Fall

12.


「ちょ、待って! なに?! どうなってんの?!」
オリヴィエの叫び声などまるで耳に入らないかのように、アンジェリークは床に置いた段ボールから、次々とアロエとサラミソーセージを取り出しては投げつけてくる。
棘のついたアロエの葉がオリヴィエの肌を掠めて床に落ちると、果汁と果肉が一面に飛び散る。
アロエでぐちゃぐちゃになった床に転がるサラミ。 
…さながら床は戦場跡だ。

「ああああ~~~。 アンジェ、落ち着いてください~!!
 まずは話を聞いてからと約束したじゃないですか~~~。」
オロオロしながらルヴァがアンジェリークの元に駆け寄る。
が、アンジェリークは止められない。

「ルヴァに任せてたら、来年になっても進まないわよ!」
「そ、そんな! せめて、明日くらいでは…。」
「明日?! なにそれ?! 明日だって、待てないわ!」」
飛んでくるものから必死で自らを庇うオリヴィエの耳に、二人の夫婦漫才のようなやり取りが聞こえてくる。
なんだろう。
この二人の…息のあった様子は。
悠長なことを考えていたら、大きなサラミソーセージがオリヴィエの頭にクリーンヒットした。

「痛っ。」
思わず声が出ると、アンジェリークがきっとオリヴィエを睨み付け、その10000倍は大きい声で言い返してきた。

「私の大事なロザリアをさんざん弄んだくせに!!! これくらいで痛いなんて冗談じゃないわ!
 オリヴィエなんて、アロエの葉で切り刻まれて、サラミに頭ぶつけて死んじゃえ!」
「あ、アンジェ! それは言いすぎです~!」
「ルヴァは黙ってて!
 オリヴィエの変態! 女の敵! 最低男! 」

ようやく箱の中が空になったのか、物が飛んでこなくなった。
そっと顔を庇っていた両腕を下ろしたオリヴィエの視界に、飛び込んできたのは、肩で息をしているアンジェリーク。
目にうっすらと涙をためているが、それが怒りのせいなのは、般若のような表情からもよくわかる。
その隣でオロオロと、困った顔をしているルヴァ。
一体何がどうなっているのか、全く飲み込めない。

とりあえず、オリヴィエはシャツに張り付いたアロエの葉を一つ一つ、取り除いていった。
べっちょりと張りついた果肉からは独特の青い匂いがして、息がつまる。
ただでさえ大嫌いなのに、見事なほどアロエまみれ。
ここまで来ると悲惨を通り越してあきれてしまう。
シャツはクリーニングしなくてはならないだろうし、髪も顔もきっとひどいことになっているはずだ。
思わずため息をつくと、
「当然の報いだわ。」
ふんと鼻を鳴らしたアンジェリークがじろりとオリヴィエを睨み付けている。
一体どうして。 何の恨みで。
問いただしたいけれど、聞けば余計に怒りを買ってしまいそうで何も言えない。
混乱した中、オリヴィエはふと気が付いた。


「ねえ、さっき、なんて言った?」
「え? オリヴィエの変態、女の敵、最低男。」
しれっと罵詈雑言を並べ立てるアンジェリークに、隣のルヴァが青ざめながら、オリヴィエに済まなそうな意を込めた笑みを向けてくる。
それも気になるが、今、オリヴィエが気になるのはもっと別のことだ。

「じゃなくて、その前。」
「え~っと。 サラミで頭ぶつけて死ね?」
ニッコリとそう言われると、なんだか穏やかじゃないけれど、それも無視だ。

「もっと前。」
「ええ~。 なんだっけ。
 わたしの大事なロザリアをさんざん弄んだくせに?」
「それ!」
アンジェリークの言葉に茫然としたのは、たぶん、しょっぱなにそれを言われたからだ。
言い返そうとして、防御が遅れた。
でなければ、ここまでひどい様相にはなっていなかっただろう。

「…それ、違うから。 訂正してよ。」
むしろ遊ばれたのは自分の方だ、とオリヴィエは言いかけて止めた。
おおもとのルヴァがそこにいるのも理由の一つだし、自分の情けなさも惨めすぎて、言いたくない。
けれど。
「どこが違うのよ!!!!」
アンジェリークは押さえようとするルヴァの体をグイッと脇に押しのけて、オリヴィエの前に仁王立ちした。

「デートらしいデートもしないで、ロザリアのバージンを奪った挙句、ヤりたくなったら家に押しかけて、好き勝手して。
 で、ヤるだけヤったらさっさと帰って、あとは知らんぷりなんでしょ?
 恋人にする気もなくて、ただの身体目当てだったくせに、どこが弄んでないって言うのよ!」

下に落ちていたサラミを拾い上げたアンジェリークの動きを、オリヴィエはスローモーションの動画を見るように眺めていた。
勢い良く振りかぶって、サラミを投げるアンジェリーク。
目を覆うルヴァ。
すぐに頭が痛い気がしたから、きっとそこに当たったんだろう。
でも、どこか遠い出来事のような気がして、痛みすらはっきりわからない。

たしかに、ロザリアとデートらしいデートはしなかった。
でも、それは彼女が忙しくて、そんな時間がなかったからだ。
バージンを奪ったのは否定しないし、家に押しかけたのも間違っていない。
でも、それはお互いに想いがあっての合意の上だったし、家に行ったのは、少しでも一緒にいたかったからで、身体目当てじゃない。
すぐに帰ったのも、二人の付き合いを誰にも知られたくないとロザリアに言われたからだ。
本当は朝まで彼女を抱いて眠りたかったし、二人でモーニングティを飲みたかった。
それに。

「恋人、だと思ってたよ。 少なくとも私はね。」
そんな関係じゃないと言ったのはロザリアの方だ。

「嘘ばっかり!
 オリヴィエから恋人じゃないって言われて、先週の日の曜日、ロザリアは寝込んじゃったのよ!
 すごい熱が出て、大変だったんだから!
「先週の日の曜日? 
 嘘でしょ? だって先週の日の曜日、ロザリアはルヴァと…。」

ケーキの箱を手に、いそいそとロザリアの家に入っていったルヴァ。
忘れたくてもオリヴィエの脳裏にくっきりと刷り込まれて消えてくれない光景。

「はあ? ルヴァ? 何言ってるの? そんなはずないでしょ。
 だって、先週の日の曜日、ルヴァはわたしと一緒だったんだもの。
 ロザリアから薬が欲しい、って、死にそうな声で連絡があって、わたしがロザリアのところに行ったの。
 それまではずっとわたしの部屋に二人でいたのよ。」

アンジェリークの口調は完全にオリヴィエを否定している。
嘘をついているようには見えないし、そもそもアンジェリークがオリヴィエに嘘をつく理由がない。
けれど、オリヴィエは確かにこの目で見たのだ。
睨み付けているアンジェリークの肩を抱くように、そっとルヴァが前に進み出た。
「ああ~、もしかして、あなたは私がロザリアの家に行くところを見たのでは?
 アンジェリークがロザリアの看病に行ってしまったので、私はお見舞を兼ねて、二人にケーキを持っていったんです。
 最近の二人のお気に入りのお店まで出かけましてね。
 結局、具合が悪くてロザリアは口にしませんでしたが。」

あの時、扉の影にいたのは、ロザリアではなくてアンジェリークだったのか。
ロザリアは寝込んでいて、アンジェリークが看病して。
そのアンジェリークにルヴァがケーキを持って行って。
断片だけ見ていた時は、まるで別のモノに見えたワンシーン。
けれど、それを繋げれば、なにもかもが誤解だった。


「…もしかして、ルヴァと陛下ってば、付き合ってるの?」
それに、今までの話を総合すると、見えてくる結果は一つだ。
毎週末を一緒に過ごし、今もこんなに親密な空気を醸し出している二人。
ただの女王と守護聖ではないだろう。

「ああ~~~。 バレましたか。」
「隠す必要なんてない、って、わたしはずっと言ってたの。
 でも、ロザリアが女王の威厳がどうのこうの、ってうるさくて。
 反対はしないけど、大ぴらにはしちゃダメだって、ずっと秘密にしてたのよ。
 その代わり、わたし達の連絡係とか、デートの橋渡しとかをしてくれてたんだけどね。」

ハッとオリヴィエの頭に浮かぶ、お茶会の時の密会。
「お茶会の時、ロザリアから手紙もらってたよね?
 もしかして、アレ、陛下からの?」
勢い込んで聞いたオリヴィエに、ルヴァは遠い記憶をたどるような目をした後で頷いた。
「ええ、そんなこともありましたかね~。
 だいたいデートの連絡はロザリアを介した手紙のやり取りが多いので…。
 いえ、メールや電話でもイイんですがね、私はこの通り、あまりそういったデジタル機器が得意ではないもので…。
 メールなんかは1週間くらいチェックしないことも多くてですね。」

まだ何やらグチグチと繰り返しているルヴァの言葉は、当然のようにオリヴィエの頭をすり抜けていった。
手紙がそうなら、今日の約束も、何もかもが勘違い。
ロザリアとルヴァの間には、オリヴィエが思っていたようなことは何もなったのだ。
でも、ロザリアがあの時、言った言葉は変わらない。
『そんな関係じゃない』
聞き間違いじゃないのは、オリヴィエが一番よく知っている。


「あのですね、オリヴィエ。
 ロザリアはいつも不安がっていましたよ。」
「え?」
呆然としているオリヴィエに、ルヴァが微笑みかけた。

「友達の話だ、なんて、ロザリアは言っていましたが、彼女は嘘が下手ですからね。
 すぐにロザリア自身のことだとわかりましたよ。
 好きな人が、『好き』とも『付き合ってほしい』とも、言ってくれない。
 彼の気持ちがわからない、と悩んでいました。
 ああ、相手があなたのことだとは知らなかったんですが…。
 私のアドバイスも良くなかったのかもしれません。
 そのうち、言葉にしてくれるはずだ、なんて、安請け合いしてしまったのものですから…。」

「そうよ!
 だからロザリアは、ずっと我慢して、悩みを抱えたままになっちゃったんだわ。
 もっとしっかりアドバイスしてあげてたら…っていうか、ロザリアもなんでルヴァに相談なんてしたのよ!」
「ああ~、ですから私も反省していると…。」
「だいたいルヴァは自分だって、なかなか言わなかったくせに~。」
「そ、それは、貴女が女王を目指していたからですね。 私だって、その。いつかはですね。」
「ルヴァのいつか、なんて何年先のことかわからないわよ~。」

相変わらずの夫婦漫才。
いつまで続くのかと思っていた時、ふいにアンジェリークがオリヴィエに向き直った。
「でも、ルヴァはちゃんと言ってくれたわ。
 だからわたしも、安心してルヴァに何でも言えるようになったの。」
ニッコリと笑うアンジェリークは、キラキラと輝いて自信にあふれていて。
それは女王だから、なんて理由ではない。
愛されている一人の女の子としての輝きだった。


わかってくれているだろうと思っていた。
ロザリアを誰よりも大切に想っていること。
キスをするときも、抱くときも、いつでも、それを全身で伝えてきたつもりだった。
でもそれは、オリヴィエの独りよがりにすぎなくて、ずっとロザリアを不安にさせていたのだ。
言わなくても伝わっているなんて、とんだ思い上がり。
オリヴィエだって、ロザリアのことを何もわかっていなかった。
ルヴァとの事を疑って、彼女を傷つけたのだから。

「ロザリアなら、家で寝てるわよ。」
「寝てる? なんで?」
こんな時間に寝ているとはただ事ではない。
オリヴィエの脳裏に青ざめたロザリアの顔が浮かぶ。
「昨日、誰かさんを待って、一晩中、外にいたもんだから、また風邪が悪化しちゃったの。
 まだ完全に治ってないのに、無理するから…。」
熱があって薬を飲んでいる、と聞いたオリヴィエは挨拶もそこそこに、ルヴァの屋敷を飛び出した。

昨夜、ロザリアから逃げるように、バカみたいにうろついていた時間。
まさか彼女が待っていてくれたなんて、考えてもみなかった。
とりあえずはアロエまみれの服を着替えて、シャワーを浴びて。
少し頭を冷やして。
今度こそロザリアに、きちんと伝えたい。
今度こそ。

  
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