Out of the blue

6.



この部屋もまた、豪奢の限りを尽くしたインテリアで揃えられていた。
天井からつり下がるシャンデリアは見事なクリスタルで、周囲は伝統的なタイル画で埋め尽くされている。
奥にはミニバーがあり、ゆうに5人は眠れるほどの大きなベッドが中央に一つ。
壁の片面は鏡張りになっていて、ベッドの上の様子を余すところなく映し出すようになっている。
もう一面の壁には足枷や拘束台があり、夜ごとの狂乱が推測できた。
「もうやり尽くしたようなものだ。女など誰も変わらない」
カシムは退屈な口調でそう吐き捨てると、ベッドの縁に腰を下ろした。
リモコンで薄暗かった部屋の明かりを最大限の明るさに調整し、立ったままのオリヴィエを見上げる。

「全部脱げ」
命令することに慣れた口調は一切の反論を許さない。
オリヴィエは肩をすくめると、シャツのボタンをゆっくりと外していった。
するり、と肩からシャツを滑らせ、上半身を露わにする。
「ほう」
思わずカシムが率直な感嘆を漏らすほど、その仕草は妖しく美しい。
日光よりもなお白い明かりの下でも、染み一つない、見事な均整の取れた身体。
滑らかな肌はカシムの囲う女達よりも艶めいて婀娜っぽい。
そのままスラックスを下に落とし、下着一枚になると、オリヴィエはちらりとカシムを見た。
カシムの表情はいっこうに変わらず、オリヴィエは下着も脱ぎ、産まれたままの姿をさらした。

「いい眺めだ。美しい」
ニヤリと笑うカシムにも、オリヴィエは冷静だった。
恥ずかしい気持ちなんて、とうに捨てているし、この先の辱めすら、正直、何も感じないだろう。
「さあ、どうして欲しいの?私から攻めてあげようか?」
妖艶に身体をくねらせ、舌で上唇を舐める。
こうなれば、この男をなんとか懐柔して、ロザリアから興味を引きはがすしかない。
そのためならなんでもするつもりだった。

「ここに膝をついて、俺のモノを銜えろ」
カシムはくいっと顎を上げ、ベッドに座ったまま膝を左右に広げた。
この体勢で銜えろとはなかなかにキツい要求だが、従うほかはない。
男と寝るのは初めてだと言っていたのに、すぐに始めるつもりなのか。
もっとも少しでも早く終わりたいのだから、それならそれで構わない。
オリヴィエは言われるままに、カシムの前で膝をついた。

すると、カシムはオリヴィエの両肩に手を置き、それ以上近づくことを拒んだ。
「お前はあの女のためにそこまでするのか?」
股間の前で跪いたままのオリヴィエの金の髪がぴくりと揺れる。
返事をするのも面倒で、オリヴィエはカシムの股間に手を伸ばした。
「なぜだ?あの女は間違いなく処女だ。お前の恋人でもないのだろう?それなのに、お前は俺に身体を差し出すのか?あの女のために。屈辱に耐えるというのか?」
カシムの言葉をオリヴィエは黙って聞いていた。
カシムが声を荒げれば荒げるほど、オリヴィエの頭はクールになっていく。
それに、この男がなぜこんなことを聞いてくるのか、オリヴィエにはまったく理解できなかった。
なぜ?ロザリアのために?

「そんなこと、いちいち説明しなきゃわかんないのかい?あんたは」
オリヴィエが顔を上げると、金の瞳がじっと見つめている。
その瞳が不思議そうに瞬くのを見て、オリヴィエはため息をついた。
「あんたの言うとおり、私とあの子は恋人でもなんでもないよ。ただの仲間さ」
少なくとも、今のところ、それ以上でもそれ以下でもない。
まあ、一番仲の良い異性、ではあるだろうが。

「だからそれがなんだって言うんだい?私があの子を愛してることに、なんの関係もないよ。
私はね、あの子のためなら、なんだってするし、なんだってできる。この身体だって、命だって必要ならいつだって差し出すよ。
別にあの子に愛して欲しいなんて思わない。ただ私が、あの子にしてやりたいだけなんだ」

愛している。
チープな言葉だけれど、それ以外の言葉が見つからない。
ロザリアを失うことが怖くて、友人というセーフティゾーンを出たこともなければ、そんなそぶりすら見せたことはないけれど。
この世の何よりも大切で、大事にしたくて。
他の何も望まないから、彼女だけは幸せでいて欲しい。


「もういい。わかった」
今までのカシムとはまるで違う、同時にため息をつくような、どこか疲れたような声に、オリヴィエは目を見張った。
裸のオリヴィエを見下ろす目も虚ろで、傲慢な気配が消えている。
「男を相手にそんなことをするつもりはない。服を脱がせたのは、武器を手放させるためだ」
「下着まで?」
「下着の中に武器を隠すなど当たり前だ。お前だってそうしていただろう」
「あら、バレてたんだ」
下着の間に挟み込んでいた銃。
快楽で堕とせるならば必要ないと、スラックスと一緒に下に落としたことを気づかれていたらしい。

「もういいから、服を着ろ」
しっし、と犬を追い払うような手つきでオリヴィエを立たせたカシムは、腿の上で肘を突き、ぼんやりと服を着るオリヴィエを眺めている。
部屋の構造上仕方がないが、壁一面の鏡に映って、オリヴィエの全身がカシムに丸みえだった。
「お前、本当に男なのか?」
「失礼だね。見てわかんないの?」
「いや、男にしては綺麗すぎる」
「まあ、私はたしかに綺麗だと自分でも思うけどさ」

オリヴィエがシャツを羽織ったところで、足下になにかが転がってきた。
毛足の長い絨毯の上で、きらりと光って転がるもの。
目を向けたオリヴィエは、予想外のモノに驚き、慌てて拾い上げると、カシムに近づいた。
「ちょっと、これ」
オリヴィエの指先にはあのブルーダイヤが輝いている。
素手でルースを掴むのはためらわれたが、まさか転がしておくわけにもいかず、かといって、素知らぬ顔で盗むこともできない。

「興ざめだ。愛だの恋だの、俺が一番嫌いなことを口にした」
「は?」
「持って行け」
オリヴィエはダイヤをもったまま、口をぽかんと開けた。
「いらないっていうの?30億だよ?」
「いらないと言っている。お前にやるから、あの女と消えろ」
カシムはベッドから立ち上がると、オリヴィエの目の前に来て、左胸に人差し指を突き立てた。

「この心臓と引き替えだと言っても、お前は喜んで差し出すのだろうな」
「はあ?」
オリヴィエのダークブルーの瞳が驚くように瞬いた。
「そんなの当たり前じゃないか。・・・って、今さら返せって言ったって、もう返さないからね」
手にしたダイヤを胸ポケットへと滑り込ませ、両手で覆う。
あからさまなオリヴィエの態度に、カシムは苦笑して、それからハッと表情を変えた。


「そうだな、ただやるというのもつまらない。ポーカーで勝負しよう」
「ポーカー?」
にやりと笑うカシムに、オリヴィエもふっと口端を上げる。
コレが本当のリベンジということか。
男同士の勝負なら、逃げるわけにはいかない。
「そのダイヤを賭けて勝負だ」
「もちろん私は構わないよ。それならあんたから正々堂々とダイヤを奪えるしね」

カシムはベルを鳴らし、隣の部屋の男に新しいカードを用意させた。
封を開けたばかりのカードは角も堅いまま、オリヴィエの手の中で何度も宙を舞う。
「見事な腕だ」
オリヴィエが繰り返すシャッフルは芸術的なまでに手慣れている。
カシムはその手をじっと見つめ、動きに不自然な部分がないかを監視していた。
ベッドサイドの小さなテーブルに向かい合う二人の間に、静かな火花が散る。
たった二人きりの見届け人すらいない、30億の勝負。
オリヴィエにとっては負けられないプレッシャーがあり、カシムは失うモノがない。
それだけでも大きなアドバンテージがあるというのに、オリヴィエは優雅な笑みをたたえ、まったく表情を読ませない。
張り詰めた空気のなか、カシムが2枚をドローし、オリヴィエはカードを伏せたままだ。

「オープン」
オリヴィエの宣言で、カシムはカードをテーブルに広げた。
「7のフォオカード」
カシムの役はかなり強い。
持って生まれた強運のおかげか、この手の勝負でカシムはほとんど負けたことがなかった。
昨日のあの勝負までは。

オリヴィエがふっと笑い、テーブルに伏せたままのカードを一枚ずつめくっていく。
一枚目はエース。最強の数字だ。
そのまま二枚目、三枚目。
めくられるたびにカシムの背中に汗が伝う。
最後の札はジョーカー。

「ファイブカード。私の勝ちだね」
「まさか。ありえない!」
思わず席を蹴ったカシムにオリヴィエは肩をすくめてみせた。
「また同じ事を言わせるつもりかい?どんな現象でも確率はゼロじゃない。イカサマだっていうなら、その証拠を見せてごらんよ」
「・・・イカサマなんだろうが」
「さあ?どうだろうね?愛の力かもよ?」

恐ろしいほど美しいオリヴィエの笑みに、カシムは何も言い返せなかった。
穴が空くほどオリヴィエの挙動は観察していたし、彼の手つきにもまったく違和感はなかった。
カードも新しいモノでタネを仕掛ける余裕はなかったはず。

「負けだ。ダイヤは持って行け」
どさり、と再び腰を下ろしたカシムの前で、オリヴィエはポケットのダイヤを取り出して見せた。
まばゆいほど白い電気の明かりの下でも、ダイヤの輝きは妖しく美しい。
彼女の瞳と似たブルー。
「正統な勝負で手に入れたんだ。今度はもらっていくさ」
「ふん」

椅子に座ったまま動かないカシムに、オリヴィエはひらひらと後ろ手に手を振った。
もう二度と会うことはないだろうけれど、きっとこの男には一生の傷になったはずだ。
いろいろ思うところはあるけれど、全て結果オーライであればいい。
鼻歌交じりでドアノブに手をかけたオリヴィエに、カシムの声が背中を追った。

「待て」
「・・・まだなんかあるの?」
「またシュライヤに来るがいい。次は負けない」
「ふふ、考えとくよ」
「その時はあの女が処女でないことを祈っておこう」
最後の最後でさりげなく痛いところを突かれ、オリヴィエは苦い顔になる。
「なんなら俺が直々に男を喜ばせる技を仕込んでやってもいいぞ」
俗に言うハレムの秘技だろう。
この惑星では女が男に奉仕するという考えが一般的で、わざわざ房事を学ばせることもあるらしい。
さも名案だと言いたげなカシムに、オリヴィエは
「そんなのいらないから!あの子に変なこと言ったらタダじゃすまさないよ」
真剣に脅しをかけ、それ以上を黙らせた。
実のところ、この男はまだロザリアを諦めていないのではないか、そんな気がするのだ。
美しい青薔薇には、とにかく悪い虫がつきやすく、オリヴィエの苦労は絶えない。

「ま、私も、あんたがたった一人の女に早く出会えるように祈っといてあげるよ」
嫌みのつもりで言ったのに、
「無用だ。俺は愛など信じない」
暗い瞳で愛を否定するカシムに、オリヴィエは彼の経歴を思い出していた。
今でこそ王太子だが、たしか彼は王の五番目の妻の息子だ。
血みどろのお家騒動はいつの世にもつきものだから、そこで何があっても不思議ではない。
彼が愛を失うような、なにかが。

「あ、そ。ま、信じるも信じないも勝手だけどね」
彼女に会う前はオリヴィエもそう思っていた。
愛だの恋だの、そんなものが自分の人生を変えるなんてありえない、と。
けれど、結局、こうなってしまったのだ。
まあ、そんなことをこの男に教える義理はないし、どうせ唯一に出会ってしまえば、もう逃げられはしない。
オリヴィエはただスルーして、今度こそ姿を消した。



「ここは・・・?」
ロザリアが目を覚ますと、うっすらシミの浮かんだ天井と安っぽい蛍光灯が見えた。
見覚えのない景色に、一瞬、理解が遅れて慌てて飛び起きる。
「オリヴィエ!」
「はあい」
思いあまって叫んだというのに、オリヴィエの返事はいつも通りの飄々とした感じで、ロザリアは拍子抜けしてしまった。
オリヴィエは簡素な椅子に逆向きに腰掛け、背もたれのてっぺんに顎を乗せている。
普通ならとてもだらしなく見えるのだろうが、彼の仕草はいつでもどこか不思議な美しさがあった。

「あの、ここは?」
「元のホテルだよ」
「あの方は?」
「さあ?あそこでたくさんの美女といいことでもしてるんじゃない?」
「・・・ダイヤは?」
「あ、それならここにあるよ」

オリヴィエは胸ポケットから赤いベルベットのケースを取り出した。
カシムはルースで無造作に掴んでいたが、もともとのケースをあの部下の男に取ってこさせたのだ。
今、ブルーダイヤはシルクの台座の上にある。

「ああ・・・良かった」
ロザリアはオリヴィエの手の中のダイヤを見て、長い安堵のため息を漏らした。
あの事件の日から、心が安まることがなかったのだ。
こうしてなんとか取り戻せて、本当に良かったとしか言えない。
けれど、すぐにはじかれたように顔を上げたロザリアは、オリヴィエの瞳をまっすぐに見つめた。

「あの男からどうやってダイヤを手に入れたんですの?」
次第にロザリアの中に蘇ってくる、あのときの記憶。
ロザリアの身体を要求していたカシムに、オリヴィエは自らの身体を差し出していたように思う。
男ならたいした事ではない、という考えもあるかもしれない。
女性ほど傷つかないというかもしれない。
けれど、もしもオリヴィエにそんなことをさせたとしたなら。
ロザリアは指先が白くなるほど、ぎゅっとシーツを握りしめていた。

「ああ、うーんとね、ポーカーで勝負したんだよ」
クスリと軽い笑みを浮かべ、オリヴィエはロザリアにウインクを投げた。
メイクをしていないとは思えないほどの長い睫がふわりと瞬いて、まるでその場にぱっとハートが飛ぶような雰囲気。
いつものオリヴィエと変わらないけれど、それがまたロザリアには不安だった。
彼はいつでも、自分の弱みを見せない人だから。

「本当、ですの?」
「ホントだよ。アイツさ、カジノのリベンジがしたかったみたいでね。ダイヤを賭けて一発勝負したんだ。もちろん私の勝ち。で、ダイヤゲット!」
「そう、なんですの?」
オリヴィエの軽口もロザリアの心を完全には晴らせなかった。
むしろ、わざとそうしているのではないかと、オリヴィエの表情ばかり伺ってしまう。
おそらくオリヴィエもロザリアの疑念を感じ取ったのだろう。
少し困ったようにため息をついた。

「ねえ、あんた、もしかして疑ってるの?私がダイヤと引き替えにアイツに抱かれたんじゃないかって?」
「それは・・・」
ロザリアはぐっと唇を噛んでうつむいた。
「ホントになにもなかったよ。なんならここで脱いで見せたっていい。よく女みたいな格好してるって言われるけど、私だって男なんだからね。女の子の方がいいに決まってるじゃない」
オリヴィエの声は相変わらず軽い調子だったが、『女の子』というところで、ちらりとロザリアを見たダークブルーの瞳には熱っぽさがある。
今までの兄のような、姉のような優しく穏やかな光とは、別の、熱。
ロザリアは急にドキドキと高鳴りだした心臓を押さえるように、胸に手を当てた。

「そうなんですのね。良かった・・・本当に、あなたに何もなくて・・・」
ぽろり、とロザリアの瞳から大粒の涙がこぼれ落ちる。
ダイヤモンドのような、綺麗な光の雫だ。
「イヤですわ。わたくしったら、なにもしていないのに・・・」
結局、最初から最後までオリヴィエに頼りっぱなしで、自分では何もできなかった。
それなのに、緊張が緩んだ瞬間、涙が溢れて止まらなくなってしまったのだ。

「ううん、あんたはよく頑張ったよ。だから、泣かないで」
オリヴィエはロザリアの頭をそっと自分の胸に抱き寄せると、青紫の髪を優しく撫でた。
本当になんて長い3日間だったことだろう。
でも、過ぎてみれば全て結果オーライだ。
ダイヤを取り戻し、そして、こうして彼女を抱きしめている。
オリヴィエも、やっと、胸にたまっていた緊張を長いため息で吐き出したのだった。


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