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11.


月の曜日、ロザリアはいつも通りアンジェリークと聖殿へ出かけると、真っ先に夢の執務室へ向かった。
たった一日、オリヴィエの顔を見なかっただけで、苦しくてたまらない。
ついアンジェリークよりも先に馬車を降りようとして、笑われてしまった。
はしたないと思いつつ、一気に聖殿の廊下を走り抜け、荷物を胸に抱えたまま、ドアをノックした。
「…開いてるよ。」
少し間があったことも気にならない。
ロザリアが勢いよく部屋の中へ入ると、真正面の執務机にオリヴィエが座っていた。
華やかな彼の姿を見ただけで胸がときめいてしまう。
腕の中に飛び込みたい、と、大きく足を踏み出してはみたものの、やっぱり恥ずかしくてできなかった。

「どうかしたの?」
オリヴィエの言葉にロザリアは頬を赤らめた。
抱きしめてほしいだなんて、とても口には出せない。
「昨日は、あの、お会いできなくて…。」
寂しかった、と言いかけて、ロザリアはオリヴィエの様子に気がついた。
椅子から立ち上がる気配もない。
いつもなら向けてくれる優しい微笑みもない。

「オリヴィエ様…?」
「なあに?」
ようやく向けてくれたダークブルーの瞳。
けれど、その瞳は目の前にいるはずのロザリアを少しも見ていない。
まるで初めて出会った時のような、どこか冷めた笑顔だった。

「育成かな?」
「あの…。」
戸惑いが広がって、上手く言葉が出てこない。
「お忙しいのでしたら、また、後で参りますわ。」
口ごもりながらロザリアが言うと、
「ん。じゃ、あとでね。」
再び書類に目を落としたオリヴィエは、それきりロザリアに話しかけることはなかった。
昨日といい、今日といい、なにか、急ぎの執務でも言いつけられたのだろうか。
一人、淑女の礼をして、執務室を出たロザリアは言いようもない不安で胸がいっぱいになった。
宇宙に大変なことが起きているのかもしれない。
逆にそれほどのことが無ければ、オリヴィエがあんなにそっけないはずがない。
ロザリアは育成の予定を諦めて、ジュリアスのところへ向かった。
一大事ならば、なにかの動きがあるはずだ。
ところが、というべきか、案の定というべきか、ジュリアスは不在だった。
本当に主星からの呼び出しがあったらしい。
胸騒ぎを抱え、ロザリアはオスカーの執務室をノックした。


「…お嬢ちゃんか。どうした?」
少し驚いた顔をしたオスカーにロザリアは詰め寄った。
「なにか宇宙で大変なことが起きているのではありませんの?
 まだ女王候補であるわたくしたちに全てを話すことはできないとしても、状況だけでも教えていただけませんか?」
「なんのことだ?」
「ジュリアス様も急ぎの御用で主星へ行かれているそうではありませんか。なにかあるのでしょう?」
「ジュリアス様の御用は俺も存じ上げているが、そんな急なことじゃないぜ。 先週からお出かけになることは決まっていたしな。」
「そんな!隠さないでくださいませ。ジュリアス様の右腕のオスカー様ならご存知でしょう?」
「隠してなどいないさ。」
食い下がるロザリアにオスカーは面喰ってしまった。
青い瞳はとても冗談を言っているようには思えないけれど、本当に今のところ何も異変は起きていないのだ。
なぜ、そんな風に思いこむのか、理由がわからない。

「でも、オリヴィエ様が…。」
オスカーをまっすぐに見つめていた瞳が、ふと伏せられる。
青紫の睫毛が震えているのに気がついて、オスカーはため息をついた。
完璧な彼女がここまで動揺するのは、やはりオリヴィエの事だけなのだ。
「守護聖ごとに執務は変わるからな。オリヴィエがどんな執務を抱えているのか、俺も正確にはわからない。」
きっぱりと言い切ると、ロザリアはようやく一歩後ろへ下がった。
青ざめて唇を噛みしめている姿が痛々しい。
「そうですの…。申し訳ありません。はしたない姿をお見せいたしました。」
オリヴィエとなにがあったのかはわからないが、冷静な彼女がこんなに取り乱すとは。
ドレスのスカートをぎゅっと握りしめているロザリアに、オスカーは小さく息をついた。

「お嬢ちゃんのフェリシアは、俺の力を求めているようだったぜ。…お嬢ちゃんと同じようにな。」
オスカーはわざと育成の話を始めた。
研究院で見て来た望みの予測や、フェリシアの様子。
話しているうちにロザリアも落ち着いてきたらしい。
「わたくしは別に求めておりませんわ。でも、フェリシアには育成をお願いいたします。」
しらっと言い返すところは、いつものロザリアだ。
「お嬢ちゃんは素直じゃないな。まあ、いいさ。炎のサクリアは送っておこう。」
軽口には返事をせず、綺麗な淑女の礼をして、ロザリアが出ていく。
オスカーはしばらくそのまま書類を書いていたが、たまらずに立ち上がった。
オリヴィエに一言言わないと気が済まない。


「おい、オリヴィエ。」
ノックもせずにドアを開けると、オリヴィエはソファに寝転び、じっと空を眺めていた。
華やかな雰囲気はまるでなく、重く沈んだ気配が、部屋中を支配している。
「わ、なに。ノックぐらいしなさいよね。」
オスカーだとわかると、一瞬オリヴィエはほっとしたような顔をした。
そして彼の周りの空気が軽いものに変わる。

「盛大にサボってるじゃないか。」
オスカーが顎でテーブルを指すと、オリヴィエはくっと喉の奥で笑う。
皮肉な笑みは見慣れた顔だ。
「あんたも飲む? …っと、そんな顔しなくてもいいでしょ。今日はジュリアスもいないんだし。」
オリヴィエはテーブルの上にあったボトルを下に隠すと、グラスを持ち上げた。
「ホラ、水にしか見えない。」
「バカなことを言うな。」

今までも昼間から酒を飲むことが無かったわけではない。それはオスカーも同じだ。
けれど、今日のオリヴィエはどこか今までと違う。
楽しんでいない顔だ。派手な執務服も、イライラするほどのメイクも。飲んでいる酒も。
しばらくの無言のあと、オスカーが切り出した。
「ケンカするなら、もう少しわかりやすくやってほしいもんだな。」
「…あんたには関係ないでしょ。」
気のない言い方にむっとした。

「関係あるから言ってるんだ。さっきもお嬢ちゃんが俺のところへ来て、お前の様子を聞いてきたんだぞ。」
多少大げさだが構わない。
オリヴィエは一瞬瞳を揺らしたが、すぐにまた天井を見上げている。
黙ったまま飲み続けるオリヴィエから、オスカーはグラスを取り上げた。
起き上がらないと届かない場所にグラスを置くと、オリヴィエはつまらなそうに鼻を鳴らし、腕で目を覆った。
「そんな風に飲むくらいなら、仲直りすればいいだろう? お前らしくない。」
「あんたには関係ない。」
「いい加減にしろ。…お嬢ちゃんを泣かせるなよ。」
「関係無いって言ってるでしょ。泣いてたら慰めてやれば? あんたの得意技じゃないか。」
「お前…。」

オスカーが怒っているのが、気配でわかる。
いつもならほんの少しでも酒を飲んでいくはずなのに、本気で怒っているらしい。
普段、冗談をいう人間ほど、本気で怒った時は言葉を使わないものだ。
オスカーがドアを蹴破るようにして、出ていく音がした。
彼はロザリアを慰めに行くのだろうか。
腕で目隠しした瞼の裏に、ロザリアの姿が見えて、オリヴィエはぎゅっと目を閉じた。
寂しそうにオリヴィエを見ていた青い瞳。
昨日一日会えなかっただけなのに、一目見た瞬間、抱きしめたくてたまらなくなった。
溢れだす想いに、理由など要らないのだと改めて思う。
けれど、もう、出来ない。



ロザリアが、ランチの時間に夢の執務室を訪れると、すでにオリヴィエは出て行ってしまっていた。
もちろん、誘いに来てくれることもない。
今まで、時間のある時は必ず一緒だったのに、なぜ今日は。
ひょっとして入れ違いになってしまったのかもしれないと、ロザリアは聖殿中を探して歩いた。
カフェや中庭、オリヴィエのいそうなところを見て回る。
途中でアンジェリークとルヴァに会い、オリヴィエを見かけなかったかと尋ねてみた。
けれど、二人とも朝から一度も見ていない、と首を振るだけ。
思い当るところを全て探し回っても結局見つからない。

ロザリアはランチをとることもできずに、ぼんやりと中庭の奥の東屋のベンチに腰を下ろした。
時間がたつにつれて、頭の中がパニックになったように考えがまとまらない。
避けられている。
その言葉がぴたりと当てはまっている気がして恐ろしいのだ。
もし避けられているなら、なぜだろう。
理由がわからないことも怖い。
恋を知るまでは、人にどう思われようとも、自分の信念を貫くことができた。
けれど、今はオリヴィエに嫌われるくらいなら、その理由がなんであれ、直してもいいと思ってしまう。
たとえ女王になれないとしても。


「オリヴィエ様!」
聖殿の外から夢の執務室へ行くには、この中庭を通るのが近道になる。
期待していたわけではなかったが、偶然通りかかったオリヴィエを見て、ロザリアは大きな声で呼んだ。
気がついてくれるように、大きく手も振って。
「オリヴィエ様!!」
普段のロザリアからは考えられないほど、もう一度、大きな声をかけると、やっとオリヴィエは気がついたのか、一瞬、ロザリアに目を向けた。
ダークブルーの瞳に真正面から見つめられて、胸が高鳴る。
避けられているだなんて、杞憂だったのだと思った時。
オリヴィエはすぐに顔をそむけ、そのまま歩き出した。
「嘘…。」
気が付いていないはずがない。
声にならない叫びが出て、ロザリアはオリヴィエを追いかけると、後ろから彼の服の裾を掴んだ。

「なに?」
見下ろすオリヴィエの声の冷たさに思わずぞっと背が震える。
喉の奥が凍りついたように声が出てこない。
「…用が無いなら離してよ。午後からの執務があるんだからさ。」
それでもロザリアは手を離すことができなかった。
ここで離したら、もう二度と、オリヴィエに触れることができないかもしれない。
震える手でさらに強く彼の服を握る。

「ランチを一緒にと思いましたの。…どちらかで済ませられたのですか?」
「ちょっと外でね。」
「お声をかけてくださればいいのに。 わたくし、待っていましたのよ?」
恐ろしい。
ロザリアはオリヴィエの顔を見ることができず、自分のつま先を見ながら、ぎゅっとオリヴィエの服を握っていた。
しばらくの沈黙があって、オリヴィエは大きくため息をついた。
「なんであんたにいちいち言わなきゃいけないのさ。…まだ、わからないの? はっきり言わなきゃ分からない?」
「え?」
顔を上げると、オリヴィエはにっこりと笑っている。
つられて微笑もうとした、その時。

「もう恋愛ごっこはおしまい。」
「…それはどういう意味ですの?」
『恋愛ごっこ』とは、なんだろう。
ロザリアがきょとんと見つめると、オリヴィエはにやり、と怖いほど綺麗な微笑を浮かべた。
マスカラの付いた長い睫毛が、微妙にゆがむ。
「一度も恋しないまま、女王になったんじゃかわいそうだからね。 私が付き合ってあげたのさ。
 どうだった?ドキドキした?…楽しかった?」
「そんな…。」
足が震えているのがわかる。
オリヴィエの顔を見ていられなくて、再び、つま先に視線を戻すと、二人の影が寄り添うように重なり合っていた。 

「あのまま、あんたを抱いてもよかったんだけどね。 
 さすがに、私も処女を奪うのはヒドイと思ったからさ。 キスだけでも十分気持ちよくしてあげたから、満足でしょ?」
「嘘…。」
「嘘じゃないよ。喜ばせてあげようと思ったんだ。
 恋人みたいに甘えてくるのも楽しかったし。…でもさ、やっぱり違うんだよ。好きなんかじゃない。」
「嘘ですわ…。」
あの優しさが全部嘘だったなんて、信じたくない。
ぼんやりと同じ言葉を繰り返しているロザリアに、オリヴィエは今度こそ堪え切れないという風に、大きな声で笑い出した。
「あんた、騙されやすすぎるよ。 これからは気をつけないと。
 とにかく、もう終わったんだから、付きまとわないで。」

するり、とロザリアの手から抜け出していくオリヴィエ。
それをもう一度つかむ勇気が、ロザリアにはなかった。
初めての恋は。恋だと思ったものは。
すれ違いざま、羽のストールがうつむいたロザリアの頬にふわっと触れた。
大好きなオリヴィエの香りがして、視界がにじみ始める。
ココが人通りの少ない中庭の外れで、本当によかった。
泣いても誰にも気づかれないで済む。
ロザリアは溢れてくる涙を止めることができずに、ただ嗚咽を繰り返したのだった。


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