で、本当に人が訪れることはまれなのだ。
だから、ロザリアはあたりまえに話しかけた。
「ごきげんよう。なにかお探しかしら?」
博物館は広く、なかなか初見の人間で、お目当ての展示を探すことは難しい。
少しでも手助けになれば、と好意からの申し出のつもりだった。
ところが、観覧者はぺこりと頭は下げたものの、何も言わずに奥へと去って行ったのだ。
好意にすげなくされたことで、多少、もやもやとはしたが、ロザリアは特に気にせず、先日の整理の続きをしようと、宝物殿の棟へ足を向けた。
ロザリアが整理をしていたのは、高価な宝石が集められた展示室だ。
目録と見比べて、間違いや欠品、もしくは目録にないものが混じっていないかを確かめていく。
一人きりの作業は単調だけれど、退屈ではない。
見事な宝石は見ているだけで目の保養になるからだ。
その中でロザリアは、とうとう気になっていた品を発見した。
巨大なドロップ型のブルーダイヤ。
手のひらに乗せるほどの大きさがあり、ブルーの濃さも、カットの輝きも間違いなく最高峰の逸品だ。
ロザリアは手袋をし、慎重にケースから石を取り出した。
台座はプラチナで、4つの爪がしっかりとダイヤを支えている。
その先端に小さな輪がついているが、金具はなく、ダイヤがどう使われてたのかは不明だ。
「やっぱり・・・似ていますわ」
ロザリアは子供の頃、父に見せられたカタルヘナ家の家宝を思い出していた。
厳重な金庫の奥にしまわれていた、子供の手に溢れるほど大きなブルーダイヤ。
カタルヘナ家の者によく出る瞳と髪の色をイメージして作られたピアスの一方だと聞かされた。
片方は、長い年月の間にいつの間にか失われてしまったらしい。
家が傾きかけたときに売った、という話や、数代前の当主が双子でそれぞれに分けた、という話、もともと一つしかなかったという話もあり、真実は不明だ。
そもそもこんな大きなブルーダイヤが二つもあるという方がありえないかもしれない。
ただ、
「いずれはお前の物になるんだよ」
そういって、ロザリアの髪を撫でてくれた父の手の温かさは覚えている。
「これは、うちのものかしら。それとも・・・」
なくなったという片割れ?
その時、ダイヤを手に考え込んでいたロザリアの頭におちた、強い衝撃。
その衝撃にあっさりと意識を手放したロザリアは、床に崩れ落ちていた。
「ねえ、どうしたの?なにがあったの?」
遠くから聞えてくるオリヴィエの声に、ロザリアはぼんやりと目を覚ました。
なぜか床の上に座り込んでいて、オリヴィエに抱き起こされている状態。
ロザリアはすぐには何が起ったのかわからず、辺りをきょろきょろと見回した。
「お茶の誘いに補佐官室に行ったら、午後から戻ってないって聞いてさ。ここだと思ってきたらあんたが倒れてたから・・・ねえ?どうかしたの?」
心配そうにのぞき込むオリヴィエのダークブルーの瞳に、ロザリアははっとした。
後頭部の痛みと共に蘇ってきた、あの瞬間。
手に乗せていたダイヤはもちろん跡形もなく消えている。
「わたくし・・・とんでもないことを・・・」
事態を理解したロザリアの全身がガタガタと震え出した。
ロザリアが勝手に宝物庫から取り出していた最中に、ダイヤを何者かに盗まれたのだ。
これが公になれば、ロザリアもただでは済まないだろう。
補佐官の地位剥奪もありえる、大失態だ。
血の気の引いたロザリアを優しく抱きしめ、オリヴィエは彼女からここで起きたことを全て聞き出した。
だが、もはや、どうすることもできない事に変わりはない。
ロザリアが襲われたとき、まだ高かった日も、すでに夕暮れのオレンジ色に変わっている。
計画的な犯行であれば、犯人はとっくに聖地から逃げ出しているはずだ。
「とりあえず、このままにしておこう」
オリヴィエはロザリアを立たせると、その両手をしっかりと握りしめた。
彼女の手はすっかり冷え切っていて、足にも力が入らないのか、わずかにふらついている。
「大丈夫。この宝物庫に何があるかなんて、誰も気にしちゃいないからね。一つくらいなくなったってわかりゃしないさ」
「でも」
「どうせここに置いてあるだけのものだったんだ。ここじゃなくて別のところで保管されてるってだけでしょ?」
「でもわたくしが」
「盗まれた、って騒ぎを起こしたって、誰も得しないよ。あんたが責任を取るっていうのかい?弁償でもするの?そんなことしたって、ダイヤが戻ってくるワケでもない。もしも聖地追放なんて事になったら、あんただけじゃない、陛下だって悲しむ事になるんだ」
「アンジェも…」
ロザリアは明らかに狼狽している。
潔癖で真っ直ぐなロザリアなら、きっとこの事態の責任を取り、自ら聖地を出るくらいの覚悟をしているだろう。
けれど、そんなことをさせる訳にはいかない。
女王陛下がロザリアと離れたくないのは事実だろうが、オリヴィエとて、それは同じだ。
「最初からここにはなにもなかった。そうでしょ?」
オリヴィエは落ちていた目録を拾い上げると、ブルーダイヤの項目に赤いラインを引いた。
それは他にもあった欠品と同じ扱い。
目録にはあるけれど、倉庫にはないものだ。
「今日あったことは二人だけの秘密にしよう。最初からこのダイヤはここになかった。いいね」
念押しするオリヴィエに、ロザリアは青ざめたまま頷いた。
100%納得はしていなくても、オリヴィエに逆らうだけの気力がもうなかったのだ。
結局、二人が口をつぐんでさえいれば、膨大な博物館の収集品が一つなくなったところで誰も気がつかない。
ロザリアも落ち着かない気持ちを抱えながらも、なるべく、あの日のことは頭の隅に追いやろうと努力した。
実際、急に執務が立て込んできて、博物館に行く時間もままならない日々。
それはそれで忘れるためには都合が良かった。
オリヴィエはロザリアの様子を気にして、何度か会いに行ったが、彼女はなんとか執務をこなし、日常を取り戻しつつあるようだった。
不安そうなロザリアを慰めるために、美味しい紅茶やチョコレートの差し入れをする。
オリヴィエにほほえみかける笑顔は、まだ少し硬いけれど、そのうち、忘れられるだろう。
ダイヤとはいえ、たかが石ころ一つ。
ロザリアの存在に変えられるはずもない。
ところが、事件から10日後。
届いた小包を開けて、中身を確かめたオリヴィエは目を見開いた。
あるオークションの主催者から届いた小包は、開けるのに手間がかかるほど厳重に封がされていて、立派な金の箔押しがされた薄めの冊子が入っていた。
次回のオークションの目録らしい。
ジュエリー集めを趣味の一つにしているオリヴィエは、過去に数回、そのオークションで落札していた。
どれもアンティークの一点物で、かなり値が張る物だったが、品質はたしかでお気に入りのジュエリーになっている。
どうやら一度でも利用すれば、次回から案内状が送られるようになっているらしく、オリヴィエの偽名先にもこうして届いてくるのだ。
けれど、今回はいつもの案内に比べて、ずいぶん豪華なつくりになっている。
いつもは簡単なカード程度なのに、今回はカード以外にこんな冊子までついてきているのだ。
ふと見れば、カードには『特別なお客様への案内』と書かれていた。
たしかに、オリヴィエは一度の落札で軽く主星で家が建てられるほどの金額を使うのだから、お得意様に認定されているのだろう。
気まぐれにぱらぱらと冊子をめくってみれば、どれも素晴らしい逸品ばかり。
ジュエリー以外にも絵画や陶器、骨董品まで品物は様々だ。
ふと、あるページでオリヴィエの手が止まった。
今回のオークションの最大の目玉。
それがあの盗まれたブルーダイヤそのものだったのだ。
「これ、見て」
早々に席を立ったオリヴィエは、補佐官室に急ぐと、ロザリアに冊子を見せた。
「あのダイヤ?!・・・台座が外されているようですわね。ルースになっていますわ」
特徴的だった爪と先端の輪がなくなっているが、形といい、大きさ、色味もまるであのダイヤだ。
「この解説もすごくあやしいと思わない?旧家からやんごとない事情で放出された逸品で、詳しい事情は明かせません、だって」
もっとも、解説に書かれていることは珍しいことでもない。
家業の低迷や相続などで、どうしても秘蔵の品を手放さなくてはならないとき、プライドを守るために、素性は明かさずオークションに出すことは、ままあるからだ。
主催者側はもちろんきちんと把握していて、それが保証の一つにもなっている。
しかし、ここまで同じものが、あの事件の後すぐにオークションにでてくるなんて、偶然とは思えない。
「私はあのダイヤじゃないかと思うよ」
「なぜそう思われるんですの?」
確信を感じるオリヴィエの言葉にロザリアは問いかけた。
「この開催地だよ。惑星シュライヤ」
オリヴィエの整った爪先が、オークションの開催地を指さす。
「この惑星は昔から闇の商品が流れてくることが多いんだ。一種の治外法権みたいになっててね、たとえ盗品であっても、ここなら正規品と同列にさばけるんだよ」
「まあ、そんな惑星が・・・」
ロザリアにはまったく馴染みのない惑星だが、オリヴィエはよく知っていた。
盗品とわかっていても欲しいものがある時、この惑星を経由するのはちょっとしたコレクターには有名な話だ。
まさか、こんなところで世話になるとは予想もしていなかったが。
「オークションは10日後になってるね」
開催日まであまり時間はない。
オリヴィエは前髪をかきあげると、小さく頷いた。
「私がこのオークションに参加して、ダイヤを競り落としてくるよ。あんたにも少しお金を融通してもらうことになるかもしれないけど。たぶん、なんとか競り落とせる額に収まると思う」
目録には落札金額のだいたいの目安が書かれている。
極端な値動きを押さえるための物だが、オリヴィエの予想もだいたい同じくらいだ。
おそらく十数億はくだらないだろうが、オリヴィエの私財を全て処分して多少借金すれば、買えない額ではない。
守護聖という身分は鬱陶しいが、こういうときは抜群の力を発揮する。
「オリヴィエが?!」
ロザリアは青い瞳をまん丸に見開いていて、大きく首を振った。
彼女らしくない幼い所作は、かなり動揺しているのだろう。
「いけませんわ。もともとはわたくしのミスから起きたことですもの。落札するのはわたくしの役目ですわ。あなたにお金を出させたりするなんて出来ません」
ロザリアなら当然そう言うと思っていた。
けれど、そればかりは無理な相談だ。
「いや、あんたは知らないだろうけど、いくらお金があってもあんたはオークションに参加出来ない」
「どうしてですの?!」
「女の子だから」
オリヴィエはシュライヤの特殊性をロザリアに説明したが、彼女はどうしてもオークションを見届けたいと譲らなかった。
「お願いです。あなたひとりに何もかも押しつけるなんて、わたくしにはできません。足手まといにならないようにいたしますから、どうか、一緒に」
全て任せてくれていいのに。
ロザリアのためならなんでもするのに。
オリヴィエは言いかけた言葉を飲み込み、土下座仕掛けたロザリアを慌てて押しとどめた。
「わかった。手はずを整えるから、少し待って」
「ありがとう、オリヴィエ」
まっすぐな青い瞳にすがるように見つめられ、オリヴィエも頷き返した。
彼女を連れて行けば、一人よりも危険度は増すかもしれない。
それでも、彼女が望むなら、あとは全力で守り通すしかなかった。