Collaboration of B'z × Angelique



手の中のエルピス

『傷心』( 5th Mini Album「FRIENDS II」 収録 )

Illust by 美純様  Novel by ちゃおず
オリヴィエ×ディア、オリヴィエ×ロザリア

2.

その間も女王試験は続いていく。
序盤はかなり差があったロザリアとアンジェリークだったが、驚異的なアンジェリークの追い上げで、今となってはどちらが勝利してもおかしくない状況だった。

ある日の午後。
オリヴィエとロザリアは二人で森の湖を訪れていた。
恋人達の湖とも呼ばれるその場所は穏やかな水の音に囲まれる静かなところだ。
ロザリアは湖のふちに腰を下ろすと、小さくため息をついた。
憂鬱な横顔でも彼女は美しい。

「どうしたの?」
オリヴィエはそんなロザリアの隣に座ると、草の上におかれた彼女の手に自分の手を重ねた。
掌がゆっくりと二人のぬくもりまでも重ねてくる。
「…アンジェリークが女王になるのでしょうね。」
ポツリとつぶやいたロザリアにオリヴィエは長い髪をかき上げる。
エリューシオンの発展の勢いは明らかにフェリシアを凌駕している。
ロザリアの不安はもう間もなく現実になるだろう。


挿絵 3


「でも、わたくし、納得していますの。 アンジェは…わたくしにはない、女王の資質がありますわ。
 諦めや羨みではなく、本当に心からそう思っていますのよ。
 そう、アンジェったら、『もしもわたしが女王様になっちゃったら、ロザリアが補佐官になってね。』なんて言うんですの。」
『そうすればオリヴィエ様ともずっと一緒にいられるしね!』
アンジェリークが満面の笑みで言った言葉はオリヴィエには言えない。
でも、ロザリアはもしも女王になれなくても、彼のそばにいられるのならいい、と思い始めてもいた。

「…あんたの補佐官姿なんて想像できないね。」
補佐官の衣装は彼女にこそふさわしい。
たおやかな花のような彼女に。

実のところ、ロザリアの言葉にオリヴィエは別のことを考えていた。
考えてみれば、補佐官は女王が指名することができるのだ。
しかも、とくに制限はない。
…もしも次の女王が新しい補佐官として彼女を指名すれば、彼女はそのまま聖地に留まるのではないだろうか。
いなくなってしまえば。
次の補佐官になるべき人間がいなくなってしまえば。

「オリヴィエ様?」
じっと見つめられて、ロザリアは狼狽した。
なぜかそのダークブルーの瞳を怖いと感じてしまう。

「試験に負けて、補佐官になるなんてさ。 あんたはそんなんでいいの?」
棘のある言葉に、ハッとロザリアは目を見開いた。
静かな森の湖が一層の静けさに包まれる。
「…もちろん、このまま負けるつもりはありませんわ。
 最後まで、女王を目指していくつもりです。」
きっぱりと言い切ったロザリアを、木々の隙間から差し込んだ光がスポットライトのように照らし出した。
前を向き、キラキラと輝く青い瞳はまだ諦めてはいない。
光のせいなのか、やけに眩しく思えて、オリヴィエは目を細めた。
さっきまでの悪意とは違うなにかが、胸の底から湧いてくるような気がする。


「でも、オリヴィエ様のおかげですわ。
 アンジェと仲良くなれたのも、女王になるだけが全てではないと思えるようになったのも。
 とても、感謝しています。」
柔らかくほほ笑むロザリア。
飛空都市に来たばかりのころの高慢な笑顔ではなく、心から楽しそうな笑顔だ。
オリヴィエはなぜか目を逸らした。

今、考えるべきことはロザリアの笑顔なんかじゃない。
ただの身代わりに過ぎない少女のことなど、気にする必要はない。
どうすれば彼女を聖地に残せるのか。
そのためなら、ロザリアなんて。

「別に。 あんたのためだけじゃないよ。」
気のない様子で答えたまま黙り込んだオリヴィエの横顔をロザリアは盗み見た。
彼はどこか暗い瞳で湖の湖面を眺めている。
なにか恐ろしいものを感じて、ロザリアは声をかけることができなかった。



中央の島まで、あと一つ。
激戦を勝ち上がったのは、やはりアンジェリークだった。
明日にも新女王は決定し、全てが新しい時代へと移り変わっていくことになるだろう。
今日が最後の育成になる、と、ロザリアはいつもよりも入念に身支度を整え、聖殿へと向かった。
すでにアンジェリークへ補佐官になる意思は伝えてある。
お互いに今日はお世話になった守護聖様方や飛空都市の人々に挨拶をして廻ろうと決めていた。

思いつくままにロザリアは飛空都市を回り、それぞれと名残を惜しんだ。
ここから聖地へ向かう人は思ったよりも少ない。
ほとんどがこの試験のためにここで働いていたと知り、ロザリアは驚いた。
どおりで誰も、女王や聖地のことを知る人がいなかったはずだと今更ながら納得した。
結局、一通りのあいさつを済ませ、オリヴィエの執務室へ着いたのは、すでに夕闇がすぐそこまで迫る時間だった。


いつものように夢の執務室のドアをノックする。
これも今日が最後なのだと思うと、少し切なくなった。
このドアの向こうで、いつもオリヴィエは優しくロザリアを出迎えてくれたのだ。
ここへきてよかった。 女王試験があって本当によかった。
目指した女王への道は閉ざされてしまったけれど、こんなにも大切なものを見つけることができたのだから。

しばらくオリヴィエからの返事を待っていたロザリアは、中から何の物音もしないことに気が付いた。
ゆっくりノブを回し、扉を開くと、やはり誰の姿もない。
秘書官達はおそらく帰宅したのだろうが、オリヴィエはまだ残っているはずだ。
ロザリアは部屋の中へ足を踏み入れると、中央のソファに座り、彼の帰りを待つことにした。
どうしても最後にオリヴィエにきちんと感謝の気持ちを伝えたかったのだ。

しんと静まり返った部屋。
ロザリアはきょろきょろとあたりを見回した。
毎日のように通い、すっかり自分自身もこの部屋になじんだような気がする。
彼の香りがふわりと鼻先をかすめると、カッと体が熱くなった。
このソファの上で、何度口づけを交わしただろう。…何度彼に愛されただろう。
急に恥ずかしさがこみあげてきて、ロザリアはソファから立ち上がると、執務机の方へ近づいた。


「あら?」
すでに整頓が済んでいるのか、机の上にはなにも置かれていない。
ふと、ロザリアの目に入ったのは、10cmほど隙間の空いた引き出しの中。
奥の方にいくつか物が残っているのが見える。
本当になにげなく、ロザリアはその引き出しを開けてしまった。
普段なら人の机の引き出しを開けるなんて、はしたないことをするはずがないロザリアなのに、なぜかその時は自然にそうしていたのだ。

取り出したのは、重さのない、小さな紙袋。
光沢のあるワイン色の、一目で質の良い紙だとわかる袋だ。
中身がなにか思い当たって、ロザリアは手を震わせながら、その袋を開けてみた。
思った通り、中から出てきたのは小さな宝石箱。
紙袋と同じ色のベルベットの箱にリボンがかけてあり、特別な品だということがわかる。

ロザリアの心臓が飛び出しそうなほど跳ね上がった。
どう見ても誰かへのプレゼントにしか思えないし、最後の日のこの時間まで、こんなところに置いてあるということは、もしかして。
いけないと思いながらも、誘惑に勝てない。
それに、もし彼が途中で帰ってきても、怒ったりはしないだろう。
笑いながら、「困った子だねえ。」と、いつものように許してくれるに違いない。
そして、「あんたへのプレゼントだよ。」と、キスをしてくれるのだ。
ロザリアは胸を躍らせながらリボンをとき、箱を開けてしまった。

「キレイ・・。」
箱の中にあったのは、大きな石を抱いた指輪だった。
輝きから見て、石はダイヤに間違いない。
ロザリアは箱から指輪を取り出すと、左手の薬指に填め、光にかざしてみた。


挿絵 2


キラキラと見事に輝く石。
大きさだけではなく、カットも素晴らしいのだろう。
反射した光があちこちに散らばり、まばゆいばかりに煌めいている。
しばらく、その美しさにいろんな角度に手をかざしていたロザリアは、指輪を改めてまじまじと見た。

大きく輝く淡いピンクのダイヤモンド。
周りを取り囲むプラチナの台は繊細な百合の意匠が施され、優美な中に女性らしい優しさがある。
本当に素敵なデザインだが、なんとなく、ロザリアは不思議な気がした。
既製品とはとても思えないから、オリヴィエが作らせたものなのだろう。
けれど、このデザインは、何かが違う。
少しサイズも大きいし、なによりも、指輪から受ける印象がロザリアとは違う気がするのだ。
ロザリアは名前のこともあって、薔薇に例えられることが多い。
百合も嫌いではないけれど、このデザインは少し地味すぎる。
たとえば、もっと…。


不意にドアの開け閉めする音がして、ロザリアはぎょっと振り返った。
疲れたような顔をしたオリヴィエが部屋に入ってきたかと思うと、ものすごい足音を立てて、ロザリアに近づいてくる。
そして、いきなり、ロザリアの左手首をねじり上げたのだ。
「なにしてんの?」
痛みで思わず顔をしかめたロザリアを、オリヴィエは真っ向からにらみつけた。
怒りのあまり、目がくらみそうで力の加減すら忘れてしまう。
ロザリアの薬指に輝く指輪は、ずっと引き出しの奥にしまい込まれていたはずのモノ。

「引き出しが、少し開いていて、それで…。」
オリヴィエの様子にすっかりおびえたロザリアがとぎれとぎれに言葉を吐き出す。
掴まれた手首の痛みよりも、彼の本当に怒った顔が恐ろしい。
なぜ、ここまで怒るのだろう。
訳が分からなくて、ロザリアはただ体を震わせた。

「開けたの?」
こくり、と頷いたロザリアの指から、オリヴィエは強引に指輪を抜き取ると、彼女の体を思い切り突き飛ばした。
勢いよく跳ね飛んだロザリアの体は床にたたきつけられ、全身に痛みが走る。
あまりの衝撃にロザリアはすぐに起き上がれなかった。
骨がバラバラになったような痛みもあるが、それ以上に頭が混乱したからだ。

「これは私が、彼女のために特別に作らせたものなんだ!
 あんたなんかが、つけていいもんじゃないんだ! あんたの物じゃない!」

浴びせられた言葉に、ロザリアはようやくのろのろと体を起こした。
叩きつけられた勢いで、綺麗に巻かれていた髪が少しほどけて、床にこぼれているのが目に入る。
冷たく自分を見下ろすオリヴィエの瞳。
混乱した中で、ようやくロザリアは今の自分の位置を理解した。

『彼女のために特別に作らせたもの』

もちろんその『彼女』は自分ではない。
指輪をはめた時に感じた違和感は当然だった。
それはロザリアのためのものではなかったのだから。

ふと、ロザリアはさっきの指輪を思い出した。
淡いピンクのダイヤモンドと百合の意匠。
そのイメージの似合う、オリヴィエの本当の想い人。

「ディア様…?」
口から飛び出した言葉に目の前のオリヴィエが凍り付く。
そのオリヴィエの様子に、ロザリアは自分が口にしたことが真実なのだとわかった。
動きを忘れたようにオリヴィエが立ちすくんでいる間に、ロザリアはさっと体を起こすと、部屋を飛び出して行った。



候補寮へと走りながら、ロザリアは今までのことを思い出していた。
『違うよ。』
ロザリアを抱く時に、彼は何度もそう言った。
ロザリアにとって、オリヴィエは初めての男性だ。
しかもそれまで異性との付き合いをほとんどしてこなかったロザリアは、オリヴィエの言う『違い』がよくわからなかった。
もしかすると、世の中の女性と自分は違うのではないかと悩んだこともあった。
だからこそ、彼が望むことは何でも受け入れようとした。
けれど、それは『彼女と違う』という意味だったのだ。
彼はロザリアを抱きながら、彼女を想っていた。

なぜ、気づかなかったのだろう。
遠くを見ていた彼。
時々怖いくらいにロザリアを乱暴に扱った彼。
今思えば、全てがパズルのピースのように当てはまり、一つの絵を作る。
オリヴィエが指輪を送りたいと願い、心から想う女性はロザリアではない。
きっと初めから、彼はロザリアを想ってなどいなかったのだ。
暗い絶望の闇がロザリアの足元に口を開けて、広がっている。

いっそそこに堕ちてしまおうか。
ロザリアは足を止め、足元にある闇に目を向けた。
世を儚めば、オリヴィエも少しはロザリアを憐れんでくれるかもしれない。
涙の一つくらいはくれるかもしれない。
けれど、それで誰も救われはしない。

ロザリアは目を閉じ、オリヴィエの顔を思い浮かべた。
あんなことを言われたのに。 愛されていないとわかっているのに。
それでも、やはり、オリヴィエが試験の折々で手助けをしてくれたこと、優しい口づけや過ごした夜のことを忘れられそうもなかった。
オリヴィエには、幸せでいてほしい。
愚かだとわかっていても、その願いは自分の中で一番大きなこと。

試験は今夜で終わる。
ロザリアができることはわずかだけれど、ゼロではない。
候補寮までたどり着いたロザリアは、大きく息を吐くと、くるりと足の向きを変えた。



ロザリアが去った後、オリヴィエは取り上げた指輪をゴミ箱に放り込むと、頭を抱えてソファに座り込んだ。
自分への嫌悪感で吐き気がする。
ロザリアの体を床にたたきつけた時、確かに我を忘れていた。
怒りと、そして、それよりも大きかった自分でもよくわからない焦りに似た気持ち。

オリヴィエが執務室に足を踏み入れた時、ロザリアは指輪を見ながら、何かを考えているようだった。
それでも、オリヴィエの姿を認めた瞬間、彼女は華のような笑顔を浮かべ、はにかむように頬を上気させていた。
あの指輪を自分への贈り物だと思い込んでいたのだろう。
嬉しそうにオリヴィエを見る青い瞳がとても綺麗だった。

なぜ、あそこまで激高したのか、本当にわからない。
ディアへ贈るための指輪だったことは間違いない。
オリヴィエが石を選び、枠をデザインし、彼女のためだけに作らせたのだ。
けれど、飛空都市を出るために荷物を片付けているとき、オリヴィエはあの指輪を捨てるつもりだった。
残しておいたのは、ただ、あれほど大きなピンクダイヤはなかなかないだろうと思ったからだ。
別のデザインに加工しなおして、石だけでも使いたい。
すでに自分用のネックレスにするデザインも考えていたくらいだ。

その程度の物、だったはずなのに。
上手く丸め込んで、ロザリアから取り戻せば、それでよかったのに。
床にたたきつけられたロザリアが、じっとオリヴィエを見つめた瞳。
深い悲しみに彩られて、絶望していた。

ぞくりと、オリヴィエの背中を冷たい恐れが這い上がる。
この恐れがなんなのか、オリヴィエにははっきりとわからない。
これ以上考えることすら恐ろしいような気がして、オリヴィエはそのまま、ソファに寝転び、新女王の目覚めを待っていた。