Out of the blue
3.
あらゆるコネクションを使い、二人がこの惑星シュライヤに秘密裏にやってきたのは、昨日の朝だ。
それからどうやって、オリヴィエが伝手を辿ったのかわからないが、なんとかこのカジノに潜り込むことができた。
「昔ちょっとね。たまたま知り合いがいてさ」
オリヴィエはのんきな様子で笑っていたが、この惑星では金が力だ。
多少鼻薬を効かせれば、無理が通ってしまうらしい。
だからこそ、闇のマーケットなんてものが開かれるのだろう。
「オークション自体はあさってらしいよ。でも、その参加者達は前日の夜、カジノで遊ぶのが普通みたい。できれば、そこでどんな奴らが来てるのか確認しておきたいよね」
「そうですわね。人となりがわかれば、対処方法も見つかるかもしれませんし」
事前の調査で、ブルーダイヤをほしがっている人物は数人だった。
だが、いずれもかなりの富裕層で、放っておけば値がつり上がってしまう可能性がある。
偵察、とロザリアには念押ししたが、オリヴィエとしては、少し相手の体力を削っておきたいという希望もあった。
ディーラーとして潜り込んだのもそのため。
カジノで吐き出させて、オークションを諦めてもらうつもりなのだ。
上手くいくとは限らないが、自分の腕にはそれなリの自信がある。
オリヴィエは緊張した面持ちで座っているロザリアをちらりと見た。
彼女は気がついていないけれど、もう、オークションは始まっているのだ。
チン、という無粋な音で、ロザリアは意識を取り戻した。
ぼうっと過去を考えている余裕はない。
大切なのは、今、自分ができる最善を尽くすこと。
エレベーターのドアが左右に開くと、そこはまばゆいばかりのシャンデリアが輝く、恐ろしいほどの広さのホールだった。
いくつも並んだポーカーテーブル。スロットマシン。ルーレット。
惑星シュライヤ最大のカジノホールは、高価な葉巻の匂いとあでやかな香水の香りが漂う別世界だ。
きらびやかな内装は、派手なだけでなく、上品で、調度品から飾られた花の一輪まで、全て最高級の品で揃えられていた。
所々に飾られた絵画も、どこかの美術館に収められていてもおかしくないようなものばかり。
飲み物のグラスでさえ一脚十万円以上はする高級品だろう。
招待客もハイブランドのオーダータキシードを身にまとい、連れている女性もきらびやかなドレスに身を包んでいる。
聖地でも時折パーティは開かれるが、ここまで金にあかせたものはない。
自分の資産と権力を誇示したいための集まり。
そんな卑しさがどうしてもカジノという場所にはつきまとう。
ロザリアは他のバニーガール達に紛れ、トレーに飲み物を乗せ、ホールを歩いて配って回っていた。
ブルーダイヤを狙っていると思われる人物の顔はオリヴィエからの資料で記憶しているから、その周辺は特に注意して、様子をうかがう。
さすがにこのレベルの集まりでは、バニーガールに何かを仕掛けてくるような人間はいない。
むしろ彼女たちは人間扱いなどされていないのだ。
ただの便利な動く道具。
今の状況ではかえって楽だが、一人の人間としては腹立たしい。
オリヴィエはあるターゲットに狙いを絞ったらしく、同じポーカーのテーブルについている。
ちらりと見たオリヴィエの手さばきは見事で、他のディーラー達からも一目置かれているようだ。
見た目も華やかで客あしらいも上手いせいか、彼の卓は人が集まっていた。
目当ての客は確認し、その様子でおおよその雰囲気もわかった。
一人は明らかな成金。一人は投資目的。
もう一人は、連れている女性へのプレゼント用らしく、さかんに「買ってあげる」と口にしていた。
この三人は値が上がれば必ず降りるとロザリアは確信した。
あとはオリヴィエの卓にいる男が一番の強敵だが、彼はオリヴィエがなんとかしてくれるに違いない。
目的を果たして、ようやく張り詰めていた気が少し緩んだロザリアは、背後から向けられる強い視線に気がついた。
まるで、獲物を狙う猛禽のような目。
思わず視線の先を振り返ると、そこはホールの最奥のVIPスペースだ。
このカジノで最上級の客。
すなわち、この惑星シュライヤで最高の権力を持つ者がいる場所。
まともにぶつけられた無遠慮な視線を、ロザリアは怯むことなく見つめ返した。
いささか挑発的だったかもしれないが、数多くの人間を思い通りにしてきた傲慢さがわかる視線に、屈するつもりは毛頭なかったのだ。
見るだけでロザリアがすり寄っていくとでも思われているのだろうか。
そんなことはロザリアの誇りが許さない。
「ほう」
VIPスペースの奥で男がクスリと笑った。
男の視線に気がついて、ここまではっきりと見つめ返してきた女は初めてだ。
しかも、男が誰なのかと気がついていての所業。
たかがバニーガールと思っていたが、面白い。
男が立ち上がると、とたんに「きゃ」と、いくつかの女の声が上がる。
侍らせていた女達が急な男の動作に驚いてあげたのだが、その声に立ち止まる男ではない。
慌てて着いてくる女達に目もくれず、VIPスペースのカーテンから男が姿を現すと、ホール全体がざわざわとさざ波が立つように揺れる。
男の持つ圧倒的な存在感がホールの空気を一変した。
男は手近にいたボーイを呼び止めると、何事かを耳打ちしている。
ボーイの表情がさっと険しく変わり、ロザリアを認めると、急ぎ足で駆け寄ってきた。
「カシム様がお呼びだ」
ボーイが言いにくそうにしているのは、この後のことを想像しているからに違いない。
カシム・シュライヤ。
ロザリアも資料で見て、その名前と顔は知っている。
この惑星の王太子で、王に等しい富と権力を保持する男。
実物は、ただ写真で見ただけとはあきらかに違うオーラを放って、その場を完全に支配している。
ロザリアは一瞬、息をのみ、すぐに再び男をまっすぐに見た。
すらりと伸びた長身はオリヴィエと同じくらいだが、年は僅かに上、20代後半だろうか。
精悍さを醸す浅黒い肌に彫りの深いオリエントな容貌。
金色に光る鷹のような瞳が印象的で、すっと伸びた黒い眉が理知的な雰囲気を与えている。
さすがは評判の高いプレイボーイ。
地位と資産はもちろん、その容姿だけでも女性は群がってくるだろう。
他の招待客やボーイなどが西洋風の服装をしているにもかかわらず、彼は民族の正装である長いベールとゆったりとしたドレスのようなものをまとっている。
それもまた一種の威圧感となり、彼が特別な存在であることを誇示するかのようだ。
ぶつかり合う視線がバチバチと火花を散らす。
ふっと笑みを浮かべたロザリアはトレーを手にしたまま、カシムのもとへと優雅な足取りで歩き始めた。
「お飲み物でしょうか?」
仁王立ちしているカシムの前に立ち、バニーガール用の笑顔で問いかける。
カシムはニヤリと笑うと、ロザリアの手からトレーを取り上げ、侍らせていた女の一人に手渡した。
「お前の髪は染めているのか?」
ロザリアを見下ろす目は面白いものをからかうようで、尊大な口調もそのままだ。
およそ初対面のレディに対するモノとは思えない。
普段のロザリアなら鼻で笑って返すところだが、ここで騒ぎは起こさないとオリヴィエと約束している。
「はい、産まれたときからこの色でございます」
ことさら慇懃に微笑んだ。
すると、男はいっそう楽しげな笑みを深くしたかと思うと、ロザリアの巻き髪の一房へと手を伸ばした。
「珍しい色だ。俺の女達の中にも一人もいないぞ」
いわれてみれば、彼の周囲に侍っている女達は全員髪色が違っている。
金髪、黒髪、薄茶、焦げ茶、銀髪、赤毛。
いずれも劣らぬ美女達だが、それぞれの髪を長く伸ばして、色の違いを見せつけているようにも見える。
「お前を俺の女に加えてやる」
手にしていた巻き髪の一房を唇に寄せたカシムが、名誉なことだと言わんばかりに宣言した。
拒否権などあるはずのない。
この惑星で彼に逆らえる者などいないと誰よりも自分自身が知っている者の言葉だ。
ロザリアの心臓がどくどくとイヤな音を立て、血の気が下がる。
拒否すれば、この場で殺されるかもしれない。
かといって、この男のハレムの一人になることなどまっぴらゴメンだ。
もちろん、ロザリアの真の身分を明かせば、さすがにこの男も引き下がるしかないだろうが、それはこの企みが露見することを意味する。
すなわち、あの事件のことも全て。
ロザリアの迷いを違う意味に捕らえたのか、カシムがニヤリと笑い、ロザリアの手を掴んだ。
小動物をいたぶるような面白がる目。
無理やりに引き寄せようとするカシムに、ロザリアはなんとか踏みとどまろうと足に力を込める。
ホール中の視線が二人に集まっているだろうに、誰一人、ロザリアを助ける者はいない。
むしろカシムに見初められたのだから幸運だ、くらいの感覚なのだろう。
必死に抵抗するロザリアだったが、それでも男の力にかなうはずもなく、抱え込まれてしまう、と思った瞬間。
「その娘は私のモノなんです。離していただけませんか?」
丁寧だが、きっぱりとした声がホールに響き、皆がその声の主を振り返った。
「誰だ、お前は。俺が誰か知っていて意見しようというのか」
突然の割り込みに興が殺がれたと言いたげな目で、カシムは声の主であるオリヴィエを睨んだ。
射殺すような目とでも言おうか。
まさに逆鱗に触れたという空気に、ホール中の人々がゴクリとつばを飲み込む。
けれど、声の主であるオリヴィエは、カシムの鋭い視線をあっさりと受け流して、ロザリアに微笑んだ。
余裕のある態度とオリヴィエの美貌に、カシムに僅かな警戒心が働いたらしい。
カシムは眉をぴくりと動かし、ロザリアの手を解放した。
騒ぎは起こさない、お互いに何かあっても知らぬフリを通す。
そう確認して別れた以上、ロザリアはオリヴィエの助けは望めないと思っていたのだが、さすがにこの騒ぎを見捨てることはできなかったらしい。
ホッと安堵の息を吐いたロザリアに、カシムが鋭い一瞥を与えた。
「その娘は私が借金のカタに得たモノなんです。これから稼いでもらわなければならないんですよ」
「ほう、それでは俺がその値で買い取ろう。いくらだ?」
不快なやりとりに思わずロザリアの眉が寄ったが、これはオリヴィエの作戦だとわかっている。
余計な口を挟まないように、じっと耐えていると、オリヴィエがかすかに唇の端を上げたのが見えた。
「5億」
「5億だと?」
あまりの金額にカシムが鼻白んだ。
確かに女一人には法外な額だが、オリヴィエは肩をすくめて、カシムを受け流した。
「その女は没落した良家の娘でね。彼女の家の借金を私が全部背負ったんですよ。それが5億。だからその女の価値は5億ってわけ」
ばかばかしい、と一笑に付してしまえばそれまでの話。
けれど、オリヴィエの話を遮る者は誰もいない。
皆、オリヴィエの持つ、ある意味、カシムとは逆の不思議なオーラに飲まれていたのだ。
「だからタダで持って行かれてしまうのは困るんですよ。5億か、それとも」
オリヴィエは目を細めて、カシムに微笑み、
「私もディーラーの端くれ。彼女をかけて勝負するか。いかがですか?」
片手で音もなくカードを広げて挑発して見せた。
無謀な挑戦、とホールにいた誰もが息をひそめている。
女を強引に連れ去ったところで、カシムに文句を言うものなどいないのだ。
こんな勝負を受けるはずがない。
ところが、カシムは天を仰いだかと思うと、大声で笑い出した。
「よかろう。この俺がどれほどの強運か皆に知らしめてやる良い機会だ。この女をかけて勝負しよう。お前の得意なポーカーで構わない」
「わかりました。そちら様が勝てば、この女を渡しましょう。私が勝てば?」
「5億だ。女も諦めよう」
どよっとホールがざわめいた。
女一人と5億の勝負。
めったに見られる物ではない。
カシムはゆっくりとオリヴィエのテーブルに近づき、真正面に腰を下ろした。
そばには6人の女達が侍り、カシムの身体のあちこちに触れている。
カシムの手も無遠慮に女の身体をまさぐり、嬌声を上げさせていた。
「そんなに女性がいらっしゃるのに、まだ欲しいんですか?」
皆がこの勝負に集中し、BGMすら止まっているなか、カードを切る音だけが静まりかえったホールにこだましている。
オリヴィエの手つきにはまったく淀みがなく、むしろカードでリズムを刻んでいるかのようだ。
ロザリアは両手を胸の前で合わせ、ただ祈っていた。
オリヴィエのことはもちろん信じている。
女王候補の頃から、ロザリアと一番親しい守護聖だった彼。
まるで兄のようで姉のようで、いつだってロザリアの味方でいてくれた。
今もこんな事件に巻き込まれたというのに、イヤな顔一つせずにロザリアにつきあってくれている。
彼のためになにかしたいけれど、今はただ祈るしかできないのが悔しい。
オリヴィエの手から配られたカードに、カシムはうっすらとした笑みを浮かべた。
普通ならポーカーフェイスを装うべきところだが、この勝負は二人きりだ。
それも、この手なら隠すまでもないとカシムは確信していた。
「ストレートフラッシュだ」
クラブの6から10までが見事に並んだ上役。
カシムの開いたカードに、あちこちからため息がこぼれる。
これよりも上の役を作ることは、ほぼ不可能と言ってもいいだろう。
カシムの王太子としての強運に、ホール中が諦めムードになったところで、オリヴィエが自らの前に伏せられた5枚のカードを順に開いていく。
一枚、また一枚。
どよめきが感嘆に変わり、水を打ったような静けさになる。
「Kのファイブカード。私の勝ちだね」
カシムはオリヴィエと目の前に並べられたカードを交互に見て、ふん、と鼻で笑った。
「どんな手を使った?こんな役はありえない」
「ありえない?まあ、確率でいえば0.0000045%だけど、ゼロじゃないよ」
「イカサマか」
「さあ?こんな大勢の前でどんな仕掛けができるって言うのかな?それに、イカサマだって騒ぐなら、その証拠を見せてもらおうか?それがカジノのルールだってことわかってるよね?」
オリヴィエは自信たっぷりの微笑みを崩さない。
たしかにこれだけの人の面前で、なにか細工をしたとしたなら、もはや神業だ。
だが、その自信があったからこその勝負、だったのだろう。
上手く誘い出されたことに歯がみしても、この招待客の前で醜態をさらすわけにはいかない。
カシムはじっとカードを見て、
「女は諦めよう」
宣言すると同時に、ボディガード達がオリヴィエに向けた銃口を手で制した。
たかが5億の勝負に負けて相手を殺すなど、それこそカシムのプライドが許さない。
「だが覚えておく」
ゆっくりと席を立ち、きびすを返したカシムは女達を引き連れて、ホールから出て行った。
とたんに広がる、安堵の空気。
一気に溶けた緊張が緩むように、あちこちでグラスを合わせる音が聞えてくる。
「オリヴィエ!」
駆け寄ったロザリアを、オリヴィエはそっと肩に抱き寄せた。
あくまで彼女は借金のカタ。
ここを出るまで、それを崩すわけには行かないから、想いの通りに抱きしめることはできない。
「騒ぎを起こすな、って言ったでしょ。まったく・・・」
それでも彼女の身体の震えが収まっていくと、オリヴィエも大きく息を吐き出した。
とりあえず、目の前の危機は脱したのだ。
おまけにオークションの資金も増やすことができたから、結果オーライということでいい。
それからはカシムの逆鱗に触れることを恐れたのか、二人には誰も近づかなくなり、かえって好都合だった。
予定通りの偵察を終え、それぞれにホテルに戻った後は、明日の最終確認。
繰り替えし打ち合わせをしたものの、今日のようなハプニングが起るかもしれない。
不安と緊張で、ロザリアはなかなか寝付けなかった。
「大丈夫。私達がいなくなったら宇宙だって困るだろうからね。きっと神様も見放したりしないよ」
オリヴィエの手が優しくロザリアの髪を撫でる。
防犯的な意味もあって、二人はこの惑星に来てから、同じ部屋で眠っていた。
おまけに素性を隠して手配した安ホテルは、とても狭く、二つのベッドは密着した横並びの状態なのだ。
手を伸ばせば、すぐ届く程度の距離。
オリヴィエはいつの間にか眠ったロザリアの額にそっと唇を落とした。
彼女を守れて良かった。
守る力があって良かった。
日頃、神様なんてまったく信じていないのに、こんな時はどうしても祈りたくなる。
どうか、ロザリアを守って欲しい、と。
そして、いよいよ、オークション当日を迎えた。