fly me to the future

3.


一日はすぐに過ぎた。
でも二日目は。

「ふう。」
大げさなため息にロザリア自身がハッとした。
今日も放課後は生徒会の仕事が詰まっている。
いつもなら時間を気にすることなく、書類と格闘しているはずなのに、今日は時計ばかりが気になってしまう。
もうすぐ、彼が『休憩している』と言った時間。
あのミルクティを飲んで、窓辺の椅子に座って。
そう考えて、ロザリアはペンを置いた。
一体、どうしてこんなことばかりを考えてしまうのだろう。
こんな気分では捗る仕事もはかどらない。

ロザリアは立ち上がると、生徒会室に備え付けられているミニキッチンで湯を沸かした。
すると、不思議なもので、バラバラになっていた役員たちが次々に戻ってくる。
「わ、ちょうどお茶なのね! ラッキー!」
真っ先に飛び込んできたのは、アンジェリーク。
「会長、この会計書にサインをお願いシマース。」
そのアンジェリークを追って、駆け込んできたのは会計のレイチェル。
「私も手伝います。」
そっとロザリアのそばに来たのが、コレット。
「お菓子だしますねー!」
鞄から大袋のチョコレートを取り出すエンジュ。
あっという間に生徒会役員5人での賑やかなお茶会が始まった。


いつも通りのお菓子の取り合いが終わり、ワイワイと会話が盛り上がったころ、ふとロザリアの頭が閃く。
「レイチェル、あなた、理系クラスでしたわよね。」
「ハイ。 ワタシを含めてたったの30人ですケド。」
お嬢様学校として名高いこの学園は良家の子女が多く、まだまだ理系を選択する生徒は少ない。
それでもレイチェルをはじめとした一部の生徒たちのために、理系クラスが1つだけ作られているのだ。
「ちょっとお尋ねしたいのだけれど、理系クラスの先生方はどんな方がいらっしゃるの?」
「え? 先生!?」
レイチェルは意外な質問に少し驚いたように、目を丸くした。
今までロザリアが理系クラスに興味を持ったことなどなかったのだから、当然かもしれない。
不審に思われて、理由を問いただされたら。
なぜかオリヴィエとのことを言いたくない気持ちが強いことに、ロザリア自身が不思議に思った。

「特別なことはないんですの。 部活交流会で顧問の先生ともお話しなくてはいけないのですけれど、理系の先生方は全然わからなくて。
 少し知っておきたかったんですわ。」
内心の動揺は上手く隠せたらしい。
「ふーん。」 と、アンジェリークは納得したようだし、コレットもエンジュも頷いている。
レイチェルが楽しそうにテーブルに身を乗り出してきた。

「ワタシが一番、変人だと思うのはですネ…。」


たた様より


「やだー! ほんとなの?!」
「え、そんなことが?」

レイチェルの話は数学のエルンスト先生に始まり、次々と他の先生方の裏話に変わっていった。
たとえば、ジュリアス先生とクラヴィス先生が犬猿の仲であること。
実はオスカー先生とリュミエール先生の仲も微妙なこと。
チャーリー先生の家がものすごいお金持ちらしいこと。

なぜそんなことまで? と、ロザリアは不思議だったが、アンジェリークやコレットまで同じように加わっているところを見ると、これくらいは普通のことなのだろう。
なにせ一年生のエンジュでさえ、知っているのだから。
ロザリアはおしゃべりに相槌を打ちながら、もうほとんど中身の残っていないカップに何度も口をつけていた。
さっきからいろんな先生の名前が出てくるのに、肝心の彼の名前が一向に出てこないのだ。
気になる。
けれど、自分から聞くのは…。
ためらっていると、とうとうレイチェルの口から彼の名前が飛び出した。

「変わってるって言えば、化学のオリヴィエ先生もちょっと面白いんだよネ。」
「知ってるわ。 ほとんどメガネとマスクをしていて、顔が見えない先生でしょう?
 でも、素顔はすごくカッコいいって噂、聴いたことがある。」
コレットの言葉にドキリとした。
素顔を知る生徒が自分以外にいるのは当たり前のことなのに、なぜか胸が掴まれたように不安になる。
ロザリアはギュッとカップの取っ手を握りしめた。
「カッコいいって? う~ん、 それは微妙かもネ。 だって。」
ここでレイチェルはいったん言葉を切り、周囲の3人を見回した。

「オリヴィエ先生って、どうも、オネエらしいんだよネ。」

「え!」
ロザリアが一番大きな声で驚いたが、皆も騒いだおかげで気づかれなかったらしい。
聞きたいことは山ほど浮かんだが、その言葉を全て飲み込み、じっとレイチェルを待つ。
皆の歓声が静まってから、ようやくレイチェルが得意げに話し始めた。

「ワタシの情報によると、オリヴィエ先生、あのマスクの下にお化粧してるんだって。
 それも、かなりのメイクテクらしいヨ。
 マスカラとかアイシャドーとか、当然リップも。
 ホントに女性にしか見えなかったって言ってた。」

「ええ!! ホント?!」
「男、なんでしょう?!」
アンジェリークとコレットが口々に信じられないと繰り返している。

「ホントなんだって~。 ワタシの友達が見たの。
 化学準備室に質問に行ったら、たまたまメガネとマスクを外したオリヴィエ先生が出てきて、すっごいメイクしてたって。
 お水のオネエサンも真っ青の、キッラキラのバッシバシ!
 ビックリして逃げちゃったけど、あれは絶対にオネエだって言ってた!」
レイチェルは腰に手を当てて、きっぱりと断言している。

「そういえば、オリヴィエ先生って、喋り方もオネエっぽいかも…。」
コレットが呟けば、
「オネエか~。 ある意味、新鮮かも。
 だって、女心もわかってくれる、貴重な先生ってことよね!」
アンジェリークも目をキラキラさせて賛同して、盛り上がっている。
そして。
「あの不自然なメガネとマスクはオネエ隠しのためだったんだですね…。」
エンジュの言葉に皆が納得したように頷いた。

「あ、メイクって言えば、このあいだ発売になった新しいチーク、試してみた?」
「桜色でしたっけ? 新色欲しいけど、お小遣いピンチなんだよネ~。」
「私、買ったけど、よかったら使ってみますか?」
「きゃー! 貸してくださあい!!」
いつの間にか話題はオリヴィエを離れ、最近のメイクの方へ移っている。
けれど、ロザリアだけは会話に加わらず、考え込んでいた。

ロザリアが化学準備室で出会った時、彼は化粧などしていなかったのだ。
かといってレイチェルが嘘をつくはずはないし、その友達だって、同じだろう。
だとしたら、ロザリアが見た素顔の方が特別で、普段のオリヴィエはメイクをしているのだろうか。
あのメガネとマスクの理由も、それならば確かに理解はできる。
でも。 あの時。

「ロザリアってば。」
「え?!」
「も~、お菓子食べないの?」
アンジェリークが指差したのは、コレットが持ってきたクッキーだ。
「湿気っちゃうから、食べないならもらっちゃう!」
「あ、アンジェ先輩、ずるいー!」
「まだ余ってるから…。どうぞ。」
クッキーに伸びてきたアンジェリークの手をロザリアがパチンと叩くと、レイチェルとコレットが笑う。
「あーん、ロザリアの意地悪ぅ。」
笑い声に紛れて、ロザリアはカップを片付け始めた。
考えていても仕方がない。
彼がどんな人でも。
明日になれば会えるのだから…今はそれだけでいい。

結局、コレットから余りのクッキーをもらったアンジェリークは、皆の分までカップを片付けるロザリアの背中を眺めていた。
この頃ロザリアはどうも様子がオカシイ。
ソワソワしたり、ぼんやりしたり。 …まるで恋でもしているみたいに。
「まさかね~。」
ここのところの忙しさはもちろん、そもそも女子校の学園ではなかなかチャンス自体がない。
百合カップルもいなくはないが、ロザリアがいたってノーマルなのは、一番そばで見ているからよくわかっている。
かといって、アンジェリーク自身が現在進行形で恋をしているのだから、ロザリアの可能性だってゼロじゃない。
ついこの間まで何もなかったとしても。
恋は本当に突然やってくるものだから。

「うーん、オスカー先生がとうとう…とか? でも違うよね~。」
あのロザリアの様子は…。
きっとロザリア自身も自分の気持ちをよくわかっていないに違いない。
「ちょっと!アンジェ、食べこぼしてますわよ!」
洗い終えて、くるりと振り返ったロザリアは、いつも通りの厳しい顔で。
「ごめん~。」
慌ててこぼれた欠片を拾い集めると、アンジェリークはペロッと舌を出した。



定時に生徒会室の鍵を閉め、廊下を歩いていく。
今日の仕事に間違いがないか、やり残したことはないか。 頭の中で確認して、明日の予定を組んで。
そうやって考えていなければ、勝手に足が走り出しそうだ。

「今日も終わりでいいの?」
机の上で大きく伸びをしたアンジェリークが目を丸くした。
「早いの、賛成デース! ね、コレット、帰りにクレープ食べていこうよ!」
「うん。」
「じゃ、わたしも賛成! ロザリアが大丈夫って言うんなら、きっと大丈夫だしね。」
「まあ、アンジェ。 会長はあなたですのよ?」
「えへ。」

部活交流会まで日数がないのは本当だが、今までの貯金のおかげで準備は整っている。
それに、時間が決まっていると思うと、不思議とやる気が出るのか、今までよりも仕事が捗ったくらいだ。
楽しいことが待っているから、頑張れる。
人気のない廊下を進み、化学準備室のドアを叩く。
やっぱり緊張して、手が震えてしまうけれど、なぜかそのドキドキは不愉快ではなかった。


「いらっしゃい。」
ドアが開いて、オリヴィエが顔をのぞかせる。
彼は相変わらずの眼鏡とマスク姿。 
さらに手袋までして、一見、誰かもわからないくらいだ。
「思ったよりも早かったね。 生徒会の方は大丈夫なの?」
「はい。 きちんと終わらせてきました。」
キッパリと言い切ったロザリアにオリヴィエもほほ笑む。
「じゃ、時間ももったいないし、始めようか。」
そのまま奥の実験室へ向かった。

水の流れる音、器具の動くモーター音。
今日はそれに加えて、華の香りがする。
オリヴィエは奥の実験台までロザリアを連れていった。
「ココでやって。 私もこの向かいで作業してるから、困ったことがあったら、いつでも聞いていいよ。
 これがあの香水のレシピと作業の工程を書いたノート。
 作業自体は難しくないからね。 この通りにやれば、まあ、大丈夫かな。」
「はい。」
オリヴィエが指差したノートを手に取り、パラパラと眺めてみる。
中身は数10ページで、わかりにくい説明はない。

「わざわざ作ってくださったのですか?」
まだ新しいペンのインクと手を切りそうな紙。
「わざわざ作ったって、いうか、たまたままとめておく時期だっただけ。
 ちょうどいい機会だったんだよ。」
オリヴィエは肩をすくめて苦笑しているが、ロザリアのためなのは明らかだ。
ロザリアはそのノートをぎゅっと胸に抱いた。

「それから、コレ。」
続けて実験台に置かれたのは、眼鏡とマスク。
ゴツイ黒縁は今、彼が付けているのによく似ているし、マスクも同じ種類だろう。
まさかこれで変装してほしいと、いうわけではないと思うが。
「これは…?」
いぶかしがるロザリアに、オリヴィエは自分のマスクを指さした。

「あのね、作業の時、危険な薬を使うこともあるんだ。
 それこそ目に入ったら失明するモノもあるし、吸い込むと気分が悪くなるようなモノもあるしね。
 だから、この部屋に入る時は、必ずつけてほしい。
 扱う試薬によっては手袋もね。 
 あとは、この白衣かな。」

ロザリアは促されるまま、制服の上着を脱ぎ、白衣に袖を通した。
新品なのか、ノリが効いていて、生地が硬い。
けれど、そのおかげか、気持ちまでがパリッとして、改めて自分のすべきことに気合が入る。
「わかりましたわ。」
「ん。 じゃあ、今日は最初だし、ちょっとした説明をしようか。」

実験台の使い方や器具についての話に、ロザリアは真剣に耳を傾けた。
ロザリアのわがままにすぎないのに、オリヴィエはメガネやマスクまで準備をしてくれていたのだ。
その気持ちに応えるためにも、まじめに取り組みたい。
けれど、説明のためにオリヴィエの体が近づくと、意味もなくドキドキと心臓の音が高くなる。
家族以外の男性とこんなに至近距離に近づいたことがないから。
言い聞かせて、意識しすぎないようにわざと視線を外していると、
「ちゃんと聞いてる?」
少し苛立ったようなオリヴィエの声。
慌てて顔をあげた拍子に、眼鏡の奥のダークブルーの瞳とぶつかった。

ゴツイ黒縁メガネの奥の瞳は絹糸のような金の長い睫毛に縁どられ、その下のホクロまでもがハッキリと見える。
メイクをしているなんて噂は嘘。
確かに綺麗すぎるほどの肌や艶やかな唇は、女性と見間違うほどだけれど。
実験台に置かれた骨ばった手や、すぐ横にある広い肩は明らかに男性のもの。
そう考えてロザリアは、彼との思わぬ近さにギョッとした。
けれど、その驚きを表に出さないでいるだけの自制心を持ち合わせていたのは幸いだ。

「はい。もちろんですわ。」
頬を赤らめながらもしっかりと頷いたロザリアに、オリヴィエは
「それならいいけど。 真面目にやらないとケガをするよ。
 そうなったらすぐに中止するからね。」
釘を刺すようにキッパリと告げた。


ロザリアを実験台に残し、オリヴィエは自分の作業の続きを始めた。
向かいの場所を提供したのは、そこなら器具の隙間から、彼女の様子がよく見えるからだ。
もしも危ないことや間違ったことをすれば、すぐに止められる。
今、ロザリアはオリヴィエの手渡したレシピを真剣に読み解こうとしているようだ。
ノートを2冊並べてブツブツと考え込んいる。
化学を志す者にとっては初歩の初歩の作業だけれど、文系のロザリアにとってはどうだろう。
器具一つにとっても全く無知なのではないだろうか。

なぜロザリアに教える気になったのか、実はまだオリヴィエ自身もはっきりわからない。
その名の通り、鮮やかに咲き誇る大輪のバラのようなロザリアしか見たことがなかった。
けれど、あの時、この部屋の前に座り込んでいたロザリアは、その花の大きさに茎が折れてしまいそうな儚さを感じたのだ。

頑張って綺麗な花を咲かせて。
その花を維持しようと無理をして。
華の姿があまりに鮮やかだから、近すぎるとかえって、その憂いには気づけない。
ソファでロザリアが眠っているとき、幾重にも重なる花弁の奥にあるロザリアの心が助けを求めているような気がした。
手を差し伸べたい、と思ってしまったのは、自分の教師としての性、のようなものだろう。
何かを抱えていそうな生徒を放っておけない。
結局は『お節介』な気質なのだ、と、ため息をつく。

ロザリアがようやく、足元の大きな段ボールに入っていた薔薇の花に気が付いたようだ。
今日のために集めておいた薔薇は、オリヴィエがいつも材料を調達している植物園の中でも選りすぐりの花。
量よりも質で選んだ薔薇は、まだ咲き始めのものばかりで、箱を開けた瞬間から、さらに強い芳香が部屋中に広がった。
「まあ。」
花の香りに、ロザリアは一瞬驚いたように目を丸くしたかと思うと、すぐに深呼吸を始めた。
胸いっぱいに花の香りを吸い込むと、体の隅々までが綺麗になっていくような気がする。
「いい香り…。」
見ていたオリヴィエまでが、笑顔になれるような自然な笑みが、ロザリアの顔に浮かんだ。

鋭い棘を持つ、大きな一輪咲きのバラだと思っていたけれど。
本当の彼女はまるで、可憐な花。
オリヴィエは胸に浮かんできた言葉を途中で飲み込んだ。
彼女は生徒なのだ。
それ以上のことは、考えてはいけない。


ロザリアは嬉しそうに、薔薇の花のダンボールを抱えると、蒸留器へ移し始めた。
初めての器具ばかりのはずなのに、ロザリアの作業にはためらいがない。
つい、オリヴィエは立ち上がった。
「ねえ、あの説明だけで、この器具の使い方がわかったの?」
唐突なうえ、いささか侮辱的にも取られかねない問いかけだったのに、ロザリアは怒ることもなく、むしろわずかにはにかんでいる。
「…一通り、予習してまいりましたの。
 オリヴィエ先生もお忙しいでしょうし、できれば、あまりお手を煩わせたくないと…。」
机の上に置かれた、レシピ以外のもう一冊のノート。
広げられたページには、彼女らしい几帳面な文字で、器具の使い方や注意点が書かれている。
オリヴィエは、思わずノートを手に取り、パラパラとめくった。

ノートには、簡単な香水の作り方の文献がいくつか貼られていて、その一つ一つのわからない語句までが丁寧に調べられていた。
単語に引かれた赤線と、いっぱいの付箋。
生真面目な優等生の彼女らしい。
これなら、オリヴィエがいちいち教えなくても一通りの作業工程が理解できているだろう。
それにしても。
文系の彼女が、ここまでのノートを作るのは大変だったはずだ。
なんといっても文献の最初の単語から赤線が引かれているのだから。

「あの…。間違いがありますか?」
恐る恐る尋ねてきたロザリアに、オリヴィエは首を横に振ってみせた。
「ううん。 大丈夫。
 この通りでいいから。
 ただし、分量は変えないでね。 薔薇と水の割合が結構大事だから。」
「はい。」
メガネの奥のロザリアの青い瞳がキラキラと輝いている。
キレイな空のような、海のような、まっさらな青。
オリヴィエの胸に、とっくに失くしたと思っていた、甘酸っぱい日々の記憶を呼び覚ますような。

その後も、ロザリアは黙々と作業を続けていた。
セットしてしまえば、あとは器具の方が勝手にやってくれる作業なのに、彼女は蒸留器の前から動かない。
最初の一滴が落ちた時だけ、オリヴィエの方へ駆け寄ってきたが、
「その調子だね。 半分以上になったら、別の容器に移し替えて。」
と、かるく指示すると、あとは静かに、滴が貯まるのを見ている。

時折、オリヴィエの方にちらりと彼女の視線が向く。
何か話したそうだが、結局、言葉は出ないままだ。
そんな彼女の様子に気が付かないふりをするたびに、微妙に揺れる感情が、オリヴィエ自身を落ち着かなくさせる。
オリヴィエは今日予定していた作業を諦め、お湯を沸かし始めた。


「だいぶ集まったみたいだね。 今回はそれくらいにしておこうか。
 もう遅いし。」
ナスフラスコに溜まる滴を眺めていたロザリアは、突然かけられたオリヴィエの声に顔を上げた。
くるくると機械が回り、水の上にだんだんうっすらと黄金の液体が乗ってくる様は、ずっと見ていても飽きないくらいに不思議で綺麗だ。
この黄金の液体が、薔薇の香りの化身。
オリヴィエに言われたとおり、半分くらいたまったところで、別の大きな容器に移し、また溜める。
その繰り返しの作業で時間を忘れていたが、時計を見ればとうに20時を回っている。
迎えの運転手に20時ごろと言っておいたことを思いだして、青ざめた。
気心の知れた老運転手はロザリアに不満を持つことはないだろうが、待たせてしまったことに後ろめたさはある。
勉強ならともかく、これは、ロザリアのわがままだから。

「申し訳ありません! こんな時間まで。」
長々と付き合わせてしまったオリヴィエにも申し訳ない。
彼の実験台は綺麗に片付いているから、もうとっくに終わっていたのだろう。
アタフタを片付けを始めたロザリアの前に、オリヴィエがあのカップを差し出した。
「私は構わないからさ。 ちょっと落ち着いたら?」
くすっと笑われて、顔から火が出そうになる。
しかも慌てたせいで、メガネとマスクをとったオリヴィエを至近距離で見てしまった。
目を細めるような、あの笑顔を。

「あ、ありがとうございます。」
急がなければいけないのに、ロザリアはカップを手に取っていた。
オレンジとミルクの甘い香りは、ロザリアの体に喉の渇きを意識させたのかもしれない。
一口飲み込むと、あとは流し込むようにカップの中身を飲み干していた。
中身がちょうど飲み頃だったのは、オリヴィエの気配りだ、と気が付いたのは、飲み干した後。
「…お代わりは用意してないんだよね。 ゴメン。」
クスクスと笑うオリヴィエを前に、ただ赤面するしかなかった。


次の日も、次の日も。
薔薇が何日か続いた後は、次の花を。
ロザリアはレシピ通り、根気よく作業を続けていった。


Page Top