05.
「ルヴァの意見を皆に説明してもらえるかしら」
女王の間に勢揃いした守護聖たちの前でルヴァは一歩前に進み出た。
例の惑星の異変はいっこうに収まる気配がなく、荒れ果てた土地に住む民達の心もまた荒れている。
暴力や犯罪が増え、惑星全体の文明レベルが衰退しそうなのだ。
長い講釈のあと、ルヴァは、惑星へオリヴィエを派遣するのが一番の早道だろう、と締めくくった。
「極端に少ない夢のサクリアが、民の心理に影響を及ぼしているようですね~。今は一刻も早く、直接的なサクリアの注入が必要だと思われます」
データ上でもその緊急性が説明できるように処理しておいたし、ルヴァを疑う者はいない。
いくつかのチェックと準備に数日を要した後、緊急でオリヴィエは出張に立つことになった。
あれからずっと、気まずいままのロザリアを残して。
「オリヴィエと喧嘩でもしていたのですか?」
何度目かのため息を耳にしたルヴァはロザリアに微笑んだ。
暖かい午後の日差しの中、中庭を通る風は薔薇の香りを含んでいる。
騒がしいカフェではなく、ここに来たいとロザリアが望んだのも無理はない。
人影のない中庭はまるで世界から取り残されたように静けさに覆われていた。
「ケンカ・・・なのかしら?ただ、なんとなく気まずくなってしまっただけで・・・。こんなふうに出張が急に決まるのなら、きちんと話をしておけば良かったですわ」
ロザリアは後悔していた。
ここのところの聖地は平和で、オリヴィエと一緒にいることが当たり前のように感じていた。
多少すれ違っても、どうせ聖殿で同じ執務をする。
顔を合わせれば、モヤモヤした気持ちもいつの間にか消えて、隣でお茶を飲んで笑い合っていて。
まさかこんな不安な状態で離ればなれになるなんて、思ってもいなかったのだ。
守護聖が危険にさらされるようなことはまず無いだろうが、離れていれば不安が募る。
それに、あの時のオリヴィエはいつもと様子が違っていた。
「ごめん」と小さな声で呟いた時の辛そうな顔。
あの乱暴な行為は、彼にとっても本意では無かったのかもしれない。
もっときちんと話を聞いていれば、こんな思いを抱えたまま、待つことにはならなかったのに。
「気まずい?あなたがそう思うことはないんじゃないですか~?気が乗らない時は断わったっていいんですから」
片手に持ったドーナツを一口かじったルヴァは、口をもごもごさせている。
今日のおやつはロザリア手製のドーナツだ。
黒糖を使っているせいか甘さ控えめで緑茶によく合う。
以前、ルヴァが大喜びしてから、たまに作ってきてくれるようになったものだ。
きっとオリヴィエが不在でロザリアも時間を持て余しているせいだろうが、ルヴァのために作ってくれたと思えば、格別に味わい深い。
「え?…どういうことですの?」
言葉の意味がよくわからないという顔をしているロザリアにルヴァは言った。
「その、オリヴィエがそういうことをしようとしたときに、あなたが拒否したとぼやいていましたのでね」
「…オリヴィエがそんなことを?」
ロザリアは絶句した。
飲みこんだドーナツのかけらが急に鉛のように重く感じて、喉の奥から羞恥心がせり上がる。
二人の大切な時間を人に話すことが信じられない。
ましてや閨での出来事なんて。
「だからって強引に、その、する、なんて私にはわかりませんがねぇ」
いかにも不快そうに首を振りながら、ルヴァがちらりとロザリアを見ると、彼女は少し青ざめている。
「今までも、そういう話をしたことがありますの?」
ギュッと握りしめたロザリアの手も青白い。
その手に触れることができれば、暖めてあげられるのに。
ルヴァはわざとらしく、少し考えるそぶりで、顎に手を当てた。
「まあ、男同士ですから、そういうことを自慢することがあるというか。彼の武勇伝を聞くのは昔からですからねえ」
「武勇伝?」
「ああ、まあ、その、昔の話ですよ。いろいろと、ね」
ぼかした言葉がどれほど傷を作るのか、わかっていて言葉にする。
「・・・そういえば今日のドーナツはいかがかしら?昨日、急に思い立って作ってみたんですけれど」
突然話を変えたロザリアの手が震えていた。
時間は十分ある。
最低でも2週間、オリヴィエは帰ってこない。
しかも向かった先はろくに整備もできていない辺境の惑星で、電話をすることさえ難しいだろう。
任務を終える日まで、まともに連絡はとれないはずだ。
知っていて、ルヴァは毎日、ロザリアに尋ねた。
「なにか連絡はありましたか~?」
「いいえ。あの惑星からでは仕方がありませんわ」
さびしそうに笑うロザリアに、わざと首をかしげて呟いてみせる。
「それにしても、少しくらいは連絡できると思いますがねぇ。オリヴィエはあなたのことを思い出したりしないんですかねえ。ああ、あなたから連絡してみたらどうですか?女王専用の回線を使えばできるでしょう?」
「わたくしから…?プライベートなことで回線を使うなんてできませんわ。」
公私の区別に厳しいロザリアがそんなことをするはずがないことはわかっている。
ただ連絡が来ないことをロザリアに認識させるだけで十分だ。
『貴女が思うほど、オリヴィエは貴女のことなど気にしていない』
そう思わせるだけでいい。
「きっとお土産をたくさん買ってくるでしょうね」
お茶の時間に補佐官室へ行ったルヴァは、出された紅茶を飲みながら言った。
「好きな人のために何かを選ぶ時間は楽しいですからね~。私は本ばかり選んでしまいますが、オリヴィエはセンスもいいでしょうし」
きっとオリヴィエも、ロザリアへの土産を探しているだろう。
あの惑星で良質なサファイアが採れることはよく知られている。
「そうかしら?だといいのですけれど。」
少しづつではあったけれど、不安は確実にロザリアの心を苛んでいた。
まるで柔らかな牙で心臓を噛まれているように。
ルヴァのまいた種は確実に芽を出し、葉を増やしている。
「貴女のお茶はとても美味しいですねぇ」
今日もふらりと補佐官室にやってきたルヴァは、お茶受けの海苔せんべいとたま羊羹をテーブルに並べた。
「取り寄せた辺境の惑星のお菓子なんですよ~」
見たこともないお菓子にロザリアも目を丸くしている。
「このお菓子でしたら、ルヴァのお好きな緑茶の方が合いそうですわね」
「いえいえ、紅茶で大丈夫ですよ」
「せっかくですもの。緑茶を淹れるのも上手くなりましてよ?少しお待ちになって」
立ち上がったロザリアはいそいそと奥の間のキッチンへ向かって行く。
ルヴァがその後ろ姿をにこやかに眺めていると、ロザリアの机の上で、ピカリと端末のランプが光った。
素早く端末を手に取り、ディスプレイを確認すると、そこには『オリヴィエ』と表示がある。
これぞ神の采配。
ルヴァは逸る鼓動を鎮めつつ、画面をタップした。
「あ、ロザリア?」
弾んだオリヴィエの声に、
「ああ~ロザリアでしたら、今、お茶の準備をしていますよ」
いつも通りの口調で返事をすると、端末の向こうが不機嫌な気配に変わる。
「ふうん。そっちはお茶の時間なんだ。・・・ま、ロザリアも私が居なくて寂しいだろうからね。付き合ってくれてありがと。あ、こっちは朝なんだけど、やっと電話できるところまで来られたんだよ。ホント、この惑星はどうなってんだか」
「大変でしたねえ」
「そうなんだよ。毎日毎日、あちこちでサクリア放出させられて、どうでもいい会議にも連れ回されてさ。この私が昨日はシャワーも浴びれなかったんだから」
電話の向こうで肩をすくめている様が思い浮かんで、ルヴァはひっそりと微笑んだ。
一日シャワーを浴びれないくらいで、彼の美貌が損なわれることはないだろうが、こんな時でもすらすらとジョークが言えるところは、素直に羨ましい。
まだ奥の間ではカチャカチャと食器の触れ合う音がしていて、ロザリアが戻る気配はない。
「危険のないように、任務に集中してくださいね~。ロザリアも心配していますから」
「わかってるって。…あ」
受話器の向こうのオリヴィエの背後がザワザワとうるさくなる。
電波の状況がよくないのか、ガサガサとした雑音が大きくなってきた。
「ああ、もう!ねえ、今度はいつ電話できるかわからないからさ、ロザリアに連絡があったって伝えておいてよ。頼んだよ」
焦るオリヴィエの声が段々遠ざかり、ぷつりと途切れる。
ルヴァはまだ暖かな端末を弄り、電話の履歴を呼び出した。
ロザリアのパスワードは、なんどか操作する手元を見ていてわかっている。
単純に誕生日なのは、いかにも彼女らしく、不用心というか他人を信用しすぎるというか。
冷静に履歴から、今のオリヴィエの電話だけを削除した。
2週間が経とうとした頃、
「オリヴィエは今頃、何をしているんでしょうかね~。なにか連絡は?」
あれから一度も連絡のないことを遠回りに確認すると、ロザリアはただ首を横に振った。
もちろん、聖地への定期連絡は研究院を通してだが、きちんと届いている。
夢のサクリアのおかげで、惑星は落ち着きを取り戻しつつあるようだ。
オリヴィエの活躍も、たびたび耳に入ってきていて、見た目とは裏腹な彼の能力に、惑星側の人間からも一目置かれているらしい。
「まあ、便りがないのはよい知らせと言いますからね。きっと早く帰ろうと頑張っているのでしょう」
「そう、ですわよね」
ロザリアはぬるくなった紅茶を前に、ただ青い瞳を揺らしている。
一度、連絡したことで、オリヴィエは安心しているのかもしれない。
実際、ルヴァの知るところでは、あの惑星内で聖地に通話ができる個所は、かなり限定されている。
物理的に連絡できないのは事実なのだろう。
けれど、ロザリアはそのことを知らない。
焦りは不安を生み、不安は不信を生む。
彼女の中で育つものは、目に見えて大きくなっているようだった。
現地から無事にサクリアの修正を終えたという連絡を受けたルヴァは、最後の賭に出た。
密かに繋げていたあの惑星の要人へのルートを使い、電話をかける。
たった一つの短い電話。
もしもオリヴィエがこのエサに食いつかなければ、また別の手を考えればいい。
けれど、ルヴァはオリヴィエの性分を十分理解していた。
オリヴィエの、というよりは人間の習性かもしれない。
仕事を終えたあとの開放感は、出先ということもあり、常よりも大きいだろう。
そして、ロザリアとは気まずいままの状態で出ている。
電話を終えたルヴァは慌てた様子でロザリアの元に向かい、彼女の背中を押した。
最後まで迷っていたけれど、結局、ロザリアはオリヴィエを想っているのだ。
恋する気持ちは、普段の冷静な彼女を惑わせてしまう。
下で待ち受ける獣が大きな口を開けてロザリアを見つめていた。