永遠の『故郷』

Illustration by あおい楚春様

5.


乾いた砂ばかりだった土地に水がいきわたり、生きた土が蘇ってくる。
最初に苗を植えた水田はすでに穂が実り始め、あとわずかで収穫を迎えられるまでに成長していた。
この星の気候は、上手く行けば三期作まで望める。
そうなれば、最低限の食料の確保はおおむね達成できるだろう。
サライとティムカが先頭に立ち、荒れ地の大半を田畑へと変える計画が着々と進められている。
目覚ましいまでの進展が、惑星の中央全体で起こり始めていた。

「ティムカさん。 こっちももう少しだよ。」
実の詰まった穂を手にした老人がティムカに笑いかける。
誰もが収穫を心待ちにしているのだ。
壁の向こう以外で、食料を手に入れるのは、災害の日からの悲願でもあった。

「本当ですね。 実が詰まってきているのがわかります。」
まだわずかに青さが残っているものの、食べられないこともない状態だ。
籾を指先でこすると、食べ物の匂いがして、心が弾む。
ようやくここまで来た。
ここまで、来れたのだ。

ティムカが白亜宮の惑星に来てから、半年余りが過ぎていた。
サライとメーデルの3人で寝起きし、朝から日暮れまで畑で作業をする。
入れ替わり路地裏の人々が訪れては、手を貸してくれるから、慣れない農作業も何とかこなしてこれた。
考えてみれば、ティムカが自分の手で作物を作るのは初めてのことだ。
今まで当たり前のように手に入れてきたものが、こんなにも大勢の手で出来上がることを知ることができただけでも、素晴らしいと思えた。


「あっちは明日にでも収穫だな。」
見回りを終えたサライが告げる。
最初に苗を植えた水田の稲穂は頭を垂れ、夕日を浴びて、黄金色に輝いていた。
「ティムカ。 お前はどうするんだ?」
「え?」
サライは少し切り出すのを迷うように、珍しく眉を寄せた。

「皆がお前を…王にと言っている。」
「王?! 私が?! そんな…  それに、この星はすでに王政ではないはずですよね?」
「ああ、だが、こんな混乱のときだ。
 強いリーダーを立て、さらに復興を進めたいと考えてるのさ。 …俺も賛成だ。」

王になる。 
この星の王に再び。
ありえない、とティムカは小さく首を振り、ため息をついた。
自身の運命はすでに守護聖という立場にあるのだ。
けれど、聖地からは追っ手どころか、なんの連絡もない。
もしかしたら、との考えがよぎり、ティムカは意識を集中し、自分の体の奥にある、サクリアと精神を同調させてみた。
サクリアはすぐに体中を巡り、まだその力が衰えてはいない事がわかる。

「考えておいてくれよ。 お前にもいろいろと事情があるだろうが。
 この星の人々には、お前が必要なんだ。」


その夜、ベッドに入っても、ティムカはなかなか寝付けなかった。
決して上等とは言えなくても、疲れた体を休めるには十分なはずのマットレスが、今日はやけに冷え切って、ティムカを拒絶しているようだ。
すぐ近くで眠っているサライやメーデルの寝息を耳にすると、かえって目が冴えてきてしまう。
眠れない理由は、昼間、サライに言われたことが原因だ。
寝返りを打ち、頭から追い払おうとしても、浮かび上がってくるのだ。

『お前が必要なんだ』

守護聖に選ばれたと知った時。
聖獣の宇宙にとって、自身がかけがえのない存在だと思った。
アンジェリークもティムカを必要としてくれた。
だからこそ、全てを捨て、聖地へ赴いたのだ。
でも、本当はティムカがいなくても、聖獣の宇宙はつつがなく回るのではないだろうか。

ここへ来てからずっと、感じている不安。
自分は聖獣の宇宙にとって、本当に『必要』なのか。
聖獣の宇宙以上に、アンジェリークにとって、自分は『必要』な存在なのか。
こんな勝手なことをしておいて、今更だとわかっていても、寂しさを感じてしまう。


眠るのをあきらめて、ティムカは外へ出た。
明るい月明かりが遠くの山並みまでを鮮やかに照らし、金の稲穂が海のように揺れている。
明日、収穫する一帯をゆっくりと歩いていたティムカの目に、草の合間を走る人影が見えた。
黒ずくめの1人の男。
その人影の醸し出す不穏な空気にティムカは息を殺し、人影の跡を追った。
こんな時間に、ここで何をしているのか。
激しい胸騒ぎで、めまいがする。
気配を消し、畑の一角にしゃがみ込んだ人影の手から、わっと赤い炎が上がり、ティムカは一気に駈け出した。


「なにをするつもりですか!」
ティムカの声に人影が振り向く。
手にしている炎は何かの細工がしてあるのか、すぐに大きく燃え始めた。
炎に照らされた男の顔が暗闇でにやりと笑う。
背筋がゾッと凍った。

「やめなさい!」
ティムカは男の胸に頭から飛び込むと、手にしていた炎を足元に叩き落とした。
ジリジリと草の燃える音と焦げた匂い。
それでも水田周りの水を含んだ土に炎はじきに吸い込まれ、じゅわっと音を立てて消える。
それを確認したティムカは改めて男の腕を背中にねじり上げると、声を荒げた。

「誰に頼まれた?」
男は無言のまま動かない。
怒りに駆られたティムカがさらに強く腕をねじり上げた時、背後から大きな声が聞こえた。


「ティムカ!」
闇の中を走ってくるのはメーデルだ。
子供らしい敏感さでティムカの不在に気が付き、探しに出たのに違いない。
ティムカは咄嗟に 「近づかないで!」 と叫んだ。
けれど、ティムカがそう言った瞬間。
「きゃ!!」
どさり、と音を立てて、メーデルがその場に倒れ込んだ。

「メーデル!」
心配のあまり、男を拘束していた腕が緩む。
膝をこすりながらすぐに立ち上がったメーデルを見たティムカは、彼女の足元の結ばれた草に気づいた。
路地裏から来ると、ちょうど足をかけて転ぶ位置に草が結んであったのだ。
罠だ、と直感したのと同時に、腹に鈍い痛みが走る。
訳が分からずに、痛む箇所を抑えた掌に、ぬるりとした生暖かい感触がまとわりついてきた。
月明かりに滲む、どす黒い赤。
そして、体に光る銀の刃。


「ティムカ!」
サライの叫ぶ声。
ティムカは脱力しそうになる体を必死でつなぎとめて、男の体を押し倒し、その上に馬乗りになった。
もがく男の腕が、ティムカの体に刺さった銀の刃に触れると、全身に激痛が走る。
「くっ。」
声にならないうめき声が口からこぼれてしまう。
それでも、この男を離すわけにはいかない。
黒幕を吐かせ、この地を狙うものを排除しなければ。
自分のしたことに意味がなくなる。

ふと体が軽くなり、
「もういい。ティムカ。 大丈夫だ。」
耳元でサライが囁くのが聞こえる。
ティムカの下で抑えられていた男はその場で引きずり出され、騒ぎを聞きつけた路地裏の人々に縛り上げられていた。

「どうした?!」
ほの暗い月明かりだけの下、サライはティムカの異変に気付いていなかったのだろう。
抱き上げて初めて、ティムカの身体からぽたりと流れるモノに気づき、青ざめた。
「ティムカ! しっかりしろ!」
錆びた匂いと不自然な生暖かさ。
サライは自身の服を破り、傷口へとあてたが、見る見るうちにそれ自体が、赤黒く変わっていく。
銀の刃が角度をつけ、体をえぐっているのが、ぼんやりとした明かりでもはっきりと分かった。

「くそ!」
止血だけでどうにかなるような傷には見えない。
けれど、今のこの星に、医療という物はほとんど存在していないのだ。
とくに外科的な治療ができる設備は少ない。
…あの壁の向こうならともかく。

サライの考えを察したのか、ティムカがグッとサライの腕をつかみ、首を横に振った。
「やめて、ください…。何を要求されるか…。」
借りを作れば、この後の復興が立ち行かなくなる可能性もある。
壁の中の男の 冷めた瞳を思い出して、ティムカは身震いした。
体が冷えてきてもいるのだろう。
震えがだんだん大きくなっていく。

「いや。 俺の命に代えても、お前を助ける。」
サライの声がすぐそばのような、けれど、どこか遠くのようにも聞こえる。
重くなってきた瞼を閉じると、そこにはたしかに暗闇しかないのに。
頭の奥にはっきりと湧き上がる一人の女性の姿がある。

「アンジェリーク…。」
全てのしがらみが終わったら、二人で生きていこうと誓った。
もうずいぶん会っていないし、信じられない裏切りを重ねたティムカのことなど彼女は忘れているかもしれない。
必要としていないかもしれない。
けれど、今となってはその方が良かったとも思う。

「愛しています…。」
どうか、彼女が悲しみませんように。
力の抜けたティムカの体をサライがグッと抱きしめた。



その時、聖獣の宇宙は穏やかな昼下がりで、女王アンジェリークはレイチェルとお茶を飲んでいた。
レイチェルが淹れてくれた甘めのホットココアが疲れた体に染み込んでいく。
「アンジェ、大丈夫なの?」
レイチェルが気づかわしげに、アンジェリークの顔を覗き込み、ため息をついた。
「クマできてるヨ。 ちゃんと寝てるの? 疲れは取れてる?」
「うん…。たぶん。」

曖昧にほほ笑んで、アンジェリークはさらに一口、カップの中身を口に含む。
1人きりのベッドは冷たくて、なかなか寝付けない。
優しい腕も甘い言葉もない、暗い部屋。
女王ではなく、一人のアンジェリークとして安らぐ時間が、ティムカの失踪と同時になくなってしまったのだ。
レイチェルから見ても、今のアンジェリークは張りつめた弦のようで。
ふとしたことではじけ飛んでしまいそうな脆さを感じる。

「せめてお菓子を食べて。 これ、ロザリア様がくださったタルトなんだよ。」
「うん。美味しそうだね。」
赤スグリの実が敷き詰められたタルトは、とても酸味が強い。
すっぱいものが苦手なティムカのしかめ面が思い浮かんで、胸が詰まった。

突然訪れた、激しいめまい。
アンジェリークの手からフォークが滑り落ちる。
磨かれた大理石の床に金属の跳ね返る甲高い音が響いたと同時に、アンジェリークは椅子から立ち上がった。
味わったことのない喪失感。
けれど、女王の直観が告げている。
これは意図しないサクリアの消失、すなわち、守護聖の異変だ。

「レイチェル! すぐにロザリア様に連絡を!」
尋常でないアンジェリークの様子に目を丸くしていたレイチェルもすぐに何かを察したのか、小さく頷いた。
アンジェリークがこれほど動揺するとしたら、理由は一つ。
ましてや今は何があってもおかしくない状況なのだ。

「わかったヨ。 すぐに連絡してみる。 白亜宮の惑星…だよね?」
「ええ。 すぐにお願い…。」
祈るように重ねられた指先が紙のように白くなる。
レイチェルがバタバタと部屋を出ていくと、アンジェリークは再び椅子に座り込んだ。
足が震えて、とても立っていられない。

「ティムカ…。 無事でいて…。」
女王のサクリアなんて、何の役にも立たない。
大切な人を助けることも、守ることもできない。
アンジェリークはただ祈った。
女王としてではなく、一人の、愛する人を想う少女として。


知らせを受けたロザリアは、すぐにオリヴィエを白亜宮の惑星に送った。
助けに行きたいと真っ先に手をあげたゼフェルを置いて、オリヴィエを指名したのは、ロザリアの私情だけではない。
オリヴィエなら事情をよく知っている。
なによりティムカを聖地に連れ戻す際に、起こりうる様々な問題を上手くこなすには、オリヴィエが最適だと考えたからだ。

すぐに白亜宮の惑星に向かったオリヴィエは、まっすぐにサライの家へと向かった。
ティムカは気づいていなかったが、実際のところ、神鳥の宇宙ではティムカの行動を把握していた。
正確に全て、ではもちろんないが、ティムカの安全を含めて、ロザリアはいつも気にかけていたのだ。
自分が言ったことで、ティムカを極端な行動に走らせたと、ロザリアは後悔していたから。

オリヴィエが扉をたたいても、中からは何の返事もなかった。
鍵が開いていることを確かめ、オリヴィエが扉をくぐると、天井の高い空間が一つ。
その奥のベッドに、横たわるティムカと付き添うサライとメーデルがいた。

「ティムカを迎えに来たよ。 こちらで最善の医療を受けさせるから。」
青白い顔のティムカは、オリヴィエの声にも全く反応がない。
わずかに上下する胸の動きで、かろうじて息があることがわかるのみだ。
突然の来訪者にメーデルが噛みつきそうな目でオリヴィエを睨み付けている。
そして、絶対に渡さない、とでもいいたげに、ティムカの体を小さな手で抑え込んだ。

「メーデル。 この方にお願いしよう。
 ここではどうせなにできない。 ティムカが助かるとすれば、どんな方法でもすがるしかない。」
壁の向こうに連れて行ったとしても、助かるかどうかはわからない。
ならば、この目の前の男に、一縷の望みをかけるよりほかはない。
派手な髪色。透けるように白い肌。綺麗すぎるほどの容姿。
この星の人間とはまるで違う男。
それ以前に、彼からは、こことは別世界の人間のオーラがにじみ出ている。
おそらく、そこが、ティムカの本来の居場所なのだろう。


あおい楚春様より


「メーデル。 お使いを頼まれてくれないか。
 ティムカを別の場所で治療させることになったと、心配してる連中に話してきてほしい。」
騒ぎはかえって傷によくないから、と、心配する人々を強引にそれぞれの家に帰したのだ。
皆、ティムカの容体を気にして、眠れない夜を過ごしているに違いない。

「でも…。」
それぞれの家を廻るとなると、時間がかかる。
そんなメーデルの心配を、サライは笑顔で打ち消した。
「お前が戻ってくるまで、ちゃんと待ってるから。」
頭のいいメーデルはそれでサライの意図を察したらしい。
オリヴィエに鋭い目を向けると、ぷいっと外へ出て行ってしまった。

「メーデルはティムカに懐いているから、あんたが嫌なんだろう。
 …連れていくのがわかってるからな。」
サライは苦笑して、それからオリヴィエをまっすぐに見つめた。
黒曜石のような、ティムカと同じ瞳。
オリヴィエは、わずかに悲しげな色を浮かべた。
けれど、同情している時間はない。
ロザリアが自分をここへ派遣した理由をきちんと果たさなければいけないのだから。


「わかってると思うけど、ティムカはこの星の人間じゃない。」
サライが小さく頷く。
「っていうか、この宇宙の人間でもない。
 ティムカはこの宇宙とは別のもう一つの宇宙の人間なんだ。」
「別の宇宙の…?」
では、ティムカを初めて見た時に感じた、あの、不思議なシンパシーはなんだったのか。
それに。

「じゃあ、ティムカはこの星とは無関係なのか?
 なのに、あんなに、この星のことを…?」
ティムカはいつでも真剣のこの星の未来を考えていた。
先を見据え、人々を導き。
その姿はまるで、『王』だったのだ。

「そのへんは話すと長くなるんだけど、ティムカはもともとはこの星の人間なんだよ。
 ただ、ちょっと、人とは違う力があって…。
 それで別の宇宙へ行くことになったのさ。
 まあ、ピンと来ないとは思うけど。」

サライの脳裏に龍王の伝説が浮かぶ。
水龍になって天に上った王の話。
同じ名前の、ティムカ。

「ああ…。そうなんだな。」
サライはティムカの額にかかる髪をかき分け、頭にポンと手を乗せた。
年の離れた弟を慈しむように、数回、頭をなでる。

「わかった。ティムカを助けてくれ。
 彼はここで死んでいい人間じゃない。」
サライは立ち上がると、オリヴィエの手を握った。
「もしも、ティムカが目覚めたら、あとのことは心配するなと伝えてほしい。
 俺に任せておけ、と。」

サライの手は大きくごつごつとした力仕事の似合う手だ。
そして、大いなる力を持つ男のオーラを感じる。
オリヴィエは、サライの手を握り返した。
きっとこの男なら、この星をティムカの願いどおりに導いてくれるはずだ。

バタン、と大きな音がしてドアが開き、メーデルが顔をのぞかせる。
「行ってきたよ! ティムカは…?」
それきり黙ってしまったメーデルに、サライが首をかしげる。
「どうした?」
「…手とか握って気持ち悪い…。サライ、この人、綺麗だけど、男だよ。」
おしゃまなセリフに、オリヴィエが笑うと、サライはぎょっとして、握っていた手を離したのだった。


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