3.
翌日、オリヴィエの前の書類はほとんど手が付けられていなかった。やろうと思っても、頭がボーっとして身体が付いてこない。
昨夜は盛り上がりすぎて、極限まで精を絞り尽くした。
途中からは抜かずの挿れっぱなしで、何回出したかも覚えていないほどだ。
腰を振り続けたせいか、体中が筋肉痛で悲鳴を上げている。
ここから動くのも面倒くさくて、ランチもBoxのサンドイッチを執務室で食べ、ただ机に座っているだけ。
今日は帰ってすぐに寝ようと思っていたところで、聞きなれたリズムでドアがノックされた。
「ごきげんよう、オリヴィエ。よろしかったら、午後のお茶をご一緒しませんこと?」
女王候補の頃から、ロザリアとは、たびたびお茶の時間を過ごしている。
補佐官になってからは、ほとんど女王アンジェリークと過ごすことが多いとはいえ、女王がルヴァとお茶を過ごすときはこうして訪ねてきてくれるのだ。
「お菓子も持ってきましたわ」
ロザリアが手にしていたのは、チーズケーキが四分の一。
「陛下にあげた残りですけれど、わたくしたちはこれくらいで十分ですものね」
くすくすと楽し気に笑うと、ロザリアは奥の間から、フォークとお皿を持ってきた。
オリヴィエもようやく立ち上がり、彼女の好きな紅茶を淹れる。
その緩慢な動きを見て、ロザリアはますます楽しそうに笑った。
「だから、明日は執務があるから、と申し上げましたのよ。それなのにあなたったら……。わたくしも今日は腰がだるくて、陛下にバレないように、身体を伸ばすのが大変でしたわ」
「ホントにね。あんたの言うとおりだったよ」
腰をトントン叩いて、オリヴィエは苦笑する。
「やっぱりお休みの前の日がいいですわね。ゆっくり寝ていられますし」
暗に、いつもの金の曜日を指定されているようで、オリヴィエの胸が高鳴る。
女官と関係を持ったことを、もっと責められて、下手したら別れ話になるかも、とドキドキしていたが、ロザリアは全く気にしていないようだ。
昨夜もオリヴィエの愛撫で、シーツを濡らすほど蜜をこぼしていたし、最後は啼きすぎて声が枯れていた。
もちろん、今はそんなそぶりは全くない、歴代最強と謳われる完璧な補佐官姿。
表面上は、仲の良い補佐官と守護聖として、しっかり線引きをする。
一度関係を持てばすぐに甘えて阿ってくる他の女とは違って潔くて気楽なはずなのに、線引きされすぎても、なんとなく面白くないジレンマがある。
きっと、本当に甘えてきたら、疎ましく思うくせに。
我ながら勝手すぎるとは思うが、それがオリヴィエの本心なのだから、仕方がなかった。
チーズケーキをつまみながら、紅茶をすすり、ぱらぱらと2人で一つの雑誌を眺めていると、
「あ、これ、あんたに似合いそうだね」
ジュエリーのページで、デザインの美しいサファイヤのネックレスを見つけた。
サファイヤ自体の大きさは控えめだけれど、カットが良いのか、青の反射が美しい。
「まあ、素敵ですわ」
ロザリアも目を輝かせて、ページを見つめている。
キャプションを見れば、主星では有名なブランドで、オリヴィエも本店に何度か出かけたことがあった。
あの店のモノならば、間違いはないだろう。
「ね、今度の休みにお店に行ってみない?」
そういえば、最後に彼女と下界へ降りたのは、まだ身体の関係ができる前で、ぶらぶらと主星の街をウィンドーショッピングをした時以来だ。
あの時、店先でプレゼントしたワンピースを、彼女はとても気に入ってくれていた。
「そうですわね、実物を観たいですわ」
彼女が気に入ったなら、今度もプレゼントしてもいい。
お出かけの日程を、少し先のお茶会のない土の曜日に決め、その日の夜を彼女の家で過ごすことにした。
寝苦しいと思ったのは、いつの間にか体中に毛布を巻き付けていたせいらしい。
背中の汗と喉の渇きで目を覚ましたオリヴィエは、ウォーターサーバーから水を汲んで、一息に飲み干した。
いくらなんでも毎日アルコールを飲んでばかりはいられないし、平日はどうしても一人寝が多くなる。
そんな夜はたいてい、こうして目が覚めてしまうのだ。
汗が気持ち悪くて、軽くシャワーを浴びることにした。
守護聖になって良かったことの一つが、いつでもシャワーを使えることだ。
故郷の星は寒すぎて、まともに湯が出ることが少ないような辺境だったし、家出をして主星に出てきたときに住んでいたアパートメントも、しょっちゅう給湯機が故障していた。
オリヴィエが家を飛び出したのは、15の春。
そのころからとびぬけて美形だったおかげで、すぐに夜の仕事で稼げたし、面倒を見たいという女たちもたくさん寄ってきた。
最初の相手は12歳年上の店の女の子で。
「住むところがないなら、うちで寝てっていいよ~」
そんな言葉に甘えて、家に上がり込んだところで、急に押し倒されたのだ。
好きでも何でもない女に、のしかかられて、またがられて。
けれど、全くそんな気はなかったのに、本能的なオスはちゃんと快感を拾って、熱を吐き出した。
汚された、と、その時は思ったのに。
一度覚えてしまった快感は簡単には手放せず、求められるままに回数をこなせば、悦ばれるようにもなった。
身体の気持ちよさと、なにかがどんどん汚れていくような気持ち悪さが、混在する行為。
けれど一度、汚れきってしまえば、あとは肉欲のままに、快楽を追い求めることができた。
ありがたいことに、相手に不自由することはなく、およそあらゆる狂態を経験したと思う。
ただ、泥沼の中にハマっていくほど、綺麗なものが欲しくなった。
煌びやかな服やゴージャスな宝石、派手なメイクで自分を飾り立てて、綺麗なものになろうとした。
もともと、オリヴィエの中に、綺麗なものがあったのかどうかはわからない。
たとえば、誰かを心から愛しいと思う気持ち。
純粋で綺麗な恋心。
オリヴィエ自身はとっくに無くしてしまったけれど、きっと誰かは持っているのだろう。
もしもそれが目に見えたら、今、オリヴィエが持つどんな宝石よりも、キラキラで綺麗なはずだ。
暑すぎる毛布を放り投げて、裸のまま、シーツの上に寝転ぶと、カーテンの隙間から星空が覗いていた。
宝石のような夜空は美しい青。
美しさを司る夢の守護聖なのだから、綺麗なものは大好きなはずなのに、綺麗すぎるものは、怖い。
目を閉じて見ないふりをしたオリヴィエを、青い夜空がじっと見降ろしていた。
いつもならロザリアと過ごす金の曜日。
オリヴィエは早々に執務を片付け、帰り支度を始めていた。
この間のように、誰かにつかまってしまうのも困るし、明日のデートのために、セルフエステで肌を整えたりもしておきたかった。
ところが、さあ、聖殿を出よう、としたオリヴィエの前に、先日の女官・セイラが飛び出してきた。
「あの、今日で最後なんです。よかったら、もう一度…」
セイラの目に浮かぶ欲望の色に、オリヴィエの眉がピクリと動く。
ロザリアとあれほど激しく抱き合って、出し尽くしたと思ったのに、数日経てば、もう煩悩に支配されている。
据え膳食わぬは、なんて使い古された諺まで、頭に浮かんできてしまうのだ。
前回は、オリヴィエも普通にやる気で、彼女も相当善がっていた。
こんなにイッたのは初めてだと言っていたから、たぶん、オリヴィエとの情事が忘れられなかったのだろう。
けれど、今日は全くその気になれない。
「悪いけど、他に約束があってさ」
するりとそばを通り過ぎ、立ち去ろうとした、その時。
セイラがオリヴィエの腕を掴んで言った。
「ロザリア様なら、今日はオスカー様とデートですよ。先程、一緒に帰られましたし。きっと今夜はお二人で過ごすんじゃないですか」
がんと頭を殴られたような衝撃。
明日はオリヴィエとデートの約束なのに、その前夜に、別の男と抱き合うのか。
あの身体をオスカーにも与えるのか。
暗い感情で一杯になって、オリヴィエは腕をつかんでいたセイラの腰を引き寄せた。
じんと熱くなる下腹部は、ただ欲望の塊を吐き出したいだけだとわかっている。
しょせん、誰とだってヤることは同じ。
擦り合わせて気持ちよくなれればいい。
「ウチにくる?」
ぱあっとセイラの顔が輝いて、こくこくと頷いた。
もう濡らしているのではないかと思うほど、オリヴィエを見上げる目は淫らにきらめいている。
ロザリアも今頃、こんな目でオスカーに抱かれているのか。
明日のために綺麗になっておこう、なんてことを考えていたことが馬鹿らしい。
そもそも、やりたいときにやりたいことをする、というのが、オリヴィエのポリシーなのだ。
ロザリアに気を使って、我慢する必要なんてない。
オリヴィエは口を開きかけて、妖艶に微笑むだけにとどめた。
身体を繋いだこともあるというのに、女官の名前が思い出せないことに、自分ながら笑うしかなかった。