永遠の『故郷』

Illustration by あおい楚春様

7.


神鳥宇宙の聖地から星の小道を抜け、白亜宮の惑星へ。
ついこの間、この道を通った時は、不安と焦りを抱え、自分を見失っていた。
今思えば、この星を救えるのは自分だけだと思っていたなんて、なんて傲慢だったのだろう。
ティムカは深呼吸をすると、一歩、足を踏み出した。
この星特有のしけった熱さと、まだ砂の多いむき出しの土地。
歩くたびに舞い上がる砂をかき分けるように、ティムカは路地へと向かった。

近づくにつれ、人の数が増え、街の活気を肌で感じる。
最初にここへ来たころは、明るい太陽とは裏腹な淀んだ空気に驚いたが、今は、昔の賑わいを取り戻しつつあるように見える。
通りを過ぎる人々の表情も一様に明るい。
見知らぬ人でもすれ違うたびに会釈をされ、ティムカも同じように笑みを返した。

「おにいさん、買っていかない?」
オレンジの実を差し出され、ティムカは足を止めた。
「果物なんて、久しぶりでしょう? やっと実が採れるようになったのよ。」
オレンジを手にした女性はティムカに誇らしげに笑いかけている。
「これからはどんどん食べられるようになるわ。 まずはおひとついかが?」
思わず手を伸ばしかけたティムカは、自分が何も持たずに来たことに、また後悔した。

「すみません…。 今、持ち合わせがなくて。」
ティムカが申し訳なさそうに軽く頭を下げると、女性は目を丸くした。
「あんた、ずいぶんいい身なりなのに、文無しなのかい?
 旅行者だろう? この先、当てはあるのかい?」
矢継ぎ早な質問は悪意がなく、むしろティムカを心から心配しているようだ。
他人のことを気に掛ける心の余裕を、暮らしの余裕と共に取り戻したのかもしれない。
ティムカは胸に湧き上がる暖かい気持ちのまま、女性にほほ笑んだ。

「はい。知人がいるので、そちらに向かうつもりです。」
「そうか。 よかった。 じゃあ、お土産くらいは持っていった方がイイね。
 これ、あげるよ。」
女性はティムカの手に、オレンジを二つ、押し付けた。
「いただけません!」
ティムカが押し返そうとすると、女性は困ったような顔をした。

「あんたの懐を狙ったヤツのぶんの罪滅ぼしさ。
 今はまだ、いろいろ不安定なところもあって、悪いことをするやつもいるけど、この星はさ、これからどんどんいい星になるんだ。
 だから、あんたも、これに懲りずにまた来ておくれよ。」
女性はティムカが掏摸にでもあったと思い込んだのだろう。
この星の印象を悪くしたくないと考えての行動なのだ。
ティムカは女性のプレゼントを素直に受け取ることにした。

「ありがとうございます。 きっと、知人も喜びます。」
胸に手を当てる礼を返すと、女性はまた明るく、「毎度アリ~!」と声をあげて、行ってしまった。
ティムカの腕に並んだ、まるで太陽のようなオレンジ。
受け取った暖かな気持ちと一緒に、ティムカは先を急いだ。


わずかだった耕作地が広々とした金の波に変わっている。
ティムカは目の前の光景に目を奪われていた。
波の合間を楽しげに笑う人々がいて、風が豊穣の香りを運んできて。
昔、ティムカが幼いころに、父と視察に回った時と、同じ光景が広がっている。

「ティムカ!」
背後から聞こえた声に、ティムカが振り返ると、そのまま足に抱き付かれた。
パッと顔を上げたメーデルは満面の笑みを浮かべている。
「メーデル。 ちょっと大きくなったかな。」
「うん。 だって、ティムカがいない間に、6歳になったもん。
 サライがお祝いに大きなリンゴを買ってくれたんだよ!」
「そうですか。 どれ!」
大きく抱き上げると、メーデルが悲鳴を上げる。
ぐるぐると3回まわって、その場にしりもちをついて座り込んだ。

「痛・・・。」
ついはしゃいだせいで、傷口に痛みが走る。
完全にふさがっているとはいえ、まだこんなに動き回っていいわけではないことをすっかり忘れていた。
「ティムカ、大丈夫?」
心配そうにのぞき込んできたメーデルに、ティムカはくすりと笑った。
痛いけれど、痛くない。
メーデルの姿が太陽の光を受けて、まぶしいくらいだ。
「大丈夫ですよ。 メーデルが重すぎたから、倒れましたけど。」
「もう!」
子猫がじゃれるようにふざけ合っていると、ぬっと二人を大きな影が覆った。

「ティムカ。 …久しぶり、だな。」
「ええ。 そう、ですね。」
この水田を見る限り、ティムカの不在は数日ではないだろう。
じっと見つめ合っていると、日に焼けたサライの顔がふっと緩む。
立ち上がったティムカは、メーデルの頭に軽く掌を乗せオレンジを手渡すと、先に歩き出したサライの後をついていった。

「ずいぶん広がりましたね。」
一面の金の波。
「それと…あそこですが。」
ティムカの指さした先は、王宮。
真っ白な壁にドーム状の屋根が、まぶしい光に輝いている。
「壁がなくなったんですね。 今、あそこは…?」
「ああ、もとの公園に戻っている。
 不法占拠していたヤツラには出て行ってもらったのさ。 今頃は自分の土地でのんびり暮らしてるだろ。」



ティムカの事件の後、仕返しを叫んで王宮跡に攻め込もうとする人々を、サライは必至で抑え込んだ。
血を流すことは、もっとも愚かなこと。
ティムカがそんなことを望むはずがないと、丸一日以上説得した。
最後は、サライが単独で話をつけることで何とか納得してもらえたが、その間も人々はいつでも攻め込めるように、壁のすぐ後ろで待機することになった。
交渉が決裂すれば、すぐにでも戦闘になる状況。
けれど、壁の向こうには雇われた戦闘のプロもいる。
人数的にはこちらが有利でも、犠牲は避けられないだろう。
タイムリミットは一時間。
サライは丸腰で、壁の中へ向かった。


出迎えたのは、あの蛇の目の男だった。
側に控えた少年に大きな扇子で風を送らせ、皮肉な笑みを浮かべている。
まるで楽園のような風景なのに、淀んで腐った匂いに息が詰まりそうになった。
例えるなら、熟しすぎた果実が放つ最後の芳香。
きっとここに住む人間たちはその匂いに気が付いていないのだろうが。

サライは縛ったままの黒ずくめの男を目の前に突き出した。
ごろり、と転がった男を、蛇の目の男は冷たく見下ろすと、小さく顎を上げた。
合図のように中から同じ黒ずくめの男たちが飛び出してきて、縛られた男を運び込んでいく。
後のことは最早、サライの関与するところではない。

「ここから出て行ってもらいたい。 こちらの要求はそれだけだ。」
サライは開口一番でそう告げた。
男は薄く笑い、相変わらず子供に風を送らせて、サライを面白そうに見つめている。

「あんたたちなら地方に土地がいくらでもあるだろう。
 この中央以外なら、水が出る場所もあるはずだ。」
噴火の被害が一番大きかったのは、この中央一帯で、地方は変わらない場所も多い。
もちろん、権力からは遠ざかることになるだろうが、動き始めた時代に、今更、人々がこの男たちについていくはずもない。

「もともと、私は楽しく暮らしたいだけなんですよ。
 あの災害の後、ここが一番きれいで、水も豊富だったから、移ってきたまでのこと。
 面倒事は御免ですし、許しを請うつもりもありません。」

あれだけの搾取を、この男は当然だと思っているようだった。
上に立つ者として育てられてきたのだろう。
ただ、その『上』が、間違った場所に立っている。
男がちらりとそば仕えの少年を見る。
少年は慌てたように手にしていた扇を動かし始めた。

「どうするおつもりですか? 痛いのは好みませんので、できれば、毒か何かを頂きたいですね。」
あっさりと言う男を、サライはまっすぐに見つめ返した。

「明日の朝までに、出て行ってくれ。
 この場所を『元通り』に戻して。」

わずかな沈黙の後、男はため息をこぼした。
元通り、とはすなわち、運び入れた自分たちの財産や持ち物は持って出てもいい、ということだ。
すべて没収し、身ぐるみはがされて放り出されても仕方がないというのに。

「勘違いしないでくれ。 
 あんたたちが畑を燃やそうとしたこと、…俺の大切な友人にけがを負わせたことを許すつもりはない。
 だが、恨みは俺のところで終わりにしたいんだ。
 この星の未来のために、恨みの根を残したくない。」

血をもって制すれば、結局その罪は血で贖うことになる。
この星の未来をそんなふうに穢したくはない。
「…子供たちにも伝えましょう。 貴方の慈悲に感謝を。」

約束通り、翌日までに王宮に住み着いていた大勢の元権力者たちは去っていた。
王宮を『元通り』のままに残して。
そしてすぐに壁が取り払われたのだ。



「ティムカ。 俺をこの地域の代表に、と言ってくれる人たちがいるんだ。
 俺で、いいのか。
 お前が決めてくれないか?」
サライの黒曜石のような瞳は、どこまでもまっすぐで慈愛に満ちている。
彼女と同じだ、と、ティムカは思った。
誰よりも優しく強く、他人のことを思いやれる、崇高な魂。
だからこそ自分は、サライを無条件に信じてこれたのだ。

「そうですね…。」
なぜだろう。
涙がこぼれそうになる。
「私が決めていいというのなら…。
 この星を導いていけるのは、あなたしかいないと思いますよ。 サライ。」
きちんと笑えているだろうか。
サライの腕が伸びてきて、ティムカの頭にポンと掌を乗せた。


あおい楚春様より


「ありがとう。 お前がそう言ってくれるなら、俺でもやれそうな気がするよ。
 この星の未来は俺が引き受けた。
 だから、お前はもう気にするな。
 お前にとって一番大切なものだけを、その手に抱いて生きていけばいい。」
サライの言葉が胸にしみる。
それと同時に、ずっと背負ってきた何かが、ティムカの体から抜けていくような気がした。

この星の未来は彼らが決めること。
そして、彼らにはその力があるのだ。

畑で作業をしている人々がこちらに気が付いて、大きく手を振っている。
サライとティムカも大きく手を振り返し、いつのまにか二人で声をあげて笑っていた。


家路についたサライが扉を開けると、メーデルが走り寄ってきて、背後を伺っている。
「ティムカは?」
キラキラした黒い瞳は期待でいっぱいだ。
オレンジのいい香りで満たされた室内。
メーデルなりにティムカを歓迎しようと、食事の準備をしていたのか、食べ物の匂いもする。
返事のないサライに焦れて、扉から出て外をきょろきょろと見回したメーデルは、誰もいないことをようやく理解したようだ。

「帰った。 …自分の場所に。」
「え! どうして?! 」
明らかに不満げな顔でメーデルがサライの足を叩く。
叩いているうちに気持ちが高ぶって来たのか、
「なんで? 私、まだ、ティムカになにもしてあげてないのに!」

もしもあの日、ティムカに会わなければ、自分はきっと違う運命だったに違いない。
一度畑にやって来た偉そうな男のそばで、傘を持たされていた少女。
悲しそうな瞳をした、あの少女のようになっていたかもしれないのだ。
感謝しているのに、結局その気持ちを、一度もティムカに伝えられなかった。
涙声になるメーデルにサライは跪くと、ポンと掌を頭に乗せた。

「ティムカは大切な人の待つ場所に帰ったんだ。
 ここはアイツの本当の居場所じゃない。 
 …なあ、メーデル。
 俺たちで、ここをびっくりするほどの素晴らしい星にしてやろうじゃないか。
 今度、ティムカが来た時に、ここを出たことを後悔するような。」

メーデルは無言のまま、ぐっと拳を握っている。
ぽたりと床に涙のしずくが落ち、小さな肩が震えた。
泣けるようになったのだ。
袋に詰められて売られても、悲しいなんて思わなかった小さな魂が。

しばらくすると、メーデルは顔を上げ、ふんと下唇を突き出すような顔をした。
「そうだね! 私も頑張るよ! いっぱい勉強して、立派な人になる!」
「よし、偉いぞ。 メーデルは俺の一番弟子だ。」
頭に乗せていた手で、くしゃりと髪をまとめると、メーデルはくすぐったそうに、きゃっきゃと笑った。

災害ですべてを失くし、ただなんとなく生きていくだけだったサライに、ティムカは多くのモノを思い出させてくれた。
他人を思う心。
星の未来を考える心。
これからの自分の道。

「そうだ、メーデル。
 龍王の話をしてやろう。
 水の力を得て天に上った龍王の話を知ってるか?」
「う~ん、ちょっとだけなら知ってるけど。   聞いてほしいの? 
 でも、その前にご飯だよ。  ちゃんと手を洗って…顔もね!  サライの顔、すごく汚いんだから!」

伝説とは、誰が始めに言い出すのだろう。
決して忘れたくないことがあった時、誰かに伝えたいと願って始まる話なのだろうか。
それとも。
いつか、彼に届くように。
そんな願いを込めて、伝えられていくものなのかもしれない。


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