A world end with you

3.


「そろそろ起きてくれないか? もうすぐランディが来るんだが。」
うっすらとした意識の中で、ロザリアはオスカーの声を聞いた。
寝ざめの悪い夢だ、と、思わず眉を寄せ、再び眠りの世界に落ちようと枕を抱えなおしてみる。
すると再び声が聞こえてきた。
「俺としては君のしどけない姿を他の男に見せるのは少し気が引けるな。」
もしかして、自分のことだろうか。
重いまぶたを開けると、見慣れない白い天井が目に入る。
いつもなら朝日を浴びて虹色に輝くシャンデリアがない。窓辺で揺れるカーテンもお気に入りのブルーではない。
ここは、どこだろう。 
考えて、飛び起きた。

「おはよう。休日の君はずいぶん寝坊なんだな。」
にやりと嫌な感じの笑みを浮かべたオスカーが、窓枠に背を預けるようにして、ロザリアを見下ろしている。
白いシャツにタイトな黒のパンツは、動きやすさを重視しているような服装だ。
そんなシンプルな姿でも、絵になっているのが憎らしい。
「着替えが必要なら君の屋敷から届けさせようか?」

ハッとして自分の姿を見たロザリアは、昨日と同じ服を着ていることに気がついた。
柔らかな素材のおかげで皺ができていないことが唯一の救い。
彼が手を触れた様子は勿論ない。
「ごめんなさい。 わたくしったら、眠ってしまいましたのね。ちょっと執務が立て込んでいて、疲れていたものだから・・・。」
自然な言い訳が口からすらすらと出てくる。
自分はいつからこんなに嘘つきになったのだろう。
けれど、前夜、緊張して眠れなかっただなんて、死んでも彼には言いたくない。

「構わないさ。まだまだ長い付き合いになるんだ。 朝食はどうする?
 ランディと一緒でよければ、君もどうだ?」
「いいえ! 帰りますわ。」
足を揃え、ベッドからするりと降りたロザリアは、癖の残る長い髪を背に払い立ちあがった。
ふと彼女の瞳によぎる影が、ぞわっとするほどの色気を醸し出している。
オスカーは昨夜抱きしめたロザリアの柔らかな体を思い出した。
ランディとの約束が無ければ、このまま彼女をベッドに押し込みたいところだが、さすがに無理だろう。

「…今夜はどうする?」
我ながら未練がましいとオスカーは自嘲した。
オリヴィエにでも聞かれたら、情けないと言われることは間違いない。
それなのに、なぜか引き止めてしまった。
行きかけていたロザリアの足がピタリと止まる。
少し考えるように顎に手を置いた後、
「今夜は日の曜日ですわね。 明日は執務がありますもの。 ご遠慮しますわ。」
気まじめな彼女らしさが顔を出したのか、不愉快そうに眉をひそめている。
ロザリアはさっと身を翻すと、オスカーを一度も見ることなく部屋を出ていった。



退屈な日の曜日。
朝までの緊張感が抜けてしまったせいか、ロザリアは何もする気力がなくぼんやりしてばかりいた。
目が覚めた時、彼の姿はすでに隣にはなかったけれど、同じベッドで眠ったのだと思うと、カッと全身が熱くなる。
自分の傍らには確かに、わずかなぬくもりが残っていたから。
眠れなくて外を歩くことの多かった夜が、あんなにも穏やかに感じたのは久しぶりだった。
ロザリアにとって、初めての朝。
オスカーにとっては数え切れないほどの朝の一つにすぎないだろうけれど。
わずかに感じた胸の痛みに、ロザリアは気づかないふりをした。
部屋にいては、ついつまらないことばかりを考えてしまう。
ロザリアはお気に入りの帽子を手に取ると、外へと足を向けた。


昼下がりのカフェテラスは、ちょうど人の多い時間帯だったらしい。
いつもの奥の席が空いていないことをウェイトレスに告げられたロザリアは、仕方なく店を出ようとした。
見れば一人の客はほとんどいない。
日の曜日を一人きりで過ごしている寂しさに、ほんの少し心が重くなる。
その時、
「ロザリアじゃないか。 一緒にどう?」
背後からかけられた良く知る声に、ロザリアは振り返り、笑みを浮かべた。
「オリヴィエ。 あなたも一人なの?」
「まあね。ちょっとさびしいって思ってたとこ。 あんたが付き合ってくれるなら、一人じゃなくなるんだけど。」
パチン、と音が立ちそうなウインクを向けられて、ロザリアはオリヴィエの向かいに座った。
女王候補の頃から、なにかと世話を焼いてくれるオリヴィエはロザリアにとって気の置けない友人といった存在だ。
兄のような、というほうが近いかもしれない。
他人の心の機微に敏感な彼は、ロザリアのような不器用な人間も理解してくれる。
やっとゆったりした気持ちでおしゃべりを楽しんでいると、ふいに背後から目隠しをされて、ロザリアは慌てた。

「だーれだ?」
一瞬驚きはしたが、こんなことをする人間は一人しか知らない。
声を聞くよりも前に、ロザリアは肩をすくめていた。
「はーい、アンジェ。 相変わらずラブラブだね。」
からかうオリヴィエの声。
「もう! 名前を言っちゃダメですぅ。」
すっと手が離れて、再び瞳の中に光があふれる。
アンジェリークの金の髪がキラキラとしていて、ロザリアは目を細めた。
「オリヴィエ様、ロザリア。こんにちは!」
アンジェリークの後ろからランディが顔をのぞかせている。
女王アンジェリークとランディが恋人であることは、聖地中の暗黙の了解だ。


「今朝はすれ違いになったみたいだね。」
無邪気に笑いかけて来たランディに、ロザリアはギョッとした。
オリヴィエとアンジェリークも、一斉にロザリアに注目したのがわかって、背中に冷たい汗がすうっと流れおちる。
「俺が来るから帰ったのかい?」
「いいえ。 そういうわけではありませんけれど…。」
理由もなくオスカーと二人きりでいるのが苦痛だったから、なんてことは言えない。
「そのせいかわかんないけど、オスカー様、機嫌が悪くってさ。
 すごくしごかれちゃったよ。 ホラ。」
そう言って、腕をまくったランディの肘には見事な擦り傷が浮かんでいる。
「俺が勝手に転んだんだけどね。」
「きゃ!ランディ。 そんな怪我してたの? すぐに手当てしなきゃ!」
隣のアンジェリークが傷を覗きこんで、青ざめている。
「これくらい、大丈夫さ。」
「ダメ! バイ菌でも入ったらどうするの?」

実際、ロザリアから見ても、猫のひっかき傷よりも浅いくらいだが、アンジェリークの顔は真剣だ。
アンジェリークがどれほどランディのことを大切に思っているのかが伝わって来て、ロザリアは笑えなかった。
きっと、アンジェリークが怪我をした時も、同じようにランディはとても心配するのだろう。
「消毒しなきゃ! ゴメンね、わたし達、帰るわ。」

来た時と同じようにあわただしく二人がいなくなると、ロザリアはため息をついた。
むやみに干渉されたり、大げさに構われることは苦手だけれど、やはり誰からも心配されないというのは寂しい。
自分も誰かに大切に思われたい。 誰かの大切な人になりたい。
…恋なんて、愚かなものなのに。


「ね、ホントなの?」
覗きこむように見つめてくるオリヴィエに、ロザリアははっと顔を上げた。
いつもからかうような彼の瞳が、やけに真剣に見える。
「なにがですの?」
「あ・さ・が・え・り。 ホントにオスカーと?」
どう答えるべきだろう。
迷ったけれど、ロザリアは正直に言うことにした。

「ええ。確かにオスカーの部屋に泊まりましたわ。 でも、わたくし、眠ってしまって。…それだけですの。」
「へえ。オスカーの部屋に。」
オリヴィエは目を丸くして、ロザリアを見つめている。
情けなさと恥ずかしさで、ロザリアは頬が熱くなった。
「疲れていたんですの。 それに、お酒を飲み過ぎてしまって。 ですから、ええ。 今度の土の曜日には。」
オリヴィエが何かを言いたそうに口を開きかけた時。


「そうか、今度の土の曜日だな。」
突然、落ちた影にロザリアはぎょっと後ろを振り返った。
今日は本当に朝から心臓がちじみ上がるような思いばかりだ。
確実に寿命が10年は減っただろう。
「なぜここに?」
舌打ちしたいような気持ちでロザリアが見上げると、オスカーはにやりと口端を上げた。

「俺の大切な恋人が他の男と二人きりでお茶を飲んでいるのを見たら、黙ってはいられないだろう?
 たとえ相手がコイツでもな。」
「ちょっと~。コイツってなにさ?!」
いつもの応酬が始まって、ロザリアは小さなため息をこぼした。
大切な恋人? 見送りもしなかったくせに。
オスカーの調子のいい言葉が、本当に…。気に障る。

「わたくし、失礼しますわ。 用事を思い出しましたの。」
するりと席を立ち、一度も振り返らないままカフェを出ていくロザリアをオスカーは黙って見送った。
昨夜の彼女のぬくもりが、まだ掌に残っている。
眠っている間、オスカーにすがりついていたロザリア。
あまりにもあどけなくて、とても手を出す気にはなれなかった。
少なくともあの瞬間、ロザリアはかつてのままの彼女だった気がする。
いつまでもロザリアの去った方を見ているオスカーに、オリヴィエは盛大に肩をすくめた。



気がつけば一週間はすぐに過ぎ去っていった。
もう、明日は土の曜日。
相変わらず時間があれば、ロザリアはランチやお茶にオスカーを誘っている。
何度、顔を合わせても、オスカーは特に態度を変えるようなことはなかった。
甘いわけでも、冷たいわけでもない。
彼にとっては慣れたことなのだろう。
今やオスカー付きの秘書官に、自然に迎えられるほど、聖殿中がすでに二人の交際を知っている。
あとはやる事をやって、綺麗に別れればいい。
ほんの少し泣いて見せれば、アンジェリーク達も納得してくれるはずだ。
しばらくは『オスカーに遊ばれて捨てられた』と不名誉な噂が流れるだろうけれど、そんなことは今さら気にならない。
どうせすぐに忘れられてしまうのだ。
彼が今まで過ごしてきたであろう、多くの女性たちと同じように。

「どうした? ずいぶん上の空なんだな。」
テーブルの向かいからオスカーに声をかけられ、ロザリアははっと意識を取り戻した。
ゆったりと足を組み、カプチーノを傾けているオスカーは楽しげな笑みを浮かべている。
誰にでも向けられるキザな笑みではなく、ふと浮かべられるこういう素の笑みは悪くないとロザリアは思う。
あくまでも許せる、という程度のものだが。

「なんでもありませんわ。」
「君のことだ。執務のことでも考えていたんだろう?」
くそまじめ、と揶揄されたようで、ロザリアはかっと血が上った。
「ええ。そうですわ。 働かない守護聖たちをどうしたら馬車馬のように使えるのかを考えていましたの。」
「おっと、俺は除いてくれているんだろうな。」
「あなたは簡単ですわ。 綺麗な女官に書類を持たせてお願いさせれば、すぐにでも片づけてくださるでしょうから。」
「…ずいぶんな言われようだな。 まあ、間違いでもないが。」
くくっと笑ったオスカーに心底腹が立つ。
嫌味も通じないのでは話にならない。

「これからはそうさせていただきますわ。馬にニンジンをぶら下げるようにね!」
「君が持ってきてくれるのが一番早い。」
一瞬、真面目な顔をしたオスカーにロザリアの胸がとくんと高鳴る。
「…なぜですの?」
もしかして、ロザリアのお願いなら、すぐに叶えてくれる、ということなのだろうか。
甘い言葉は彼の得意技。
そう思いながらも問いかけてしまった。
「女王陛下よりも恐ろしい補佐官様だからな。怒らせたら悪魔も裸足で逃げ出すと評判だぜ。」
「なんですって?」

きりりと眉がつり上がるロザリアに、オスカーは笑いがこみ上げるのを必死で我慢した。
凛とした横顔はもちろん美しいが、こういう素のままの表情はさらに魅力的だ。
たぶん、彼女のこんな表情を知る者は、この聖殿でもごくわずかだろう。
愉快すぎて、つい、からかいすぎるのは自分の悪い癖だと理解してはいるのだが。
「あなたがたがサボってばかりだからではありませんの。 そんな言われ方、心外ですわ。」
ふいっと顔をそむけたロザリアの顔はほんのり赤らんでいる。
不満そうに少し尖らせた唇が艶やかで、つい目が奪われた。


「明日は俺が君の家に行こう。」
つらつらと守護聖の不満を口にしていたロザリアがピタリと言葉を止めた。
一瞬にして、冷たくなる青い瞳。
けれど、ふっと小さく息を吐いた後にオスカーを見上げたロザリアの瞳は、いつもと同じ綺麗な青だった。
「いいえ。わたくしが参りますわ。」
「女性を呼びつけるほど、俺は悪い男じゃないんだがな。」
「…あなたの家に行きたいんですの。 もっとあなたを知りたいと思ってはいけません?」

少し上目づかいでお願いするように、ロザリアはオスカーの瞳を見つめた。
自分の部屋に彼を招くなんてまっぴらごめんだ。
オスカーの記憶を少しでも残すようなことはしたくない。
小説の中の女性は、男をこうして誘っていたのだ。
遊び慣れた男ほど、彼女の瞳の意味を読みとるはず。
「女神が降りてくるというのなら、拒めるはずがないさ。…待ってるぜ。」


やっぱりオスカーは適任だった。
彼の執務室を出たロザリアは、自分の選択に満足して、微笑んだ。
こんな無駄な時間ももうすぐ終わる。
女子会の話題を一つ提供して、知らなかったことを知ることができて。
思い通りにことは進んでいる。
それなのに、なぜか胸を刺す痛みがあることに、ロザリアはまた、知らないふりをした。


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