Pasqueflower

4.

ルヴァはロザリアを積極的に誘うようになっていた。
オリヴィエがどこかへ行くたびに、二人の姿が目に入る。
残りわずかな試験期間を意識したのかもしれないが、今までのルヴァなら、これほど毎日彼女を誘うなんて考えられなかったはずだ。
ルヴァの行動に、アンジェリークの影がちらついて離れない。
けれど、そのことがロザリアを幸せにするのなら。
オリヴィエはただ黙って見ているしかなかった。



少し経った、穏やかな午後。
オリヴィエは執務室にやって来たロザリアを、いつも通り出迎えた。
相変わらず彼女は凛としていたが、心なしか、元気がないような気がする。
もちろん、試験の結果を考えれば、元気が出る要素は少ない。
向かい合った彼女の睫毛が瞳に影を映しているのを見て、オリヴィエの胸も痛みをおぼえた。
「どうかした?これでも食べて。ね。」
低カロリーのチョコレートはオリヴィエがわざわざ取り寄せているもので、ロザリアもここへ来るとよく食べていた。
見かけによらず甘いモノが好きなロザリアは、食べるたびに顔をほころばせていたが。
今日のロザリアはチョコレートに手を出そうともせずにいる。


「オリヴィエ様。わたくし…。」
どう言えばいいのか、ロザリア自身も迷っていた。
もう試験の結果は目に見えているのだから、今さら育成をしても仕方がないこともわかっている。
だが、ルヴァに
「もう育成は終わりにしてもいいのではありませんか? フェリシアよりも…その、私を見てはくれませんかねぇ。」
と言われた時、確かな違和感を感じたのだ。
理屈では正しいのかもしれない。
試験はもう数日で終わる。
補佐官になればあわただしい日が待っているのだから、ルヴァとゆっくり過ごせる時間もしばらくはないはずだ。
今のうちにもっと二人の時間をとりたい、と思うルヴァの気持ちはとても嬉しい。
ルヴァと過ごす時間はもちろん楽しいし、もっと一緒にいたいと思うこともある。
けれど、フェリシアとは試験が終われば別れなければならないのだ。
終了まで大切にしたいというロザリアの思いを、ルヴァは理解してくれると思っていた。
それなのに。

それから少しずつ、違和感のようなものが大きくなり始めた気がする。
ルヴァは一体、自分のどこを好きになってくれたのだろう。
いつの間にか伝わっていた自分の想いと、いつの間にか向けられていたルヴァからの想い。
あまりにも短期間の間に進んだことに、戸惑いすら感じてしまう。
それに、まるでテキストを進めるように、恋人としての関係を深めようとするルヴァの姿は、ロザリアには少し恐ろしくも感じられた。


昨日、デートの帰り道で、急に手を握られた。
その瞬間まで、聖地の歴史について話していたのに、何の脈絡もなくそれは突然で。
立ち止まったロザリアに、ルヴァはにっこりとほほ笑みかけると、ロザリアの指の間に指を絡め、離れないようにさらに強く力を込めた。
「いいですよね?」
強引さに驚いた。
ルヴァがこういう行為を望むとは、全く思っていなかったのだ。
もちろん拒否するつもりは全くないし、繋がれた手がとても熱く感じられて、ドキドキする鼓動を押さえるのが大変なほどだった。
男性とこうして手をつなぐこと自体、ロザリアには初めての経験で。
掌に汗をかくのではないかと気になって、上手く言葉が出てこない。
ルヴァも手をつないだことで緊張したのか、口数が減ってしまった。
もっと、ルヴァの話を聞きたいし、育成についても話したい。
けれど、ロザリアが話しかけても、ルヴァは別のことに意識が向いているようで、生返事を繰り返すだけだ。

結局、ほとんど会話の弾まないまま、候補寮についてしまった。
すっかり傾いた日が、二人の前に長い影を落としている。
影を眺めていたロザリアは、並んだルヴァの影がふいに自分の影へと近づいてくるのに気がついた。
はっと顔を向けると、すぐ目の前にルヴァの顔がある。
固まってしまったロザリアにルヴァの顔が触れそうになる瞬間、強い風が吹き足元の砂が舞い上がった。
「きゃっ。」
目に砂が入りそうになって、ロザリアはあわててとびのいた。
ルヴァとの間に距離ができ、その間を木の葉が踊るように舞い上がっている。
しばらくして風が収まると、さっきまでの雰囲気も、一緒にどこかへ消えてしまったようだ。
気まずい沈黙が訪れる。
なぜかいたたまれない気持ちで、ロザリアは淑女の礼をすると、候補寮へと駆けだした。
別れ際に一瞥したルヴァは困ったような微笑みでロザリアを見送っていた。


なかなか話し出さないロザリアに、オリヴィエはチョコレートをつまんだ。
「フェリシア、まだ育成してるんだね。さっき見てきたら、また少し建物増えてたよ。」
ロザリアは、はっと顔を上げた。
一番欲しい言葉をいつでもオリヴィエは言ってくれる。
だれもフェリシアのことを気にかけてくれなかった。
自分の全力を注いだ美しい大陸。
もうやめてもいいだなんて、誰にも言って欲しくはない。
気がつけば、涙がこぼれていた。

「私、なんか言った…?」
ロザリアの青い瞳に浮かんだ雫に、オリヴィエの指がそっと触れる。
おそるおそる、といった様子で触れられた指は、とても暖かい。
狼狽したオリヴィエの姿を初めて見たロザリアは、なんとか微笑もうと努力した。
「いいえ、違うんです。ありがとうございます…。」
「なんでお礼? 今日のあんた、ちょっとおかしいよ?」
泣き笑いのロザリアは、一生懸命手の甲で涙をぬぐっている。
オリヴィエはその手を優しく押さえると、もう一方の手に持ったハンカチで涙をぬぐった。

涙で濡れた手にオリヴィエの手が触れている。
制止するように軽く握られただけの手は、ほどこうと思えば、少し手を動かすだけでいいはずだ。
けれど、ロザリアはそのままにしていた。
伝わってくるオリヴィエのぬくもりを、もっと感じていたい。
初めのころ、華やかな外見と話上手なところから、オリヴィエを明るいにぎやかな人だと思っていた。
社交界にもよくいるタイプの男性。
けれど知れば知るほど、その印象が間違ったものだと気づかされた。
これほど穏やかに過ごせる場所を、ロザリアは初めて知った気がする。
そして、今。
ずっとこのままでも構わない、とさえ心のどこかで思っているのだ。
オリヴィエといると、不思議な安心感に包まれる。
ロザリアは涙が止まるまで、オリヴィエに手を預けていた。



一方、アンジェリークはルヴァの執務室を訪れていた。
デートの前後を見計らって、こうして様子をうかがうのが日課になっている。
アドバイスと称して、ルヴァをけしかけ、なんとかロザリアと恋人のように持ち込むことはできた。
なのに、もう少し、が上手くいかない。
ロザリアは補佐官になることを約束してくれているけれど、ルヴァと恋人になっていれば、それはもっと確実になる。
自分が女王になれば、聖地で二人を結婚させてもいい。
花嫁姿のロザリアはきっと幸福感に満ち、素晴らしく美しいだろう。
そんな彼女に、一番最初に祝福をするのだ。
理想の少女の幸せは、自分にとっても最高の幸せになる。
アンジェリークは、思い通りにいかない二人の間に焦りを感じていた。

ルヴァの部屋は本でいっぱいだ。
本を乗せる台にしかなっていない木のスツールをアンジェリークはルヴァのすぐ隣に寄せた。
「ルヴァ様。昨日のデート、どうでした? ロザリア、とっても楽しそうでしたよ。」
真っ赤な顔をして部屋に駆け込んだロザリアをアンジェリークは見ていた。
珍しく、食事の時間もぼんやりしていたし、きっとなにかあったと思っていたのだ。
「キスしたんですか?」
ストレートに聞かないと、ルヴァは理解してくれない。
アンジェリークの言葉にルヴァは真っ赤になって首を振った。
「そ、そんな…。いえ、ほとんどしたようなものですねぇ。風が吹かなければきっと…。」
驚いてわずかに開いた青い瞳。
目の前にあった艶やかな唇は、ルヴァの口づけを待っているように見えた。

「え、じゃあ、まだ?」
アンジェリークは心の中で舌打ちした。
キスくらいでいったいどれほど時間をかける気なのだろう。
ロザリアの想いは知っているのだから、さっさとモノにしてくれればいいのに。
あと長くても3日。
女王になるまで、時間はわずかだ。
アンジェリークは天使のように微笑んで、ルヴァに小首をかしげて見せた。

「実は、わたし、明日の夜、お別れをしたい方がいるんです。」
女王になる前に一度だけ…。
そういう含みを持たせた言葉に、ルヴァが赤面しているのがわかる。
「わたしは候補寮で会う約束をするので、ルヴァ様はロザリアをおうちに招いてくださいませんか?」
そこでなにをするのか、ルヴァも想像しているだろう。
焦って口の中が渇いているのか、机の上にあったお茶をのみ込んでむせている。
「ロザリアが隣の部屋にいると、声が聞こえたりするかもしれないから、私も恥ずかしいんです…。」
頬を染め、ちらりとルヴァを見ると、まだ心が揺れているようだ。
まだキスすらもしていない相手と、一夜を共にしろと言われているのだから無理もない。
「聖地に行けば、また環境も変わってしまうから、思い出が欲しいんです。多分、ロザリアも同じ気持ちだと思います。」
「ロザリアも…。」
女性の気持ちは女性の方がわかるのかもしれない。
ルヴァはアンジェリークの言葉を素直に信じ込んだ。
ロザリアも自分を求めてくれているのだ、と。

そして、次の日が訪れた。


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