3月の雪

7.


補佐官と守護聖の間で会議をすることは少なくない。
今回のように、惑星の危機が訪れた際には一日に何度も繰り返すこともある。
今朝になって緊急で研究院からもたらされたデータに、ロザリアは驚愕した。
なぜ今まで気が付かなかったのか、と、データを持参した研究員を怒鳴りつけたいのを我慢して、大急ぎで守護聖を招集する。
住人こそそう多くはないが、きちんと文明をもった惑星だ。
崩壊するのを黙ってみているわけにはいかない。
早急に対策を練る必要があった。


「厄介だね。 …犠牲者は避けられないよ。」
オリヴィエのついたため息に、オスカーも小さく頷いて賛同する。
データで見る限り、状況はかなりひどいものだ。
「すでに小さな戦いがあちこちで起こっているからな。 異常気象が人心に悪影響をもたらしているんだろう。
 サクリアで気象レベルを安定させ、平定はその後だ。」
オスカーの分析にロザリアも頷いた。
まずは傷ついた惑星自体を再生させなければ、人々は立ち上がれない。

「惑星本体へのサクリアの放出は聖地から行います。
 聖地時間で2~3日あれば、問題ないレベルまで整うと思いますわ。
 あとは…。」
言い淀むロザリアを引き継いでランディが言う。
「現地での働きかけ、だよな。
 たいていこういう出来事の後は、女王を非難する声が出てくるから、それを吸収して聖地へ送るのと、復興の支えになること。」
頭の奥のメモを確認するかのように指を折る。
最近になって、ランディもこうした事態の対応に当たるようになっていた。
「ええ。 直接現地へ飛ぶ者が必要でしょう。」

女王に忠誠を誓っている惑星にはたいてい神殿があり、その神官を利用して、こういった働きかけをするのが常だ。
けれど今回は、戦いの影響で神殿が失われ、女王信仰自体が揺らいでいる。
神官もすでにいない。
こういった理由で、媒介する人間がいない場合は、守護聖達が直接現地へ赴くことも少なくはないのだが…危険があるのも確かだ。
現地で守護聖達を守ってくれるような人間が少ない。
反対思想を持つ者もいる。
ある程度の力が必要なのは、先日オリヴィエが出かけた惑星の例からも明らかだった。


オスカーは椅子に深く座り直すと小さく息を吐いた。
どうすれば事態を早急におさめられるのか。
現地に行く前に調査しておく必要が山とある。
オスカーの中で、すでにこの地へ自分が派遣されるであろうことは決定事項だった。
オリヴィエあたりと一緒か、それとも一人か。
いずれにせよ、こういった任務は今までずっとオスカーがこなしてきたのだ。

「では、現地へは ランディと…オリヴィエに行っていただきます。」
ロザリアが口にした名前にオスカーは眉を顰めた。
「1人では荷が重い部分もあるでしょうし、オリヴィエに指導してもらいながら、任務にあたってくださいませ。
 ランディにとっても良い経験となるはずですわ。
 …任せてもいいかしら?」

じっと見つめてくる青い瞳に不安の色があるのをオリヴィエは見逃さなかった。
ランディだけでは心配だというロザリアの気持ちはよくわかる。
この先のことを考えて、ランディの経験を積ませたい、という気持ちも。
ただ、なぜ、同伴がオリヴィエなのか。 
ランディと組ませるならば、オスカーの方が適任だろう。
オスカーの方を見れば、彼は顔色一つ変えず、コーヒーカップを傾けている。
が、あきらかに不機嫌なのは、その剣呑なオーラからもわかった。

「では、詳細は研究院とも連携していきましょう。
 よろしくお願いしますわね。」
初めての現地での任務に張り切った様子のランディが、研究院でデータをまとめるために出ていく。
続けて、オスカーが無言のまま席を立った。
彼らしくない態度だったが、オリヴィエもわざわざ呼び止めるようなことはしない。
残された二人の間に異様なほどの沈黙と、重苦しい空気が漂った。
「オリヴィエもお疲れ様でしたわ。…お呼び立てしてしまってごめんなさいね。」
いたたまれなくなったロザリアは慌てて紅茶を飲み干すと、席を立った。


「なんでオスカーを外したの?」
真剣な声に、ロザリアは振り向いた。
オリヴィエのダークブルーの瞳が、ロザリアのすべてを見通してしまいそうにじっと注がれている。
不審に思われているのだろうか。
ごくりと唾を飲み込んだロザリアは、補佐官として精一杯の権威をもって言った。

「若いランディに経験を積ませることも必要だと思ったからですわ。
 同じメンバーでばかり片づけてしまったら、いつまでもランディは慣れないままですもの。
 オリヴィエをつけたのも、ランディのためですわ。
 オスカーと一緒だと、ランディは彼に頼ってしまうでしょう? それを避けようと…。」
「もういいよ。」
まくし立てるロザリアに、オリヴィエは肩をすくめた。

「ちゃんと考えがあったんだってわかったから。
 たしかにランディに経験を積ませることも必要だしね。 オスカーだと甘やかすっていうのもわかる。
 でも、オスカーは納得してないみたいだったから、ちゃんと説明してやったほうがいいかもね。
 ブツブツうるさいからさ。」

ホッとしている。
ロザリアはオリヴィエをムリヤリにでも納得させられたことに安堵していた。
これ以上何か聞かれたら、とても冷静ではいられない。
話は終わり、と言うように背を向けたロザリアをオリヴィエがじっと見つめていた。


『なんかあったの?』と、どうしても聞けなかった。
オリヴィエは補佐官室を出て、中庭を抜ける道を歩いていた。
常春の陽ざしは暖かく、咲き乱れる花の香りが辺りに立ち込める。
まるで天国のようだ、とオリヴィエはここを通るたびにいつも思っていた。

聖地は綺麗すぎて、自分が人間であることを忘れてしまいそうになる。
時は無限ではないという事も、人は変わっていくのだという事も。
それはわかっているのに。
ようやく手に入れた平穏を、壊す必要がないと思ってしまうのも本当なのだ。
傍に彼女がいて、綺麗な花も咲いていて。
オリヴィエの人生の中で、今が一番幸せだと間違いなく言い切れる。
けれど、臆病者だと頭の奥で罵る声が日に日に大きくなっていくのだ。
ふと遠くに目をやれば、淡い花の合間に鮮やかな緋色が浮かんでいる。
オリヴィエはヒールの音を忍ばせて、そちらへと近づいた。

女といるのなら邪魔するのは野暮だ。
けれど、花の隙間から覗いたオスカーは一人きりで、なにかに没頭している。
それが花弁をむしっているのだと気付くのに、しばらくの時間がかかったのは、オスカーの顔があまりにも真剣だったからだ。
右手で花を持ち、左手で花弁をむしっていく。
ただそれだけのことなのに。

次第にオスカーの顔に苦痛が浮かび始める。
花弁を掴もうとする指先が震え、なんども滑っては、ようやく摘まみあげたかと思うと、また滑り。
それすらも怪しくなれば、最後は摘まむことさえできなくなって。
やがて半開きのまま、掌が全く動かなくなると、花を投げ捨てたオスカーが、くっと笑みを浮かべた。
暗い瞳を隠そうともせずに。

オリヴィエは気配を消して、その場を静かに離れた。
中庭を出るまで息を殺し、ようやく呼吸が戻ったのは、自分の執務室に戻ってから。
執務机に足を乗せ、天を仰ぐと、さっきの光景がよみがえってくる。
苦悶と自嘲の混ざり合った、オスカーの顔。
オスカーの左手は、おそらく後遺症が残ってしまったのだろう。
あれだけの事故なのだから、むしろ軽く済んだと言えるのかもしれない。
今の今まで、オリヴィエですら、気が付かなかった。
けれど、ロザリアは知っているのだ。
だからこそ、彼を見つめ、危険な執務から外した。

傷は完治したと思っていた。
事故の前と同じ、変わらぬ日常が戻ってきていると思っていた。
けれど、変えたくないと願っていた日常は、もうとっくに壊れてしまっていたのだ。
これからさらにどう変わっていくのか、それはオリヴィエにもわからない。
けれど、ロザリアの中でなにかの変化が起きていることは、もう疑う余地はないだろう。
きっと自分にとっては良くない変化。
今更、逃れるすべもない。



数日後、オリヴィエはランディと共に、聖地を出た。
気象の落ち着きと共に、民の精神状態もかなり安定してきているらしいが、まだ油断できるような状況ではないから、楽な執務とは言えない。
隣で妙に張り切るランディに肩をすくめ、オリヴィエはシャトルのシートに身をうずめた。
寝てしまえば、到着まではあっという間だろう。
目を閉じたオリヴィエの瞼の裏に、ロザリアの顔が浮かんだ。

シャトルの発着場まで見送りに来てくれたロザリアは、オリヴィエにすがるような目を向けていた。
「気を付けて。 …早く戻ってきてくださませね。」
青い瞳の奥によぎる影。
その不安はどこからきているのだろうか。
オリヴィエの安否を気遣うだけにしては、不安の色が濃すぎると思うのは、オリヴィエの気のせいだろうか。
彼女の本当の不安は、もっと別のところにあるような気がしてたまらない。

「今回はお土産を買ってこれないかも。」
おどけて見せたオリヴィエに、ロザリアが首を振る。
「ええ。 そんなこと気になさらないで…。」
それよりも気を付けて、と、相変わらず心配性の彼女らしいセリフが続くことに苦笑した。
もっともそれが自分のためだと思うと、嬉しくもあるのだが。

ふと、オリヴィエはロザリアの首元を見た。
細い首を飾るのは、金のチョーカー。
もちろん執務服だから、あのネックレスをつけているはずはない。
けれど、なぜか意味のない胸騒ぎを感じてしまう。
本当は今、彼女と離れたくなかった。
離れてはいけない気がした。

オリヴィエの予感が当たったのは、それからすぐのことだった。


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