Only You (And You Alone)

3.

「ふーん。結構ラブラブなんだぁ。」
「ラブラブ?!」
ロザリアがあげた声はほとんど悲鳴に近かったが、リモージュは知らんぷりでクッキーをかじっている。
春の日だまりのような暖かな午後は、紅茶の香りもすべてが花の気配に満ちていた。
ロザリア手作りの絞り出しクッキーの真ん中に乗せた赤いチェリーの砂糖漬けも、キラキラと光りを浴び、まるでルビーのように輝いている。
おいしいお菓子と紅茶。
全てがロザリアの大好きなお茶の時間なのに、なぜこんな話題になってしまったのだろう。

「まさか、わたくしとフランシスのコトですの?冗談でしょう?あの方ときたら何を考えているのか、全然わかりませんのよ?この間だって…。」
えんえんとフランシスの不可解さを話し始めたロザリアをリモージュは時々横目で見ながら、クッキーに手を伸ばした。
こんなに興奮したロザリアを見たのはいつ以来だろう?
そういえば、レイチェルとある守護聖を結びつけようと頑張っていたときも、こんな顔をしていた気がする。
それだけフランシスに神経が集中しているのだということを、本人はまったく気が付いていない。
リモージュは少し冷めかけた紅茶を口に含んだ。

「そう言えば、このあいだ、とってもかわいいドレスを見つけたの。欲しいなーって思うんだけど、買ってもいいかな?」
リモージュがそう言うと、ロザリアは青い瞳をキラッとさせて大きく頷いた。
「まあ、よろしいんじゃないかしら。わたくしも、フランシスに『ロザリア様はとてもブルーがお似合いですね。』なんて言われてしまったから、次はピンクにでもしてみますわ。」
また、始まった。
なんだかんだ言って、やっぱりフランシスのことばかりなのだ。
仕方のないことなのだけれど、なんとなくロザリアを取られたようで、おもしろくないような気もする。
リモージュは最後のクッキーに手を伸ばすと、唇を尖らせた。

「いいじゃない。ラブラブなんだから~。」
「ラブラブじゃありませんわ!わたくしはフランシスのことなんて、なんとも思っていませんもの!」
振り上げた拳の下ろし所に困ったように、ロザリアはぴたりと動きを止めた。
そう、なんとも思っていない。
彼のことを考えてドキドキするのは、同時にキスのことを思い出すせいに違いないのだから。
『キス』。
あの時のことを、また思い出して、唇に指を当てると、指先から全身が熱くなってくるような気がする。

「ふーん。なんとも、なんだぁ。」
頬を赤くして、瞳をキラキラさせて。
まったくロザリアときたら、鈍感過ぎるとリモージュは思う。
フランシスがロザリアをとても想っているらしいということは、よくわかっていた。
リモージュだって、フランシスのよからぬ過去についてはたびたび耳にしていたから、初めのうちはロザリアをもて遊ぼうとでもしているのでは、と警戒していたのだ。
けれど、何回か二人がともにいるところを目撃して、その不安はキレイに払しょくされた。
彼の瞳の優しさは決してウソではない。
女王のカンとしか言えないが、フランシスから受ける空気が最初とは少し変わったような気がするのだ。
二人が付き合い始めたきっかけや理由はわからないけれど、今が幸せならば別にかまわない。
「おいしかった!」
大満足のリモージュの笑顔にロザリアも微笑み返すと、今度はリモージュが恋人の話を始める。
こうしていつものように二人は、お茶の時間を過ごしたのだった。


土の曜日。
どうしても抜けられない用事があって、少し遅れることになったリモージュよりも先に、ロザリアは聖獣の宇宙にやってきていた。
お茶会の前に空いた少しの時間、散歩がてら中庭の薔薇園へと向かう。
聖獣の宇宙の聖地は、まだ新しいせいか、神鳥の宇宙の聖地とは雰囲気が少し違っているのだ。
神鳥の聖殿は年月の持つ重みのせいか、少し面白みが欠けるような気がする。
奥まで歩いていくと、ついこの間、うまく咲かないとレイチェルに相談された薔薇がようやく花をつけ始めていた。
「剪定して、よかったのかもしれませんわね。」

ロザリアが株分けした薔薇はコレットとレイチェルのイメージに合わせた淡いピンクの大輪の花だ。
肥糧さえ十分に与えれば露地でも簡単に花をつける。
「いい香り…。」
まだ若い苗木は細い茎がわずかな風にさえ揺れている。
ところどころにまだむき出しになった土があって、次はどの花を植えようかとロザリアは頭の中に聖地の庭を想い浮かべた。
何でも最初からうまくいかないことはわかっている。
庭づくりも、誰かに恋するということも。

枯れ落ちた花を拾い上げようと、ロザリアは腰をかがめた。
下ろしたばかりのドレスが汚れないように、裾を手で押さえて、土の中につま先を入れると、目の前に花の香りがして、花弁が唇に触れた。
「あ…。」
この間、リモージュにも言えなかったもうひとつのこと。
あれから何度もフランシスとデートを重ねているけれど、一度もないのだ。
キス。
あの日から一度も。
「したいわけじゃありませんわ。そんなはず、ないじゃありませんの。」
別れの時、フランシスが口づけるのは手の甲にだけ。
膝をかがめ、うやうやしく、貴婦人に接するように、軽く唇が触れる。
それがたまらなく、よそよそしく、寂しく感じるのはなぜなのか、自分でもよくわからない。

落ちた花を集めていると、少し離れたところで草の動く音がした。
人目を忍んででもいるのか、足音を殺すようにする人影にロザリアはつい身を隠してしまう。
遠くへ去ってくれればいいとの願いもむなしく、足音はすぐそばで止まった。
「ここなら誰もいないわ。」
甘ったるい女の声に今さら出るに出られない。
ロザリアはさらに身を縮ませると、風に流されそうになる髪を手で押さえた。

「ねえ、このごろ、どこへ行っていらっしゃるの?」
臙脂色のドレスは宮殿の女官の制服だ。
細い茎の間からチラリとのぞくと、なかなかすらりとしてスタイルもいいし、声の感じからしてもきっと美人に違いない。
人気の少ない場所でほんの少し逢い引きでもしているのだろう。
以前のロザリアならもっと目くじらを立てていたかもしれないが、今なら、会いたいときに会えることを羨ましいと思う気持ちの方が大きい。

「さあ、どこでしょうか…?」
一瞬、目眩がした。
「どこにいたか、お知りになりたいのですか?…そうですね、美しい薔薇を眺めていた、とでも言いましょうか…。」
「眺めているだけだなんて、あなたらしくないのね。」
女性が身体の位置を変えると、ロザリアの視界が開けた。
青みがかった灰色の髪と物憂げな菫青色の瞳。
彼は全くロザリアに気付く様子もなく、ただ、微笑んでいた。
女性の手がフランシスの首にまわり、その胸にしなだれかかる。

「私は自ら望んだことはありませんよ…。」
うっとりするほど綺麗な微笑みにロザリアはギュッとドレスを握りしめた。
これは夢なのかもしれないと、何度も目をぱちぱちとしてみる。
「あなたって、いつもそうなのね。」
あっと思う間もなく、女性の唇がフランシスのそれと重なった。
艶めいた舌先がフランシスの唇をなぞり、やがて吸い込まれていくと、動きに合わせて漏れる吐息。
濃厚な口づけは、ロザリアにとって想像にしかなかったもので、心の中が言い表せない感情で埋め尽くされていく。
とにかく不快で、気持ちが悪い。
頭ががんがんとしてきて、ロザリアはこめかみを押さえた。

フランシスはなされるがまま、両手をわきにおろしている。
やがて、女性がゆっくり唇を離すと、フランシスは顔にかかる長い前髪をかきあげた。
「もうお話はお済みでしょうか?私はそろそろ行かなくてはなりません…。」
「うふふ。長い話はまた今度したいわ。ゆっくりと、ね。」
言いながら、フランシスの胸になまめかしく手を当て、女性は小走りに駆けて行った。
中庭を覆う高い木々の向こうに臙脂色が消えると、フランシスはゆっくりと腕を上げ、胸ポケットからハンカチを取り出す。
白い刺繍遣いのハンカチはフランシスの青に鮮やかな色を差した。
「望まない、と言ったでしょう…?」
その白で唇をくっと拭ったフランシスは、ハンカチに残る淡い紅を見つめると、ゆっくりと中庭を後にしたのだった。


夢だといいのに。
そう思ってもさっきの光景はロザリアの頭から消えてはくれなかった。
激しい口付けは、フランシスと彼女がただならない関係であることを示しているように思う。
『不潔』で、許せない。
ロザリアの胸がなにかに掴まれたように痛んだ。
戻ってからずっとぼんやりしているロザリアを、コレットとレイチェルが心配そうに見つめている。

「あ、あの、陛下がまだですけれど、先にお茶にしませんか?」
「フランシスが誘いに来ちゃう前に、ちょっとでもお話しちゃお!」
コレットが運んできた白いカップにレイチェルが紅茶を注ぐと、淡い花の香りがロザリアの鼻をくすぐった。
「いい香り。何の花かしら?」
「あ、ロザリア様。」
ようやく意識を取り戻したようなロザリアの様子に、コレットがほっとして紅茶の袋を見せた。

「スミレの香りなんです。とても珍しいと思って、買ってきたんですけど、気に入っていただけましたか?」
「スミレ…。」
ふっとフランシスの顔が頭に浮かんで、ロザリアはカップの取っ手に力を込めた。
褐色の色に隠れるスミレの香りは、まるでフランシスのように、本当の姿を見せない。

「ロザリア様。お迎えにまいりました…。今日の午後も私と過ごしていただけるのですよね?早くこの夢の時が始まればいいと、昨夜は眠ることができませんでした…。」
テラスの向こうから現れたのはフランシス。
心を溶かす言葉と優雅な笑みで、ロザリアの横に立つと、手を取った。
「さあ、参りましょう。夢の世界へ。」
いつもなら、すぐに席を立ち、フランシスの誘いに笑みを浮かべるロザリアが、今日はこわばったまま、動かない。
フランシスが困惑した表情で再び、手を引いた。
「ロザリア様。私がどれほどこの時を待っていたか、お分かりですよね…?さあ、どうか、二人でお茶を…。」
ロザリアにだけ聞こえるように、腰をかがめて囁く声。
さっき中庭で聞いた声と重なって、ロザリアは眉を寄せた。
「わたくしは…。」
行きたくない、と言いかけて、コレットとレイチェルが目に入る。
ロザリアの様子が違うことに気がついたのか、二人はそわそわした様子でフランシスとロザリアを交互に見つめていた。

「参りますわ。…リモージュには時間通りに戻ると伝えておいていただけるかしら?」
レイチェルが頷くのを見て、ロザリアはいつものように微笑むと、フランシスに手を預けたまま立ち上がった。
優雅なしぐさにコレットもレイチェルも思わずため息が漏れる。
フランシスの性格は百も承知でも、こうして並ぶ二人は本当によく似合うと思わざるを得ない。
二人がテラスから去った後、なぜか自分たちの彼への不満話に花が咲いたのだった。


「ロザリア様。」
さっさと先を歩き始めたロザリアをフランシスが追いかける。
テラスを抜け、聖殿の建物を横切ると、そこは中庭。そのさらに奥にある薔薇園。
さっきよりも少し風が強くなったのか、花が大きく揺れている。
ロザリアは薔薇の前に立つと、ようやく足をとめた。
「この薔薇をどう思いまして?」
淡いピンクの薔薇は、今日初めて袖を通したドレスと同じ色をしている。
「美しいですが、貴女という目の前の薔薇には少々劣りますね…。貴女の美しさの前では、私はただ胸を痛めるしかないのですから…。」
ロザリアの頭にカッと熱が上る。
『薔薇を眺めていただけ』。濃厚なキス。
あの場面が頭に浮かんで、気持ちを抑えることができなくなった。

「もう十分眺められたのではないかしら? そろそろ見飽きていただきたいですわ。」
「見飽きる? そのようなことがあるはずないでしょう?私の心はすでに貴女に囚われているのですから…。」
土を踏む音がして、フランシスの香りが近付いた。
身体全体に伝わるぬくもりと、まわされた腕。
抱きしめられているというよりは、包みこまれているという感覚がする。
「愛しい貴女。…出逢えたこの運命を特別なものだと思うのは、私だけでしょうか…?」

フランシスの顔が近付いてくる。
キスされるかもしれないと思った時、ロザリアの腕は彼を強く押しのけていた。
「わたくしは…。」
うまく言葉が出てこなかった。
「キスは特別なものですわ。以前にも申しあげたと思いますけれど、本当に心通じ合う方としか、したくありませんの。…あなたとは、できませんわ。」
フランシスの腕がロザリアから離れると、すうっと背中に風が通り、急に体が冷えてくる。
何も言わなければ、このぬくもりに触れていることができたのに。
けれど、目をつぶることはできない。

「なぜそのようなことを?貴女のお心に少しは近づくことができたと思ったのは、私の独りよがりだったのでしょうか…?」
フランシスはそこが痛むとでも言いたげに手を自分の胸に置いた。
悲しげな菫青色の瞳にウソはないような気がする。
けれど、わきあがる苛立ちに似た感情が、ロザリアからあふれだした。
「だれとでもするキスなら、わたくしでなくてもいいでしょう。わたくしは、そんなキスはいや…。」
このまま、ここにいては流されてしまうかもしれない。
感じたことのない、どす黒い思いに自分を見失ってしまいそうだ。

「もうわたくしに付きまとわないでくださいませ。運命なんて、信じておりませんわ。」
ロザリアは彼に背中を向けると、花をかき分けるように足を速めた。
「ロザリア様!」
フランシスが声を荒げるのを、初めて聴いた。
そう思いながら、ロザリアは足を止めず、走り続けたのだった。


すでに深夜を過ぎた時間、街灯も消え、星明かりだけが窓辺を照らし出している。
フランシスは窓を開けると、夜の空気を吸い込んだ。
明日は雨なのかもしれない。どことなく湿った草木の香りが辺りを漂っている。
「見られてしまったと、思うべきなのでしょうね…。」
豹変したロザリアの態度。その前にあった出来事。
薔薇園が彼女のお気に入りの場所だと知っていて、あんなことになってしまったのは迂闊だった。
自分が今までしてきたことを考えれば、当然の報いなのかもしれないけれど。
夜の空気はどことなく、かりそめの気配がして、フランシスに寂しさを連れてくる。

「貴女はやはり、遠い人なのでしょうか…?」
フランシスはそばにあったネコのぬいぐるみを抱きしめた。
ぬいぐるみの銀色の毛並みはところところ束になり、鼻の頭は擦り切れている。
月明かりを受けたネコの瞳がきらりと輝いて、フランシスを見つめていた。


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