Out of the blue

5.



シュライヤで最も格式の高いホテルの最上階のペントハウスは、広大なフロア全てがまるで異国のようだった。
ホテル全体はごく一般的なスタイルなのに、ここだけは、惑星シュライヤがそのままの形で生きている。
広い天井には精密なタイル画が施され、あちこちに置かれた美術品は一つだけでも軽く家一軒が立つような高価なものだ。
白亜の壁に極彩色のステンドグラス。
細密な彫刻の施された家具や手織りの敷布。
この世の贅を全て集めたような豪奢な部屋。

「カシム様。連れて参りました」
黒服の男が部屋の奥に一礼すると、ゆらりと人影が立ち上がった。
見事な長身を独特のゆったりとした衣装で包み、尊大な笑みを浮かべたカシムがゆっくりと二人に近づいてくる。
今日はあのベールをつけておらず、短髪の黒髪が露わになっていて、端正な素顔もはっきりとわかった。
もしかすると、第一印象よりも若いのかもしれない。
鋭い金の瞳がまっすぐにロザリアを見つめていた。
「我が招待を受けてくれたことに感謝する」
言葉は丁寧でも、その態度は少しもへりくだっていない。
おそらく、今、この場でもっとも力があるのは自分だと、信じ切っているのだろう。

安ホテルにいたオリヴィエとロザリアの元を訪れたのは、カシムの直属の部下だった。
部下の男は慇懃な所作でカシムからの招待を伝え、頷いた二人を黒塗りの専用車でここまで連れて来た。
腹心の部下なのか、この部屋にはカシムとその男、そして、明らかなボディガードがいるだけだ。
あの大勢の女達は今は一人もいなかった。

「まあ、別にヒマだし、この人がここでごちそうしてくれるって言うから、ちょっとついてきただけさ」
オリヴィエは肩をすくめてカシムを見た。
今日のオリヴィエは簡単なシャツにスラックスという、いたって普通の出で立ちだった。
ロザリアも同じような淡いブルーのシンプルなワンピースだ。
目立たないように、とあえての地味なファッションだが、それでも、彼らの美貌を隠すことはできない。
そして、この部屋でも一歩も臆することのない二人の態度。
ニヤリと唇をゆがめたカシムは、テーブルの上の書類を、二人の前に投げ捨てた。

「お前達は何者だ?」
バサリと音を立てて落ちた書類には、オリヴィエとロザリアの顔写真が貼られている。
いわゆる調査書だ。
「調べても何一つ出てこない。招待状の送り先も偽名だった。どこかの組織のスパイか?」
カシムの鋭い威圧にも、オリヴィエは書類を一瞥して腕を組み、ロザリアはにっこりと微笑んでいる。
二人にとって、その程度の凄みは、ジュリアスが女王に起こすブリザードに比べれば全然気楽なものだ。
磨かれたスルースキルで平然としている二人に、カシムは一瞬眉を寄せたが、すぐに思い直したように、嫌みな笑いを浮かべ、懐に手を入れた。

「まあ、いい。お前達がコレを欲しがっていることはわかっている」
カシムが取り出したのは、あのブルーダイヤだ。
ケースにも入れず、無造作にルースのまま、手づかみされている。
「そんな風に無体に扱うなんて、あなたにはそれを所有する資格がありませんわ」
つい辛らつな言葉が飛び出したロザリアに、オリヴィエが目配せする。
見せられたくらいで興奮しては、こちらの手の内を明かしてしまうことになるが、もう遅い。

カシムはダイヤを指で挟み、持ち上げて光にかざしている。
キラキラと光を十二分に反射して虹色の輝きを放つダイヤは、間違いなく本物だ。
「ふん、たしかに立派なダイヤだ。なんといっても30億だからな」
ひとしきり、ダイヤをちらつかせ、カシムは再び懐にそれをしまい込んだ。
「このダイヤをオークションに持ち込んだヤツは姿をくらましたそうだ」
ハッとロザリアが息をのむ。

「コイツの正体はすぐに割れた。ただのこそ泥あがりの小男だ。
偶然手にしたダイヤをさばこうと闇オークションに持ち込んだだけのようだな。ダイヤ自体の出所はまだわかっていないが」
そのこそ泥上がりがロザリアを昏倒させ、ダイヤを盗んだのだろうか。
けれど、一般の人間は聖地に足を踏み入れることすらできないのだ。
とてもじゃないが、データベースで簡単に犯罪歴が出てくるような人間が、あの博物館に現われるはずがない。
「まあ、どうせ、盗品だろう。これだけ大きなダイヤだ。盗んだものの扱いに困って安値で小悪党に譲り渡した、というところか」
カシムは目を細め、オリヴィエとロザリアを順に眺めた。

「俺にとってはお前達がなぜこのダイヤにこだわるのかはどうでもいい。別にこのダイヤにも興味はない」
「で、あんたの要求は何?」
オリヴィエが一歩前に出て、カシムをにらみ付けた。
この男がわざわざ呼び出して来た理由があるとするならば、それは取引しかない。
二人の身元調査までして、何をしようというのか。
ロザリアを背後に隠し、オリヴィエは無意識に手を腰に当てていた。
スラックスの下にある硬い金属の感触。
見えない火花が、オリヴィエとカシムの間に激しく散る。

「俺の要求は、その女だ」
びくりとロザリアが身体を震わせた。
「青紫の髪は俺の女にいないからな。それにその美貌で処女。一夜の楽しみに悪くない」
思わぬ辱めに、ロザリアはきっとカシムをにらみ付けた。
青い瞳に沸き上がる怒りを面白そうに受け流したカシムは、ゆったりと両手を広げる。
「かわりにダイヤをお前達にやろう。たった一晩で30億だ。悪い話ではないだろう?」
腐るほどの金と誰もが傅く権力。
願ったことで叶えられなかったことはない。
だからこそ、拒まれ、手に入れ損なった女にこれほど執着するのか。
ただ一夜のために30億をぽんと費やす目の前の男が、オリヴィエもロザリアも信じられなかった。

カシムは余裕の笑みで手を広げたまま、ロザリアの返事を待っている。
ごくりと一度つばを飲み込み、ロザリアはオリヴィエを押しのけて、前へ出た。
「わかりました。あなたの要求に従いますわ」
「ロザリア!ダメだよ!」
とっさに手首を掴んだオリヴィエに、ロザリアは覚悟を決めたように笑みを向けた。
「わたくしが最初に蒔いた種ですわ、自分で決着をつけられるのでしたら、それが一番良いですもの」
もしも、ロザリアが申し出を拒否すれば、ダイヤは手に入らない。
それどころか、ここから無事に帰れるかどうかも危うい。
今はまだ守護聖と補佐官であることまで知られていないようだが、もっと突っ込んだ調査をされれば、いずれはバレてしまうだろう。
そうなれば、本当にタダでは済まない。
もともとの原因のロザリアはともかく、オリヴィエまで処分が及んでしまう。

「必ずダイヤは渡して下さいますのね?」
「ああ、神に誓って約束しよう」
カシムは神に祈る仕草をとり、部下とボディガードの男もそれに倣った。
この惑星では神への約束は絶対で、違えた場合はその場で首をはねられても異議を唱えないとされている。
ましてやカシムは王族だから、この約束は神聖なものだ。

ロザリアは小さく頷き、一歩前へ出た。
足が震えないようにと、ぐっと爪先に力を込め、背筋を伸ばして歩く。
金で買われていくペットはこんな気持ちなのだろうか。
ロザリアは自分を奮い立たせて、カシムへと手を伸ばした。


「ふうん。30億のダイヤが女だなんて、あんたも普通の男だね。つまらないったらない」
「なに?」
さも、うんざりした、という雰囲気のオリヴィエが肩をすくめて、鼻を鳴らした。
「だって、女なんて、いくらでもいるじゃない。あんたが一言言えば、簡単に足を開く女がさ。それよりももっとスゴイことを試してみたくない?」
いつの間に近づいたのか、オリヴィエがカシムの隣に立ち、肩にふわりと手を乗せた。
音もない、猫のようにしなやかな所作。
シュライヤにはない艶やかな花の香りが、オリヴィエの身体から自然に漂ってきて、カシムの鼻先をくすぐる。
肩に置かれた手を振り払うことも忘れ、カシムはオリヴィエの顔を見た。

男のはずだ。
身長も体型もまるで男なのに、オリヴィエの全身からは強烈なフェロモンが溢れてくる。
隣にいられるだけで、股間に熱が集まってくるような、ほとんど妖気と言ってもいいようなオーラだ。
ひげあともない滑らかな肌に、情欲に濡れたダークブルーの瞳。
うっすらと開いた唇からは、ちらりと舌先がのぞいている。
唾液で濡れた唇を舐める鮮やかな舌先の動きは、まるで自身の雄を舐められているかのようで、背筋からゾクゾクと熱が這い上がってきた。
ふうっと耳に息を吹きかけられて、オリヴィエの細い指が、服越しにカシムの雄を探り当てる。
その慣れた手つきに、カシムはニヤリと笑った。

「なるほど。たしかに女はもう飽きたかもしれないな」
ロザリアが伸ばした手をとらず、カシムはオリヴィエの腰に手を回した。
身長がほぼ同じくらいのせいか、抱き寄せれば、自然にお互いの唇が触れ合いそうになる。
「それに我々の間でも最近は男を相手にするのが流行だ。俺は試したことがないが、女のアレよりもいいと聞く」
「さあ?それはどうかな?」
オリヴィエは目を細めて、カシムの腕に身体を寄せた。
長い睫がうっとりと揺れる。
「試してみないとわからないんじゃない?」
「それもそうだ」
くくく、と、さも楽しそうにカシムが笑うと、オリヴィエも妖艶な笑みを浮かべる。
お互いの欲望がピタリと重なり合って、機微などまるでわからないロザリアが見ても、二人の間にはある種の性的な匂いを感じた。

どきり、とロザリアの心臓がイヤな音を立てる。
「お待ちになって!まさか、あなた・・・」
オリヴィエを見つめる青い瞳は何か恐ろしいモノにでもあったように、小刻みに震えている。
ロザリアの常識には存在しないかもしれない。
けれど、そういう世界は別に珍しいことでもないし、むしろ上流階級では高尚な趣味として知られている。

「おい」
カシムは部下の男に顎でロザリアを指した。
すると、すうっと足音もなく近づいた男は、手刀を一閃、ロザリアの首筋に落とすと、倒れ込んだ彼女の身体を抱え、ソファへと下ろす。
一瞬、身体を硬くしたオリヴィエにカシムが囁いた。
「気絶させただけだ。女には黙っていてもらってほうがいい。さあ」
奥の扉がベッドルームに繋がっているのだろう。
カシムは先に立って歩き、扉を開け、オリヴィエを招き入れた。


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