8.
「おはよう。アンジェ。あんたったら、相変わらず遅いのね。」
「ロザリア…。」
次の日の朝、朝食のテーブルにはいつもと変わらないロザリアが座っていた。
昨日までの弱弱しさが嘘のように、ピンと背筋を伸ばし、優雅に食事をとっている。
背中から差し込む朝日が、まるで彼女の背から生える金の翼のよう。
こういう時のロザリアは本当に美少女で、まさに生まれながらの女王候補だ。
「もういいの?」
「当たり前ですわ。あれくらいの風邪で寝込んでいては、女王候補は務まりませんもの。」
つん、と顎を上げて小憎たらしいことを言うロザリアは、いつも通りどころか若干パワーアップしてる。
この憎まれ口さえなければ、他人に誤解されることも少なくなるのに。
けれど、もしただの綺麗な少女だったら、アンジェリークはロザリアとここまで親しくはなれなかったと思う。
本当のロザリアはとても繊細で、優しい。そして意外と面白いのだ。
「そうよね。オリヴィエ様があーんなに手厚く看病してくれたんだもん。治っちゃうわよね。は~、羨ましい!」
別に嫌味のつもりもなく、素直にアンジェリークがそう言うと、ロザリアが硬直した。
「ま、まさか、あんた、オリヴィエ様のことを…。」
「は?…違う違う!! わたし、オリヴィエ様のことなんて何とも思ってないって! ロザリアだって、知ってるくせに!」
「そ、そう。 それならいいのよ。」
「うふ、ロザリアったら、ヤキモチ焼きなんだから~。」
フォークを手にしたまま、ロザリアの首筋から顔全体が次第に赤く染まっていく。
その変化が面白くて、ついアンジェリークが凝視していると。
「わたくし!」
言いかけたロザリアが急に黙る。
「ど、どうしたの?」
真剣な青い瞳に、ごくり、とアンジェリークは唾を飲み込んだ。
「それでロザリアが言ったんです。『わたくしは恋に恥じない女王になる』って。」
「ほう、そうですか~。」
湯飲みからのんびりと上がる湯気にルヴァは息を吹きかけると、音を立ててお茶を啜った。
それでもまだ熱かったのか、微妙に眉を寄せている。
今日もルヴァの執務室を訪れたアンジェリークは、この前の朝食の時のロザリアとの会話をルヴァに話して聞かせていた。
ロザリアとオリヴィエ。
意外な組み合わせのように見える二人だったが、すでに噂は聖殿じゅうに広まっていると言ってもいい。
なによりもあれほど女王だけしか見ていなかったロザリアが、恋をしたことが驚きだったのだろう。
アンジェリークは、他の守護聖たちに、本当なのかと何度も探りを入れられた。
アンジェリークが頷くたびに彼らは少し悲しそうな顔をする。
女王は恋をしてはいけない。
そんな古いしきたりを二人が知らないはずがないのに、それでも惹かれてしまう心を誰も否定はできないのかもしれない。
アンジェリークは、ふう、と長いため息をこぼした。
「ロザリアって、すごい。ううん、オリヴィエ様と想いが通じたからなのかな? すごく強くなったみたい。
ますます輝いてて…。」
オリヴィエと恋をしているから、試験におろそかになった。
そう言われるのは絶対にイヤだ。
ロザリアはそう高らかに宣言した。
「わたくし、今まで以上にがんばりますわ。絶対女王になって。」
「女王になって?」
「女王でも恋をしてもいいと、皆に言わせてみせますわ。」
言葉通り、このところのロザリアはすごく頑張っている。
ジュリアスでさえ目を見張るほど、フェリシアの発展は著しい。
それまでわずかに停滞しているように見えたぶん、その変化は誰の目にも明らかだった。
オリヴィエと付き合うようになって、ロザリアは変わった。
ムキになるロザリアが可愛くて、ついからかってしまうアンジェリークだったが、そのたびに少しさびしくもなる。
好きな人から想いを返されることは、どれほど素敵なことなのだろう。
アンジェリークは湯気越しにルヴァの顔を盗み見た。
相変わらずの穏やかな微笑み。こうして毎日のようにお茶を飲みにきていても、ルヴァはなにも言ってくれない。
気がついていないはずはないのに。
こんなに全身で想いを伝えているのに。
「アンジェリーク。」
ぼんやりしていたところに、真剣な声。
「今、私は、もし、前回の試験の時、だれかがそう言っていたなら、と思っていました。
女王は恋をしてはいけない。だから仕方がない。皆がそう思うだけで、何も変えようとはしなかったんです。
彼らが傷つくのを、私は黙って見ていただけでした。そして、今度は自分が同じように傷つくのではないかと恐れていました。」
ひとり言のような言葉は懺悔にも似ていて。
ルヴァは湯飲みをテーブルに置くと、急にそわそわし始めた。
そして。
「ああ~~、上手く言えませんけど、私にとって貴女は今でも十分輝いていますよ。たとえ女王になっても私の想いは貴女のそばにあります。
その時はどうしたら二人で宇宙を支えることができるか、一緒に考えましょう。」
「ルヴァ様…。」
アンジェリークの視界が一気ににじんだ。
急に涙を浮かべたアンジェリークに、ルヴァはおろおろと顔を青くしている。
「ああっ。あの、変でしたか? その、私は上手く言葉が出なくて…。」
「知ってます。わたし、そういうルヴァ様が好きなんです。」
「好き…。」
黙り込んでしまったルヴァの顔が、今度は真っ赤になった。
「私も、貴女が好きですよ…。」
思いがけずにはっきりと、そして楽しそうに告げられた想い。
アンジェリークもまた、顔を赤くしてルヴァを見つめたのだった。
アンジェリークへの宣言通り、ロザリアは育成に励んでいた。
オリヴィエとの交際がマイナスになっていると言われることがないように、今まで以上に頑張らなくてはいけない。
それでもランチとお茶の時間は出来る限り二人で過ごしたし、日の曜日には揃ってあの場所へ出かけた。
聖殿から候補寮への帰り道も、馬車ではなくオリヴィエと並んで歩くようになっている。
すでにフェリシアには半分以上の建物が建っているのだ。
少しでも長く、一緒にいたい。
女王候補として自由に過ごせる時間には、限りがあることをお互いに感じていた。
そんなある日。
ロザリアの部屋にアンジェリークが訪ねてきた。
いつもなら部屋に入るなり、おしゃべりを始めるアンジェリークがなにか言いにくそうにもじもじしている。
先日、やっとルヴァと想いが通じたと、嬉しそうに報告してくれたアンジェリーク。
まさか二人の間になにかあったのかと、ドキリとした時。
「あのね、ロザリア。ちょっと相談があるんだけど。」
「相談? 育成のことかしら?」
「ううん。…あのね。」
思いもよらないアンジェリークの相談。
ロザリアは困惑したが、結局最後には受け入れてしまった。
たぶん、自分の心のどこかにも、その願いがあったから。
今日も一緒にランチをとりにカフェへ出かけた二人は、一番奥のテーブルに向かい合った。
オープンカフェにそよぐ風は爽やかで、午前中、図書館に詰めていたロザリアには、余計にその青空が眩しく思える。
話しながらランチのプレートを食べ終えると、食後のドリンクが運ばれてきた。
あわただしい昼休みの、ほんの少しの休息。
ともに紅茶のカップを持ち上げた二人は、自然と目を合わせ、微笑みあった。
「あの、オリヴィエ様。今度の土の曜日なのですけれど、アンジェと一緒にお宅へお伺いしてもよろしいですか?」
「え? アンジェリークと? 別にいいけど。なんで?」
「よろしければお二人に手料理をごちそうして差し上げたいんですの。でも、ルヴァ様のお宅はほとんど料理道具もないらしくて…。
オリヴィエ様のお宅にはいろいろ揃っていましたでしょう? 」
「まあね。美容のためにも食事は基本だからさ。あんたの手料理か…。悪くないかも。」
嬉しそうにウインクしたオリヴィエにロザリアの頬が染まる。
幼いころから嗜みとして料理や裁縫は身につけてきていた。
少なくともがっかりさせることはないはずだ。
「では、キッチンをお借りしてもよろしいでしょうか? それと、アンジェリークとルヴァ様をお呼びしても?」
「ん。わかった。でも、お料理ができるまで、私達はなにしてたらいい? 手伝いたいけど、ダメでしょ?」
手伝って欲しい気もするが、オリヴィエが傍にいたら、きっと落ち着かなくて失敗ばかりになってしまいそうだ。
今でもこうして向かい合っているだけで、胸のドキドキが収まらない。
自然にふるまうオリヴィエが、少し憎らしいくらいに。
「ルヴァ様とお話でもなさっていてくださると嬉しいのですけれど。出来上がりを見て、あっと驚いていただきたいの。」
可愛らしいロザリアの希望にオリヴィエも頷いた。
料理の腕前はわからないが、彼女の手造りだと思えば、炭でも香ばしいと思ってしまいそうだ。
ここがカフェでなく、二人きりなら。
今すぐ抱きしめて、口づけたい。
「オリヴィエ様?」
黙ってしまったオリヴィエを不思議そうに見つめるロザリアの青い瞳が目の前にあった。
こんな邪な気持ちを抱いているなんて、彼女は微塵も思っていないだろう。
「あ、ごめん。 楽しみにしてるね。」
「はい、よろしくお願いいたしますわ。」
あっという間に過ぎたランチの時間に、慌ててロザリアが席を立った。
午後からも執務室を回らなければいけない。
消えていくロザリアの背中に手を振ったオリヴィエは、まだカップに残る紅茶を飲みほした。
「ふう…。」
思わず零れるため息は、幸せすぎることへの恐れかもしれない。
オリヴィエは心地よい風を頬に受けながら、今までにない幸福を噛みしめていた。