03.
次の日、ロザリアがきちんと執務に出ていることを確認したルヴァは女王の間に向かった。
辺境の惑星で起こっている異変について、女王とジュリアスから意見を求められているのだ。
ルヴァの説明を女王とジュリアスは神妙な面持ちで聞いている。
多少の誇張はあったかもしれない。
けれど、おそらく誰の目から見ても最終的な結論は変わらないはずだ。
今、あの惑星で、この異変が起きたことこそ、ルヴァにとっては奇跡に違いなかった。
「わかったわ。この惑星については夢のサクリアが必要ってことなのね」
「予想通りだな。……面倒なことにならねば良いのだが」
「ええ。近いうちに手を打つべきでしょう。遅れればそれだけ事態の収束が遅くなりますから~」
「うむ」
ルヴァは心の中で計算を繰り返した。
女王とジュリアスの性格はわかっているから、話の進め方次第で、ルヴァの希望通りになるはずだ。
「じゃあ、オリヴィエを呼んで相談するわ。ルヴァ、ありがとう」
入れ替わるようにオリヴィエが呼ばれて、女王の間を出たルヴァは、廊下をうろうろと往復した。
今の状況から考えて、女王達とオリヴィエの話は長引くだろう。
いや、長引くようにしたのだから、そうなるはずだ。
もうすぐ、昼食の時間になる。
ロザリアとゆっくり話ができるチャンスを逃したくない。
ルヴァが何度目かの往復をした時、やっとロザリアが姿を現した。
「あら、ルヴァ」
ロザリアは少し困ったような顔をしている。
きっとオリヴィエにきつく言われているのだろうと予想がついた。
「こんにちは、ロザリア。……オリヴィエを探しているのですか?」
変わらぬ笑みでそう水を向けると
「ええ、まあ」
ロザリアは曖昧に言葉を濁している。
オリヴィエとの約束を健気に守ろうとする彼女の姿に、ズキリと胸が痛んだ。
「ああ、オリヴィエでしたら先程、陛下とジュリアスに呼ばれましたよ」
「もしかして、あの惑星の……」
「はい~。やはり上手く行っていないようで……。先程、私も一緒に検討したのですが、早急な手配が必要になるでしょうね」
「やっぱり……」
補佐官であるロザリアも当然、あの惑星に対する検討をしているはずだ。
夢のサクリアがキーになることもわかっているだろう。
「きっと長い会議になると思いますよ~。オリヴィエもいないことですし、どうですか?もし、お昼がまだでしたらご一緒しませんか~?」
「そうですわね……」
このところ、ずっとオリヴィエと一緒に過ごしていたのだし、不在の時くらいは許されるだろう。
ロザリアは一瞬迷って頷き、二人でカフェに行くことにした。
タイミングの悪いことに、カフェは満席で、ランチはテイクアウトのサンドイッチになってしまった。
紙袋を手に食べられそうな場所を探して、二人で並んで歩く。
常春の心地よい風が吹く太陽の下で、久しぶりのロザリアの笑顔がキラキラと輝いて美しい。
たわいもない会話をするだけで、全身の血液が浄化されるような気がした。
「ここなら落ち着けますわ」
結局、ランチは聖殿の中庭に落ち着いた。
見事なバラの咲き乱れる中庭は、ロザリアのお気に入りの場所だ。
そよ風が華やかな香を運び、木々の葉擦れが癒しの音楽を奏でる。
ルヴァはマナー違反にならない程度に距離をあけ、ロザリアと並んでベンチに腰を下ろした。
「貴女とランチをするのはなんだか久しぶりですねぇ」
ルヴァが本心からそう零すと、ロザリアの顔が憂いを帯びる。
「ええ、そうですわね。……以前は三人でもよくランチやお茶をしていましたもの」
ここ最近、オリヴィエはロザリアを離したがらない。
さすがに女王と一緒の時は何も言わないが、他の守護聖達や研究員と話をしようものなら、あからさまに不機嫌になるのだ。
でも、好きだから。
オリヴィエが好きだから、彼を不機嫌にしたくないと思ってしまう。
いつもの彼は、本当に優しくて、素敵な人だから。
ロザリアさえきちんと約束を守っていれば、なんの問題もないのだ。
沈んだ瞳で黙り込んでしまったロザリアにルヴァの胸がぎゅっと痛くなる。
ルヴァの与えた餌にオリヴィエの獣は貪欲に食いついて、思った通りにロザリアの心を荒らしている。
オリヴィエのことが好きであればある程、ロザリアの傷も深くなるはずだ。
その傷を与えているのは、他の誰でもない自分。
彼女を悲しませたい訳では無いのに。
結果的にこんな顔をさせている。
「……どうしたんですか?なにかあるなら話してみませんか?」
ロザリアははっと顔を上げて、言おうか言うまいか迷っているようだ。
のんびりとした優しい日差しとは裏腹な、緊張した空気が彼女の周囲を覆っている。
やがて、ぎゅっとスカートを握り深呼吸すると、
「あの、男性としての意見を伺いたいのですけれど」
一つ一つの言葉を選ぶように、やっと切り出した。
「その、あの、…好きだから、求めるのですわよね?」
「え?」
「ですから、なんていうかそういう行為というか、あの。」
自分の言った言葉の恥ずかしさに耳まで赤くしたロザリアをルヴァは穏やかに見つめた。
なんだか歯切れの悪い言葉ばかりで少しも要領が得られなかったが、ロザリアの言いたいことはわかる。
彼女の中に不安のタネが芽吹いているのを感じて、うっすらと笑みが浮かんだ。
ルヴァは紙コップのアイスティーをストローで吸うと、ゆっくりと話し始めた。
まだ芽吹いたばかりのタネを枯らさないように、慎重に育てて行かなければ意味が無い。
ルヴァの答えを待って、ロザリアは青い瞳を不安げに揺らしている。
「私にはお付き合いの経験があまりないので、よくわかりませんがね。お互いが求めているなら、それで構わないと思いますよ。会話よりも心が通じることもあるでしょうし。」
ロザリアは頷いた。
彼と結ばれたとき、どんな会話よりも心が満たされて、愛が深まったと感じたのだ。
だからロザリア自身も行為自体には全く嫌悪感はない。
愛し合う二人なら、抱き合い、求め合うことは自然なこと。
ルヴァでさえ、そう肯定してくれているのであれば、自信が持てる。
「ただ、まあ、その~、いつのまにか、愛情よりもそちらが優先になっていることもあるでしょうね。なんて言いますか……」
ルヴァも少し言いにくそうに続けた。
「男性というのは、愛情がなくてもそういうことができますから」
「え?」
ロザリアが怪訝そうにルヴァを見た。
紙カップを持つ手に少し力が入ったのか、カップのふちがつぶれて歪んでいる。
ロザリアはとても純粋で美しい。
恋愛に醜いモノがあると思っていない。
だからこそ・・・ルヴァの獣がむくりと起き上がり、その牙を彼女ののど元に当てていることに気がつかないのだ。
「・・・気持ちがなくてもできるんですの?」
「あー、なんていいますか、相手は誰でもいいというか、まあ、その、ただ、女性に触れたいと思うことがあるといいますか。
それがしたいためだけに女性に偽りの愛をささやく男性もたくさんいますからねぇ。たとえもう気持ちが無くなっても、そのためだけに好きな振りをすることもできるかもしれません。
そのあたりは私なんかよりもオリヴィエの方が経験豊富でしょうが」
ロザリアの瞳がさらに不安げに揺れた。
オリヴィエが経験豊富であろうことはロザリアにもわかっていたが、改めて言われると少し切ない。
もしかしたら、過去に愛のない関係を持ったことが幾度もあったのかもしれない。
そんな不安がつい表れてしまった。
「ああ、えーと、気を悪くしないでくださいね。今はあなただけだと思いますよ」
ルヴァは慰めるようにそう言うけれど、ロザリアには分からなかった。
囁いた愛の言葉が偽りではないと、誰が断言できるのだろう。
信じるしかないけれど、ちらりと頭をよぎるのは、ここ最近のオリヴィエの様子だ。
荒々しくロザリアの身体を通り過ぎる行為。
それは本当に愛なのだろうか。
ただの欲望だとしたら、これまでの彼との思い出が全て嘘になってしまう。
「もちろん、全ての男性が同じではありませんから。言葉は悪いですが、身体だけが目当てなのであれば、すぐに欲求を満たそうとするでしょうし、愛があれば相手のことも考えるのではないでしょうか」
「身体だけが目当てなんて、そんなこと・・・」
「いえいえ、そういうこともある、という話ですから。オリヴィエは違うと思いますよ~」
「そう、ですわよね」
ロザリアはうつむいて、紙コップの中の紅茶からぬくもりが逃げていくのを静かに見ている。
普段の彼女ならば、決して誰にも相談しないような内容を口に出したのは、それだけ不安なのだろう。
「あなたが嫌がることをオリヴィエがするとは思えませんよ」
あの部屋でルヴァは何度もロザリアが拒むのを聞いていた。
そのたびにオリヴィエが半ば強引に彼女を抱いていることも。
「会話したりするのが面倒になることもあるらしいですよ」
激情を沈めるまで、話ができるような状態じゃないことも知っている。
オリヴィエの獣をわざと追い込んでいるのは、ルヴァ自身なのだから。
柔らかな言葉の裏に『オリヴィエの愛は不確かなものだ』と暗示を忍ばせて。
芽吹いたタネに不安という養分を与えて。
それが愛という気持ちを上回るほどに育てていくのだ。
ロザリアがオリヴィエの心を信じられないと思った時、ルヴァの待ち望んだ時がやってくる。
考え込んだロザリアがサンドイッチを食べなくなったのに気付いても、ルヴァは何も言わなかった。
ロザリアと別れた後、ルヴァは女王の間から出てくるオリヴィエを待った。
相変わらず綺麗に装ったオリヴィエの姿は完璧で、一見女性のように着飾った姿は人目をひく。
全てが完璧に整った美貌にメイクをした姿は、ともすればひ弱にも見えるが、その素顔が実に男性としての魅力にあふれていることもルヴァはよく知っていた。
実際、彼は負けず嫌いの武闘派で、良く鍛えられた身体をしている。
『アイツの方こそ来るものは拒まず、だぜ』
夜遊びに関して、一緒に下界に行っていたオスカーが、オリヴィエをそう評していた。
きっと、今まで女性に不自由したことはないだろう。
だからこそ、彼は獣の飼い方を知らない。
「おや、オリヴィエ。こんにちは」
「ルヴァじゃないか。なにしてんの?これからお昼?」
「いえいえ~~。お昼は済ませましたよ。ロザリアと二人で、ね」
あくまでもにこやかに、他意の無いように答えると、オリヴィエの眉がぴくりと動いた。
「偶然一緒になったのでね~。あなたも誘いに行ったのですが、いなかったんですよ。ロザリアは残念がっていましたよ」
少し喜ばせておいて、ルヴァは続けた。
「二人で中庭でゆっくり話をしたのですが…」
言いにくそうにするルヴァに、オリヴィエは少し苛立ったように続きを促した。
彼の獣が立ち上がり、ルヴァを威嚇するように唸る。
「なに?ロザリア、なんか言ってた?」
「あー、その、あの、あなたたちがどのような関係かは知っていますけど、もう少し、その、優しくしてあげた方がいいんじゃないですかねぇ」
オリヴィエの眉間にぐっとしわが入る。
面白くなさそうに瞳をすがめる表情ですら、カッコ良く見えるのだから、美形は得だとルヴァは思う。
「あのコがそう言ったの?」
とんでもないというふうに目の前でルヴァは首を横に振り大げさに手を振りまわした。
「私がそう思っただけですけどね。あんなことを聞かれると困ってしまうと言うか。彼女らしくないのが少し心配でして」
「あんなこと?」
「えー、まあ、ええ、そういう悩みは私に相談せずに、オリヴィエに聞いた方がいいと言ったんですが。ええ。まあ、その」
曖昧にごまかしつつ、あえて、オリヴィエが疑うように。
獣がうろつく彼の心の檻は、あちこちが綻んで、ルヴァからは丸見えだ。
嫉妬、不信、欲望。
獣の大好きなエサがいくつもぶら下がり、今にも飛びかかってきそうだ。
「ああ、それでは、すいませんね。私が余計なことを言ったとロザリアには言わないでくださいね」
オリヴィエは答えなかったが、ルヴァの耳には獣の吠える声が聞こえる。
秘密に、と言われれば彼女に直接聞けなくなる。
聞けなければ、想像するだけになる。
そして人は必ず悪い方へ想像するものだ。
執務室に戻ったルヴァは聞き耳を立てながら、書類の整理を続けた。
執務というのは単調な事務仕事が主だ。
あの惑星のようによほどの危機でも無い限り、積極的な介入をすることはまず無い。
必要な個所にサインをし、目の前の仕事を片付けていると、夢の執務室のドアをノックする音が聞えてきた。
あのリズムはロザリアだ。
ルヴァはペンを置くと、鍵をかけ、奥の小部屋へと急いだ。