永遠の『故郷』

Illustration by あおい楚春様

3.


次の日の朝。
サライの集めた人々がティムカの指示した場所を掘り始めた。
以前、建設業に従事していたという親方風の男を先頭に、足場を組み、機械を設置していく。
どこからか運ばれてきたコンベアが土を乗せて動き始めると、周囲からどよめきが起こった。
誰もが期待しているのだ。 …新しい水に。
ティムカが思っていたよりも井戸を掘るという作業は大変らしい。
足場を作るだけでも、今日一日はかかりそうだし、ティムカができそうなことは、それこそ何一つなさそうだ。

「こんなに大掛かりになるとは思いませんでした。」
呆然とするティムカにサライは黒い瞳をきらりと光らせて笑った。
「まさか、今更、冗談だった、なんて言わないよな。」
「まさか! ここには水があります。 間違いありません。」
「わかってるさ。  …俺だって、お前を信じたんだ。 最後まで、堂々としてろよ。」

自信のないリーダーのもとに、人々は集まらない。
ティムカは父王に言われた言葉を思い出し、サライの顔を見上げた。
端正なだけでなく、どこか、高貴な印象も受ける顔立ち。
これだけの人をすぐに集められることから考えても、彼は随分と人望があるのだろう。
じっと見るティムカに気づいて、にっと笑ったサライは、作業をしている男たちの輪の中へと入っていった。


初日は掘るための準備だけで終わり、いよいよ翌日。
「水だ!」
4mは掘り進んだだろうか。
期待と不安で心臓がおかしくなるなか、ティムカが耳にした一声。

「やった!」
「水だ!」
作業を取り囲んでいた人々から湧き上がる歓喜の声。
路地裏からも人々が次々と飛び出してくる。
「まさか、こんなところに水が出るなんて…。」
「砂地では無理だとばかり…。」
おそらくほとんどの人々が半信半疑のまま、それでも一縷の望みをかけて、作業に携わってくれていたのだろう。
泣き出す女性や、大騒ぎの子供たち。
こんなにも多くの人が路地裏に暮らしていたのかと、ティムカは驚いた。

「ここの暮らしはこれで少しはましになるだろう。
 とりあえず…ありがとう。」
サライの大きな手がティムカの手を包み込む。
硬く、熱い手。
ティムカは大きく首を振った。
「感謝するのは私の方です。
 こんな、見ず知らずの私の言葉を信じてくれた…。 あなたは大きな人です。」
サライがいなければ、ティムカは途方に暮れていただろう。
たとえ水のありかがわかったとしても、一人では何もできなかった。


「ティムカ、水だね!」
行く当てがなく、結局サライの家で暮らすことになったあの子供は、『メーデル』という名前以外、何も語ろうとしなかった。
忘れたいなら思い出す必要はない。
サライはそう言って、メーデルを受け入れたのだ。
「水!水!」
メーデルが嬉しそうに飛び跳ねると、そのまわりで同じような年の子供たちも、一緒になって飛び跳ねている。
子供の笑い声は不思議に力を与えてくれるようで、大人たちまで笑顔になっていた。

「水…か。」
ティムカはポンプを付けていく作業をじっと見つめた。
『水の守護聖』。
今まで、その力を意識したことはなかった。
守護聖の持つサクリアが、下界へ及ぼす力はおよそ間接的なものだ。
注いだ先に劇的な変化があるわけでも、水があふれ出すわけでもない。
なぜ、自分にこの力が、と、自問したこともある。

「どうしたの?」
メーデルが不思議そうにティムカの顔を覗き込んできた。
「お水、嫌いなの? 悲しいの?」
「いえ…。 悲しいんじゃないんです。 嬉しい、のかもしれません。」
言葉にして初めて、自分の頬に涙が流れているのを感じた。
守護聖になったことに意味があるとしたら。
その理由の一つが今だと、思ってもいいのではないか。

メーデルが、ティムカの袖を引く。
「涙はしょっぱいから飲んじゃダメなんだよ? もっと喉が渇くんだから。」
きっとメーデルは泣くたびにそう言われて、我慢させられてきたのだろう。
背伸びした表情に、ティムカもつられて笑顔になった。

「お水、飲もう。」
手を引かれるまま井戸を覗き込むと、大きな太陽が水面に映っていた。
眩しい光。
生命の力。
けれど、全てはここからだ。
決意を新たにティムカは、サライのもとへ近づいていった。



水が出てから数週間。
路地裏の人々にもようやく活気が戻ってきた。
ティムカはすっかりサライの家に住み着き、町の整備にも関わるようになっていた。
顔が効く、とサライは自分のことを評していたが、彼の人望はその程度ではない。
実質的に路地裏の人々は彼をリーダーと認めているようで、実際、それだけの度量があった。
頼まれ事を上手くまとめるサライの手腕は、ティムカから見ても素晴らしいものに思える。

「あなたは以前、なにか…特別なことをされていたのですか?」
気になって尋ねても、サライは笑って、
「ちょっとした商売をしていたくらいさ。 なんでも屋ってやつだ。」
まるでたいしたことでもないように答えてくる。
「それに昔がどうとか、今は関係ないだろう? お前だって、ここへ来る前は何してたか、聞いてほしくないみたいだが。」
逆にチクリと刺されて、ティムカは苦笑した。
いずれにしても、サライのような人間に出会えたことは幸運なのだろう。

「もう少し水源が欲しいな。 …次は作物を作りたい。」
サライの言葉に、ティムカは頷いた。
聖地から援助が来ているはずなのに、一部以外には種一つ出回っていないのが現状だ。
あの時、ロザリアが準備していた苗も、全てはあの壁の中に閉じ込められているのだろう。
ティムカは王宮を眺めた。
相変わらず、あの場所からは何の支援もない。
水が出たことくらいは聞いているだろうに、それすらも無関心だ。
自分たちが良ければ、他はどうなっても構わないという傲慢さ。
施政者として、あるまじき行動がティムカには許せないものに思える。

「水源は何とかなると思います。 …あと2,3か所、当てがあるので。」
「そうか。 ありがたいな。
 …正直、俺は今まで研究なんてものをバカにしてた。 そんなもんじゃ何も進めない、やってみることに価値があるんだ、ってな。
 だが、裏付けがなければ、それは無謀でしかない。
 ティムカを見ていてそう思ったんだ。
 俺もまだまだ学ぶべきことが多い。」
「あなたはそれでいいと思いますよ。」

くすっとティムカが笑うと、サライはふんと鼻を鳴らした。
サライは誰にでも垣根なく、平等に接することのできる人間だ。
老若男女を問わず、この路地裏で人望があるのも彼の美点を皆が知っているからだろう。
たしかに思い立ったらすぐ行動の部分はあるが、それすらも憎めない。

「苗が必要ですね。 もらいに行きましょう。」
立ち上がったティムカを床に転がり合ってふざけていたメーデルが見上げる。
「もらいにって、どこにだ? お前の家か?」
冗談交じりのサライの瞳をティムカはまっすぐに見返した。
「あの壁の中にですよ。 今、あそこにしか作物を栽培しているところはないのでしょう?」

路地裏に人気がないのは、皆、明るいうち、あの壁の中で仕事をしているせいなのだ。
わずかな水と食料を引き替えに、重労働に従事させられている。
全くいつの時代も独裁者が考えることは同じだ。
ある意味、笑い出しそうになるほどお決まりのパターン。
「欲しいと言って、素直にくれるような連中だと思うか?
 ただでさえ、お前はアイツらに煙たがられてるんだぞ。…水を出したからな。」

井戸を掘って以来、妙な視線が張り付いていることには気が付いていた。
それでも危害を加えられる気配がないので、サライとも放っておこうと決めたのだ。
確かにこれ以上刺激をすれば、どうなるかは保証できないだろう。

「希望、でしょうか?」
ティムカのため息に、サライの眉がピクリと上がる。
「あの壁の向こうの人たちが、この星の再興を望むなら、苗を分けてくれるはずです。」
「…分けてくれなかったら?」
サライの瞳はそれが当然だと言いたげだ。

「分けてくれないときは…あの人々はこの星を導くに値しない、愚かな人間だと考えるほかないでしょう。
 でも、期待したいんです。
 あの壁の中の人々は、災害が起こる前、この星を導く立場にいたのですから…。」
信じたい。
それはティムカ自身の希望だった。
かつての白亜宮の惑星の人々ならば、きっと、この申し出を受け入れてくれるはずだから。


けれど、結局、その希望はすぐに打ち砕かれた。
ティムカの要望を伝え、壁の門の中へと招き入れられた時、二人は中の様子に目を見張った。
豊かな水をたたえる噴水。
敷き詰められた緑。
風が通るたびに葉を揺らす木々はたわわに実り、花が咲き乱れる、楽園。


  あおい楚春様より


ティムカは強烈な既視感にめまいを覚えた。
胸の奥底にしまわれていた思い出が、鮮やかに目の前に広がっている。
今にもあの建物の陰から、「兄様。」と呼び声が聞こえてくるような。
遠い目をしているティムカをサライはじっと見守っていた。

ティムカは謎が多い。
他の惑星から来たにしては、この星への思い入れが強過ぎる気がするのだ。
伝説の龍王と同じ名。
彼はいったい何者なのか。
言葉もなく、食い入るように庭を眺めているティムカの横顔は、決して明るいものではない。
サライがティムカの肩に手を置いた瞬間。
背後から落ち着き払った声がかかった。


「あなたがティムカさんですか。 ほう。伝説の龍王の名にふさわしいお顔をされていますね。」
ティムカの目じりにちらりと視線を向けた男は、蛇のような感情のない瞳をしている。
細身できちんと整った身なりをした、どこにでもいる普通の男。
もっとでっぷりと太った、いかにもな男を想像していただけに、一瞬拍子抜けしたものの、すぐにその意識は覆った。
男のそばに控える側仕えの少年の腕に、明らかに鞭打たれたような傷がいくつもあったからだ。
他人を虐げることに良心の呵責を感じない人間。
この男だけでなく、ここで暮らす人間すべてがそうなのか。
ティムカのいた時代でもすべての人間が善良だったわけではないし、小さな犯罪はあった。
それでも、皆が助け合い、暮らしていたのだ。
ティムカはわずかに眉を顰め、男に向き直った。

「こんにちは。 ティムカと申します。
 このたびは、お願いがあってまいりました。」
「ああ、聞いていますよ。」
ティムカの言葉を遮るように男は手を上げた。
名前を名乗ろうともしない無礼な態度に、サライが舌打ちする。

「申し訳ないが、あなたの期待には応えられませんね。 苗も種もここを維持するだけで精いっぱいなのですよ。
 差し上げることはできそうもにない。」
取り付く島もない、とはこのことだろう。
何の確認もせずに拒否していることは、男の態度からも明らかだ。
サライはティムカにちらりと視線を向けた。
『希望』とティムカは言っていた。
この男の態度はティムカの小さな期待を打ち砕いたに違いない。
ティムカがどう出るのか、サライはまだ幼さの残る背中を見つめた。

「…そうですか…。残念です。」
サライの予想に反して、ティムカはそれ以上、男に詰め寄ることはしなかった。
特に態度を変えることもなく、胸に手を当て、慇懃に腰を折る礼を、男に対して送っている。

「突然のご無礼を失礼しました。 あの、あと一つだけお願いしてもよろしいですか?」
「なんですか? うかがいましょう。」
あっさり引き下がったティムカに拍子抜けした男は、ごく自然に頷いた。
「花を一輪だけ、いただいてもよろしいですか?」
「花?」
男の返事を待たず、ティムカは噴水の奥へ進むと、赤い花を一輪摘み取った。
「ここへ来た記念に。」

有無を言わせないオーラという物が確かにある。
サライはティムカから発せられる空気に、ある意味圧倒されていた。
もしもティムカの要求が、金の山だったとしても、きっと男は反論出来なかったに違いない。
苗のときにそのオーラを発しなかったのは、ティムカなりの考えがあったのだろう。


「なんで、花なんだ?」
帰り道、大事そうに花を両手に持っているティムカにサライは問いかけた。
赤い花は確かに美しいが、目的は作物だったはずで、それを分けてもらうという試みは失敗したのだ。
嬉しそうなティムカの様子がわからない。

「…すみません。」
ティムカはわずかに目を伏せた。
サライには説明できない。
この花をティムカの母が好きだったこと。
あの場所でいつも眺めていたこと。
いつかアンジェリークに見せたいと思っていたこと。
さまざまな想いが胸に迫り、それ以上言葉にできなかった。

「…まあ、いいさ。」
サライは歩みの遅くなったティムカの前に出て、ゆっくりと歩き出した。
すれ違いざまに見えた、泣き出しそうに歪んだティムカの顔。
きっと触れられたくない事なのだ。
「いい天気だな。 この星の太陽はいつも暖かい。」
大きく腕を広げ、天を仰いだサライの声に、ティムカはただ頷いていた。


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