目が覚めると、眩しい朝日と爽やかな風を感じる。
ジュリアスはベッドから出ると、いつも通り、カーテンと窓を開けた。
変わらぬ聖地の光景。
けれど、薬指にはあの銀の指輪が光っている。
結局、夢から逃れることはできないらしい。…夢を見せている『何か』からも。
扉がノックされ、長年使えている老執事が朝食を告げてきた。
彼に変わった様子はない。
とりあえず、行動してみようと、ジュリアスは着替えを済ませると、食堂へと向かった。
大きなテーブルに並んだ二組のカトラリー。
朝食のプレートはそのうちの一組にだけセットされている。
ここがあの世界ならば、妻であるロザリアも同席するのが当然なのに。
ジュリアスのいぶかしげな視線に気づいたのか、
「奥様は体調が優れないそうです。 あとで果物でもお持ちいたしますので。」
老執事が申し訳なさそうに告げてきた。
ロザリアの姿を見られないのは残念だが、臥せっているのであれば、ムリはさせられない。
一人きりの朝食を終えた後、ジュリアスはいつも通り馬車で聖殿に向かった。
女王試験の前と何も変わらない日常。
執務机に座り、愛用の羽ペンをとり、書類をホルダーから取り出す。
けれど、最初の一文に目を通したジュリアスは、そのあまりの内容に手先が冷えていくのを感じていた。
「これはどういうことだ。」
オスカーを呼び出したジュリアスは、分類した書類を執務机の上に並べた。
膨大な資料の全ては、ここ最近起きている宇宙の異常事態。
どれも放置すれば、即座に惑星崩壊の危機に陥る事案ばかりだ。
それなのに、決済済みの書類の中には、なんの動きもしないままのものが、いくつも積み上げられている。
「どう、とは?」
目の前に立つオスカーは怪訝そうにジュリアスを見つめている。
そのアイスブルーの瞳に浮かぶ見覚えのない色に、ジュリアスは戸惑いを感じていた。
長年、オスカーはジュリアスの片腕として仕えてくれている。
それなりの尊敬と信頼を得ている、と思っていたのだが。
今、オスカーの瞳からはそういったものは感じられない。
むしろ…なにもない無だ。 感情が、ない。
「なぜ、これらの惑星を放置する? このままではこの星の住民たちは助からぬぞ。」
指で書類を指し示せば、オスカーはふっと片頬をひきつらせた。
「切り捨てるしかないでしょう。」
「なに?」
思わず柳眉を逆立てたジュリアスをオスカーはひるむことなく見下ろしている。
「先日の会議をまた蒸し返すおつもりですか?
すべてを助けることはできない。 優先度の順に順次対応する。
最終的にそう決断されたのは、ジュリアス様では?
その結果がこうなることは、予想できたはずです。」
ジュリアスは答えることができなかった。
その会議には、自分は出席していない。 正確には、今の自分は、だが。
それでも、ジュリアスは納得できないことがあった。
たとえ夢であろうと、いや、夢だからこそ。
自分自身が、惑星の崩壊を見て見ぬふりをするはずがない。
切り捨てるなどという選択をするはずがなかった。
黙り込んだジュリアスをどう思ったのか、オスカーは深いため息を吐き出した。
「ジュリアス様のご決断は…私も仕方がないと思っています。
現女王のサクリアはあまりにも小さい。
とても全宇宙を広く覆い、支えるだけの力はないのですから。
であれば、どこを残すかを選ぶのは当然ではないかと。」
言葉では納得していると言いながら、オスカーの本音はきっと違うのだろう。
彼は自分の無力を諦めるような人間ではない。
むしろ最後まで抗い、戦うタイプの人間だ。
それなのに、なぜ。
無としか思えないほど、オスカーはなにを押し込めているのだろう。
背後の窓が激しく光ったかと思うと、たたきつけるような豪雨が降り始めた。
さっきまでは穏やかな天候だったのに、不自然すぎる急変。
こんな変化は…宇宙の危機と言われたころにしか起きえなかったはず。
驚くジュリアスとは対照的にオスカーは落ち着いている。
「どんどん不安定になっていくようですね。」
それはどういう意味なのだろう。
叩きつける雨音が深い思考を妨げる。
「ジュリアス様のご心痛、そして、奥方様のご心痛もよくわかります。
けれど、過去は変えられません。
我々は現女王を受け入れた。
その結果が今の事態だとすれば…我々は最善を尽くすしか道はないのです。」
たとえどんな結果が待ち構えていようとも。
ご用件はそれだけですか?と、尋ねられて、ジュリアスは頷いた。
正直、聞きたいことや確かめたいことはたくさんある。
けれど、まずは自身で考える時間が欲しい。
オスカーはジュリアスの机に並べられた書類にチラリと視線を向けた後、深々と礼をし、執務室を出て行った。
一人きりになり、ジュリアスは机の上に肘をつき、指を組んで、額をその上に乗せた。
決して行儀がいいとは思えない姿勢だが、深い思索をするときの癖のようなものだ。
雨音をシャットアウトするように、思考に潜る。
この世界は本当に夢なのだろうか。
だとしたら、あまりにも救いがない。
けれど、遠くない未来、こういう事態に陥る可能性があるのだとしたら。
その道の分岐はどこにあるのだろう。
そう考えた時、かちり、と頭の中でキーの合う音がした。
今までの夢の全ての整合性がとれる、たった一つの答え。
ジュリアスは立ち上がり、部屋で一番大きな窓を開け放った。
さっきまであれほど荒れ狂っていた空は、今はまた、もう雲一つない状態に戻っている。
けれど、風は生暖かく湿り気を帯びていて、どこか淀んでいるようにすら思えた。
『もう無理!』
頭の中に流れ込んでくる、悲鳴のような叫び声。
「わたしじゃ無理だったのよ! どんどん宇宙が壊れていっちゃう。
こんなに、頑張ってるのに…!」
窓の外の景色を見ているはずなのに、まるで、脳内に直接映し出されているかのように、一組の男女の姿が浮かび上がる。
女王の間で泣いているのは、背中に金の羽をもつ女性。
現女王だろう。
顔はベールではっきりと見えないが、頭を振るたびにキラキラと輝く金の髪がのぞく。
その女性を支えるように抱きしめているのは、ルヴァだ。
「大丈夫です。 貴女のせいではありません。
貴女は十分、一生懸命やっていますよ。」
「でも! でも・・・!!!!」
嗚咽を繰り返す女王の背中を、ルヴァの手がなだめるようにさすっている。
沈鬱なルヴァの表情は、やはり諦めと後悔で塗りつぶされていた。
哀しい光景。
どうして彼らはこんなにも苦しそうなのか。
そして、入れ替わるように見え始めたのは、
「たすけて!」
「痛いよ・・・」
「どうして?!」
突然の洪水に流されていく人々。
崩れていく山に飲み込まれる人々。
切り捨てられた惑星で起きる災害が、無力な人々を飲み込んでいく。
『なぜ女王陛下はご加護をくださらないのか…。』
崩壊した惑星で見た動画の言葉が、ジュリアスの脳裏によみがえる。
「女王は…。」
ジュリアスが呟いた時。
目が、覚めた。