Fall

11.


月の曜日、朝の朝礼にロザリアは姿を現さなかった。
「風邪をひいたみたいで、熱があるの。
 今日はお休みしてもらうことにしたわ。」
珍しい補佐官の欠席を、女王はさらりと告げた。

「季節の変わり目ですからね~。 それにロザリアはいつも頑張り過ぎですから。」
ルヴァが女王を補足するように言うと、皆もそれ以上は詮索しなかった。
聖地は守られた場所とはいえ、病気やケガがないわけではない。
ましてや土の曜日のパーティでのロザリアの頑張りを見れば、気が抜けて体調を崩すことも当然のことだろう。
「では、今日の進行は私が行おう。」
すっと前に進み出たジュリアスが、朝礼の開始を宣言すると、いつものように朝礼が始まった。
和やかなはずの朝礼が、なんとなく固い雰囲気になったのは、必然としか言えないが。

「心配ですね。 この季節の風邪は長引くと言いますし、良いハーブでも届けましょうか?」
「僕もお花を届けるよ。」
「邪魔しねー方がいいんじゃねーの。 寝かせてやれよ。」
朝礼が終わった後も、皆がそれぞれにロザリアの心配を口にしている。
ただオリヴィエだけは、そのやり取りには参加せず、苦い気持ちを抱えていた。

昨日、ルヴァがロザリアの屋敷を訪れたのを見ている。
あの時は普通にルヴァを招き入れていたのだから、体調を崩したのだとすれば、その後。
二人でなにをしていたのか。
…熱を出すようなことをしていたのか。
下世話な想像ばかりが浮かんできて、いらだちが募る。
お見舞に行く、という守護聖達の誘いを断り、オリヴィエは一日、執務室にこもっていた。


そのまま、何事もなく、数日が過ぎた。
もともと二人の交際は誰にも知られていなかったのだから、何の変わりがあるわけでもない。
あの出会いの夜の前に戻っただけのこと。
火の曜日にはロザリアも出仕していて、オリヴィエも何度か彼女の姿を見かけた。
書類を抱え、廊下を行き来するロザリアは、凛と背筋を伸ばし、忙しく働いている。
少し青白い顔をしているような気はしたが、病み上がりなのだから、それも無理はないのだろう。

会いたくないと思えば、同じ聖殿にいても全く会わずにいられた。
オリヴィエはしばらくの間、ほとんどの時間を執務室に一人で過ごしていた。
思えば、前女王の時代はお互いの執務室を行き来することもほとんどなく、それぞれに過ごすのが日常だったような気がする。
気ままで、気楽で。 …少しの孤独。
なんどかルヴァやオスカーに声をかけられたが、とても仲良くお茶を飲む気にはなれず、オリヴィエはすべて断っていた。
らしくないとは思っても、気分が乗らないのだから仕方がない。

一方のロザリアも、この週、女王の間にこもりきりで、ランチをカフェで取ることもなかった。
元気のないロザリアの様子にアンジェリークは盛んに外へ連れ出そうとしたけれど、ロザリアは首を振るばかり。
結局、その週の間、オリヴィエとロザリアは、お互いを避けるように、言葉を交わすことがなかった。

一度だけ、廊下の端と端で二人の目が合った。
何か言いたげに、ロザリアの青い瞳が揺れ、オリヴィエをじっと見つめている。
彼女の唇が言葉を形作ろうとした瞬間。
オリヴィエは黙って目を逸らした。
このまま彼女を見ていれば、問いただしたくなってしまうから。
そしてきっと彼女を傷つけてしまうから。
だから、ただ避けることしかできなかった。



土の曜日。
時計ばかりを見て、一日が終わっていく。
振動する携帯から響く不快な電子音に眉を顰めたオリヴィエは、そのディスプレイに表示された名前を見て、さらに皺を深くした。
正直、あまり話をしたくない相手。
けれど、緊急連絡を兼ねてもいる端末を無視するわけにもいかず、小さくため息をついた後、渋々ボタンを押した。
「ああ~~、 出ないかと思いましたよ~。」
相変わらずのんびりした声。
端末を耳に押し当てて、胸をなでおろしているルヴァの様子が目に浮かぶんで、つい舌打ちが出る。

「なに? 今日が土の曜日だってわかってる?」
わずかに嫌味をにじませた。
今日が何の日か、オリヴィエが忘れるはずがない。
先週のパーティで、ロザリアとルヴァが秘密の約束をしていた日。
もしかして、今、この電話をしているルヴァの隣に、彼女がいるのかもしれない。
オリヴィエは端末を叩きつけたくなる気持ちをぐっと抑えていた。


昨夜はひどい晩だった。
今までの金の曜日の夜は、たいていロザリアと一緒に過ごしていた。
けれど、昨夜はそんなわけもなくて。
久しぶりの一人きりの夜。
暇つぶしに下界へ降りたオリヴィエは、気ままに夜の酒場をはしごして、飲み歩いた。
店を変わるたびに秋波を送ってくる女たちをなんとなくからかってみたり。
ちょっと好みのタイプの子には逆に奢ってみたり。

以前ならそのまま、近くの宿に連れ込んで楽しんでいたかもしれない。
気まぐれに遊ぶことが当たり前で、誰だってよかった、あのころなら。
けれど、結局、そんな気にもならなくて、最後の店を出る頃にはすっかり酔いもさめていた。
それでもブラブラするうちに、屋敷に帰り着いたのは、もう明け方近く。
安酒に大量に浸かったせいか、いまだに頭が重い。


「なんの用? 私も忙しいんだけど。」
土の曜日の午後、何の用事もないことくらい、ルヴァだって知っているだろう。
守護聖というのは、たいてい退屈な存在だ。
急ぎの用などそうそうない。
「ああ~、すみませんねぇ。 ちょっと、どうしてもお話したいことがありまして…。
 申し訳ないのですが、家まで来てもらえませんかねぇ。」
「は? あんたの家?」
オリヴィエは思わず聞き直していた。

今日はロザリアが来ているはず、と言いかけて、ちらりとオリヴィエは時計を見た。
針はちょうどお茶の時間を廻ったところだ。
…彼女が来るのは夜なのかもしれない。
恋人同士なら、そのほうが自然だ。

もしかすると、ルヴァは、彼女が来る前に、オリヴィエに決定的な何かを告げようとでもいうのだろうか。
もうロザリアに関わらないでほしい、とか。
忘れてほしい、とか。
勝者が敗者にかける言葉は、いつだって残酷でしかない。
「いいよ、わかった。 今から行くから。」
半ば自虐的な気持ちで、オリヴィエはそう告げて、端末を切った。

それなりの服に着替えて、オリヴィエはルヴァの家に向かったが、改めて考えれば考えるほど、ルヴァの話の内容が思いつかない。
なぜ、わざわざルヴァの家まで呼び出す必要があるのか。
ルヴァはああいう性格だから、滅多に人に無理強いをしたりすることはない。
休みの日に突然呼びつけるなんて、そこそこ長い付き合いの中でも初めてのことだ。


ルヴァの屋敷はまるで人の気配がしなかった。
けれど、何か不自然さを感じたのは、甘い香りが家じゅうに漂っていること。
オリヴィエも何度か招かれたことがあるが、この屋敷は正直変わっている。
おかしなセンスの置物や、不気味にかすれた絵。
目の細い木彫りの人形に至っては、子供が見たら泣き出しそうなほどの怖さがある。
いつもなら、その雰囲気に似合う、不思議な匂いがしているのだが・・・・。
今日は甘い。 たとえるならお菓子の匂い、だ。

「奥でなにかやってんの?」
我慢できずにオリヴィエが尋ねると、向かいのソファに座っているルヴァが何やらソワソワとし始めた。
明らかに挙動不審。
おまけに 「ちょっとお茶を淹れてきますね~。」と席を立ったきり、なかなか戻ってこない。
手持無沙汰になったオリヴィエは、なんとなく辺りを見回した。

魚をくわえた木彫りのクマ。 ヘンなタワーの模型。
相変わらずのセンスには、もはや感動すら覚えてしまう領域だ。
ロザリアは、この趣味を理解しているのだろうか。
普通の女の子ならドン引き間違いなしだが・・・きっと彼女なら受け入れてくれるだろう。
一見、キツクて傲慢なようで、本当のロザリアはとても素直で純粋な女の子だから。

「お待たせしました~。」
「うん。 ホントに待ったよ。」
しれっと嫌味を返したオリヴィエは、ルヴァの持ってきたお茶をごくりと飲み込んだ。
苦い…というか、これまた実に微妙な味わいだ。
いつものお茶は苦いにしても、もう少し飲めるものなのだが。

「ね、 コレ、ヘンじゃない?」
「えええ!!」
慌ててお茶を口に含んだルヴァが目を白黒させている。
自分で淹れたお茶の味に気が付かないのもおかしな話だが、もうツッコむのは止めることにした。
「で、話って、なに?」

ルヴァはじっと押し黙っている。
言葉を探しているというよりも、何を言ったらいいのか、わからないような顔だ。
呼びつけたくせに。
いつものオリヴィエなら、口下手なルヴァを助けるように自分から話を振ることが多いのだが、今日はとてもそんな気にならない。
こうなれば、我慢比べだ。
オリヴィエもグッと腕を組んだまま、足を軽く投げ出して、同じように黙っていた。
すると。


「もう! にらめっこしてる場合じゃないでしょ!
 ホラ、ルヴァ! オリヴィエを一発殴って! がつーんとやっちゃって!」
奥から飛び出してきた人影に、オリヴィエは目を丸くした。
ヒラヒラフリフリのド派手なピンクのエプロン。
ふわふわの金の頭のてっぺんには大きな赤いリボン。

「陛下?!」
つい大声で叫んだオリヴィエの頭に、降って来たのは…。
「うわ!!!!」

大量のアロエとサラミソーセージ。
肩に触れたアロエがベショッとシャツに張り付いたかと思うと、じんわり滲んで染みになる。
おまけに大嫌いな青臭い匂いがすぐにツンと鼻を刺してきた。
その上、サラミソーセージが頭にごつんと当たるとかなり痛い。
まさに凶器は鈍器、と認定される固さだ。
しかもそれが次から次へと雨のように降ってくるのだから…たまらない。
オリヴィエは両腕で頭をガードしながら、逃げる間もなくその場に立ちすくんでいた。

  
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